『天国と地獄』公開60周年 黒澤明が追跡した地獄からの声

こんにちは。タムラゲン (@GenSan_Art) です。

『天国と地獄』 1963年 監督:黒澤明 主演:三船敏郎、仲代達矢、香川京子、山崎努 | High and Low (1962) Directed by Akira Kurosawa | Cast: Toshiro Mifune and Tatsuya Nakadai | イラスト:タムラゲン Illustration by Gen Tamura

イラスト:タムラゲン Illustration by Gen Tamura

1963年の今日 (3月1日) は、黒澤明の映画『天国と地獄』が公開された日です。

誘拐事件を題材にしたサスペンス映画の大傑作です。

 

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『天国と地獄』について

天国と地獄
High and Low
1963年3月1日 公開
東宝株式会社・黒澤プロダクション 製作
東宝 配給
白黒 (パートカラー)、シネマスコープ、143分

スタッフ

監督:黒澤明
製作 : 田中友幸、菊島隆三
脚本 : 小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎、黒澤明
原作 : エド・マクベイン「キングの身代金」より
撮影 : 中井朝一、斎藤孝雄
美術 : 村木与四郎
録音 : 矢野口文雄
照明 : 森弘充
音楽 : 佐藤勝
整音 : 下永尚
監督助手 : 森谷司郎
現像 : キヌタ・ラボラトリー
製作担当者 : 根津博

キャスト

権藤金吾:三船敏郎
戸倉警部:仲代達矢
権藤伶子:香川京子
河西:三橋達也
荒井刑事:木村功
田口部長刑事:石山健二郎
中尾刑事:加藤武
捜査本部長:志村喬
神谷:田崎潤
石丸:中村伸郎
馬場:伊藤雄之助
竹内銀次郎:山﨑努
新聞記者:千秋実
年配の工員:東野英治郎
刑務所長:清水将夫
青木:佐田豊
青木進一:島津雅彦
権藤純:江木俊夫
新聞記者:三井弘次
債権者:山茶花究
捜査一課課長:藤田進
病院の火夫:藤原釜足
村田刑事:土屋嘉男
新聞記者:北村和夫
内科医長:清水元
山本刑事:名古屋章
債権者:浜村純
税務署執行吏:織田政雄
債権者:西村晃
看守長:田島義文
魚市場の事務員:清村耕次
島田刑事:宇南山宏
高橋刑事:牧野義介
刑事:近藤準
小池刑事:鈴木智
病院の外来患者:大村千吉
鑑識課長:加藤和夫
横浜駅の乗務員:沢村いき雄
麻薬患者:菅井きん
麻薬患者:富田恵子
麻薬患者:小野田巧
中村刑事:田口精一
税務署執行吏:松下猛夫
上野刑事:山下清
原刑事:児玉謙二
刑事:伊藤実
刑事:鈴木治夫

あらすじ(ネタバレあり)

横浜の製靴会社ナショナル・シューズ社の常務・権藤金吾は、密かに自社の株を買い集めて会社の乗っ取りを目論んでいました。その最中、住み込み運転手・青木の息子・進一が権藤の息子・純を間違われて誘拐されてしまいます。誘拐犯は、権藤に身代金3000万円を要求します。

権藤邸に到着した刑事たちは逆探知で捜査を開始しますが、犯人に翻弄されます。権藤も、必要な自社株を入手するための5000万円から身代金を払うことは財産や地位を失うことに直結するため抵抗しますが、妻や青木の説得もあり身代金の支払いを決意します。

犯人は、身代金の受け渡しとして、権藤に3000万円を入れた2つの鞄を持って特急第2こだまに乗ることを指定します。次に車内電話から指示してきた犯人は、酒匂川の鉄橋を過ぎた場所で鞄を洗面所の窓から投げ落とすように指示してきます。犯人の思惑通りに身代金は持ち去られてしまいますが、進一は無事に救出されます。

戸倉警部が指揮を執る捜査機関は、緻密な調査を重ねて主犯がインターンの竹内銀次郎であることが判明します。捜査の過程で、竹内が麻薬を使用して共犯者の男女を殺害していた可能性も浮上していましたが、物的証拠に欠けていました。竹内を極刑に処すために、戸倉は共犯者が生きていると思わせて竹内に犯行を繰り返させます。黄金町で高純度の麻薬を入手した竹内は、共犯者の居場所に到着したところで逮捕されます。

身代金の一部は戻ってきたものの、財産や自宅を失った権藤は、小さな靴会社に勤めながら再起を図ります。死刑が確定した竹内は、権藤との面会を要求します。面会室で権藤と対峙した竹内は、貧困生活に困窮しながら権藤の豪邸を見上げている内に彼が憎くなって犯行に及んだことを語るのでした。

 

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個人的鑑賞記

広島映像文化ライブラリー

私が『天国と地獄』を初めて鑑賞したのは、1990年5月26日(土)、広島市映像文化ライブラリーでの上映でした。

当時は『天国と地獄』や『七人の侍』(1954) など黒澤映画の殆どがソフト化されていませんでした。西村雄一郎の『巨匠のメチエ』と『黒澤明 音と映像』を読んで以来、何としても『天国と地獄』を見たいと思っていましたので、本屋でたまたま見かけたキネマ旬報で『野良犬』(1949) と『天国と地獄』の広島での上映予定を知った私は狂喜乱舞しました。

高松駅からJRに乗って、完成して間がない瀬戸大橋を渡り、岡山駅で新幹線に乗り換え、広島に行きました。5月下旬でしたが、修学旅行で原爆ドームと平和記念資料館を初めて訪れた夏の日のように暑かったのを覚えています。広島市映像文化ライブラリーの前には、暑い陽光の下、大勢の人達が既に並んでしました。

そして、初めて鑑賞した『天国と地獄』は、期待以上の面白さでした。

神業的な構成の脚本、正確無比なシネスコ撮影、三船敏郎と仲代達矢の共演などなど。フレームの隅から隅までが完璧な映画と対面できた興奮に震えました。

1コマも見逃すまいと、二回目の上映にも入場して、脇目も振らずに食い入るようにスクリーンを凝視しました。

因みに、誘拐犯人から最初の脅迫電話を受けた後「警察に電話したら純の命が危ない」と言っていた権藤が、浚われたのが進一だと分かった途端「おい、河西、警察だ」と言う場面で観客は大爆笑していました(笑) 二度目の上映でも同じリアクションでしたし、後に劇場で見る度に同じ場面で客席から笑いが漏れていました。

33年経った今も色褪せない暑い広島での思い出です。

VHS

次に私が『天国と地獄』を鑑賞したのは、1990年にアメリカでレンタルしたレンタルビデオ (VHS) でした。1988年にPacific Arts Videoから発売されたソフトで、冒頭のクレジットタイトルが全て英語表記となっていました。

同じく1990年の秋頃、東宝から黒澤映画23本のビデオレンタルとレーザーディスクの発売が開始され、その嚆矢として『天国と地獄』が国内で初ソフト化されました。

アメリカの名画座

1992年7月24日、アメリカ西海岸の某州の大学が運営していた名画座で『天国と地獄』を鑑賞しました。上映後に外へ出ると、同じ上映を見ていたアメリカ人の青年に話しかけられました。彼も感銘を受けていたようで、特にラストの山崎努の迫力について熱く語っていました。

DVD

1997年には三船敏郎が他界して、翌1998年には黒澤明も後を追うように世を去りました。映像ソフトもVHSからDVDへと変換していき、日本でも2002年に各社から黒澤映画のDVDが続々と発売されました。

『天国と地獄』は、2003年に東宝から発売されたDVD Box「黒澤明 THE MASTERWORKS 3」に収録され、後に単品も発売されました。

Blu-ray(クライテリオン・コレクション)

更に時代は進み、黒澤映画も国内でBlu-rayが発売されました。

ですが、私は『天国と地獄』に関しては米国のクライテリオン・コレクション盤Blu-rayのみを2012年に購入しました。その理由は、東宝盤Blu-rayは解説書すら無く、特典映像も予告編しかないからです。黒澤映画でさえDVDより手抜きで商品化するという東宝のやる気の無さに呆れてしまいます。

対照的にクライテリオンの『天国と地獄』Blu-rayは、映像が高画質なのは勿論、ジャケットのデザインも優れたセンスです。

特典映像も、日本版DVDのドキュメンタリー「黒澤明・創ると云うことは素晴らしい」の再録や、2008年の山﨑努の撮り下ろしインタビューの他に、1981年に三船敏郎が出演した「徹子の部屋」まで収録されているのには驚かされます。

レンタルビデオも出ていなかった時代を思うと隔世の感があります。

又、後述するように、アメリカ人映画評論家スティーヴン・プリンスによるオーディオ・コメンタリーも聴き応えがあります。日本の映画や文化に造詣が深いプリンスによる『天国と地獄』と当時の日本についての解説は非常に具体的で洞察力に富んでいます。

映画の楽校

2014年9月7日、アルファあなぶき小ホール(現・レクザムホール)で「映画の楽校」の企画「黒澤明傑作選」が開催されました。上映作品は『天国と地獄』、『用心棒』(1961)、『生きる』(1952) でした。

会場は殆ど埋まっていましたが、やはり年配の観客が多い感じでした。対照的に、この日は同会場の大ホールでゴールデンボンバーのライブが開催されていて若い人達が長蛇の列をなしていました。やはり若い人には昔の白黒映画というだけで敬遠されるのでしょうか。ともあれ、香川県で黒澤映画3本のフィルム上映を観れて至福のひとときでした。

午前十時の映画祭8

2017年10月28日、TOHOシネマズ岡南にて、午前十時の映画祭8が上映していた『天国と地獄』4Kデジタルリマスター版を鑑賞しました。

東京現像所が修復した4K版は、クライテリオン・コレクションのBlu-rayにも匹敵する高画質と高音質でした。同年10月18日に同劇場で鑑賞した『野良犬』の4K版も綺麗に修復されていましたが、『天国と地獄』の映像は更に4Kを感じさせます。間違いなく私がこれまでに鑑賞してきた『天国と地獄』の中でも最高の状態でした。

横浜の街並みや夏の猛暑で汗ばんだ肌、衣服の生地などの細部が実に鮮明。権藤邸の窓から見える遠景や、特急第2こだま の窓を流れる酒匂川周辺の景色などにも目を奪われます。

又、誘拐犯からの三度目の電話の後に権藤が立ち上がる瞬間と、四度目の電話が鳴り青木が立ち上がる瞬間のコマ飛びも綺麗に修復されていました。

『野良犬』から『天国と地獄』までの14年の間に、フィルムだけでなく、日本人の生活水準が向上したことも感じさせます。(それだけに後半の「地獄」との対比が際立っていました)

音声も綺麗に修復されていました。4ch立体音響で録音された作品ですので、黒澤明の映画には珍しく三船敏郎も含めた出演者の台詞が鮮明に聞こえます。権藤邸の床の絨毯を歩く足音まで聞こえるほどでした。

ところで、この4K上映で意外だったのは、捜査会議の中華街の場面で『どぶ鼠作戦』の曲が流れたことです。今回の4K版は4ch音声だと思いますが、なぜモノラル版のみに入っている流用曲が流れたのか謎です。

話は逸れますが、この上映中にも、携帯電話を何度も鳴らした高齢者男性がいました。しかも、電話が重要な小道具である前半で、黒電話の着メロで鳴らすのだから、権藤金吾のように「出て行け!出て行け!出てうせろ!」と怒鳴りたい憤りを覚えました(怒)

閑話休題。

ともあれ、初見のときのように『天国と地獄』の2時間20分は瞬く間に過ぎていきました。極上の映画的面白さを最高の状態で鑑賞できて満足でした。

毎年、古今東西の名作映画をリバイバルしてくれる「午前十時の映画祭」のスタッフに感謝感謝です。

4KリマスターBlu-ray (2023年5月17日追記)

2023年5月16日、ネットで購入した『天国と地獄』と『影武者』の4KリマスターBlu-rayが届いたので、早速視聴しました。

私の自宅は4K Ultra HDを再生できる環境ではないので、4Kデジタルリマスターを2KダウンコンバートしたBlu-rayですが、我が家のテレビで見る分には十分鮮明な映像でした。

クライテリオン・コレクションの『天国と地獄』Blu-rayも十分に高画質でしたが、それをも凌ぐ鮮明な映像です。冒頭だけ見ても、フレーム上部の塵やフィルムの微かな傷などが綺麗に修正されているのが確認できます。

音声は、オリジナル4chと2ch(共にリニアPCM)で、どちらも中華街の場面で『どぶ鼠作戦』の曲が流れていました。

ところで、今回のソフトも、東宝の旧Blu-rayと同様に、解説書すら無く、DVDの特典映像「黒澤明~創ると云う事は素晴らしい~」も未収録なのは残念です。せっかく映像修復のスタッフが高画質のリマスターを成し遂げても、ソフト化の仕様で相変わらずクライテリオンに負けているところに東宝のやる気のなさが垣間見えます。

その代わり、特典映像として新たに収録された特報やスチールギャラリーは見応えあります。

撮影開始の特報は、マルチキャメラの別アングルのショットや、劇中の扮装をした刑事役の俳優たちが白背景の前で『Gメン75』のように横一列に並んで歩くものでした。後者は、衣装合わせも兼ねたキャメラテストかもしれません。シンプルな内容ですが、初めて見る映像なので興味深く見れました。

海外版の予告篇は、タイトルが英語で、台詞も英語吹き替えでした。黒澤映画を英語吹き替えで見るのは珍しいですが、三船敏郎の野太い声でないと権藤金吾の貫禄は出ませんし、ラストの竹内の絶叫も山﨑努の声でないと迫力不足だと思いました。

北米公開の際に米国で独自に作成された予告篇が未収録なのは残念ですが、権利関係なのでしょうか?或いは、日本国内には原版が存在しないのかもしれませんが。ネタバレ映像をふんだんに盛り込んだり、双眼鏡のイラストを挿入したり、ラストの竹内の絶叫を効果音のように繰り返し響かせたりするという斬新な編集でした。

スチールギャラリーは、公開当時のパンフレットや宣材などの静止画が数多く収録されています。パンフレットによると、題字も、あれこれ試行錯誤した結果、当時の書道の大家であった西川寧に依頼して完成するまで約3ヶ月もかかったそうです。

特典やパッケージに少し物足りなさを感じはしますが、今回の4K版Blu-rayは『天国と地獄』をこれまでで最高の映像と音声で鑑賞できるソフトであるのは間違いありません。従来の黒澤ファンは勿論、初めて見る人にもお勧めできます。

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『天国と地獄』再考

今日は『天国と地獄』が公開された日なので、久し振りにこの名作の魅力をあれこれ振り返ってみます。

原作との比較

黒澤明が『天国と地獄』を撮った動機の一つは、当時の日本では誘拐に対する刑罰が軽すぎたことに対する憤りでした。

黒澤が「キングの身代金」(1959) をエド・マクベインの小説としては良くないと評しつつも映画化しようと思い立ったのも「誰をさらおうとも、脅迫は成り立つ」というアイデアに着目したからです。ですから、ドストエフスキーやシェイクスピアの映画化よりも自由な翻案となっています。

誰を誘拐しても身代金を要求できるというアイデアのみを使用したと黒澤は語っていますが、前半の権藤邸での展開は意外と原作に忠実です。

原作の主人公ダグラス・キングは、グレンジャー製靴会社の重役です。他の重役から社長を追い落とす工作に誘われますが、キングはそれを拒絶します。彼は密かに買い集めた自社株によって会社の乗っ取りを目論んでいました。そんなとき、キング家の運転手チャールズ・レナーズの息子ジェフが、キングの息子ボビーと間違われて誘拐されてしまいます。頭金75万ドルで残りの株を入手して会社を支配するか、運転手の息子のために身代金50万ドルを払って会社から追放されるかの選択をキングは迫られます。

ここまでのあらすじを『天国と地獄』も踏襲しています。この他にも、重役が持参した新商品の靴のサンプルをキングが壊しながらその杜撰な作りを非難する場面や、ジェフと遊ぶボビーにキングがルールを無視してでも勝つことを教える場面、そしてキングの腹心ピート・キャメロンが重役陣に寝返ってキングの計画を密告する場面なども、映画に取り入れられています。

ですが、原作に忠実なのはここまでで、犯人の人物像や事件の捜査・解決などは全く異なります。

映画は主犯の竹内に焦点を当てていて、共犯の男女は酒匂川での身代金受け渡しで微かに姿を見せた後は、別荘で殺害された遺体の一部が映ったのみでした。

原作では、ジェフが誘拐されたすぐ後に、3人の犯人が登場します。冷酷非情な主犯のサイ・バーナード。サイによって悪事に加担させられたコソ泥のエディ・フォーサム。その妻のキャシー。

キング邸での場面と交互に誘拐犯の様子も描かれます。無線に詳しいエディが警察の無線を傍受できる無線機を自作して、そこからキングが運転する自動車に無線電話で身代金を引き渡しを指示します。ですが、誘拐に嫌悪感を覚えていたキャシーが裏切ったため、犯行のアジトが警察に察知されます。それを知らずに身代金受け渡し場所で待機していたサイは逮捕され、エディとキャシーは逃亡して警察の手を逃れます。

犯行グループ内での内輪揉めで計画が破綻してしまい、凶器を持つ主犯サイを一般人であるキングが素手で倒してしまうという事件解決の下りは、アメリカ的というよりもご都合主義だと言いたくなります。

その意味では、原作で描かれた犯行の様子を一切描かずに、映画の前半を権藤邸の室内のみで描き切った黒澤の判断は大正解だと思います。

何故ならば、舞台のほぼ全てを権藤邸に限定することによって、姿を見せない誘拐犯からの脅迫電話を待つ権藤たちの緊張感を、観客もその場にいるかのように体験することになるからです。

しかも、本編の冒頭から子供が救出されるまでの約1時間もの間、全く音楽を流さないのも見事な演出です。凡庸な映画やドラマなら派手なBGMで緊迫感を出そうとするでしょうが、黒澤はそのような愚行はしません。作為的な音楽を一切排することによって、観客は電話などの現実音に否応なく敏感にならざるを得なくなります。黒澤映画はこの他にも『七人の侍』の決闘場面や『影武者』の評定の場面などでも音楽を流さないことで緊張感を高めていました。

もう一つ原作と大きく異なるのは、主人公の人格です。

ダグラス・キングは、弱肉強食の資本主義を一切疑うことは無く、自分の成功のためには他人を蹴落とすことなど歯牙にもかけないアメリカ的な強者として描かれています。誘拐犯からの脅迫に対しても最後まで一切身代金を払おうとはしませんでしたし、息子をさらわれた運転手のレナーズに対しても自己責任的な理屈で軽蔑するほどです。流石にキングの妻ディエンも家を出ていき、スティーヴ・キャレラ刑事さえキングに対して嫌悪感を隠しません。

先述のように、キングは自ら誘拐犯人を倒した後は、会社の乗っ取りも成功し、妻も彼の元に戻ります。この結末には、マイヤー・マイヤー刑事も「どうしてこの世界では、いやな野郎がきまってほうびをもらうようなことになるのかな?」とぼやく有り様です。

これに対して、『天国と地獄』の権藤金吾も最初は会社の乗っ取りを計ろうとする強引な男ですが、資本主義社会で勝利しようとするよりは理想の靴を作りたいという職人肌の人物として描かれています。更に、運転手の息子の生命を助けるために身代金を払うことによって、権藤は地位と財産を失います。

キングとは対照的に、経済的成功と引き換えに人間性を取り戻し、黒澤映画的な美徳の人物として神格化される点が黒澤の次作『赤ひげ』(1965) にも通じるように見えます。

クライテリオン盤のオーディオ・コメンタリーで、スティーヴン・プリンスは、侍とビジネスマンに対する黒澤明の(少なくとも映画の中での)姿勢の違いにも着目しています。

『隠し砦の三悪人』(1958) のように戦国時代の下剋上に好意的な黒澤が現代社会のビジネスマンによる裏切りに否定的なのは何故か。武士もビジネスマンも己の利益の為なら非情で裏切りも辞さないという点では共通していますが、『悪い奴ほどよく眠る』(1960) などで拝金主義を批判した黒澤は、能楽などを嗜んだ織田信長や武田信玄のような武士の美意識と精神的美を讃えているとプリンスは指摘しています。

この説に完全に同意する訳ではありませんが、興味深い指摘だと思います。

完璧な構図のワイド画面

脚本の面白さは勿論ですが、私が『天国と地獄』に夢中になった要素の一つがワイド画面の絶妙な構図です。

『隠し砦の三悪人』で初めてシネスコを使用した黒澤明は、その広大な画面を気に入り、その後も『赤ひげ』までの6作品をシネスコで撮りました。そして、それら全ての作品でワイド画面を見事に活用しています。スティーヴン・プリンスも、『天国と地獄』を東宝スコープの効果を最大限に活用した「史上最高のワイド画面映画の一例」として絶賛しています。

こうした黒澤映画の撮影テクニックについては、キャメラマンの斎藤孝雄も具体的に語っていました。複雑に移動する何人もの登場人物を横長の構図に隙間なく収めるのは、俳優たちは勿論、撮影や照明スタッフにとっても困難だったようです。しかも、レンズファインダーからは縦長に圧縮されて見える中で、それを成し遂げてしまう斎藤の撮影テクニックは正に神業です。

特に前半の権藤邸での撮影は圧巻です。この動画が具体的に解説しているように、どこを切り取っても人物の配置や縦構図が完璧に決まっています。

又、中盤の山場となる特急こだまの場面は、緊張感に満ちた前半から一転して手に汗握る躍動感に満ちています。プリンスは、酒匂川の鉄橋の場面は、異なる角度から同時に一つの対象を見るという構成を、画家志望だった黒澤明らしい「キュビスト的視点」と指摘していました。

更にプリンスの解説で印象的なのは、病院で刑事達が竹内の左手の傷に気付く場面を、台詞無しで映像のみで見せる「経済的」で「完全に映画的」な表現と評価していたことです。

そのことで連想したのは、狂言師の野村萬斎が著書『狂言サイボーグ』で語っていた体験談です。マルセル・マルソーが演劇ワークショップに参加したフランス人の演技を「不経済」と表現したことに萬斎は驚いたそうです。

芸術を「経済的」と形容する感覚は、芸術表現さえも理論的に捉えようとする西洋人独特のものなのでしょうか。

ともあれ、黒澤明ほどシネマスコープを見事に活かした監督を他に知りません。

その技法が頂点に達した『天国と地獄』は『用心棒』と並んで世界最高のワイド画面の映画と言っても過言ではないと思います。

社会的背景

『天国と地獄』は現代劇ではありますが、撮影されたのが1962年10月から1963年1月までですので、60年も経った今の日本社会とはかなり異なっている部分が多いです。

この映画の前半では電話が重要な小道具となりますが、携帯電話やスマホ、インターネットなどの情報技術が飛躍的に進歩した今では、特急こだまからの身代金引き渡しなどの犯行トリックは成り立たないでしょう。

とは言え、当時は当たり前の日常であった1960年代初頭の横浜が今では興味深く見えるのも事実です。現代劇は時代と共に時代遅れになるものが多いですが、『天国と地獄』は作品そのものの面白さによって古典的な評価を確立したと同時に、当時の横浜をタイムカプセルのように記録した資料的な面からも貴重な映画となりました。

スティーヴン・プリンスは、権藤邸の内装を例にしながら、1960年代の経済成長期から日本が急速に西洋化していったことも解説しています。米の消費量が減少するのに反比例してパンと牛乳の消費量が増加して、住宅も西洋化していったという具合です。

経済成長期の日本では家電品も普及していきましたが、『天国と地獄』が公開された1960年代、エアコンはまだ非常に高価で、権藤がエアコンを持つ富裕層であることが、誘拐犯の犯行の動機にもなっていました。

又、プリンスは、伊勢崎町で刑事達が誘拐犯を尾行する場面で、レコード店に展示されているリー・モーガンのレコードにも注目しています。日系人女性と結婚したモーガンは麻薬問題も起こしていましたので、黄金町での麻薬の場面を暗示していたのかもしれないと語ってます。プリンスが「ゾンビのようだ」と形容する麻薬中毒者で溢れかえる黄金町の場面は、今見ても戦慄するほどの恐ろしさです。当時の黄金町は麻薬問題が最悪だったそうですが、その後は住民や行政などの努力によってかなり町の治安が改善されたそうです。

そういえば、スタジオジブリの『コクリコ坂から』(2011) は、『天国と地獄』と同じ1963年 (昭和38年) の横浜を舞台にしていました。学生達の純粋な青春物語が展開していた同じ年の同じ街で、誘拐犯と警察の息詰まる追跡劇が展開していたと思うと、かなりシュールです。

『コクリコ坂から』は、題名通り、坂道が印象的でしたが、『天国と地獄』も「天国」と「地獄」を隔てる象徴として坂道が効果的に撮られていました。

『天国と地獄』の英語題名が High and Low であるように、土地の高低が多く視覚的にもダイナミックな横浜でのロケ撮影が、この映画を映画的に面白くしているのは間違いありません。同時に、この土地の高低差が劇中の経済格差として『天国と地獄』の通奏低音ともなっています。

余談ですが、2012年頃、私と一緒に『天国と地獄』のBlu-rayを鑑賞した妻(初見)の意見も興味深かったです。

特に、ナショナル・シューズが女性向けの靴の会社でありながら、営業・デザイン・広告を担う重役が中高年男性ばかりという指摘にハッとさせられました。確かに女性向けの靴の売り上げが伸び悩んでいるのなら、消費者である女性からの意見を重視すべきなのに、一部の高圧的な男性だけでどうにかしようとする構造は、当時の日本が今以上に男性中心であったことを象徴しています。主人公である権藤さえ、靴作りに真摯な理念を抱いていながら、心配する妻に対して「女にはわからん」と、にべもなく言い放っているくらいですし。

詳細は失念しましたが、数年前に見たテレビ番組で、某自動車メーカーが女性向け自動車を試作しましたが、設計したのが男性ばかりだったので女性社員から細部にことごとく駄目だしをされていたのを思い出しました。

映画の公開から60年経った21世紀の日本では女性の社会進出が進み、女性の会社役員も増えつつあるようです。とは言え、2022年に世界経済フォーラムが公表したジェンダー・ギャップ指数によると、日本の順位は146か国中116位で、先進国中で最低レベル、アジア諸国中で韓国や中国、ASEAN諸国より低い結果となるなど、日本における女性の地位向上にはまだまだ課題が多いようです。

それと、喫煙場面の多さにも妻は驚いていました。日常の場面だけでなく捜査本部の会議中でも煙草の煙が絶えないのを見ると、昭和の日本では如何に喫煙率が高かったのかを改めて思い出します。『天国と地獄』から60年の間に日本では禁煙や分煙が飛躍的に進んだので、私のような非喫煙者には随分と住みやすくなったと思います。

話が脱線しましたが、時の流れが図らずも撮影当時の社会を後世の観客にも残すところも現代劇の面白い側面です。

罪と罰

ところで、『天国と地獄』は、犯行の動機が不自然だとよく指摘されています。インターンならば近い将来は医師になれるので経済的格差が犯行の動機にはなり得ないという意見を今でも見かけます。

ですが、佐藤秀峰の『ブラックジャックによろしく』でも描かれたように、研修医の生活は今も苦しいですし、富める者への嫉妬と憎悪が貧しい青年を犯行に駆り立てたとしても不自然ではありません。

それに、経済的な問題が無ければ犯罪は起きないと言うのも短絡的です。

2016年と2017年には千葉県の研修医による性的暴行事件があり、2022年3月にも滋賀県の医大生3人による同様のおぞましい事件が起きたばかりです。

それよりも、私が『天国と地獄』の唯一最大の問題点だと思うのは、警察の描写です。

映画に登場する刑事は正義感に満ちた者ばかりですが、現実の神奈川県警は昔から現在に至るまで不祥事の温床です。神奈川県警の他にも、2022年12月に愛知県警岡崎署で拘留中の男性が警官から激しく暴行され死亡するという恐ろしい事件が起こるなど警察による暴力が後を絶ちません。(日本の警察が過酷な取調による自白を偏重していることはプリンスも指摘しています)

ただし、映画評論家の田山力哉が言っていたような、誘拐犯を死刑にするために警察が犯人をわざと泳がせて殺人を犯させる、という指摘は間違いです。

警察の操作が及ぶより前に、竹内は既に共犯者を殺害していたのですから(死刑の是非はさて置き)彼には殺人罪が適用される筈です。

田山は自著『世界映画名作全史 ニューシネマ篇』の中で、同じ人違い誘拐を描いたアメリカ映画『ジャグラー/ニューヨーク25時』(1980) と比較しながら『天国と地獄』をこき下ろしていますが、これも非常に的外れと言わざるを得ません。

『ジャグラー』の主人公である元警官のトラック運転手ショーン・ボイドは、一人娘キャシーを誘拐されてしまいます。誘拐犯ガス・ソルティックは、キャシーを不動産屋の娘と勘違いしてしまったのです。ガスは、自分が住む安アパートが不動産屋クレイトンによって壊されそうになっていたので犯行に及んだのでした。

警察に圧力をかける傲慢な不動産屋をつっぱねる警部と比較して、田山は「犯人だけを憎悪する仲代エリート警部とは大きなちがいだ」とか「黒沢は明らかに、ブルジョワとか、そちらに加担する警察のサイドに立って、映画をつくっていた」と書いています。不動産屋クレイトンは誘拐犯ガスの住むアパートを壊そうとすることで恨みを買うに足る人物であったかもしれません。ですが、権藤は自分の努力で靴会社の常務にまで上り詰め、竹内とは何の関わりもありませんでした。安アパートの窓から丘の上の権藤邸を見上げている内に権藤を妬んだ竹内の一方的な悪意と犯行は『ジャグラー』の誘拐犯とは似て非なるものです。

映画監督・堀川弘通も、『天国と地獄』での黒澤は「強者の視点」で「権藤の人生観はそのまま肯定され、竹内のひねくれた人生観は簡単に否定されてしまっている。クロさんには、弱者の視点から人生を見てみようという気は、もはやなくなったのだろうか」と『評伝 黒澤明』に書いています。

堀川は『續・姿三四郎』(1945) から『七人の侍』まで多くの黒澤映画で助監督を勤めていたので、彼の黒澤に関する考察は興味深い点が多いですが、『天国と地獄』に関しては同意できません。

作家の小林久三によると、堀川は『天国と地獄』について「若いころのクロさんなら、映画を若くて、貧しい犯人の医学生の側から、まちがいなく作ったはずだ」と語ったそうですが、初期の『野良犬』でも、黒澤は新人刑事・村上を主役としていましたし、殺人犯・遊佐の貧しい境遇に同情しそうになりつつも犯罪者は悪であるという姿勢を崩しませんでした。

又、堀川は次のように小林に語っています。「深読みすると、クロさんは自分の息子が誘拐されたらどうするかという発想が、根底にあるようにおもえるんだ。この作品で、クロさんはこれまでの攻めの姿勢から、守りの、つまり受身の姿勢に入ったんだな」

「深読み」も何も、誘拐という凶悪な犯罪に対する怒りが『天国と地獄』を撮った動機であることは黒澤自身が語っています。それに、誘拐被害者の視点が守りの姿勢になるのは当然ですし、映画の後半は一転して誘拐犯を追跡する攻めの展開です。

『羅生門』(1950) に感銘を受けたというサタジット・レイは黒澤とも親交が深かったですが、『天国と地獄』の特急の場面を賞賛しつつも、貧富の格差の描写が単純すぎると書いていました。ですが、当時の黄金町は実際に危険な場所でしたし、一億総中流と言われていた当時でも経済的格差が無かった訳ではありません。それに、ラストの面会室で竹内に対峙した権藤が目に憐みの涙さえ浮かべていたのは、自分の人生を破滅させかけた青年に対して憎悪だけでは割り切れない何かを感じ始めていた証ではないでしょうか。

「地獄」のように貧しい環境で育ってきた竹内を『罪と罰』のラスコーリニコフに似たドストエフスキー的キャラとして同情する気持ちは、黒澤の中にも(『野良犬』の遊佐ほどではないにしろ)幾分あったかもしれません。

ですが、犯人の惨めな境遇を考慮したとしても、何の罪も無い一般市民(それもまだ幼い子供)に危害を加える誘拐という犯罪が如何に悪質で許し難いものであるかは現実の犯罪の凶悪さを見れば自明です。それに、権藤も初めから富豪として生まれた訳ではなく、貧しい境遇からスタートしていた点では竹内と同じなのです。苛烈な環境が人心を荒ませるのは無理からぬ面はありますが、無関係な第三者に危害を加えてもよいという理屈は通りません。逆境の中で善と悪のどちらを選ぶかが権藤と竹内の明暗を分けたのです。

ブルジョワや国家権力を憎むあまり竹内を過度に擁護する人達は、自分の子供や身近な子供が誘拐されて生命を奪われても彼の味方をするつもりなのでしょうか。竹内に同情するのであれば、無関係な権藤を責めるのではなく、研修医の待遇を改善するために行政に抗議するべきです。

1960年代前半までの日本では誘拐に対する刑罰が軽すぎることに憤った黒澤明の正義感は全く正しいです。同時に、現実の神奈川県警が映画のように正義感に満ちた刑事ばかりではないことも無視する訳にはいきません。

警察の描写には議論の余地があるかもしれませんが、それを差し引いても『天国と地獄』が映画として完璧に近い大傑作なのは間違いないです。誘拐という野蛮な犯罪に対する怒りは勿論、他者に対する個人の責任、人間の憎悪という普遍的な問題も投げかけた作品だからこそ、『天国と地獄』は時代を超えて、今も私達の心に重く響くのです。

(敬称略)

 

※今回の記事は、過去の拙記事に大幅に加筆修正したものです。

『天国と地獄』公開50周年 (※若干ネタバレあり)

午前10時に『天国と地獄』4Kを鑑賞

 

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参考資料(随時更新)

書籍

『世界の映画作家3 黒沢明』 キネマ旬報社、1970年

Joan Mellen, Voices from the Japanese Cinema, Liveright, 1975

『キングの身代金』 エド・マクベイン 著、井上一夫 訳、早川書房、1977年

『世界映画名作全史 ニューシネマ篇』 田山力哉、社会思想社、1984年

巨匠のメチエ 黒澤明とスタッフたち』 西村雄一郎、フィルムアート社、1987年

『全集 黒澤明 第五巻』 岩波書店、1988年

『黒澤明 集成』 キネマ旬報社、1989年

『黒澤明の映画』 ドナルド・リチー 著、三木宮彦 訳、社会思想社、1993年

『わが映画インドに始まる 世界シネマへの旅』 サタジット・レイ 著、森本素世子 訳、第三文明社、1993年

『300/40 その画・音・人』 佐藤勝、キネマ旬報社、1994年

『キネマ旬報復刻シリーズ 黒澤明コレクション』 キネマ旬報社、1997年

『三船敏郎 さいごのサムライ』 毎日新聞社、1998年

『黒澤明 音と映像』 西村雄一郎、立風書房、1998年

村木与四郎の映画美術 [聞き書き]黒澤映画のデザイン』 丹野達弥 編、フィルムアート社、1998年

『評伝 黒澤明』 堀川弘通、毎日新聞社、2000年

狂言サイボーグ』 野村萬斎、日本経済新聞社、2001年

『黒澤明を語る人々』 黒澤明研究会 編、朝日ソノラマ、2004年

大系 黒澤明 第2巻』 黒澤明 著、浜野保樹 編、講談社、2009年

未完。 仲代達矢』 仲代達矢、KADOKAWA、2014年

『もう一度 天気待ち 監督・黒澤明とともに』 野上照代、草思社、2014年

黒澤明と三船敏郎』 ステュアート・ガルブレイス4世 著、櫻井英里子 訳、亜紀書房、2015年

サムライ 評伝 三船敏郎』 松田美智子、文藝春秋、2015年

仲代達矢が語る日本映画黄金時代 完全版』 春日太一、文藝春秋、2017年

三船敏郎の映画史』 小林淳、アルファベータブックス、2019年

旅する黒澤明 槙田寿文ポスター・コレクションより』 国立映画アーカイブ 監修、国書刊行会、2020年

「俳優」の肩ごしに』 山﨑努、日本経済新聞出版、2022年

CD・DVD・Blu-ray

CD「天国と地獄」 佐藤勝、東宝ミュージック、AK-0008、2002年

DVD『天国と地獄』 東宝株式会社、2003年

Blu-ray High and Low. The Criterion Collection, 2011

Blu-ray『天国と地獄 4Kリマスター Blu-ray』 東宝株式会社、2023年

ウェブサイト

黒澤明監督作品/LDジャケット特集」 – LD DVD & Blu-rayギャラリー

タイトル比較コーナー 黒澤映画 海外版タイトル特集」 – LD DVD & Blu-rayギャラリー

天国と地獄 ① ロケ地編」 – 「東宝映画のロケ地を訪ねる」

天国と地獄 ② 補足・些細なことなど編」 – 「東宝映画のロケ地を訪ねる」

天国と地獄 ③ タイトルバック・予告編・特報」 – 「東宝映画のロケ地を訪ねる」

「天国と地獄」の横浜を歩く(上)」 – 「東京紅團」2005年1月1日

「天国と地獄」の酒匂川鉄橋、鎌倉 腰越を歩く(中)」 – 「東京紅團」2005年1月8日

「天国と地獄」伊勢佐木町から黄金町を歩く(下)」 – 「東京紅團」2005年1月15日

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