『七人の侍』4Kデジタルリマスター版

こんにちは、タムラゲン (@GenSan_Art) です。

今日は、TOHOシネマズ岡南で、『七人の侍』(1954) 4Kデジタルリマスター版を鑑賞しました。

言うまでもなく、黒澤明の代表作の一本で、世界中の映画に多大な影響を与え続けている名作中の名作です。

 

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『七人の侍』について

七人の侍
Seven Samurai

1954年4月26日公開
東宝株式会社 製作・配給
白黒、スタンダード、207分

スタッフ

監督:黒澤明
製作:本木荘二郎
脚本:黒澤明、橋本忍、小國英雄
撮影:中井朝一
照明:森茂
美術:松山崇
録音:矢野口文雄
音楽:早坂文雄
監督助手:堀川弘通、清水勝弥、広沢栄、田実泰良、金子敏
音響効果:三縄一郎
美術監修:前田青邨、江崎考坪
粧髪:山田順次郎
剣術指導:杉野嘉男 (日本古武道振興会)
流鏑馬指導:金子家教 (日本弓馬会範士)、遠藤茂 (日本弓馬会範士)

出演者

島田勘兵衛:志村喬
菊千代:三船敏郎
岡本勝四郎:木村功
久蔵:宮口精二
七郎次:河東大介
林田平八:千秋実
片山五郎兵衛:稲葉義男
利吉:土屋義男
万造:藤原釜足
茂助:小杉義男
与平:左卜全
儀作:高堂国典
志乃:津島恵子
利吉の女房:島崎雪子

あらすじ

戦国時代、野武士による収奪に繰り返し苦しめられていた農村は、浪人を雇って自衛することを決意します。町へ出た4人の農民 (利吉、万造、茂助、与平) は、百戦錬磨の智将・勘兵衛と出会い、彼の協力を得ることになります。その後、元服前の若武者・勝四郎、温厚な五郎兵衛、勘兵衛の右腕・七郎次、飄々とした平八、凄腕の剣豪・久蔵が次々と勘兵衛に共感して揃います。最後に、農村出身で荒くれ者の菊千代が加わった7人は村に到着します。最初は、農民達は浪人達を警戒して、浪人は落武者狩りをする農民に不信感を抱きますが、菊千代の破天荒な行動で両者は打ち解けていきます。万造の娘・志乃と勝四郎がお互いに惹かれ合う中、野武士の脅威が迫ってきます。数日に渡る激しい戦闘で、浪人や農民は戦死者を出しながらも、遂に野武士を撃退します。

予告篇

 

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午前十時の映画祭

実は、「午前十時の映画祭」で『七人の侍』を鑑賞するのは三度目になります。最初は2016年10月22日にイオンシネマ宇多津で2K上映を鑑賞して、次に2018年6月13日にTOHOシネマズ岡南で4K上映を鑑賞しました。

午前十時の映画祭 『七人の侍』 監督 黒澤明

何度見てもデジタルリマスター版の鮮明な映像と音声には驚かされます。

『七人の侍』はスタンダードサイズの画面なので、前方の席でも画面全体を把握することが出来ます。

前半の街のセットの細かい作り込みや、遠景のエキストラにまで丁寧に演技指導が行き届いているのがよく分かります。

そして、コントラストの強い白黒映像が俳優の眼を更に印象付けます。利吉の憤怒の眼。万蔵の狡い眼。勘兵衛の雄々しい眼。五郎兵衛の柔和な眼。菊千代の獰猛な眼。そして、利吉の妻役の島崎雪子は一言も台詞が無いのに虚無、驚愕、冷笑の眼力が圧倒的です。

ラストの豪雨の決戦も、フィルムの傷が殆ど全て除去されています。

音声の鮮明さも驚異的です。オープニングの「野武士のテーマ」で、打楽器の音がクッキリと聞こえるので早々に驚かされます。休憩音楽の「侍のテーマ」で、打楽器か何かが当たる物音も除去されています。

1975年のリバイバル時に『七人の侍』には斬殺音等が追加され、それ以降はその音声版が使用されてきましたが、今回は原点である光学録音の音声を修復しましたので、斬殺音無しの1954年版として蘇りました。

侍集めの舞台となる町の人々の声や、村の川の流れ、登場人物達の息遣いなどが鮮明に聞こえ、黒澤明が実に繊細な音の演出をしていたことを改めて実感します。

何よりも特筆すべきなのは、三船敏郎を筆頭に、これまで聞き取りにくかった台詞がかなり聞きやすくなった点です。

現時点で過去最高の『七人の侍』修復版なのは間違いないです。

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個人的鑑賞記

『七人の侍』の制作秘話や世界的な影響については、既に数多くの書籍や記事が詳しく解説していますので、それらに関して今更私が多く語る必要は無いと思います。

公開から65年も経った今も世界中で見られ続ける作品ともなれば、観客の世代や国籍も多様で、賛否どちらの意見も多い筈です。

そこで、『七人の侍』や黒澤明の映画について、私の個人的な体験や思うことを綴っていきます。

私が黒澤明の映画を意識するようになったのは、高校生になった頃でした。

勿論、それ以前からその名を耳にしたことはありましたが、子供だった私には何やら偉そうな巨匠という堅い印象でした。しかも、初めて見た黒澤映画が、テレビで初放送された『乱』(1985) でしたので、まだ中学生だった私は余計に恐ろしくて悲惨な映画という印象を受けてしまいました。(数年後、再び『乱』をレンタルビデオで鑑賞したときは、その作劇と美術の見事さに心を打たれ、今では『乱』も私が最も好きな黒澤映画の一本となっています。)

高校生になった私は、テレビで偶然見た『荒野の用心棒』(1964) に触発され、『用心棒』(1961) のビデオをレンタルしてみました。そして、ハリウッド映画にも引けを取らぬ抜群の脚本と演出、そして、三船敏郎の骨太な魅力に忽ち魅入られました。

又、同時期に、これまた偶然、書店で見つけて購入した西村雄一郎の『巨匠のメチエ・黒澤明とスタッフたち』(フィルムアート社) が黒澤映画の魅力を具体的に解き明かした名著でしたので、俄然、他の黒澤映画にも興味が湧きました。

ただ、1980年代後半までは、レンタルビデオ黎明期だったせいもあって、黒澤映画はまだ全作揃っていませんでした。しかも、当時の日本ではまだ未発売の『七人の侍』や『隠し砦の三悪人』(1958) 『天国と地獄』(1963) などのビデオがアメリカでは出ているとある雑誌で知ったときには悔しく思いました。 (1990年になって、東宝は自社の黒澤映画全作のビデオとLDを発売を開始。1993年にトリの『七人の侍』が発売され、ようやく日本でも黒澤映画のソフトが全作揃いました。)

今のように、ネットで簡単に買える時代でもありませんでしたので、何とかビデオを入手できないものかと思っていましたら、ある用事でアメリカに行くことになりました。用事のことはさて置き(笑)、アメリカでビデオを借りて遂に『七人の侍』を見れたときは、夢中になって一気に3時間半を全編見終えました。どうしても見たかった映画を見れて、暫くは言葉も無く、映画の場面を頭の中で追体験していました。

因みに、このとき見た初版のビデオ (Embassy Home Entertainment) は、ジャケットが何故か他の時代劇のスチル写真でした。又、「休憩」が無くて、勘兵衛と五郎兵衛が居眠りしていた菊千代を窘める場面で、2本組ビデオの前半が終わりになっていました。

1988年に、クライテリオン・コレクションが、「休憩」を含めた3時間27分の完全版LDを発売しました。 その数年後、アメリカで再発売された『七人の侍』のビデオは、このLDと同じ内容でした。(勿論、ジャケットも『七人の侍』のスチル写真になっていました。それは良いのですが、何故か五郎兵衛がいない6人の侍の写真でした。しかも、写真が左右逆になっていましたし。)

私が初めて映画館で『七人の侍』を鑑賞したのは、再び渡米していたときでした。1994年2月18日、某大学の学生が運営する劇場での16mmフィルム上映を観に行きました。

スタンダード・サイズなのに、最初はワイドのフレームで上映してしまうというハプニングはあったものの、フィルムの状況は良好。館内は、老若男女問わない幅広い層の客で満員。菊千代の身体を張ったギャグに場内は爆笑の連続で、勝四郎の「あなたは…素晴らしい人だ」の英語字幕 “You are… Really great!” にも大爆笑(笑) 野武士との決戦では、侍が野武士を一騎討ち取るごとに、手前に座っていた青年が “Yeah!” と歓声を上げていました。3時間以上の長尺でも、観客は熱心に銀幕に見入り続け、そして、ラストの「終」で、割れんばかりの拍手が起こりました。

翌19日の上映も観に行きましたが、このときも前日と同様の盛況でした。

時は移り、1998年に黒澤明が亡くなった後、高松東宝で、追悼企画として『七人の侍』『隠し砦の三悪人』『天国と地獄』『赤ひげ』(1965) 等が上映されました。私が日本の映画館で『七人の侍』を見たのは、このときが初めてでした。 (その高松東宝も、2004年に閉館しました。)

更に時は移り、21世紀になる頃には、映像媒体もVHSのビデオテープからDVDに急速に移行していきました。

2002年には、待望の黒澤映画全作のDVDが発売されました。東宝のソフトの値段がやたら高いのは相変わらずでしたが。その上、『七人の侍』の初回DVDでは、勘兵衛が農民に加勢することを決意する場面の映像が入れ間違っていたので、ディスクを無料交換するという騒ぎまでありました(苦笑)

※ 『七人の侍』の国内外のソフトの移り変わりに関しては、以下の記事が詳細に紹介してくれています。

黒澤明監督作品/LDジャケット特集」 LD DVD & Blu-rayギャラリー

七人の侍」 LD DVD & Blu-rayギャラリー

いずれにせよ、台詞が聞き取りにくいことが難点でもある黒澤映画も、日本語字幕が出せるDVDが発売されたことによって、より鑑賞し易くなりました。

公開当時から指摘されている台詞の聞き取りにくさは『七人の侍』や『蜘蛛巣城』(1957) 等に顕著ですが、これは俳優に怒鳴る台詞回しを要求する黒澤の演出だけではなく、当時の光学録音の限界でもありました。その意味でも、古い映画こそデジタル修復版の上映やBlu-rayで見ることによって真価を発揮すると思います。

『七人の侍』のBlu-rayに関しては、クライテリオン・コレクションのソフトがおススメです。本編の画質と音声は勿論、特典映像やジャケットのデザイン等も見事です。

黒澤明 『七人の侍』 Akira Kurosawa's Seven SamuraiSeven Samurai (The Criterion Collection)

 


ともあれ、これまで私は『七人の侍』を、フィルム、VHS、LD、DVD、Blu-ray、と様々な媒体で見続けて、気が付けば60回以上も見たことになります。(ファンの中には、100回以上も見たという人もいるそうなので、上には上がいるものです・汗)

この先、あと何回見るか分かりませんが、年齢や人生経験と共に、あらゆる角度から味わい深く鑑賞できる『七人の侍』の奥深い魅力は、まだまだ尽きそうにないです。

 

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自衛のための闘いと国家間の戦争

『七人の侍』の大筋は、「毎年、野武士に襲撃される寒村の農民が、自衛のため浪人を雇って野武士を殲滅する」というシンプルなものです。

この「外敵から自衛するために闘う」という骨子は、公開当時から、その是非を巡って少なからず議論の的となってきました。

『七人の侍』が公開された1954年 (昭和29年) は、日本の敗戦から僅か9年後で、アメリカの占領から独立してまだ2年という時期でしたので、自衛隊の発足などと絡めて『七人の侍』を「日本の再軍備」を肯定する映画だと批判する声があったそうです。

後年、黒澤明が、山田洋次と井上ひさし との対談 (『文藝春秋』1991年12月号) で語った話では、『七人の侍』の撮影現場を当時の社会党の書記長・和田博雄が見学に来た際、和田の秘書が「野武士は野武士の言い分がある」という発言をしたそうです。激怒した黒澤は、「泥棒がいいという論理か、泥棒をすることは悪いことだろう、それと戦うのは当たり前じゃないか」と反論しました。

又、『世界の映画作家3 黒沢明』(キネマ旬報社) に収録された4人の映画監督 (浦山桐郎、熊井啓、黒木和雄、増村保造) の座談会で、増村保造が「武士が農民の味方をして山賊と争うなど、徳川時代にありっこない話だし、大うそもいいところだ」と語っていましたが、それは増村の誤解です。冒頭の字幕に出るように、『七人の侍』の時代設定は、江戸時代ではなく戦国時代なのですから。更に、菊千代の「家系図」を見た勘兵衛が彼を「十三歳」だと大笑いしたことから、物語の時代設定が西暦1587年 (天正15年) だと分かります。

冒頭からちゃんと見れば分かりますが、この映画の前半は「農民による侍集めと戦闘準備」であると同時に、「農民には自分達で闘うしか選択肢が残されていない」ことを用意周到に見せていく物語でもあります。

野武士が跳梁跋扈する戦国時代の真っ只中、代官所も当てにならず、食料や農耕馬のみならず農民の女まで奪い取る残忍な野武士との談合など論外。耐え難い略奪と屈辱に加え、自分達の食料すらままならないとなれば、自分達で外敵から自衛しようとするのは必然すぎるほど必然です。

もっとも、『七人の侍』の農民は、武士や野党から虐げられるだけの卑屈な存在として描かれますが、実際には、戦国時代の武士と農民の区別は曖昧な所があり、農民も刀などで普通に武装していたそうです。

戦国時代の農民の描写が多少史実と異なるとは言え、武者修行中の侍が田畑の見張りなどをして農民から食事や宿を提供してもらうことはあったそうですから、『七人の侍』の物語は決して荒唐無稽なものではありません。

更に、先述の山田洋次と井上ひさし との対談によると、映画の公開後、黒澤宛てに、ある女性から抗議の手紙が届いたそうです。その手紙は「こんな残酷な映画を発表されては困る、私はこれからアメリカに行って勉強するのに、こんな映画を出されたら日本人として立場がなくなる」という主旨の内容でした。

またもや激怒した黒澤は、「西部劇を見ろ、インディアンをじゃんじゃん殺してるじゃないか。野武士というのは暴力団みたいなもので、それと戦ってどこが悪いんだ」という内容の分厚い反論の手紙を書いたとか。

黒澤明がジョン・フォードの西部劇のファンであることはさて置き、この指摘は重要です。

何故なら、もし刀で斬り合う日本の時代劇を「残酷」で「封建的」だと眉をひそめて、白人が銃で先住民を虫けらのように撃ち殺しまくる西部劇を単に「映画だから」と擁護するのなら、その倫理的基準は一体どこにあるのでしょうか?

実際、私より上の世代に、『七人の侍』より『荒野の七人』(1960) の方が好きというように、時代劇より西部劇の方が好きという人がいるのを何人か見たことがあります。これは、戦後にアメリカ文化が大量に入ってきた頃の世代に共通する価値観でしょうか?

必ずしもそうとは限らないかもしれません。

私は北野武の映画は嫌いですが、彼の言葉で珍しく感心したのは、外国人から彼の映画がヤクザばかりだと批判された際、『ダイ・ハード』のようなハリウッド映画もバイオレンスに満ちていると反論すると、外国人は「あれは漫画みたいなものだから」と苦し紛れに答えたそうです。

こうした話から見えてくるのは、自分達と同じ日本人 (アジア人) が刀を振るうのは「前近代的」に見えて、アメリカ人 (白人) が銃で有色人種を撃ちまくるのは「カッコいい」と無意識の内に思うようになってしまった倫理観の植民地化です。

もしそうでないと言うのでしたら、何故こうもハリウッド映画が席巻する一方、かつて世界が刮目した日本映画の名作が「古い」とか「白黒」というだけで少なからずの日本人に敬遠されるのでしょうか?

何やらムキになってしまいましたが、私は決して国粋主義者ではありませんし、あらゆる種類の差別には断固反対です。

そして、『七人の侍』を「再軍備」に結び付けて批判することに反対なのと同じく、この映画を「戦争賛美」として利用することにも大反対です。

何故なら、『七人の侍』で村を繰り返し蹂躙するのは40騎の野武士だと特定されています。黒澤が言ったように、野武士は「泥棒」や「暴力団」のようなものです。この無法な集団を取り締まる法も無く、談合も無理なら、自衛のために闘うのは正当防衛です。

映画『世界が食べられなくなる日』(2012) のジャン=ポール・ジョー監督は、好きな「環境映画」として『七人の侍』を挙げています。その理由として、農業を破壊して搾取しようとする者達に対して闘う勇気を持たなければならない点で現代社会と共通していると語っていました。

「わたしもあなたもひとつのメディア、発言力とお金の使い方を考えなければいけない」:『世界が食べられなくなる日』ジャン=ポール・ジョー監督に岩上安身氏が聞く」 骰子の眼 – webDICE 2013年4月17日

これに対して、近代の国家間の戦争は様相が大きく異なります。戦争の原因となる事実は、権力者によって都合の良いように捏造され、マスコミを通じて国民が洗脳されていく事例が多いです。しかも、直接、戦場で殺し合いをさせられるのは、それまで互いに出会ったこともないような者達なのです。

戦争プロパガンダ10の法則』(草思社文庫) アンヌ・モレリ著

搾取や略奪を繰り返す犯人 (野武士) を、被害者 (農民) がやむを得ず撃退する正当防衛と、一部の特権階級の利益のために大多数の無関係な市民が殺戮される現代の戦争は決して同じではありません。

黒澤明の晩年の映画『影武者』(1980)、『乱』、『夢』(1990) などでも戦争の愚かさが繰り返し描かれましたが、活劇である『七人の侍』も、闘いの果てにあるのは傷付いた人間と戦争の虚しさであることを描いています。

黒澤明自身も戦前・戦時中に、横暴な軍人や検閲官に苦しめられた経験があるだけに、何が何でも戦争はいけないと語っていました。

戦争だけは絶対ダメ父黒澤明」 – 黒澤 和子のBlog (2012年9月18日)

黒澤明 『七人の侍』 Akira Kurosawa's Seven Samurai
農民でも武士でもない菊千代 (三船敏郎) は、そうした理不尽な戦乱の世に対する抑えがたい怒りと悲しみを体現していました。

 

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主人公は誰?

私がこれまで見聞きした限りですが、「物語の主人公は一人か二人のみ」という風に考えている人が少なくないようです。

『七人の侍』は、題名通り7人の武士が主役として出てきますが、映画全体を見ますと、必ずしも彼等がいつも主人公という風には描かれていないことが分かります。(事実、7人の最初の1人となる勘兵衛 (志村喬) が初登場するのは、開幕から約30分も経ってからです。)

『七人の侍』のタイトルが終わった後に最初に登場するのは、野武士の群れで、次に農民の集団。その中から侍を探しに4人の農民が町へ行きます。4人の中では、野武士と闘うことを言い出した利吉 (土屋嘉男) が突出していて、彼の方が主人公のように見えるときもあるくらいです。

最初に登場する侍の勘兵衛が、他の6人の侍を纏めて、野武士撃退の作戦を統率し、映画のラストも締めるので、勘兵衛が主人公と言うのが無難かもしれません。

ですが、勘兵衛を慕う勝四郎 (木村功) も、勘兵衛に付きまとう菊千代も、勘兵衛に劣らず活躍するので、一概に勘兵衛だけが主人公とも言いにくいです。タイトルでは、志村喬と三船敏郎が並んで最初に出ますが、ポスターでは三船敏郎が一番大きく描かれることが多いですし。

映画全体を俯瞰して見ると、武士と農民の双方の登場人物達の視点から物語が描かれていくという重層的な構成とも言えそうです。

私からすれば主人公が誰であろうと大して気になりませんが、主人公が特定されないことに不満 (不安?) を覚える人も何人かいるようです。

米Amazonの『七人の侍』のレビューにも、主人公が誰か分からない、と書かれた不満を見かけたことがあります。

更に記憶を遡れば、私が中学生のとき、授業の中で教師があるハリウッド映画のビデオを見せてくれたことがありました。その洋画は単純明快なアクションものでしたが、冒頭の数分間、何人かの生徒は「主人公が誰か分からない」と不満そうでした。

何故、物語に主人公がいないといけないと思う人がいるのでしょうか?『平家物語』や『戦争と平和』に特定の主人公がいないからといって、その作品の価値が損なわれることなど無いというのに。

これは私の想像ですが、1人か2人の主人公による物語の方が分かり易いからという理由しか思い付きません。

1988年にクライテリオン版LDのために録音された映画評論家マイケル・ジェックによるオーディオ・コメンタリーは、その意味で示唆に富んでいました。

戦後から1950年代半ばまでの黒澤映画には、複数の登場人物が協力し合う物語が多く、『七人の侍』でも複数の人物の視点で物語が語られるのは、社会は1人の人物だけでなく皆が互いに協力し合って、より良い社会を築いていける希望があったからだと、ジェックは指摘していました。

それを裏付けるかのように、ラストシーンの墓は、正面から望遠レンズで撮られ、侍も農民も等しく土に葬られた画面で締め括られます。

このラストシーンの勘兵衛の有名な台詞も、当初の脚本では、もっと長く説明的なものでした。ですが、完成した映画では、「勝ったのは、あの百姓達だ。儂達ではない」という簡潔なものになっていました。

土と共に生きる農民と、闘いが終われば風のように去るしかない武士との対比を、台詞ではなく映像のみで雄弁に語っていました。

正に、映画の中の映画『七人の侍』に相応しい結末だと思います。

 

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英語題名について

1956年に、『七人の侍』の短縮版が北米で初公開された際の英語題名は “The Magnificent Seven” でした。

1960年に、同じ題名で西部劇 (邦題『荒野の七人』) としてリメイクされた後、『七人の侍』の全長版が米国で初公開される頃には、リメイク版と区別する意味で “The Seven Samurai” という原題に忠実な英語題名が定着しました。

黒澤明 『七人の侍』 Akira Kurosawa's Seven Samurai

ですが、現在では、何故か定冠詞の “The” が抜けて “Seven Samurai” になっています。

短い題名の方が呼び易いのかもしれませんが、映画の中の「七人の侍」は、他の誰でもなく「あの」七人なのに、と今でも私は思っています。

 

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早坂文雄 没後65年

今年は、黒澤明の生誕110年で、三船敏郎と稲葉義男の生誕100年 (!) です。そして、作曲家 早坂文雄の没後65年でもあります。

2012年4月26日、新婚旅行で京都の東映太秦映画村に寄ったとき、映画文化館で『七人の侍』の直筆楽譜の複写を見たのを思い出します。
早坂文雄 『七人の侍』 楽譜

1914年8月19日、宮城県仙台市に生まれた早坂文雄は、幼い頃に北海道札幌市に移住。生活が苦しい中、独自に作曲を始め、管絃楽曲《古代の舞曲》(1937) がワインガルトナー賞を受賞。1939年、上京。《左方の舞と右方の舞》(1941) 等の名曲を作曲する傍ら、数多くの優れた映画音楽も書きます。初めて黒澤明と組んだ『酔いどれ天使』(1948) の成功後、『野良犬』(1949)、『羅生門』(1950)、『生きる』(1952)、『七人の侍』を次々と成功させます。1955年、交響的組曲《ユーカラ》(1955) 初演。同年10月15日、黒澤の映画『生きものの記録』(1955) 作曲中に急逝しました。

早坂のCDの中では、『高橋アキ/早坂文雄:室内のためのピアノ小品集』(CMCD-28061) を私はよく聴きます。

どの曲も名曲ですが、特に好きなのが《戀歌No.4》です。黒澤明の映画音楽で語られることが多い早坂ですが、こういう心安らぐ優しさに満ちた純音楽も魅力的です。

近年の『シン・ゴジラ』(2016) や『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019) の公開などで、同じ北海道育ちの伊福部昭が再び注目されるのは嬉しいですが、伊福部と共に切磋琢磨してきた早坂文雄の純音楽作品も、もっと多くの人達に聴いてもらえることを期待しています。

(敬称略)

※ この記事は、アメーバブログに投稿した以下の拙記事に加筆修正を加えたものです。

『七人の侍』公開60周年(前篇) – 個人的体験記」 2014年4月26日

『七人の侍』公開60周年(中篇) – 自衛のための闘いと国家間の戦争」 2014年4月28日

『七人の侍』公開60周年(後篇) – 主人公のいない物語」 2014年4月28日

『七人の侍』公開60周年(番外篇) – 英語題名について」 2014年4月28日

午前10時に『七人の侍』を鑑賞」 2016年10月22日

午前10時に『七人の侍』4Kを鑑賞」 2018年6月13日

 

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参考資料

書籍

『世界の映画作家3 黒沢明』キネマ旬報社、1970年

巨匠のメチエ 黒澤明とスタッフたち』 西村雄一郎、フィルムアート社、1987年

『全集 黒澤明 第四巻』 黒澤明、岩波書店、1988年

『黒澤明 集成』 キネマ旬報社、1989年

『何が映画か 「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』 黒澤明、宮崎駿、徳間書店、1993年

『黒澤明 音と映像』 西村雄一郎、立風書房、1998年

蝦蟇の油 自伝のようなもの』 黒澤明、岩波書店、2001年

『黒澤明 天才の苦悩と創造』 野上照代 編、キネマ旬報社、2001年

『戦争プロパガンダ10の法則』 アンヌ・モレリ、草思社、2002年

『黒澤明を語る人々』 黒澤明研究会 編、朝日ソノラマ、2004年

黒澤明と早坂文雄 風のように侍は』 西村雄一郎、筑摩書房、2005年

大系 黒澤明 第2巻』 黒澤明 著、浜野保樹 編、講談社、2009年

大系 黒澤明 第4巻』 黒澤明 著、浜野保樹 編、講談社、2010年

『『七人の侍』と現代 黒澤明 再考』 四方田犬彦、岩波書店、2010年

黒澤明「七人の侍」創作ノート』 黒澤明、文藝春秋、2010年

もう一度 天気待ち 監督・黒澤明とともに』 野上照代、草思社、2014年

ウェブサイト・ブログ

黒澤明監督作品/LDジャケット特集」 LD DVD & Blu-rayギャラリー

七人の侍」 LD DVD & Blu-rayギャラリー

戦争だけは絶対ダメ父黒澤明」 黒澤 和子のBlog 2012年9月18日

「わたしもあなたもひとつのメディア、発言力とお金の使い方を考えなければいけない」:『世界が食べられなくなる日』ジャン=ポール・ジョー監督に岩上安身氏が聞く」 骰子の眼 – webDICE 2013年4月17日

●「七人の侍」音物語」 kyuzho7のブログ 2016年10月19日

62年前の映像を甦らせた (前) 「七人の侍」4Kレストアは、ひたむきな映画愛の”賜”だった」Stereo Sound ONLINE 2016年10月17日

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CD、DVD、Blu-ray

CD『七人の侍』 早坂文雄、東宝ミュージック、AK-0001、2001年

DVD『黒澤明 創造の軌跡 黒澤明 “THE MASTERWORKS” 補完映像集』 東宝株式会社 映像事業部、2003年

Blu-ray Seven Samurai, The Criterion Collection, 2006

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