『ゴジラVSコング』鑑賞(ネタバレ注意!)

こんにちは。タムラゲン (@GenSan_Art) です。

『ゴジラVSコング』 Godzilla vs. Kong

7月2日(金)、映画『ゴジラVSコング(2021) の字幕版を地元の映画観にて妻と一緒に鑑賞しました。

新型コロナウイルス (COVID-19) の影響で公開日が延びに延びましたが、無事に公開されました。考えてみれば、前作『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(2019) が『GODZILLA ゴジラ(2014) の5年後の公開でしたので、意外と早かった気もします。

『ゴジラVSコング』 Godzilla vs. Kong

尚、拙記事は映画の結末などネタバレを含みますので、未見の方は映画をご覧になってからの閲覧をお薦めします。

 

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『ゴジラVSコング』について

ゴジラVSコング
原題:Godzilla vs. Kong
2021年3月31日 米国公開
2021年7月2日 日本公開
製作国:アメリカ合衆国
製作:レジェンダリー・ピクチャーズ
配給:ワーナー・ブラザーズ、東宝 (日本のみ)
カラー、113分

スタッフ

監督:アダム・ウィンガード
脚本:エリック・ピアソン、マックス・ボレンスタイン
ストーリー:テリー・ロッシオ、マイケル・ドハティ、ザック・シールズ
製作総指揮:ジェイ・アシェンフルター、ハーバート・W・ゲインズ、ダン・リン、ロイ・リー、坂野義光、奥平謙二
プロデューサー:メアリー・ペアレント、アレックス・ガルシア、エリック・マクラウド、ジョン・ジャシュニ、トーマス・タル、ブライアン・ロジャーズ
撮影監督:ベン・セレシン
美術監督:オーウェン・パターソン、トーマス・S・ハンモック
音楽:トム・ホーゲンバーグ
編集:ジョシュ・シェーファー
衣装:アン・フォーリー
VFX監修:ジョン・”DJ”・デジャルダン

キャスト

ネイサン・リンド:アレクサンダー・スカルスガルド
マディソン・ラッセル:ミリー・ボビー・ブラウン
アイリーン・アンドリューズ:レベッカ・ホール
バーニー・ヘイズ:ブライアン・タイリー・ヘンリー
ウォルター・シモンズ:デミアン・ビチル
マイア・シモンズ:エイザ・ゴンザレス
ジョシュ・ヴァレンタイン:ジュリアン・デニソン
ジア:カイリー・ホットル
ギラーミン:ランス・レディック
マーク・ラッセル:カイル・チャンドラー
芹沢蓮:小栗旬

予告篇

公式サイト
映画『ゴジラxコング 新たなる帝国』公式サイト
2024年10月16日(水)Blu-ray&DVD発売!世界中が大熱狂に包まれた、あの二大モンスターがスクリーンに帰還。

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感想(ネタバレあり!)

結論から言えば、『ゴジラVSコング』は怪獣対決が最大の見せ場ですので、劇場のスクリーンで見て正解でした。

映画のあらすじは、公式サイトや予告篇を見て頂ければ分かるシンプルな内容ですので、ここでは詳述しません。前作『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』の記事にも書きましたが、ハリウッド版ゴジラ映画に高度な人間ドラマは最初から期待していませんでしたので、今回も大迫力の怪獣対決が見れただけで入場料分の価値はあったと思います。ゴジラの大ファンである私ですが、個人的に『キングコング対ゴジラ(1962) にそれほど思い入れが無いので、本家よりは楽しめた感じです。

キングコング:髑髏島の巨神(2017) 以来の再登場となるコングは、ゴジラと同サイズの約103メートルまで成長していましたが、キングギドラさえ消滅させるほどの熱線を放つゴジラに大猿が太刀打ちできるのかずっと疑問でした。案の定、海上での初戦では海に引きずり込まれるなどコングはゴジラに翻弄されていました。ですが、香港を舞台にした第二戦で、コングは敏捷性を活かしてビルを盾に飛び回り、ゴジラが熱線を吐く前に頭部に攻撃を加えるなど頭脳戦で善戦します。ゴジラの背鰭の斧でゴジラの熱線を受け止める様は、まるで『スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃(2002) のライトセイバーみたいでした(笑)

そう言えば、心臓停止寸前のコングを電気ショックで蘇生させる場面は『キングコング対ゴジラ』の落雷でパワーアップする帯電体質のコングを思い出させました。『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』ほどではないにしても、東宝特撮映画を思わせる場面が幾つかありました。眠らせたコングを輸送船で移動させる映像は予告篇で盛んに流れましたが、コングをヘリで吊り下げて南極まで輸送するという『キングコングの逆襲(1967) を思わせる映像は予想外でした。(『キングコングの逆襲』では北極でしたが。)

ところで、1933年の初代キング・コング以来、コングは美女に目がないキャラで有名でしたが、1973年を舞台にした『髑髏島の巨神』のコングは人間を助けはするものの女性には興味がないハードボイルドなキャラが斬新でした。それから(劇中時間で)半世紀近く経った今作のコングは表情豊かで妙に愛嬌のあるキャラになっていました。耳の聞こえない髑髏島先住民の少女ジアと交流を続けたせいかもしれませんが、嵐のせいで彼女以外の先住民が全滅したという設定には『ゴジラVSデストロイア(1995) の冒頭でいきなりバース島が消滅していたような唐突さで唖然としました。

VSシリーズ最終作『ゴジラVSデストロイア』と言えば、26年ぶりとなるゴジラの香港再上陸も感慨深いものがありました。そして、最終作と言えば、唐突に登場するメカゴジラも過去のゴジラ映画のように「モンスター・バース」シリーズの締め括りに相応しいのかもしれません。

『ゴジラVSコング』のキャッチコピー “One Will Fall” (一体は敗れる) が示すように、監督のアダム・ウィンガードは怪獣対決の勝敗をハッキリさせると明言していました。ですが、いざ蓋を開けると、コングを倒したかに見えたゴジラが今度はメカゴジラに大苦戦します。回復したコングとゴジラが共闘する様は『ゴジラ対メカゴジラ(1974) のゴジラとキングシーサーみたいでした。もっとも、メカゴジラの首をへし折ってとどめを刺すのはコングの方でした。最後は、コングに借りが出来たゴジラが海に帰り、コングは地下空洞で平和に暮らす所で幕切れとなります。

つまり、敗れたのは乱入したメカゴジラであり、ゴジラとコングの勝敗は『キングコング対ゴジラ』より明確に引き分けに終わりました。拍子抜けかもしれませんが、どちらが勝っても負けても角が立つので、メカゴジラに汚れ役が押し付けられたのは無理ないのかもしれません。

そのメカゴジラをキングギドラの頭部から精神エネルギーで操作するのは、芹沢蓮(小栗旬)ですが、このキャラクターの描き方に大きな不満があります。前作で自爆した芹沢猪四郎(渡辺謙)の息子という重要な役でありながら、どういう経緯で彼がAPEX社の技術者となり、メカゴジラを操縦するようになったかが全く描写されないからです。勿論、父親の死の原因となったゴジラに対する復讐心が動機かもしれません。APEX社を襲撃するゴジラを重い表情で見つめる蓮が印象的でした。

ですが、その後はテスト操縦をしただけで、暴走したメカゴジラの放電に感電して生死不明のまま出番が終わるという雑な扱いでした。小栗旬のハリウッド・デビューとしては不完全燃焼感が否めませんでした。

「ハリウッド版ゴジラ映画に高度な人間ドラマは最初から期待していません」と書きましたが、芹沢蓮の扱いも含めて、最低限の整合性は保ってほしいと思う個所が少なくありませんでした。メカゴジラを製造したのはAPEX社のCEOウォルター・シモンズ(デミアン・ビチル)ですが、前作のラストでキングギドラの首を漁師から買い取った環境テロリストのアラン・ジョナ(チャールズ・ダンス)がどうなったかも全く言及されていませんでしたし。

まぁ、日米二大怪獣の対決を大迫力の映像で見せるためだけの映画だと割り切れば、細かい矛盾を気にするだけ無駄なのかもしれません。

とは言え、最後に付け加えるなら、今作で伊福部昭の音楽が使用されなかったのは残念でした。音楽を担当したトム・ホーゲンバーグは「ゴジラとコングの大ファンで、ゴジラシリーズは35作全部観ている」と語っていましたが、特に印象に残る曲ではありませんでした。

『ゴジラVSコング』は怪獣対決映画としては面白く見れますが、音楽に関しては、ベアー・マクレアリーが伊福部昭の音楽を大々的に取り入れた『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』に軍配が上がります。

 

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日米怪獣対決から見る比較文化論

実は、『ゴジラVSコング』を見ている間、ある本のことが頭から離れませんでした。

1998年に出版されたピーター・ミュソッフの著書『ゴジラとは何か(講談社) です。この本の第3章では、『キングコング対ゴジラ』が比較文化の観点から詳細に論じられています。

著者のピーター・ミュソッフ (Peter Musolf) はアメリカ人で、ペンシルベニア州リーハイ大学の外国語学部ドイツ文学助教授を勤めたこともあります。この本が出版された1998年当時は、横浜在住でした。1989年に、コーネル大学で開催された「ステレオタイプと偏見」という国際集中セミナーに共同研究員として参加するなど、多国間の文化比較の経験が、この本に大いに活かされています。

『ゴジラとは何か』が他のゴジラ関連の本と一線を画しているのは、大のゴジラ・ファンである著者のゴジラ映画に対する愛は勿論、日米の歴史的・文化的な観点から多角的に論じていることです。

特に、『キングコング対ゴジラ』について論じた第3章は、単に映画評論という枠に収まらず、日米文化比較の研究としても秀逸です。先ほど私は「『キングコング対ゴジラ』(1962) にそれほど思い入れが無い」と書きましたが、ミュソッフの洞察力に富んだ考察は映画本編より遥かに興味深いです。

ミュソッフは、1960年の日米安保闘争から間もなく制作されたこの映画が、単に日米の怪獣が戦うだけでなく、日米の政治や文化の「腐れ縁」とも言える複雑な関係を象徴していることを丁寧に解き明かしていきます。

物語の隅々にさりげなく織り込まれた日米の文化対決は、「古き良き日本」と「新しく堕落したアメリカ」というだけに留まらず、もはや西洋化(アメリカ化)が浸透し過ぎて完全にアメリカを拒否・否定できなくなってしまった日本の複雑な現状まで表現していると言います。(コングとゴジラの対決が最後まで決着が付かないのも、そのためだそうです。)

更に、ミュソッフは、現実の日本が「日本の伝統」と「西洋の文化」が複雑に共存していることも述べていきます。

今上天皇と皇后雅子の結婚式が神道の儀式で始まり、途中から西洋風の盛装に着替えたこと。浮世絵が西洋の遠近法を取り入れたり、ゴッホなどの印象派に影響を与えたこと。三島由紀夫の西洋への憧れと伝統的日本への回帰。村上春樹の小説に出てくる現実の日本の中のアメリカ文化と、アメリカ文化に浸透した寿司などの日本文化。等々。

こうした様々な事例を出しながら、ミュソッフが導き出したのは、国家間の政治的・文化的な面での対立や否定は結局不毛ということです。文化は常に国家間が互いに影響を受け合いながら時代と共に変化していくものであり、その混沌の中から未来は生まれてくるからです。

何はともあれ、『ゴジラとは何か』を読めば、『キングコング対ゴジラ』は勿論、他のゴジラ映画が何倍も興味深く見れるようになるのは間違いないです。映画に限らず、日米間の文化や歴史の比較に興味ある人にもお勧めできる一冊です。

そういえば、この本が出版されてもう23年にもなりますが、ミュソッフの動向を聞きません。彼は今どうしているのでしょう?

ミュソッフは『ゴジラとは何か』の中で、同じ1998年に公開されたイグアナ映画について複雑な心境も吐露していました。その後、生誕60周年を迎えてからのゴジラはローランド・エメリッヒの愚作とは比較にならないほどキャラクター性を尊重されてハリウッドで三度も蘇りました。

あれほど激しく闘っていたゴジラとコングが最後に共闘する『ゴジラVSコング』を見てミュソッフがどう思ったのか非常に興味があります。

(敬称略)

 

 

 

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