創造は記憶から

2019年11月、札幌のプラニスホールにて「THE ILLUSTRATOR 生賴範義 展」が開催中されました。

生賴範義 (1935-2015) は、日本を代表するイラストレーターの一人です。兵庫県出身。東京藝術大学中退後、イラストの仕事を開始。1973年に宮崎県に転居。『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』のポスターで国際的にも注目され、ゴジラ映画などの映画ポスターや、『日本沈没』や『幻魔大戦』などの書籍のイラストや、『信長の野望』などのゲームのパッケージなど幅広い分野で40年以上に渡り第一線で活躍し続けた巨匠です。79歳で他界するまでに遺した作品は数千点にも上ります。

 

生賴範義 イラストレーター みやざきアートセンター

「生賴範義展Ⅱ 記憶の回廊」展示中の下絵

ところで、2015年、みやざきアートセンターにて開催された「生賴範義展Ⅱ 記憶の回廊」では、下絵や資料用に撮られたポラロイド写真も何枚か展示されていました。その写真の中で特に目を引いたのは、宮本武蔵のイラストのために生賴が自らポーズを撮ったと思われる写真でした。

それを見て、前年の「生賴範義展 THE ILLUSTRATOR」の図録にも載っていた「資料の良否が作品の出来具合を決定する」という生賴の言葉を思い出して、我が意を得たりと思いました。

と言うのも、「画家は資料なんかに頼らず情熱をキャンバスに叩きつける」という幻想が今も根強いらしいからです。

実際の創作活動は人が想像するより遥かに地道で実直な修練と作業の集積であるということは余り知られていません。

絵描きに限っても、画家・イラストレーター・漫画家の区別なく、無からの創造など有り得ません。リア王も「無から何も生まれない」と言っていましたし。

田村元 画家 イラストレーター

《夢見心地》(田村元 画) と資料写真


実在する対象は勿論、空想の対象を描くにしても、絵としての説得力を持たせるために資料を参考にしますし、仮に資料が無くても記憶の映像を引き出したりします。(ただし、西洋人がよく誤解するように、日本語の「無の境地」や「無心」は、物理的に何も無いこととは全く別です。)

そう考えますと、これまで私が出会ってきた抽象絵画 (および抽象画の信奉者) の中に、具象絵画を格下に見る人がいるのは象徴的だと思います。私は別に抽象画が嫌いという訳ではではないのですが、具象画を抽象画より劣る存在として見ることには反対です。抽象画は具象画の進化形などではなく別々の存在であり、両者に優劣など有りません。

閑話休題。

いずれにせよ、かつて黒澤明が「創造は記憶」という主旨の発言をしていたように、創作は、過去から現在に至る記憶や文化の継承の集積によってのみ成し得るものなのだと思います。

(敬称略)

※ この記事は、2015年8月24日にアメーバブログに投稿した拙記事に加筆修正を加えたものです。

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