『影武者』公開40周年 黒澤明の悲壮な戦国絵巻

こんにちは。タムラゲン (@GenSan_Art) です。

黒澤明監督作品『影武者』公開40周年 40th Anniversary of Akira Kurosawa's KAGEMUSHA: The Shadow Warrior

40年前の今日 (4月26日) は、黒澤明の映画『影武者』(1980) が公開された日です。

 

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『影武者』について

影武者
Kagemusha: The Shadow Warrior

1980年4月26日 一般公開
東宝映画・黒澤プロダクション提携作品
東宝株式会社 配給
カラー、ビスタビジョンサイズ、179分 (海外版159分)

スタッフ

監督:黒澤明
プロデューサー:黒澤明、田中友幸
外国版プロデューサー:フランシス・コッポラ、ジョージ・ルーカス
アシスタント・プロデューサー:野上照代
外国版アシスタント・プロデューサー:オーディ・ボック
英語字幕監修:ドナルド・リチー
脚本:黒澤明、井手雅人
監督部チーフ:本多猪四郎
アドバイザー:橋本忍
撮影:斎藤孝雄、上田正治
撮影協力:中井朝一、宮川一夫
美術:村木与四郎
録音:矢野口文雄
照明:佐野武治
音楽:池辺晋一郎
指揮:佐藤功太郎
演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団
監督助手:岡田文亮
特殊機械チーフ:三輪野勇
スチール:橋山直己
武家作法:久世竜
馬術指導:白井民平
騎馬訓練:長谷川敏
現像:東洋現像所
製作担当者:橋本敏明
整音:西尾昇、安藤精八
音響効果:三縄一郎
音響制作:東宝録音センター
音響効果制作:東宝効果集団
衣裳提供:三松
協力:日本航空、伊賀上野城、熊本城、姫路城

キャスト

武田信玄・その影武者:仲代達矢 (二役)
武田信廉:山崎努
武田勝頼:萩原健一
土屋宗八郎:根津甚八
山県昌景:大滝秀治
織田信長:隆大介
徳川家康:油井昌由樹
お津彌の方:桃井かおり
於ゆうの方:倍賞美津子
馬場信春:室田日出男
内藤昌豊:志浦隆之
跡部大炊助:清水紘治
原昌胤:清水のぼる
小山田信茂:山本亘
高坂弾正:杉森修平
武田竹丸:油井孝太
森蘭丸:山中康仁
竹丸付き老女:音羽久米子
丹羽長秀:山下哲夫
雨宮善二郎:阿藤海
原甚五郎:島香裕
温井平次:井口成人
托鉢僧:江幡高志
傀儡子:田辺年秋
塩売り:山口芳満
甘利おくら:金窪英一
友野又市:宮崎雄吾
信玄を狙撃した鉄砲足軽:杉崎昭彦
泥武者:栗山雅嗣
酒井忠次:松井範雄
石川数正:土信田泰史
本多平八郎:曽根徳
伝騎:矢吹二朗
伝騎:渡辺隆
伝騎:伊藤栄八
宣教師:フランシスコ・セルク
宣教師:アレキサンダー・カイリス
武田屋敷番所頭:簗瀬守弘
医師の小者:加藤敏光
武田屋敷小者:ポール大河
厩番:大村千吉
上杉謙信:清水利比古
田口刑部:志村喬
医師:藤原釜足
能「田村」シテ (観世流):浦田保利
鏑馬武田流司家:金子有鄰

あらすじ

天正元年(1573年)、天下統一を目論む武田信玄は、包囲中の野田城から狙撃され、上洛前に落命します。自らの死を3年は秘密にするようにという信玄の遺言を守るため、武田家の侍大将達は、信玄の弟 信廉が偶然見付けた信玄に瓜二つの盗人を影武者として立てます。一方、信玄の野望を阻もうとする織田信長と徳川家康は、信玄の死を確認するため様々な手を使います。影武者は敵側からの探りも欺き、信玄の側室や孫さえも彼を本物だと信じるに至ります。ですが、ふとしたことから正体を見破られてしまった影武者は武田家の屋敷から追放されます。跡を継いだ武田勝頼は、侍大将達の制止を振り切り出陣しますが、長篠の合戦で織田・徳川連合軍の前に大敗します。影武者もその戦場に飛び込み、討ち死にします。

予告篇

海外版

『影武者』は、全世界を対象としたプリ・セール (製作前の配給契約) を外国の映画会社と結んだ最初の日本映画でした。

カンヌ国際映画祭でのパルム・ドール受賞 (5月23日) 後、黒澤明は、海外版プロデューサーのコッポラとルーカスの意見を取り入れながら、再編集して海外版を制作しました。同年8月5日、黒澤は録音済みの音楽のミックスや編集に手を加え、夢の場面の音楽も新たに録音されました。

主な改訂個所は、日本の歴史的背景を知らない外国人にも分かり易くするため、上杉謙信の場面などを削除したことです。

更に重要なのは、この海外版が単なる短縮版ではないということです。

主役やスタッフの降板など数々のトラブルを乗り越え公開日に辛うじて間に合いましたが、編集など細部に十分に時間をかけることが出来なかったので、黒澤にとっては不本意な状態での公開となってしまいました。ですから、時間の許す限り編集を推敲できた『影武者』海外版は、贅肉が削ぎ落されスッキリと観やすくなっています。

もっとも、編集の切れの良さは海外版に軍配が上がるのを承知の上で、国内版も捨てがたい魅力に満ちていると思います。一見冗長に見える各場面の長さも絵巻的な風格を醸し出すように感じますし、上杉謙信が春日山城の窓から見る雪山の美しさは絶品です。志村喬の黒澤映画最後の出演も感慨深いものがあります。「明らかに長すぎる」と言われる長篠合戦の死屍累々の地獄絵図も、あの長さだからこそ悪夢の場面以上に悪夢を見ているかのような効果が出ていました。

それと、エンディングのテーマ曲も、短縮された海外版よりオリジナルの全長版の方が絶対に良いです。

主な改訂個所は、次の通りです。

2「タイトル」の後、物語の歴史的背景を説明する字幕を挿入。
6「(野田城)二の丸・内」高坂弾正の台詞を削除。
9「大円寺・山門」馬上の山県昌景が到着する部分のみ。
11「同(大円寺)・書院廊下」を削除。
31「三州街道・寒原峠」前半を削除。
32「三州街道・治部坂」撤退する武田軍の縦列の後、夕陽の映像を挿入。
37「岩山」乱波の傀儡子が走ってくる場面を削除。
50「湖畔」影武者が「使ってくれ!」と頭を下げた後、彼を見つめる信廉と侍大将のカットを削除。
51「諏訪神社・参道」立札のアップを挿入。
52「諏訪神社・境内」修羅能「田村」の前半を削除。
77から82までの順序を次のように入れ替える。
 ① 80「諏訪城・一室」この後の伝騎を削除。
 ② 82「武田屋敷・本主殿・広縁」
 ③ 77「浜松城・一室」
 ④ 78「駿河国岡部・武田の出城(夜)」
87「同(武田屋敷)・本主殿」家臣一同が頭を下げる中、影武者が退室した後、一人だけ頭を上げた勝頼のカットを挿入。
88「夜道(月夜)」を削除。
89「武田屋敷・本主殿・二の間」信廉の「またも磔にかけられた心地でござろう」の後を削除。
91「影武者の夢」カットを入れ替えるなどして短縮。(海外版では夢の音楽は新たに録音されましたが、イギリスのBlu-rayでは何故か国内版の音楽になっていました。)
93「岐阜城・桝形」信長の「アメン!」の後を削除。
104から129まで、田口刑部の出番を全て削除。
150「長篠・設楽原」カット冒頭を短縮。
161「設楽原・決戦場」死屍累々の映像を短縮。
163「河」エンディングのタイトルを英語に変更。(本多猪四郎の名前が INOSHIRO なのはまだしも、指揮者の佐藤功太郎の苗字が何故か SAITO となっていました。)

 

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主役の交代

『影武者』と言えば、必ず話題になるのが主役の交代騒動です。

武田信玄とその影武者の二役を演じる予定だった勝新太郎が黒澤明と衝突して降板したことは、映画の撮影中から大きなニュースになりました。代役を仲代達矢が演じたことも公開当時に少なからず批判され、40年経った現在も否定的な意見をたまに見かけます。

ですが、たとえ代役であったとは言え、仲代は非常に好演していたと私は思います。

影武者となる盗人の粗野で剽軽なキャラは勝でも似合っていたかもしれませんが、仲代の忠告も無視して監督の指示に逆らうようでは役を降ろされても仕方ありません。異形の俳優を受け入れる体力が黒澤に無くなり図式的になったと某演出家が問題視していましたが、20世紀フォックスとの契約や相次ぐトラブルなどによる撮影の遅れなども考慮すれば、監督の判断は極めて妥当だと思います。

ハリウッド映画なら主役どころか監督の交代も珍しくありません。『影武者』だけ「勝新だったら」と言われ続けるのは、久方ぶりの黒澤時代劇に加えて勝新太郎の降板という当時の話題性を引きずっているだけにしか見えません。私自身は当時の騒動をリアルタイムで見聞きしていませんでしたし、勝に対して特に思い入れもありませんでしたから、仲代の信玄と影武者を違和感なく受け入れることが出来ました。

『乱』の鉄修理も同様です。当初、この役に黒澤が高倉健を熱望していたことから「健さんだったら」と言う人がいますが、そうした裏事情を知らずに『乱』を見れば井川比佐志は実に見事に演じていました。『乱』を見てから数年後に鉄役に高倉健を予定していたと知っても、私の中ではもう鉄と高倉は結び付きませんでした。

そう言えば、『隠し砦の三悪人』(1958) の田所兵衛を最初に演じていた八代目 松本幸四郎 (初代 松本白鸚) は降板して藤田進に交代して、三橋達也が演じる予定だった『用心棒』(1961) の卯之助は仲代達矢が演じましたが、そのことを批判する声を聞かないのはマスコミに大々的に報じられなかったからでしょうか。

要するに、未だに勝新の降板騒動を持ち出して『影武者』を批判するのは、映画本編とは関係ない裏事情によって色眼鏡を掛けていることに他なりません。

又、三船敏郎が『影武者』や『乱』の主役を演じていればという声もありました。全盛期の黒澤映画の主役を演じてきた三船ならという気持ちも分かる気はしますが、黒澤時代劇での豪放な三船のイメージと『影武者』『乱』のトーンはかなりかけ離れているような気がします。映像的に似てそうな『蜘蛛巣城』(1957) と比較しても雰囲気が異なります。この時期に三船が出演した時代劇『お吟さま』(1978) や『将軍 SHOGUN』(1980) 等を見ても、その違和感は拭えません。更に、三船プロの社長という立場上、長期間拘束される黒澤映画の出演が不可能という現実的な理由もありましたし。

そういう意味でも、次回作『乱』の予行演習でもあった『影武者』の悲劇的な雰囲気は、シェイクスピア劇にも長けた仲代達矢こそ相応しかったと思います。

因みに、高野山成慶院蔵の長谷川等伯による有名な肖像画は長らく信玄の肖像画と信じられてきて、当初は勝を信玄役にイメージしていた黒澤もこの肖像画を基に絵コンテを描いたのは明らかです。もっとも、等伯筆の肖像画は実は別人で、より信憑性が高い高野山持明院蔵の肖像画に描かれた武田晴信は痩身で細面です。偶然とは言え、仲代が演じたことにより図らずも史実の信玄に似る結果になったことになります。

 

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作曲家の交代

『影武者』の降板劇なら、作曲家の交代の方こそ私は残念に思います。

当初『影武者』の音楽に予定されていた佐藤勝は、早坂文雄の弟子であり、早坂亡き後、『蜘蛛巣城』から『赤ひげ』(1965) まで黒澤映画の音楽を8本も連続して作曲しました。『用心棒』(1961) 等、全盛期の黒澤映画の名曲を書いてきた佐藤が約15年ぶりとなる黒澤映画にどのような音楽を作曲しようとしていたのか非常に興味あります。

結果はよく知られているように、クラシック音楽の名曲を付けたフィルムを見せるという黒澤の新たな演出に創作意欲を削がれた佐藤は降板し、武満徹の推薦で池辺晋一郎が『影武者』の音楽を担当することになりました。

伊福部昭も『静かなる決闘』(1949) で黒澤から《オーバー・ザ・ウェイブ》を提示されギョッとしたそうですし、武満に至っては『乱』の音楽を巡って黒澤と決裂寸前まで大喧嘩しました。クラシック音楽という既成曲を提示するという方法は、池辺にとっては具体的で監督の意図を掴みやすい演出でしたが、佐藤や武満にとっては逆に作用したように、作曲家を傷付けかねない諸刃の剣でもあります。

スタンリー・キューブリックもそうですが、クラシック音楽こそ至高だとするような考えには私は同意しかねます。黒澤やキューブリックは名監督であり音楽演出も天才的だと思いますが、音楽の素晴らしさは個人や民族によって千差万別であり、西洋の一部の地域や時代によってのみ語られるものではありません。

話を『影武者』に戻しますと、急な代打となった池辺晋一郎は黒澤映画初参加ながら健闘したと思います。よく「ハリウッド映画のようだ」と指摘されるように、長篠合戦後のトランペットなど映画のトーンから浮いている部分もありますが、オーケストラ曲と邦楽のバランスも良く取れています。黒澤を「西洋的」と批判する声は多いですが、能の美的感覚を映画に活かした黒澤は日本的な要素も大きいのは間違いないです。

曲数も多くバリエーションに富んだ『影武者』の音楽は、今でも私が良く聴くサントラの一つです。

 

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絵コンテについて

1970年代後半、『乱』の脚本を書き終えた黒澤明は映画化に向けて奔走しますが、出資してくれる映画会社は中々見つかりませんでした。巨額の製作費に加えて、「鎧もの(戦国もの)は当たらない」という会社側の先入観も大きな障壁となりました。そのため戦国時代を舞台にして、尚且つ『乱』より少ない製作費で撮れる企画として、黒澤は『影武者』の脚本を執筆しました。ですが、当時の日本映画界は『影武者』の製作費さえも出資することに難色を示しました。

『乱』に続き『影武者』まで実現できなくなりそうになった黒澤は「せめて、そのイメージをフィルムにでなくとも、動かぬ画であろうとも、世界中の人達に見て貰いたい」と思い、コツコツと描いていきました。それらの画は、最終的に200枚以上もの数に上り、画集として発売もされました。黒澤自身も画集の序文に書いているように、動きを強調したクロッキーではなく丹念に描き込んだ画は、通常の絵コンテとは異なり絵画として独立した力強い色彩に満ちています。

映画化が難航したため大量に描かれた絵コンテは、絵画的な画面を撮るのに図らずも役立ったので、『影武者』以降も『乱』や『夢』などでも描かれました。映画界に入る前に黒澤は画家の道を諦めましたが、約40年後に描いた絵コンテが画集となり各地で展示されるなど思わぬ形で夢が実現したことに黒澤も不思議な感慨を抱いたそうです。

ところで、この絵コンテを巡っても苦言を呈する人がいました。要するに、画が立派すぎるので、完成した映画がまるで「噛み終えたガム」のように焼き直しにしか見えないというものです。

私に言わせれば、それが気になるなら、映画の前に絵コンテを見なければいいだけの話です。既に見てしまってそう思ってしまったのなら、単にその人との相性の問題に過ぎないと思います。勝新太郎や高倉健の件と同様に、鑑賞前に余計な情報や先入観なしに見れば『影武者』や『乱』の映像美は絵コンテにも引けを取らず壮大な美しさに満ちています。

私が初めてリアルタイムで見た黒澤映画は『夢』ですが、事前に絵コンテを何点か見ていても映画の鑑賞には全く支障がありませんでした。個人的な好みの問題かもしれませんが、同じ黒澤明がイメージした映像でも、手で描かれた画とフィルムで撮られた画面は似て非なるものだと思います。

 

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長篠の合戦の描写

ラストの長篠の合戦の描写はよく批判されますが、私はあれで正しいと思います。(史実の長篠の合戦は映画とは全く異なりますし、武田勝頼も本当は父に劣らぬ名将でしたが、『影武者』は史実を基に黒澤明が創作した物語ですので。)

銃撃戦の興奮ではなく、殺戮の残酷さを表現するのに、あれ以上の効果的な描写は考えられません。

長篠合戦の死屍累々たる戦場は、直接の描写を敢えて省略したからこそ、戦争による大量殺戮の恐怖を感じさせていました。Blu-rayのコメンタリーで、スティーヴン・プリンスが、織田・徳川の鉄砲の音が火縄銃ではなく現代の機関銃のような音響なのは近代の戦争の大量殺戮を象徴している、と指摘していたのが興味深かったです。(或いは、黒澤が尊敬するジョン・フォードの影響かもしれませんが)

しかも、そうした間接描写は、信玄の狙撃から影武者の落馬に至るまで映画の全編に満ちています。これは事件の現場を目撃できない人間の妄執を描いた物語に見事に沿った描写です。

その意味では、「「ババババーン」と種子島の鉄砲を撃って、次のカットで「あいたたァ」と落ちるのをやったら、あの作品のスタイルを全部変えなくてはいけないのよ」と語った淀川長治は流石に見識が高いと思いました。(「週刊読売」1980年9月21日、9月28日、10月5日)

又、『影武者』の他にも、黒澤明の映画には、ワザと見せ場を隠す間接的な描写が見事な効果を上げていました。

『七人の侍』で勘兵衛が盗人を斬る場面や、『蜘蛛巣城』での城主暗殺、『悪い奴ほどよく眠る』(1960) のラスト等々。凄惨な現場を直接見せるのではなく結果から現場を想像させる描写だからこそ観る者により生々しく現場を追体験させる効果があるのです。『赤ひげ』の狂女を取り押さえる場面は撮影されたようでスチル写真もありますが、本編ではカットされましたが、映画の流れを考えると無い方が自然です。

映画全体の構成に配慮して見せ場を省略するのは、かなり勇気がいることです。

長篠の合戦の間接描写を「逃げ」や「老い」などと言って批判することは、『影武者』という作品そのものが『七人の侍』や『用心棒』とは最初から目指す方向が異なることに目を背けていると思います。更に言えば、火縄銃が命中する映像が無いことに不満を抱くことは、弾が当たり絶命したり苦悶する戦争の残酷さよりも被弾して落馬する場面を娯楽として消費しようとすることに等しいです。

このことで思い出すのが『地獄の黙示録』(1979) と『SHOAH』(1985) です。某漫画家が『地獄の黙示録』のヘリコプターによる爆撃の場面で「映画のボルテージは最高にあがるが、その後は次第に尻つぼみに」と書いていました。同様に、爆撃場面を熱く語る人を私も何人か見たことがありますが、それは爆弾を落とす側の視点で興奮しているだけにしか見えませんでした。事実、コッポラ自身も観客の闘争本能を引きずり出してしまったと黒澤に語ったそうです。

その意味では、スピルバーグの『シンドラーのリスト』(1993) を手厳しく批判したクロード・ランズマンが『SHOAH』では証言のみでホロコーストを再現したことと似た表現を黒澤明は先取りしていたとも言えます。

『影武者』とは逆に、『乱』では三の城落城の場面で残虐な描写がありましたが、現実音が全て遮断されて「数知れぬ仏達の号泣の様に聞えて来る」音楽が流され、戦争の悲惨さが強調されました。

『椿三十郎』(1962) で「本当にいい刀は鞘に入っている」と若侍達を戒めて去っていった三十郎に次の映画が無かったことは「悲劇」ではなく「必然」であったと思います。そのおかげで、『天国と地獄』(1963) と『赤ひげ』という名作が産まれた訳ですし。

戦争を繰り返す人間の愚かさを壮大なスケールと極上の美術で描いた『影武者』は、次回作『乱』と並んで黒澤明の傑作の一本だと今も思います。

 

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個人的鑑賞記

初見の頃

『影武者』が公開された1980年当時、私はまだ幼かったのでリアルタイムで見ることは勿論、黒澤明の存在すら知りませんでした。

私が初めて『影武者』を鑑賞したのは、1988年にレンタルした2巻組VHSテープでした。偶然、書店で見つけて購入した西村雄一郎の『巨匠のメチエ・黒澤明とスタッフたち(フィルムアート社) に掲載されていたスタッフの証言で興味が湧いたので見てみようと思いました。

当時の小さなテレビ画面で見るVHSの映像は、デジタル全盛の今とは比べ物にならないほど不鮮明なものでしたが、それでも『影武者』の映像美には十分に引き付けられました。『用心棒』や『椿三十郎』のような娯楽時代劇とは違うという感じの批判は目にしていましたが、私は全く気になりませんでした。三十郎シリーズは勿論大好きですが、晩年の『影武者』と『乱』に満ちた悲壮な物語と壮大な映像美は違う次元で非常に魅力的でした。

白黒時代に比べてカラー時代の黒澤映画が劣化したかのように批判する声は今も絶えませんが、私に言わせれば、単に黒澤の描こうとする世界が変わっただけで彼の演出の冴えは決して衰えてなどはいません。

『影武者』はどの場面も印象深いですが、個人的に特に見事だと思う場面が一つあります。

シーン87の評定の場です。

武田家の家臣一同が見ている中、勝頼が出陣の許可を信玄に扮した影武者に求めます。打ち合わせとは異なる勝頼の行動に信廉や侍大将は驚きますが、影武者は「動くな!山は動かぬぞ」と一蹴します。

これが他の映画やドラマなら、どのように演出するのか容易に想像できます。押し黙って思案する影武者と焦る侍大将一人一人のアップを交互に映し、大袈裟な音楽まで流してサスペンスを盛り上げようとしたことでしょう。

ですが、黒澤明はそのような凡庸な演出はしません。影武者の背後から勝頼、信廉、侍大将たち全員をフィックスでじっと映し、「動くな!」と言うまで影武者の表情は見せられません。勿論、この評定の場面全体に余計な音楽も一切ありませんので、観客もまるでその場にいるかのように影武者がどう答えるのか固唾を飲んで凝視させられるのです。

『影武者』の演技や音楽を大袈裟だと批判する人もいましたが、この場面の映像と音の演出だけでも黒澤の非凡な演出が衰えていないことを確信しました。

Blu-ray

『影武者』の映像ソフトで最もお薦めなのは、やはりクライテリオン・コレクションのBlu-rayです。

多少フィルムのグレインが目立ちますが、映像の鮮明さでは最高だと思います。評定の場面で影武者が「一同、大義であった」と述べた後、小姓の甘利おくらが微笑する表情まで見えます。

又、VHSやLDでは殆ど真っ暗だった高天神城の野戦も、足軽の一人一人が数えられるほどに鮮明でした。初期の米国版のビデオでは緑色の照明を抑えた色調に調整されていましたが、クライテリオンでは本来の緑色で収録されていました。

映画評論家スティーヴン・プリンスによるオーディオ・コメンタリーも聴き応えがあります。アメリカ人の視点から捉えた『影武者』の歴史的背景や制作当時の黒澤についての解説が興味深いです。

ただ、信玄狙撃の報を受ける上杉謙信を朝倉義景と混同したりするのは玉に瑕です。歴史的知識は別にしても、脚本を紐解けばすぐに判明することなのですが。(余談ですが、海外版を収録した20世紀フォックスのBlu-rayにもプリンスのコメンタリーは収録されているのですが、謙信の場面がカットされ家康と信長の順番が逆になっているにも関わらず、謙信と義景を混同するコメンタリーが被っていてカオスでした・苦笑)

特典映像も充実しています。ルーカスとコッポラの2005年のインタビューや、絵コンテ集、サントリーリザーブのCM等々、盛り沢山です。

強いて不満を挙げるなら、海外版が未収録ということです。通常は長い国内版がオリジナルだと思われがちですが、『影武者』に関しては不本意な状態で公開された国内版よりも、より時間をかけて編集した海外版の方が黒澤にとって決定版に近い出来だからです。『ゴジラ』(1954) を第三者が改竄した『怪獣王ゴジラ』(1956) を特典に収録したクライテリオンなら、監督が自ら推敲した『影武者』海外版も収録すべきだったと思います。

劇場での鑑賞

2014年12月9日(火)、シネ・ヌーヴォ (大阪) にて、『影武者』国内版のフィルム上映を鑑賞しました。

黒澤明映画祭 シネ・ヌーヴォ
この年は『七人の侍』公開60周年でしたので、シネ・ヌーヴォは「社運を賭けて」、黒澤明の全作品を上映する「黒澤明映画祭」を開催しました。(『デルス・ウザーラ』のみ、ロシア側との交渉の関係で未上映。)

当時、私は『影武者』国内版と『乱』のフィルム上映をまだ観たことがなかったので、急いで前売り券をネットで購入して観に行きました。

両作品とも、既に TV、VHS、LD、DVD、Blu-rayで30回以上は見てきましたが、黒澤明が最後の大作として挑んだ戦国絵巻はテレビ画面ではなくスクリーンでこそ鑑賞しなければその真価は分からないと思っていたからです。

妻と一緒に、フェリーと電車を乗り継いで、高松から神戸そして大阪へと向かい、辿り着いたシネ・ヌーヴォは、レトロな外観の名画座でした。

シネ・ヌーヴォ 大阪
『影武者』のフィルムの状態は、思ったより良好でした。ただ、少しピントが甘い気がしました。クライテリオン版Blu-rayでは見えた人物の表情の細部がぼやけていました。(ピントのせいなのか、光量不足なのかよく分かりませんが)

もっとも、気になったのはそこくらいで、劇場で見るとその壮烈な美しさに集中できました。又、DVDやBlu-rayでは微妙にエコーがかかったように聞こえた台詞も、劇場では特に違和感なく聞こえました。

高天神城の夜戦で照明の佐野武治が意図していた「死」を表現したという緑色の照明も確認できました。

『影武者』のフィルム上映は、海外版をアメリカで見たのみでしたので、全長版を劇場で見れて満足でした。映画のみが表現できる色彩と音の饗宴を映画館で体験できて、大阪まで観に行った甲斐がありました。

黒澤映画全作品の上映を実現して下さったシネ・ヌーヴォのスタッフの皆様に感謝です。

偶然ではありますが、大阪に出発する当日、キャメラマンの斎藤孝雄氏の訃報が報じられました。

追悼 斎藤孝雄 カメラマン 黒澤明映画祭 シネ・ヌーヴォ黒澤映画の美しく力強い映像を撮り続けた名キャメラマンでした。合掌。

4Kデジタルリマスター版

2017年には、『影武者』の4Kデジタルリマスター版が有楽町のTOHOシネマズ日劇で特別上映され、日本映画専門チャンネルでも放送されました。

残念ながら、私はどちらも観ることは出来ませんでした。

『七人の侍』(1954) や『天国と地獄』(1963) などの黒澤映画も4Kデジタルリマスター版でクライテリオンをも凌ぐ高画質で蘇り「午前十時の映画祭」の映画祭で上映され好評を博しましたが、その後ソフト化の話をとんと聞きません。せっかくリマスターしたのに上映後に死蔵するのは余りにも勿体無いです。

『影武者』も『乱』と並んで晩年の黒澤明入魂の映像美が見事なので、是非ともリバイバルやBlu-ray化を希望します。

 

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ロケ地巡り

京の宿 石原

2012年4月26日

京都で新婚旅行中だった私と妻は、「京の宿 石原」に宿泊しました。

京の宿 石原 晩年の黒澤明監督が脚本執筆に泊まっていた宿です。
晩年の黒澤明が脚本執筆などでよく泊まっていた宿です。玄関の壁には、黒澤のサインや直筆の絵コンテが飾られていました。

親切な女将から黒澤の想い出が詰まったアルバムを見せてもらいました。『影武者』、『乱』、『夢』等が撮影された頃の写真です。黒澤も元気な頃で、仲代達矢も若くハンサムでした。本多猪四郎や宮川一夫、村木与四郎、佐野武治など黒澤組の怱々たるスタッフも写っていて大興奮。黒澤のシナリオの没原稿や野上照代の手紙は特に貴重でした。

女将から生前の黒澤やスタッフ、キャストの貴重なお話も沢山お聞き出来て感激でした。

その後、私と妻は、黒澤が実際に泊まっていた2階の「黒澤ルーム」で一泊。

京の宿 石原 黒澤ルーム
巨匠が実際に執筆していた空間に居ることが出来て感慨深かったです。

東福寺、泉涌寺

2012年4月27日

午前10時頃に石原をチェックアウトしました。御主人と女将の優しいお心遣いに感謝いたします。

電車で移動して、東福寺の光明院を参拝しました。

東福寺 光明院 京都
大円寺で山県昌景が信玄に野田城本丸の水源を絶ったことを報告する場面 (シーン11、12) が、ここで撮影されました。

東福寺 光明院 京都映画とほぼ同じアングルで写真を撮影しました。

東福寺 光明院 京都この場面は、1979年12月17日に撮影されたので、このアングルでの仲代の息が白いのが分かります。

次に、泉涌寺を参拝しました。ここも『影武者』のロケ地の一つで、鳳来寺・医王院・表で、輿を武者達が警護する短い場面 (シーン26) が撮影されました。

12年に一度、辰年のみに特別公開される舎利殿特別御開帳並びに鳴龍体験に入場しました。龍の天井絵の下で手を叩くと「びぃーん」と独特の反響がしました。

おまけ 丸亀城

余談ですが、『影武者』のロケハンで城の候補に丸亀城 (香川県)も上がっていましたが、最終的には選ばれませんでした。もし実現していたら、黒澤映画初の四国ロケが実現していたのですが。無念也。

丸亀城
2012年7月22日、妻と一緒に、丸亀市へ遊びに行った際、丸亀城にも入城しました。

久し振りに天守まで歩いて行きましたが、真夏の日差しが強い中、急な坂は少々しんどかったです。もっとも、天守への道が行きやすいと簡単に敵に襲撃されますね(笑)

二の丸の広場の木陰で一休み。城のお土産屋で買った地元産の梨と桃のシャーベットが美味かったです。

丸亀城丸亀城の天守は小柄ですが、いい形をしています。

天守の中では、京極家歴代藩主の肖像画を観賞しました。よくある胡座でなく右足を立てた座り方だったのが印象的。『蜘蛛巣城』の山田五十鈴を思い出します。現在放送中のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』でも立膝が再現されていました。

因みに、『麒麟がくる』の衣装は、黒澤明の長女 黒澤和子が担当しています。父に誘われ『夢』で映画の世界に入った黒澤和子は、今では映画の衣装のベテランとして活躍しています。『影武者』や『乱』で戦国武将の華麗なる衣装を映像化した黒澤明の創意が今も受け継がれていることは、大河ドラマ以上に大河ドラマ的なものを感じます。

(敬称略)

 

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参考文献

『影武者』 東宝株式会社事業部、1980年

巨匠のメチエ 黒澤明とスタッフたち』 西村雄一郎、フィルムアート社、1987年

『全集 黒澤明 第六巻』 黒澤明、岩波書店、1988年

『黒澤明 集成』 キネマ旬報社、1989年

『黒澤明のいる風景』 島敏光、新潮社、1991年

『黒澤明 音と映像』 西村雄一郎、立風書房、1998年

大系 黒澤明 第3巻』 黒澤明 著、浜野保樹 編、講談社、2010年

もう一度 天気待ち 監督・黒澤明とともに』 野上照代、草思社、2014年

CD『影武者』 池辺晋一郎、東宝ミュージック、AK-0012、2002年

DVD『黒澤明 創造の軌跡 黒澤明 “THE MASTERWORKS” 補完映像集』 東宝株式会社 映像事業部、2003年

Blu-ray Kagemusha, The Criterion Collection, 2009

Blu-ray Kagemusha, 20th Century Fox, 2014

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