こんにちは。タムラゲン (@GenSan_Art) です。
60年前の今日 (4月25日) は、黒澤明の映画『用心棒』(1961) が公開された日です。
私が初めて夢中になった黒澤映画です。ウィットに富んだ脚本、宮川一夫の絶妙なシネスコ撮影、佐藤勝の豪快な音楽、そして何より三船敏郎の強烈な存在感!これまでに60回以上見た映画ですが、今見ても興奮する映画的な面白さに満ちています。
『用心棒』に関する逸話は既に多くの書籍や記事に記されていますので、拙記事では私が個人的に思うことをあれこれ綴っていきます。
『用心棒』について
用心棒
Yojimbo
1961年4月25日 公開
東宝株式会社・黒澤プロダクション 製作
東宝株式会社 配給
白黒、シネマスコープ、110分
スタッフ
監督:黒澤明
製作:田中友幸、菊島隆三
脚本:菊島隆三、黒澤明
撮影:宮川一夫
美術:村木与四郎
録音:三上長七郎、下永尚
照明:石井長四郎
音楽:佐藤勝
監督助手:森谷司郎
剣道指導:杉野嘉男
現像:キヌタ・ラボラトリー
製作担当者:根津博
剣技:久世竜
振付:金須宏
キャスト
桑畑三十郎:三船敏郎
新田の卯之助:仲代達矢
小平の女房:司葉子
清兵衛の女房 おりん:山田五十鈴
新田の亥之吉:加東大介
馬目の清兵衛:河津清三郎
造酒屋 徳右衛門:志村喬
清兵衛の伜 与一郎:太刀川寛
百姓の子伜:夏木陽介
居酒屋の権爺:東野英治郎
名主多左衛門:藤原釜足
番太の半助:沢村いき雄
棺桶屋:渡辺篤
用心棒 本間先生:藤田進
新田の丑寅:山茶花究
無宿者 熊:西村晃
無宿者 瘤八:加藤武
斬られる兇状持A:中谷一郎
八州廻りの足軽A:堺左千夫
丑寅の子分 亀:谷晃
用心棒 かんぬき:羅生門綱五郎
百姓 小平:土屋嘉男
清兵衛の子分 孫太郎:清水元
腕を斬られる無宿者:ジェリー藤尾
清兵衛の子分 松吉:佐田豊
馬の雲助:大友伸
丑寅の子分:広瀬正一
清兵衛の子分 弥八:天本英世
清兵衛の子分 助十:大木正司
斬られる兇状持B:大橋史典
百姓の親爺:寄山弘
八州廻りの小者:大村千吉
百姓の古女房:本間文子
丑寅の子分:西條竜介
清兵衛の子分:草川直也
清兵衛の子分:桐野洋雄
清兵衛の子分:根津光男
丑寅の子分:高木新平
清兵衛の子分:大友純
丑寅の子分:草間璋夫
丑寅の子分:小川安三
丑寅の子分:高木弘
清兵衛の子分:向井淳一郎
清兵衛の子分:熊谷二良
八州廻りの足軽B:千葉一郎
丑寅の子分:坂本晴哉
清兵衛の子分:緒方燐作
丑寅の子分:小串丈夫
清兵衛の家の女郎:照井洋子
清兵衛の家の女郎:峯丘ひろみ
清兵衛の家の女郎:河美智子
あらすじ
桑畑三十郎と名乗る浪人が、荒れ果てた宿場町に、ふらりとやって来ます。そこでは賭場の元締めである清兵衛一家と、清兵衛の弟分であった丑寅一家との血生臭い抗争が続いていました。居酒屋の権爺から町の事情を聞いた三十郎は、一計を案じ、清兵衛と丑寅の双方に巧みに接近して、両家の争いを激化させ共倒れさせることを目論見ます。
予告篇
個人的鑑賞記
初見の頃・黒澤映画の洗礼
私が黒澤明の映画を意識するようになったのは、高校生になった頃でした。
勿論、それ以前からその名を耳にしたことはありましたが、子供だった私には何やら偉そうな巨匠という堅い印象でした。しかも、初めて見た黒澤映画がテレビで初放送された『乱』(1985) でしたので、まだ中学生だった私は余計に恐ろしくて悲惨な映画という印象を受けてしまいました。(数年後、再び『乱』をレンタルビデオで鑑賞したときは、その作劇と美術の見事さに心を打たれ、今では『乱』も私が最も好きな黒澤映画の一本となりました。)
1988年、偶然テレビで『荒野の用心棒』(1964) を見たので、本家の『用心棒』もビデオをレンタルしてみました。そして、ハリウッド映画にも引けを取らぬ抜群の脚本と演出、そして、三船敏郎の骨太な魅力に忽ち夢中になりました。
米国での鑑賞
1990年には所要で渡米しましたが、黒澤映画の中で『用心棒』が好きだというアメリカ人に何人も会うなど、在米中にも少なからず『用心棒』と縁がありました。
同年10月、TNTチャンネルで放送された『用心棒』を視聴しました。音声は日本語で、英語字幕付きでした。画面の上下が黒帯となったシネスコのサイズでの放送でした。冒頭と結末のタイトルは、英語表記でした。1990年は、3月26日に黒澤明がアカデミー賞の名誉賞を受賞して、10月には当時の最新作『夢』(1990) がアメリカで公開されましたので、黒澤の過去の名作を放送する好機だったのかもしれません。
後日、Embassy Home Entertainment社のビデオ (VHS) をレンタルしてみましたが、テレビ画面のサイズにトリミングした映像でしたので驚愕しました。画面の左右が切られているだけではなく、ラストの決闘では画面の右側にパンしたままなので三十郎と卯之助が画面の左端になっているという酷い有り様でした。こういう改竄を見てしまうと、黒澤明が自分の作品のテレビ放送やソフト化でトリミングを厳禁した意図が痛いほど理解できます。
幸い、数年後には、クライテリオン・コレクションがレターボックス版のLDとVHSを発売したので安堵しました。このときのソフトもタイトルは英語のままでした。
DVD、Blu-ray
時が移り、21世紀を迎える頃には、VHSからDVDが映像ソフトの主流になっていきました。
2002年には、国内でも黒澤映画のDVDが続々と発売されました。中でも『用心棒』は『七人の侍』(1954) や『椿三十郎』(1962) と並ぶ売れ筋なので、他の作品よりは鮮明な映像になっていたと思います。
更に時が移り、Blu-rayが登場します。
2011年の10月に、東宝の『用心棒』Blu-rayを購入しました。確かに、映像はDVDを遥かに上回る鮮明さでしたが、解説書が無く、映像特典も予告編のみという素っ気なさには呆れました。おまけにジャケットの「あらすじ」も、映画を全編鑑賞した人が書いたのか疑わしい変な文章でした。せっかくの高画質も、LDやDVDに劣るパッケージでは、商品価値を下げてしまいます。
2012年の2月には、クライテリオン・コレクションの『用心棒』『椿三十郎』のBlu-ray BOXセットを購入しました。タイトルはオリジナルの日本語で収録されていました。こちらも高画質ですが、若干コントラストが強すぎるのが難点です。又、鑑賞の妨げにはなりませんが、シネスコの左右の端が少しトリミングされていました。『切腹』(1962) や『怪談』(1965) のBlu-rayでも感じましたが、暗部のディテールも見えるほど明るい映像は確かに見易いですが、作品によっては監督や撮影監督の意図を損ねる諸刃の剣でもあります。
劇場での鑑賞
映画の楽校
私が『用心棒』を初めて劇場で鑑賞したのは、2014年9月7日にアルファあなぶき小ホール(現・レクザムホール)で「映画の楽校」が開催した「黒澤明傑作選」でした。
少なからずフィルムが痛んでいましたが、初めてスクリーンで観る『用心棒』の迫力は格別でした。同時上映は『天国と地獄』と『生きる』でした。香川県で黒澤映画3本のフィルム上映を観れて至福のひとときでした。
午前十時の映画祭
2018年6月27日、TOHOシネマズ岡南で、午前十時の映画祭が上映していた『用心棒』4K版を鑑賞しました。
『七人の侍』や『天国と地獄』(1963) 等と同様に、『用心棒』の4Kデジタルリマスターも絶品でした。フィルムの傷やコマ飛びを修復した映像は、これまで見た中でも最高レベル。台詞も明瞭になり、効果音も黒澤映画でお馴染みの風の音の他にカラスや野犬の鳴き声などもよく聞こえます。極上の黒澤映画を極上の映像と音声で堪能しました。
4KリマスターBlu-ray (2023年4月18日追記)
2023年4月18日、ネットで購入した『用心棒』と『椿三十郎』の4KリマスターBlu-rayが届いたので、早速視聴しました。
私の自宅は4K Ultra HDを再生できる環境ではないので、4Kデジタルリマスターを2KダウンコンバートしたBlu-rayですが、我が家のテレビで見る分には十分鮮明な映像でした。東宝の旧Blu-rayは勿論、クライテリオン・コレクションのBlu-rayをも凌ぐ高画質です。
午前十時の映画祭で鑑賞した映像美を家庭でも視聴できるようになって満足です。
ただ、東宝の旧Blu-rayと同様に、解説書すら無く、DVDの特典映像「黒澤明~創ると云う事は素晴らしい~」も未収録なのは残念です。せっかく映像修復のスタッフが高画質のリマスターを成し遂げても、ソフト化の仕様で相変わらずクライテリオン・コレクションに負けているところに東宝のやる気のなさが垣間見えます。
ただ、数年前に発見されたメイキング映像が新たに収録されたのは貴重です。プロデューサーの田中友幸が撮ったとされる8mmフィルムで、『用心棒』を撮影中の東宝撮影所内の様子と、馬目の宿のオープンセットでの撮影風景が映っています。特に、後者の撮影現場はカラーで撮られていますので、非常に興味深く見れました。
黒澤映画の国内盤ソフトが世界最高の高画質で発売されたのは快挙です。従来の黒澤ファンは勿論、若い世代の人達にも4Kの鮮明な映像で黒澤映画を見てもらえることを期待しています。来月以降に発売されるソフトも楽しみです。
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神業的ワイド画面
物語の面白さや三船敏郎の魅力は勿論ですが、私が『用心棒』に心踊らされた要素の一つがワイド画面(シネマスコープ)の絶妙な構図です。
『隠し砦の三悪人』(1958) で初めてシネスコを使用した黒澤明は、その広大な画面を気に入り、その後も『赤ひげ』(1965) までの6作品をシネスコで撮りました。そして、それらの全ての作品でワイド画面を見事に活用しています。
こうした黒澤映画の撮影テクニックについては、Bキャメラを担当した斎藤孝雄も具体的に語っていました。横長の構図に人物を隙間なく配置したり、マルチキャメラを複雑に移動させるなど。
具体的に挙げれば、三十郎が火の見櫓の上で見物する下で清兵衛と丑寅の一味が怖気づきながら睨み合う場面や、居酒屋で三十郎と権爺が見ている先の絹問屋で八州廻りの足軽たちが番太の半助から賄賂を受け取る場面や、卯之助と亥之吉に詰め寄られた三十郎を権爺が心配する場面などなど、どこを切り取っても、人物の配置や縦構図が完璧に決まっています。
黒澤明ほどシネマスコープを見事に活かした監督を他に知りません。
その技法が頂点に達した『用心棒』と『天国と地獄』は、世界最高のワイド画面の映画と言っても過言ではないと思います。
「血の収穫」との比較
黒澤明の西部劇好きが色濃く反映されている『用心棒』ですが、その内容がダシール・ハメットの小説「血の収穫」(1929) を下敷きにしていることは有名です。(又、三十郎が丑寅の一味に拷問される場面は、同じハメットの「ガラスの鍵」(1931) を原作にした1942年の映画をヒントにしているとも言われています)
「ポイズンヴィル(毒の村)」と呼ばれる鉱山町にやって来た探偵が、抗争と汚職で町を荒らすマフィアを一掃するために各勢力をお互いに争わせる、という「血の収穫」の粗筋は確かに後の『用心棒』を連想させます。
具体的に黒澤が拝借したと思われる場面は次の通りです。
町の騒ぎが広がってきた様子を面白そうに見ながら主人公が「ポイズンビルは、どうやら鍋の中で煮立ちかけて来たらしい」(14「マックス」) と思う一節は、明らかに三十郎の「この宿場はまたこの鍋の中みてえにグツグツ煮えて来たぜ」を思い出させます。
密造酒を隠していた「杉の丘荘」を警察署長のヌーナンが奇襲している間に、ファースト・ナショナル銀行が襲撃される展開 (15「杉の丘荘」) は、丑年と清兵衛が絹問屋と造り酒屋を壊し合う展開を彷彿させます。
レノ・スターキーの一味がフィンランド人ピート宅を襲撃して、降伏して出てきたピートをレノが射殺し、その手下が笑う場面 (25「ウイスキータウン」) は、丑寅の一味が清兵衛一家を焼き討ちする場面に活かされています。
そして、結末 (27「倉庫」) で、マックス・ターラー (ホイスパー) と相撃ちになったレノが、床に赤い血だまりを拡げながら死にゆく様を見ている主人公が「生きていた時と同じように、強情な殻をかぶったままで死ぬつもりなのだ。(略)そのむこう見ずの本性のために、やめるという気が、この男にはないのだ」と思う一節は、息絶えた卯之助を見つめていた三十郎が「こいつ、どこまでも向こう見ずの本性崩さずに死んで行きやがった」という台詞に影響を与えたのかもしれません。
ですが、明らかに拝借した描写はこれぐらいで、実際に「血の収穫」を読めば『用心棒』は殆ど別の作品という印象を受けます。この辺りは、シェイクスピアの「ハムレット」を下敷きにしながらも『悪い奴ほどよく眠る』(1960) が全く別の作品になったように、黒澤の巧みな換骨奪胎が『用心棒』を独自のハードボイルド時代劇へと昇華させています。
日本的な要素
国内外で「和製西部劇」と呼ばれることの多い『用心棒』ですが、西洋には無い日本的な要素も少なくありません。これは時代劇だから「日本的」という訳ではありません。
例えば、丑寅の名前です。「丑年の大晦日に産気づいたお袋の腹から寅年になって飛び出しゃがった」という凶悪なヤクザの親分なだけあって、その「妙な名」は鬼門の方角を意味しています。
卯之助が、熊と瘤八と引き換えに与一郎を返す取引に指定した時刻も、鬼門を意味する丑三ツ時(午前2時から2時30分まで)です。
因みに、丑寅の用心棒の一人「かんぬき」が2メートル以上の巨漢なので、ジャイアント馬場だと勘違いする人が少なくありませんが、演じたのは元力士で元プロレスラーの羅生門綱五郎です。
又、丑寅たちに捕らわれた三十郎が脱出して板の間の下に隠れる場面は、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」七段目の楽屋落ちという指摘もあります。
こうした具合に、十二支や陰陽五行など日本文化に親しい観客なら更に奥深く楽しめる仕掛けが随所に込められています。
勿論、そうした細部の文化的背景などを知らなくても『用心棒』が理屈抜きに面白いことは、日本だけでなく世界中の観客も熱狂的に楽しんでくれた事実が証明しています。
余談ですが、1976年、キャンベラのオーストラリア国立大学の客員教授を勤めた井上ひさし は、現地で対日感情が良くないのを感じていました。ですが、『デルス・ウザーラ』(1975) 公開を記念して「黒澤明週間」が大学で開催され、『隠し砦の三悪人』や『用心棒』等が上映されると、その面白さに場内が熱狂の渦に巻き込まれたそうです。戦時中に収容所で3年間も日本軍から虐待されたオーストラリア人男性の一人は、『用心棒』を見終えた後、井上と握手して、日本人を許すと言ってくれたそうです。(『キネマ旬報』 1990年7月下旬号)
『生きる』(1952) や『赤ひげ』(1965) ではなく『用心棒』というのが意外な気がしますが、黒澤映画の面白さは国境を超えるだけでなく、人間同士の共感も深めているのです。
和製西部劇ではなくクロサワ時代劇
黒澤明がジョン・フォードを敬愛していたのは事実ですが、『用心棒』を和製西部劇として見ることに私も抵抗感があります。
前半で清兵衛と丑寅の一味が睨み合うところに、雲助が裸馬を駆って八州廻りの到着を知らせに来ます。このとき雲助が建物の壁の前を、画面を横切る形で登場するのを見て、ある西部劇ファンの年配男性(日本人)が「西部劇なら地平線が見える遠くから来れるのに、時代劇は狭いから横向きに出てくるしかない」と嘲笑ったのを見たことがあります。
確かに西部劇に出てくるアメリカの荒野は地平線が見えるほど広いですが、それほど背景が広くないことが時代劇の価値を下げるものでしょうか?西部劇の荒野のように広くないというだけで馬鹿にするのなら、自分が住んでいる日本の自然を、延いては日本人である自分自身を見下すことに等しいのではないでしょうか?『七人の侍』の記事でも書きましたが、アメリカ大陸の先住民を殺戮することを美化した西部劇を「あの時代だから」と正当化して、日本の時代劇を「封建主義」で野蛮なものと否定するのは、自らを名誉白人と見なす倫理観の植民地化としか言いようがありません。
またもやムキになってしまいましたが、私は決して国粋主義者ではありませんし、あらゆる種類の差別には断固反対です。
そして、ヤクザを否定する『用心棒』は、武士を無条件に賛美する時代劇でもありません。
当時の東映時代劇の歌舞伎的な様式美を全否定するかのように、無精髭を生やした三十郎は薄汚れた着物のままで闊歩します。又、襲い掛かる敵を仁王立ちの主人公が剣を優雅に振るうだけの従来の殺陣とは正反対に、自ら敵に突進して次々と斬っていきます。黒澤が発案した惨殺音や血しぶきなどのリアルな表現がその後の時代劇を決定的に変えてしまったことは、あまりにも有名です。
この豪快な殺陣は勿論、報酬を吊り上げたり、密談を盗み聞きしたりするなど、次々とドライな行動を繰り返す三十郎は、所謂「武士道」と呼ばれる価値観を悉くひっくり返す痛快な存在です。(そもそも思想としての武士道が形成されていったのは江戸時代になってからという曖昧なものです) こうした三十郎の破天荒な活躍は、次作『椿三十郎』でより顕著になります。
現代日本に対する風刺
『用心棒』のクライテリオン・コレクション盤DVDとBlu-rayには、映画評論家・歴史家のスティーブン・プリンス Stephen Prince によるオーディオコメンタリーが収録されています。
米国の視聴者にも分かり易いように、プリンスは『用心棒』の歴史的背景や映画史的位置付け、黒澤明と宮川一夫のコンビ、三船敏郎を始めとした俳優たちについて詳細に語っています。(ただ、黒澤と宮川一夫が最初に組んだ『羅生門』公開年を1951年と言っていますが、正確には1950年です)
プリンスによる解説で、特に興味を引いたのは、単純な娯楽作品に見られがちな『用心棒』にも、資本主義とそれにまとわりつく反社会的勢力に対する批判が込められているという指摘です。
開巻から、プリンスは、この映画を「資本主義を破壊する歴史ファンタジーの寓話」と定義しています。
西部劇は『用心棒』に与えた影響の一つですが、この映画を単なる日本版西部劇として見るのは誤りです。西部劇の他にも幾つかの影響があり、最も重要なのが、急速に経済成長した戦後日本と資本主義が台頭し始めてきた江戸時代との繋がりというのです。
絹問屋と造酒屋のような商人がヤクザと結託している『用心棒』の黙示録的世界は、政治やビジネスが反社会的勢力と繋がっている現代の資本主義であるとプリンスは語ります。その実例として、A級戦犯容疑で逮捕された岸信介や自民党が児玉誉士夫などの右翼団体と繋がっていることや、水俣病で加害企業側が暴力団を雇ってジャーナリストを妨害したことや、総会屋などを挙げています。
汚職を題材にした前作『悪い奴ほどよく眠る』が後味の悪い結末だったので、その鬱憤を晴らすかのように、黒澤は悪人をコテンパンにやっつける痛快無比の時代劇として『用心棒』を撮りました。(黒澤は大のヤクザ嫌いで有名です)そして、黒澤の狙い通り、今度は東宝の厳しい計算でも黒字を弾き出すほどの大ヒットを記録しました。
社会派から正反対の娯楽作品を撮ったことを辛辣に謗る評論家もいましたが、黒澤の批判精神はより巧みな風刺として『用心棒』や次作『椿三十郎』に込められています。それに、プリンスが指摘したように、『用心棒』に出てくるヤクザに諂う十手持ち、ヤクザと八州廻りの癒着、町人の家庭を崩壊させる博打などの反社会的勢力は、映画の公開から60年経った現代の日本でも深刻な問題です。
痛快無比な娯楽作品でも、黒澤映画は普遍的な社会の問題を、現代に生きる私たちに分かり易く提示してくれているのです。
最強のフリーランス
今更言うまでもないですが、桑畑三十郎役の三船敏郎は最高に魅力的です。殺陣の迫力は勿論、社会の欺瞞を見抜き、自分を売り込む交渉力も抜群です。自分の腕に対する絶対の自信と、雇い主を巧みに競争させて報酬を吊り上げさせる三十郎は、映画史上最強のフリーランスの一人かもしれません。
平然と金を要求する三十郎を武士らしくないと批判した批評を見かけたこともありますが、その見方は表層的だと思います。どんな仕事も相手がプロフェッショナルなら報酬を支払うのは当然ですし、何の後ろ盾もなく自分の身体を張る用心棒なら尚更です。
しかも、ヤクザからは大金を巻き上げますが、ヤクザに虐げられる町人一家を救うためにその金を惜しみなく与える三十郎は、「血の収穫」のドライな探偵より遥かに人間的で、真のサムライだと思います。
(敬称略)
参考資料(随時更新)
書籍
『血の収穫』 ダシール・ハメット 著、能島武文 訳、新潮社、1960年
『世界の映画作家3 黒沢明』 キネマ旬報社、1970年
Mellen, Joan. Voices from the Japanese Cinema. Liveright, 1975.
『役者 MEMO 1955-1980』 仲代達矢、講談社、1980年
『巨匠のメチエ 黒澤明とスタッフたち』 西村雄一郎、フィルムアート社、1987年
『全集 黒澤明 第五巻』 岩波書店、1988年
『黒澤明 集成』 キネマ旬報社、1989年
『キネマ旬報』 1990年7月下旬号、キネマ旬報社
『黒澤明の映画』 ドナルド・リチー、三木宮彦 訳、社会思想社、1993年
『映画編集とは何か 浦岡敬一の技法』 浦岡敬一、平凡社、1994年
『300/40 その画・音・人』 佐藤勝、キネマ旬報社、1994年
『キネマ旬報復刻シリーズ 黒澤明コレクション』 キネマ旬報社、1997年
『三船敏郎 さいごのサムライ』 毎日新聞社、1998年
『黒澤明 音と映像』 西村雄一郎、立風書房、1998年
『村木与四郎の映画美術 [聞き書き]黒澤映画のデザイン』 丹野達弥 編、フィルムアート社、1998年
『クロサワさーん! ―黒澤明との素晴らしき日々―』 土屋嘉男、新潮社、1999年
『黒澤明 夢のあしあと』 黒澤明研究会 編、共同通信社、1999年
『黒澤明を語る人々』 黒澤明研究会 編、朝日ソノラマ、2004年
『大系 黒澤明 第2巻』 黒澤明 著、浜野保樹 編、講談社、2009年
『未完。 仲代達矢』 仲代達矢、KADOKAWA、2014年
『もう一度 天気待ち 監督・黒澤明とともに』 野上照代、草思社、2014年
『黒澤明と三船敏郎』 ステュアート・ガルブレイス4世、櫻井英里子 訳、亜紀書房、2015年
『サムライ 評伝 三船敏郎』 松田美智子、文藝春秋、2015年
『仲代達矢が語る日本映画黄金時代 完全版』 春日太一、文藝春秋、2017年
『三船敏郎の映画史』 小林淳、アルファベータブックス、2019年
『旅する黒澤明 槙田寿文ポスター・コレクションより』 国立映画アーカイブ 監修、国書刊行会、2020年
CD、DVD、Blu-ray
CD「用心棒」 佐藤勝、東宝ミュージック、AK-0006、2002年
DVD『用心棒』 東宝株式会社、2002年
DVD『黒澤明 創造の軌跡 黒澤明 “THE MASTERWORKS” 補完映像集』 東宝株式会社、2003年
Blu-ray『用心棒』 東宝株式会社、2009年
Blu-ray Yojimbo. The Criterion Collection, 2010.
Blu-ray 『用心棒 4KリマスターBlu-ray』 東宝株式会社、2023年
ウェブサイト
「黒澤明監督作品/LDジャケット特集」 LD DVD & Blu-rayギャラリー
「用心棒」 LD DVD & Blu-rayギャラリー
「何度見ても面白い!黒澤明監督の傑作時代劇三作品、『七人の侍』、『用心棒』、『椿三十郎』を最も完全な形で現代に復元する」 – KODAKメールマガジン、2018年7月2日
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