『羅生門』公開70周年 黒澤明が挑んだ藪の中

こんにちは。連日の酷暑で冷房なしでは生きられないタムラゲン (@GenSan_Art) です。

『羅生門』 (1950) 監督:黒澤明 原作:芥川龍之介 脚本:橋本忍、黒澤明 撮影:宮川一夫 音楽:早坂文雄 出演:三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬 | Rashomon (1950) Directed by Akira Kurosawa | Cast: Toshiro Mifune and Machiko Kyo

玉のような汗をかく日差しで連想するのが、70年前の今日 (8月26日) 公開された黒澤明の映画『羅生門』です。

 

スポンサーリンク

『羅生門』について

羅生門
Rashomon
1950年8月26日 公開
大映京都撮影所 製作
大映 配給
白黒、スタンダード、88分

スタッフ

監督:黒澤明
製作:箕浦甚吾
企画:本木荘二郎
原作:芥川龍之介『藪の中』
脚本:黒澤明、橋本忍
撮影:宮川一夫
録音:大谷巌
美術:松山崇
音楽:早坂文雄
照明:岡本健一
編集:西田重雄
装置:山本卯一郎
製作主任:小林利勝
助監督:加藤泰
記録:野上照代

キャスト

多襄丸:三船敏郎
真砂:京マチ子
杣売り:志村喬
金沢武弘:森雅之
旅法師:千秋実
下人:上田吉二郎
巫女:本間文子
放免:加東大介

あらすじ

平安時代。荒廃した京の都。杣売りと旅法師が雨宿りする羅生門に、下人がやって来ます。杣売りと旅法師は、ある奇妙な事件について下人に語ります。3日前に山の中で、杣売りは、武士 金沢武弘の死体を発見しました。旅法師も殺害前の金沢とその妻 真砂を目撃していました。検非違使にて、金沢殺害の容疑で捕らえられた盗賊の多襄丸と、真砂と、巫女が呼び出した金沢の霊が証言しますが、それぞれの証言がことごとく食い違います。検非違使で見聞きしたこれらの証言を語り終えた杣売りは、実は彼が事件の一部始終を目撃していたことを下人に見抜かれます。杣売りが重い口を開いて語る事件の「真相」とは…

予告篇

 

 

スポンサーリンク

映画に関する考察

企画の発端から受賞まで

『羅生門』誕生のキッカケは、伊丹万作に師事していた橋本忍が、伊丹から原作ものを書くよう勧められたことからでした。橋本は、芥川龍之介の短編『藪の中』(1922) を脚色して『雌雄』を執筆しました。その脚本は、映画監督 佐伯清の仲介で黒澤明の手に渡ります。この頃、東宝争議のため他社で映画を撮っていた黒澤は、大映からの依頼を受けて撮る作品に『雌雄』を選びました。ただ、そのままでは長編映画の長さに足りないため、黒澤は橋本の脚本に、羅生門の場面、杣売りの証言、結末の赤子の場面を加え、題名も『羅生門』と改題しました。

1950年8月に公開された『羅生門』は興行成績は悪くなかったのですが、批評家からの評価は芳しくありませんでした。その上、次作『白痴』(1951) が酷評されてしまい、一時は黒澤明の映画監督としてのキャリアも危ぶまれました。

ですが、1951年に『羅生門』は、ヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞 (グランプリ) を受賞しました。同年、米国でも公開され、翌1952年には、アカデミー賞の名誉賞 (最優秀外国語映画) も受賞しました。一気に国際的な評価を得た黒澤が、東宝に復帰後、『生きる』(1952) や『七人の侍』(1954) などの名作を連発して世界的な巨匠へと急成長していったのは周知の通りです。

原作との比較

前述の通り、映画の中で、芥川龍之介の『羅生門』(1915) の要素は舞台となる羅生門と下人のみで、主な物語は芥川の『藪の中』に沿っています。『藪の中』は、事件の関係者による証言のみで構成されているのに対して、黒澤明の映画は、羅生門に集った3人がそれぞれの証言を議論するという重層的な構成を成すことによって、原作の単なる映像化に留まらない映画独自の表現となっています。

物語の構成

『藪の中』 映画『羅生門』
羅生門で雨宿りする
杣売り、旅法師、下人
検非違使に問われたる
木樵りの物語
(回想) 検非違使庁での
杣売りの証言
検非違使に問われたる
旅法師の物語
(回想) 検非違使庁での
旅法師の証言
検非違使に問われたる
放免の物語
(回想) 検非違使庁での
放免の証言
検非違使に問われたる
媼の物語
多襄丸の白状 (回想) 検非違使庁での
多襄丸の証言
羅生門で議論する
杣売り、旅法師、下人
清水寺に来れる女の懺悔 (回想) 検非違使庁での
真砂の証言
羅生門で議論する
杣売り、旅法師、下人
巫女の口を借りたる
死霊の物語
(回想) 検非違使庁での
巫女の口を借りた金沢武弘の証言
羅生門で議論する
杣売り、旅法師、下人
(回想) 羅生門で
杣売りが語る「真相」
下人が羅生門から去った後、
捨子を引き取った杣売りも
羅生門から去る

様々な証言が食い違うという内容なので、この映画を人間不信の厭世的なものとして哲学的に深読みしたり、黒澤の女性観を詮索したりする人もいるようですが、黒澤明は小難しく考えずに「人間の弱さ」が分かればいいという風に語っています。理屈が嫌いな黒澤は、「テーマ」云々を訊のではなく、虚心坦懐に作品を見てほしいと言い続けていました。

又、よく指摘されるのが、芥川の原作は「秋」で冷たい印象なのに対して、黒澤は「夏」それも真夏の酷暑であるということです。鏡で太陽光を直接当てたコントラストの強い映像や、玉のような汗をかく人物を見れば、誰もが『羅生門』から猛烈な暑さを感じることでしょう。更に原作の多襄丸は検非違使の役人に対して敬語で慇懃無礼な口調なのに対して、三船敏郎が演じる多襄丸は検非違使でも粗暴な口調と野卑な態度を露わにしていることも、芥川と黒澤の熱量の違いを感じさせます。

 

スポンサーリンク

赤子のエピソード

映画の結末に挿入された赤子のエピソードに関して否定的な声がありました。要するに、自分さえ嘘で偽る人間はエゴイスティックだと描いておきながら、最後に唐突に赤子を登場させて希望を持たせる結末が「唐突」で「甘い」というものです。

海外でも、この結末を「甘い」と見る人がいたそうです。『羅生門』を「名作」と称賛したドナルド・リチーでさえ、クライテリオン・コレクションのオーディオ・コメンタリーで、この赤子を “notorious” (悪名高い) と言っていたほどですし。

『羅生門』の結末は、一部の批評家がしたり顔で言うように「甘い」ものでしょうか。確かに、現実の人間社会には詐欺や欺瞞は横行していますし、黒澤自身も何度も他人に騙される被害に合ってきたそうです。政府やメディアの発表も迂闊には信じることは出来ません。地球規模で見れば、旅法師が言うように「戦、地震、辻風、火事、飢饉、疫病…来る年も来る年も災いばかり」という惨状は平安時代も21世紀の今も殆ど変わらないのかもしれません。

ですが、いくら人を安易に信じられない世の中でも、全く人を信じずに生きていくことなど出来るのでしょうか。誰一人として信じることの出来ない世界の果てにあるのは、殺伐とした精神の荒野でしかなく、もはや生きていくことすら無意味になっていくように思えます。

『羅生門』の結末に対する批判について、黒澤は次のように明確に反論しています。

黒澤明「ぼくはあれでいいと思うし、人間ッてそんなものだと思う。『羅生門』の原作の「藪の中」は、芥川(龍之介)さんの嘘だと思うんですよ。あれが正直に自分のものだったら生きてゆけないでしょう。芥川さんはもっと早く自殺したろうと思いますね。よくてらって人間を信じないと云うけれど、人間を信じなくては生きてゆけませんよ。そこをぼくは『羅生門』で云いたかったんだ。つきはなすのは嘘ですよ。文学的にあまいというけれど、それが正直ですね。人間が信じられなくては、死んでゆくより仕方がないんじゃないかしら……」(『映画の友』1952年4月号)

ついでに言えば、『羅生門』のラストを「甘い」と批判したり『用心棒』(1961) などの時代劇を「西洋的」と揶揄してきた日本の批評家たちが、黒澤が晩年に『影武者』(1980) や『乱』(1985) を撮ると、今度は白黒時代に比べて内容が「暗い」とか「厭世的」として貶したりしたのには呆れました。「映画評論家」を名乗っておきながら、彼らは、黒澤が描こうとした意図を読み解こうともせず、単に難癖をつけたいだけなのではとすら思ってしまいます。

人間を信じることを最終的に肯定した『羅生門』と比較して『乱』を「人間不信」だと辛辣に否定する評論家もいました。ですが、黒澤が『乱』で描こうとしたのは、人間は神仏に頼らず自らの意志で生きていかなければならない、ということです。厳しい現実を見つめることはペシミスティックではなく積極的な生き方であるという彼の前向きな信念は、終始変わることはありませんでした。

 

スポンサーリンク

音楽

音楽の配置と効果

『羅生門』の音楽を作曲したのは、早坂文雄です。『酔いどれ天使』(1948) で初めて黒澤明と組んで意気投合して以降、『静かなる決闘』(1949) を除き、遺作となった『生きものの記録』(1955) まで8本の黒澤映画の音楽を作曲しました。

伊福部昭が語っていた「映画音楽の四原則」を『羅生門』に当て嵌めてみると、その巧みな音楽設計がより明確になって興味深いです。

先ず、タイトルとエンディングで流れる曲は、西洋の管絃楽に笙や篳篥が加えられ雅楽的な響きを奏でます。これは平安時代の京の雰囲気を感じさせることから「四原則」の其の一「空間と時間の設定」に該当します。

『羅生門』の劇中音楽ですが、羅生門で雨宿りする現実の場面には音楽が無く、杣売り、旅法師、放免、多襄丸、真砂、武弘の回想に音楽が集中しています。これは、「四原則」の其の三「ドラマ・シークエンスの明確化」に該当します。(回想場面にのみ音楽を集中させる音楽演出は、伊福部も『サンダカン八番娼館 望郷』(1974) で見事な効果を上げていました)

又、回想場面の音楽の中でも、多襄丸の勇ましい殺陣や、真砂の感情の高ぶりは、特に語り手の主観的な世界を強調していることから、文字通り「四原則」の其の二「雰囲気・情念・登場人物の感情的背景の強調」とも言えます。

因みに、最後の杣売りの二度目の回想では、逆に音楽が一切流れません。虫の音などの現実音が強調されることによって、多襄丸、真砂、武弘のエゴ剥き出しの醜態が冷徹に見せ付けられます。後の『生きる』のお通夜での回想や『天国と地獄』(1963) の誘拐犯からの電話など、黒澤は音楽を省くことによって観客を物語に集中させる演出を度々しています。

ボレロの是非

ところで、『羅生門』の音楽で必ず話題になるのが、真砂の証言で流れ続ける曲がラヴェルの《ボレロ》に似ていることです。

これは、黒澤明がラヴェルの《ボレロ》をモデルに曲を書くように早坂文雄に指示したので、似ていて当然と言えます。前年の『静かなる決闘』では《オーバー・ザ・ウェイブ》をモデルに挙げて伊福部昭をギョッとさせ、後年の『赤ひげ』(1965) でもベートーヴェンの第9交響曲をモデルに佐藤勝にテーマ曲を書かせて、『影武者』や『乱』からはクラシック音楽付きでフィルムを編集して作曲家と衝突するに至る黒澤の具体的な音楽演出はこの頃から既に始まっていたようです。

現在では時代劇に西洋音楽を付けるのは珍しくなくなりましたが、1950年頃にはまだ斬新な試みだったようです。谷崎潤一郎も『羅生門』の内容を賞賛しつつも西洋的な音楽には否定的でした。(『映画の友』1952年7月号)

当然、西洋の観客にも《ボレロ》風の音楽に困惑する人が少なくなかったようです。

それどころか、ラヴェルの《ボレロ》の剽窃ではないのかという疑惑まで招き、フランスの音楽出版社デュラン (Durand) から抗議の手紙が届きました。どういう経緯か、大映ではなく東宝の音楽部長 掛下慶吉から調査の依頼が伊福部昭に来たそうです。伊福部によれば、日本には3の倍数の拍子は日蓮宗の太鼓のみですが、他にも似たような曲があるかもしれないという回答をした後、抗議は来なくなったそうです。

もっとも、ボレロ (bolero) はラヴェルの創作ではなく、18世紀後期のスペインで出来た民族舞踏および舞曲です。4分の3拍子で、カスタネットやギターでリズムの付いた歌で、1人かペアで踊るダンスでした。19世紀にヨーロッパ中に全体に広まり、ウェーバーの劇音楽《プレチオーザ》の中の舞曲や、ショパンのピアノ曲などのボレロが作曲されました。

要するに、ボレロの曲は世界中に数えきれないほどあるのです。黒澤の指示を受けて早坂が作曲したボレロは、ラヴェルの《ボレロ》の雰囲気を活かしつつ、独自の東洋的な旋律を乗せて巧みに換骨奪胎していたと思います。

黒澤は脚本執筆の段階で既に《ボレロ》が聞こえていたと自伝に書いていました。自らが証言する物語に酔って陶酔していく真砂の情感を表現する曲として、旋律を執拗に繰り返して盛り上げていくボレロは正に最適でした。この他にも、杣売りの最初の証言の場面でも、ボレロの風の曲が流れて、森の奥へとどんどん入っていく様子が、正に「藪の中」へと入り込んでいくような効果を上げていたと思います。

リチーのように日本映画の音楽に否定的な批評家の中には、黒澤がクラシック音楽の嗜好を早坂に押し付けたかのように語る人も何人かいますが、それは黒澤だけでなく早坂に対しても失礼な話です。

何よりも早坂は、『羅生門』が完成したとき、自分が作曲した音楽について、それまで手掛けた映画音楽の中でも「最良のものになった」と喜び、次のように書いていました。「結果もよく、もう思い残すことはない。この一作を残したことによって、僕のトオキイはある一つの頂点を示しえたことになると思う。人は色々に言うであろうが、僕には悔い残すものがない」(『入洛記』8月24日)

 

スポンサーリンク

国内での批判と海外での賞賛

今でこそ世界的な名作として評価される『羅生門』ですが、先述の通り、公開当時は日本国内の批評家からの評価は芳しくなく、『キネマ旬報』ベストテンでも第5位という位置付けでした。

ですが、1951年に『羅生門』は、ヴェネチア国際映画祭の金獅子賞 (グランプリ) を受賞しました。

日本映画が世界的な賞を受賞したというニュースが敗戦後の日本に希望をもたらしたということは歴史の教科書にも記されるほど有名な出来事です。ただ、その一方で、日本の批評家が批判的に評価した映画が海外で絶賛されたことに困惑したり更に批判する人も少なくありませんでした。

『羅生門』が海外での受賞した理由について、当時の日本の批評家は「東洋的なエキゾチズムに対する好奇心」と安易に決め付ける傾向があったそうです。しかも、イタリフィルム社長のジュリアーナ・ストラミジョーリがヴェネチアに出品する日本映画に『羅生門』を選んだときにも、日本の映画関係者から強い反対にあったそうです。

黒澤明 「日本人は、何故日本という存在に自信を持たないのだろう。何故、外国の物は尊重し、日本の物は卑下するのだろう。歌麿や北斎や写楽も、逆輸入されて、はじめて尊重されるようになったが、この見識の無さはどういうわけだろう。悲しい国民性というほかはない。」 (『蝦蟇の油』)

似たような事例として、伊福部昭の《日本狂詩曲》(1935) がチェレプニン賞を受賞したときも、日本では、その作風が「国辱」だと批判されたことがあります。又、『羅生門』の約半世紀後に宮崎駿の『千と千尋の神隠し』(2001) がベルリン国際映画祭の金熊賞やアカデミー賞を受賞したときも「日本的な異国情緒だから外国人にウケた」という批判を見かけたことがあります。自国の作品が正当に評価されないという歴史は繰り返されるのか、と思わずにはいられませんでした。

もし『羅生門』の国際的な評価が単に「エキゾチック」なことが理由なら、『源氏物語』(1951) や『地獄門』(1953) のように、もっと「エキゾチック」な時代劇が今では殆ど忘れ去られていることの説明が付きません。

それを裏付けるように、イタリアでの批評の一つは次のように『羅生門』を賞賛しています。「この作品(『羅生門』)は娘の踊りや地方風俗のお祭など、絵葉書の様なものをうまく配合したいわゆる「小さな」映画に属する多くの作品に広く用いられている悪い点が全然ないからである。これに反して、ここでは地方色のトリックは試みられず、風俗好みの退屈なものはない」(『ジヨルナーレ・ディ・イタリア紙』1951年8月23日附)

ヴェネチアに出品する日本映画に『羅生門』を選んだジュリアーナ・ストラミジョーリもこう語っています。「イタリイの批評家達がいっている様に、これは人間というものの本質にふれている点で、所謂エキゾティシズムとは全く無関係に、高く買われたものでしょう。つまりもっとも国際性のある作品は、洋の東西を問わず、人間を追求したものでなければならないということにもなるでしょう」(『映画新報』1951年10月上旬号)

グランプリ受賞当時から黒澤明も、エキゾティシズムではなく現代の日本の現実を強靭な物語で表現しなければ海外では通用しない、と繰り返して語っています。『羅生門』を筆頭とした黒澤映画が今も世界中の人達に共感されるのは、人類共通の普遍的な題材を分かり易く表現しているからに他なりません。

 

スポンサーリンク

個人的鑑賞記

VHS

私が初めて『羅生門』を鑑賞したのは、1988年にレンタルしたビデオテープ (VHS) でした。当時の私はまだ子供でしたので、芥川龍之介の『羅生門』は国語の教科書で読んだことはありましたが、映画の原作が『藪の中』という聞きなれない小説だったことに先ず面喰いました。それまで様々な書籍で見てきた『羅生門』のスチル写真が三船敏郎に京マチ子が縋り付くような構図のものばかりだったので、多襄丸が真砂を救うような内容かと勝手に想像していたら、実際は真逆だったので更に驚きました。

アメリカでの鑑賞記

1990年には、所要で渡米しましたが、アメリカでも少なからず『羅生門』と縁がありました。

先ず、同年10月7日、午後11時40分、TNTチャンネルで放送された『羅生門』を視聴しました。音声は日本語で、英語字幕付きでした。1990年は、3月26日に黒澤明がアカデミー賞の名誉賞を受賞して、10月には当時の最新作『夢』(1990) がアメリカで公開されましたので、黒澤の過去の名作を放送する好機だったのかもしれません。

1951年に米国で公開された『羅生門』はオスカーを受賞するなど大きな反響を呼び、1964年にはマーティン・リット監督、ポール・ニューマン主演で『暴行』 (原題 “The Outrage”) という題名でリメイクもされました。更に、その影響は、映画界に留まらず、複数の証言の内容が食い違う現象を意味する “Rashomon effect” (羅生門効果) という用語まで英語として定着したほどです。

それほど影響力のあった映画ですので、滞米中はアメリカ人だけでなく、様々な国籍のひとから『羅生門』について話題を振られることが度々ありました。

スペインから英語を学びに来ていた女性は、母国の学校に通っていた頃、教師が『羅生門』を見せてくれて、クラスで何が真実かを議論させられたそうです。スコットランド出身の歴史教師も、黒澤映画では『羅生門』『七人の侍』『影武者』を見たことがあると話してくれました。

『羅生門』について語る海外の人達の声を直に聞いてみると、「エキゾチック」云々ではなく、本当のことを話すことが出来ない人間の性を描いた点に興味を示していた点で共通していました。

私が最初に『羅生門』のフィルム上映を鑑賞したのは、1994年3月4日、某大学が主催する名画座でした。真砂に罵倒された多襄丸の漫画のようにしょんぼりした表情にはアメリカ人男性が笑い声を出していました。『七人の侍』もそうでしたが、三船敏郎の分かり易い感情表現は海外の人にも受けが良かったようです。

DVD

私が日本に帰国して数年後、三船敏郎と黒澤明が相次いで世を去りました。2002年には、日本国内でも黒澤映画のDVDが続々と発売され始めました。最初は大映の3作品『静かなる決闘』『羅生門』『まあだだよ』(1993) を収録したBOXでした。因みに、このDVD BOXが私が最初に購入したDVDソフトとなりました。

特に驚いたのは、この3作の映像特典が豊富だったということです。予告篇は勿論、野上照代と紅谷愃一の副音声解説、橋本忍や当時のスタッフによる映像証言、宮川一夫所蔵のカット尻集、ニュース映像、静止画資料などが収録されていました。

映画の楽校

日本での『羅生門』のフィルム上映は、香川県の名画座「映画の楽校」の企画で2回鑑賞したことがあります。

香川県の名画座「映画の楽校」で上映された黒澤明の『羅生門』

1度目は、2003年1月、ホールソレイユ4階での上映でした。因みに、これは私が最初に見た「映画の楽校」の上映会でした。このときのフィルムの状態は、年月が経っていたせいか、それほど良くなかったような記憶があります

2度目は、2016年9月22日、レクザムホール(旧・香川県民ホール)の小ホールでした。後述するデジタルリマスター版Blu-rayの方が遥かに鮮明な画質ですが、スクリーンで見ることによって作品の世界に集中できる面もありました。

デジタル完全版 Blu-ray

2011年11月、『羅生門』のBlu-rayを鑑賞しました。

デジタル復元された映像は、DVDより遥かに鮮明な画質でしたので目を見張りました。

映像修復が格段に進歩した今だからこそ、昔の映画こそBlu-rayで見る価値はあると思います。『羅生門』や『サイコ』(1960) のように徹底的に修復された高画質の映像は、まるで昨日撮られたかのように鮮明で、映画の内容と印象をより一層強烈にしています。

その一方で、特典がDVDより少ないのが不満でした。東宝の黒澤映画のBlu-rayも特典が予告編のみという有り様ですし。黒澤映画のBlu-rayだというのに特典内容がDVDより減退しているのは非常に不可解です。

2012年に、クライテリオン・コレクションから『羅生門』のDVDとBlu-rayが発売されました。本編の映像は国内盤と同じですが、例によって特典は豊富です。ロバート・アルトマンのインタビューや、NHKスペシャル「宮川一夫の世界」の抜粋、志村喬のインタビュー音声、国内盤DVDに収録されていた関係者の証言集など、実に盛り沢山です。

 

先日も、Blu-rayで久しぶりに『羅生門』を鑑賞しました。

自分自身さえ嘘で偽らずには生きていけない人間の弱さを強烈なコントラストでえぐり出した宮川一夫のキャメラは、白黒であるが故に強烈な印象を与えます。

激しい演技を爆発させる三船敏郎や京マチ子は勿論圧倒的ですが、森雅之も動きが制限された中で冷酷な眼差しから同情を誘う泣き顔までを演じ分ける演技力にも舌を巻きます。

『羅生門』の必要最小限にまで切り詰めた物語、登場人物、映像表現は、公開から70年を経た今も色褪せていません。黒澤明の映画監督としての才能が最も純粋に発揮できた傑作の一本だと思います。

(敬称略)

 

スポンサーリンク

参考資料(随時更新)

書籍

藪の中』 芥川龍之介、青空文庫

羅生門』 芥川龍之介、青空文庫

Kurosawa, Akira. Rashomon. Ed. and trans. Donald Richie. Grove Press, 1969.

Kurosawa, Akira. Rashomon. Ed. and trans. Donald Richie. Rutgers University Press, 1987.

巨匠のメチエ 黒澤明とスタッフたち』 西村雄一郎、フィルムアート社、1987年

『全集 黒澤明 第三巻』 黒澤明、岩波書店、1988年

『黒澤明 集成』 キネマ旬報社、1989年

『黒澤明 集成Ⅱ』 キネマ旬報社、1991年

『黒澤明の映画』 ドナルド・リチー、三木宮彦 訳、社会思想社、1993年

『キネマ旬報復刻シリーズ 黒澤明コレクション』 キネマ旬報社、1997年

『黒澤明 音と映像』 西村雄一郎、立風書房、1998年

『黒澤明 夢のあしあと』 黒澤明研究会 編、共同通信社、1999年

『評伝 黒澤明』 堀川弘通、毎日新聞社、2000年

蝦蟇の油 自伝のようなもの』 黒澤明、岩波書店、2001年

『黒澤明 天才の苦悩と創造』 野上照代 編、キネマ旬報社、2001年

『黒澤明を語る人々』 黒澤明研究会 編、朝日ソノラマ、2004年

黒澤明と早坂文雄 風のように侍は』 西村雄一郎、筑摩書房、2005年

大系 黒澤明 第1巻』 黒澤明 著、浜野保樹 編、講談社、2009年

『もう一度 天気待ち 監督・黒澤明とともに』 野上照代、草思社、2014年

公開70周年記念 映画『羅生門』展』 国書刊行会、2020年

鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』 春日太一、文藝春秋、2023年

その他

CD『早坂文雄 管弦楽選集』 fontec、FOCD3244

CD『七人の侍/羅生門』 ビクター、VICL-5075、1991年

DVD『羅生門 デラックス版』 大映/パイオニア、2002年

DVD『黒澤明 創造の軌跡 黒澤明 “THE MASTERWORKS” 補完映像集』 東宝株式会社 映像事業部、2003年

Blu-ray 『羅生門 デジタル完全版』 KADOKAWA、2009年

Blu-ray Rashomon. The Criterion Collection, 2012.

 

コメント COMMENTS