『悪い奴ほどよく眠る』公開60周年 黒澤明も攻めあぐねた汚職の壁

こんにちは。「夜長月」とも言われる長月を迎えて涼しい夜が快適になってきたタムラゲン (@GenSan_Art) です。

『悪い奴ほどよく眠る』(1960) 監督:黒澤明 出演:三船敏郎、森雅之 THE BAD SLEEP WELL (1960) Directed by Akira Kurosawa / Cast: Toshiro Mifune and Masayuki Mori イラスト:タムラゲン Illustration by Gen Tamura

イラスト:タムラゲン Illustration by Gen Tamura

秋の夜長に「倖せな面をして、すやすやと眠ってる奴」が多くなりそうな今日 (9月15日) は、60年前に、黒澤明の映画『悪い奴ほどよく眠る(1960) が公開された日です。

 

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『悪い奴ほどよく眠る』について

 

悪い奴ほどよく眠る
The Bad Sleep Well
1960年9月15日 先行公開 (有楽座)
1960年10月1日 一般公開
東宝株式会社・黒澤プロダクション 製作
東宝株式会社 配給
白黒、シネマスコープ、151分

スタッフ

監督:黒澤明
製作:田中友幸、黒澤明
脚本:小国英雄、久板栄二郎、黒澤明、菊島隆三、橋本忍
撮影:逢沢譲
照明:猪原一郎
美術:村木与四郎
音楽:佐藤勝
録音:矢野口文雄
整音:下永尚
監督助手:森谷司郎
特殊技術:東宝技術部
現像:キヌタ・ラボラトリー
製作担当者:根津博

キャスト

西幸一:三船敏郎
岩淵 (公団副総裁):森雅之
岩淵佳子:香川京子
岩淵辰夫:三橋達也
守山 (公団管理部長):志村喬
白井 (公団契約課長):西村晃
板倉:加藤武
和田 (公団課長補佐):藤原釜足
野中 (地検主任検事):笠智衆
岡倉 (地検検事):宮口精二
新聞記者:三井弘次
有村 (公団総裁):三津田健
大竜建設顧問弁護士:中村伸郎
刑事:藤田進
堀内 (地検検事):南原宏治
三浦 (建設会社常務):清水元
新聞記者:田島義文
波多野 (大竜建設社長):松本染升
事務官:土屋嘉男
金子 (建設会社専務):山茶花究
和田の妻:菅井きん
古谷の妻:賀原夏子
守山の妻:田代信子
有村の妻:一の宮あつ子
和田の娘:樋口年子
新聞記者:近藤準
結婚式接待係:佐田豊
タクシー運転手:沢村いき雄
新聞記者:横森久
殺し屋:田中邦衛
検事:桜井巨郎
公団管理部:清水良二
建設会社員:生方壮児
建設会社員:土屋詩朗
岩淵家女中:小沢経子
岩淵家女中:峯丘ひろみ
貸金庫受付:上野明美

あらすじ(ネタバレあり)

庁舎新築の不正入札事件で自殺した土地開発公団の課長補佐 古谷の忘れ形見である西幸一は、父を死に追いやった公団の副総裁 岩淵、管理部長 守山、契約課長 白井に接近するため、正体を偽って岩淵の娘 佳子と結婚します。復讐に燃える西と、彼の親友 板倉は、汚職の罪を被って自殺しようとしていた課長補佐 和田を救い、彼を味方に取り込みます。西は、白井を追い詰めて彼を発狂させるなど、父の仇に攻勢をかけます。やがて、佳子を本気で愛するようになった西の心に迷いが生じ始めます。自分の正体が敵に露見してしまった西は、守山を捕らえて汚職の証拠を手に入れようとします。ですが、佳子を巧みに騙した岩淵の奸計により、西と和田は殺害され、汚職の真相は闇に葬られてしまいます。

 

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汚職を描く困難

1958年公開の『隠し砦の三悪人』は大ヒットしましたが、撮影日数や予算を大幅に超過してしまいました。そのため、黒澤明にも製作上のリスクを負担させることにした東宝の要請で、黒澤プロダクションが設立されました。独立後に最初から利益優先の映画を撮っては観客に失礼だと考えた黒澤は、「なにか社会的に意義のある題材」として汚職と闘う現代劇『悪い奴ほどよく眠る』を企画しました。脚本執筆には、黒澤映画でも最多の5人体制となりましたが、最初から最後まで執筆していたのは黒澤と久板栄二郎のみで、残る3人は多忙のため時間が合うときのみの参加となりました。又、汚職という難しい題材に加えて、現実の事件や関係者とは無関係な形で描かなければならないため、執筆には非常に苦労したそうです。

『悪い奴ほどよく眠る』の脚本執筆者の一人、久板栄二郎は、汚職の真相が明らかにされないまま次々と起こる理由として、国民の汚職に対する関心が薄く、怒りを覚えないからだと、次のように述べています。

一、汚職は複雑なからくりで、しかも巧妙になされ、国民に知らされることが少ない。
二、汚職は国家予算、国民の税金の不正使用なのだが、国民の日常生活につながっていないから、関心が薄い。
三、度々のことで又かと狎れっこになっている。
(『シナリオ』1960年9月号)

この指摘は、公開から60年も経った今の日本にもそっくり当て嵌まると思いますが、それは後述します。ともあれ、汚職に対する怒りを喚起させるために、肉親を死に追いやった悪人に主人公が復讐を企てるという物語が創作されました。

そのため、『悪い奴ほどよく眠る』を『モンテ・クリスト伯』に例える声も多かったですが、アンジェイ・ワイダや荒井良雄(駒澤大学名誉教授)のように『ハムレット』との類似性を指摘する人もいました。確かに、父親の仇を取るための復讐に燃えていたはずが肝心なところで詰めが甘い主人公や、死んだ筈の人間が姿を現したり、ヒロインが気が狂ってしまうなどの類似点はありますが、あくまでも部分的なもので翻案というほどではないと思います。

この映画の物語と演出を、大時代なものとして否定的に見る声は、公開当時から少なくありませんでした。黒澤映画の熱量が通常の日本映画より遥かに高いのは、この映画に限らないのですが、現代劇のために拒否反応を示した人がいたのかもしれません。「古めかしい」かどうか判断する指標は主観的なものにすぎませんし。

ただ、西と板倉が青春時代に殴り合って友情を深めたり、佳子がか弱い身障者の女性として描かれたりする点も、今の価値観で見れば、如何にも昭和のメロドラマ的なものに映るかもしれません。

かつて『醜聞』(1950) がマスコミ問題という社会的テーマを扱ったにも関わらず悪徳弁護士と病弱な娘の愁嘆場が見せ場になってしまったように、箱書きが生理的に無理な黒澤のセンチメンタルな弱点が『悪い奴ほどよく眠る』でも露呈したのは否めません。

ですが、西の優柔不断さや、佳子との愁嘆場も、巨悪によって踏みにじられる善意という構図として捉えれば、むしろこの映画の甘く見える部分は非情な題材を強調するための構成とも言えます。

それに、表面的なリアリズムを基準に『悪い奴ほどよく眠る』を貶めるのは、全くの的外れだと思います。冒頭の結婚式に大勢の記者が詰めかけたり、課長補佐が自分の葬式を車中から見せられたりするように、現実には有り得なさそうな場面も、登場人物を紹介するだけでなく、汚職の構図を巧みに観客に理解させています。

黒澤映画の中でも『悪い奴ほどよく眠る』が特にお気に入りと言うフランシス・フォード・コッポラも、結婚式の場面を特に絶賛していました。ジョージ・バーナード・ショーの言葉を引用して、コッポラは、黒澤映画の偉大さの一つは「人生を解明して見せてくれる」ことだと書いています。

商業的に公開するため、現実の事件や関係者を具体的に描けなかったことは黒澤明にとって隔靴掻痒でしたが、現実のモデルをそのまま描かないフィクションとしたことによって、汚職そのものの構図をより鮮明にしたと思います。

黒澤が心酔していたドストエフスキーも、自作の中で次のように書いていました。

「作家というものはその小説や物語において、社会のある種の典型をとらえて、それを芸術的にあざやかに表現しようとつとめている。もっともそうした典型は、そっくりそのままの姿では現実にお目にかかれないが、ほとんどあらゆる場合において、当の現実そのものよりはるかに現実的なものなのである」
(ドストエフスキー『白痴』)

黒澤明は、人間の外見と本性の違いを描くことが幾度かありました。

『悪い奴ほどよく眠る』の公団副総裁は家庭では善良な父親ですが、裏では殺し屋も雇って邪魔者を消すことも厭わない極悪人ですし、『椿三十郎』(1962) の大目付も立派な外見とは裏腹に汚職の黒幕だったりします。椿三十郎も「人は見かけに寄らねえぜ。あぶねえ、あぶねえ」と言っていましたし。

政治家のイメージも、果たしてどこまでが事実で、どこまでがマスコミによって作られた虚構であるのか自発的に見極める必要があると思います。

『悪い奴ほどよく眠る』では、検察やマスコミが巨悪を追求する正義の味方のように描かれていますが、現実には両者とも政財界に忖度することが多い有り様です。

黒澤映画で描かれた「汚職の黒幕に追求が及ぶ前に組織の下部の人間が自殺して真相究明が有耶無耶になる」という構図は、60年も経った今でも度々目にします。このような醜悪な構図にも関わらず、先述の久板栄二郎の言葉のように、国民の関心は今も薄いように見えます。

『悪い奴ほどよく眠る』を「今こそ観られるべき映画だ」と語った筑紫哲也も、汚職の構造が約半世紀の間に定着してしまい、映画では姿を見せなかった黒幕が今では白昼堂々と悪事を働いていることを指摘していました。

近年の映画『新聞記者』(2019) でも、組織の末端の人間が罪を被って自殺するなど似た内容が描かれていました。もし『新聞記者』に『悪い奴ほどよく眠る』より救いがあるとすれば、60年前には無かったインターネットによって情報の取捨選択ができる機会が増えたことでしょうか。勿論、『新聞記者』で描かれたように、ネットも政権によるSNSの情報操作で悪用される危険性もあるのですが。

汚職に対する国民の怒りがあまり湧き起らない理由の一つとして、久板は「度々のことで又かと狎れっこになっている」と指摘していました。似たような疑獄事件が頻発することに加えて、長年にわたる日本の教育や同調圧力が、財界や権力者の不正に対する諦めのような無力感を植え付けてきたことも大きな理由の一つだと思います。

『悪い奴ほどよく眠る』で、役人は我が身がどうなろうと上司に対して累を及ぼすことは絶対に言わないと恐れる和田に対して、板倉は冷笑して答えます。「美しい話ですな……おかげで汚職は後を絶たない……大物は安心して税金を盗める……めでたしめでたしという訳ですな」

この板倉の台詞は、終盤の「これでいいのかッ!!」という絶叫以上に、現代を生きる私達に対する皮肉として鋭く突き刺さります。

 

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ワイド画面の構図

汚職という社会的な題材とは別に、『悪い奴ほどよく眠る』は、ワイド画面(シネマスコープ)の構図が絶妙な映画としても特筆されます。

『隠し砦の三悪人』で初めてシネスコを使用した黒澤明は、その広大な画面を気に入り、その後も『赤ひげ』(1965) までの6作品をシネスコで撮りました。そして、それらの全ての作品でワイド画面を見事に活用しています。

こちらは、黒澤が如何に幾何学的な構図を活かして映画を撮っているかを『悪い奴ほどよく眠る』を例に具体的に解析した動画です。

こうした黒澤映画の撮影テクニックについては、キャメラマンの斎藤孝雄も具体的に語っていました。横長の構図に人物を隙間なく配置したり、マルチキャメラを複雑に移動させるなど、これほど見事にシネマスコープを活かした監督を他に知りません。その技法が頂点に達した『用心棒』(1961) や『天国と地獄』(1963) は、世界最高のワイド画面の映画と言っても過言ではないと思います。

勿論、出演者も主演から端役に至るまで役にぴったりと言う他ない絶妙な配役です。主役の三船敏郎は「一本調子」という風に評されたりもしましたが、眼鏡とスーツ姿という珍しい扮装で、一見クールで非情でありながら復讐の憤怒を秘めた西幸一を好演していたと思います。そして、『白痴』(1951) の純粋な亀田欽司とは正反対の老獪な岩淵に扮した森雅之も、非の打ち所がない名演でした。

『悪い奴ほどよく眠る』は、汚職という難しい題材と苦闘した問題作であると同時に、円熟期の黒澤明の映画技法が冴える力作でもあります。公開から60年目を迎えた今見直しても、社会問題と娯楽性を融合させた黒澤明の並外れた力技に改めて圧倒される作品です。

(敬称略)

 

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参考資料(随時更新)

書籍・記事

『白痴』 ドストエフスキー 著、木村浩 訳、新潮社、1970年

巨匠のメチエ 黒澤明とスタッフたち』 西村雄一郎、フィルムアート社、1987年

『全集 黒澤明 第五巻』 岩波書店、1988年

『黒澤明 集成』 キネマ旬報社、1989年

『黒澤明 集成Ⅱ』 キネマ旬報社、1991年

「特別寄稿 もう一本の黒澤シェイクスピア 「悪い奴ほどよく眠る」は現代日本の「ハムレット」?」 荒井良雄、『キネマ旬報』1994年6月上旬号

『黒澤明 音と映像』 西村雄一郎、立風書房、1998年

村木与四郎の映画美術 [聞き書き]黒澤映画のデザイン』 丹野達弥 編、フィルムアート社、1998年

『黒澤明 夢のあしあと』 黒澤明研究会 編、共同通信社、1999年

『評伝 黒澤明』 堀川弘通、毎日新聞社、2000年

蝦蟇の油 自伝のようなもの』 黒澤明、岩波書店、2001年

『黒澤明を語る人々』 黒澤明研究会 編、朝日ソノラマ、2004年

大系 黒澤明 第2巻』 黒澤明 著、浜野保樹 編、講談社、2009年

『もう一度 天気待ち 監督・黒澤明とともに』 野上照代、草思社、2014年

悪い奴ほどよく眠る…の様です」 – 黒澤 和子のBlog (2018年3月9日)

旅する黒澤明 槙田寿文ポスター・コレクションより』 国立映画アーカイブ 監修、国書刊行会、2020年

CD・DVD

CD『悪い奴ほどよく眠る』 佐藤勝、東宝ミュージック、AK-0005、2001年

DVD『悪い奴ほどよく眠る』 東宝株式会社、2003年

DVD『黒澤明 創造の軌跡 黒澤明 “THE MASTERWORKS” 補完映像集』 東宝株式会社、2003年

汚職関連

東京新聞
 「桜を見る会

しんぶん赤旗
 「政治と金
 「森友学園・加計学園疑惑
 「消費者行政

ニュースサイト ハンター HUNTER

自民党 (主に安倍政権) の悪政

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