こんにちは。タムラゲン (@gensan) です。
60年前の今日 (12月29日) は、小林正樹の映画『怪談』(1964) が有楽座にて先行公開された日です。一般公開されたのは1965年1月6日ですので、公開年が1965年と表記されることもあります。
日本人なら誰もが知る小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の短編から「和解」「雪女」「耳なし芳一の話」「茶碗の中」の4話を、壮麗な美術と豪華キャストで映画化した超大作です。
『怪談』について
怪談
Kwaidan
1964年12月29日 先行公開 (有楽座)
1965年1月6日 一般公開
文芸プロダクションにんじんくらぶ 製作
東宝株式会社 配給
カラー、シネマスコープ、183分
スタッフ
監督:小林正樹
製作:若槻繁
原作:小泉八雲
脚本:水木洋子
撮影監督:宮島義勇
音楽音響:武満徹 (補佐:秋山邦晴、奥山重之助、鈴木明)
美術:戸田重昌
ホリゾント:西田真
装置:松野喜代春
装飾:荒川大
美術助手:藤本尚武
小道具製作:高津商会
録音:西崎英雄
録音助手:八木橋万年、塩田正晴
編集:相良久
記録:吉田栄子
編集助手:大坂純一郎
照明:青松明
色彩設計:関根重行
照明補佐:蒲原正次郎
撮影助手:大石進
照明助手:磯部俊行
現像:東洋現像所
美粧:高木茂
結髪:櫻井文子
かつら:山田かつら店
衣裳製作:上野芳生、京都衣装
衣裳:加藤昌広
考証:隅田菫之助
武芸指導:堀田辰雄
琵琶:鶴田錦史
助監督:吉田剛、小笠原清、奥田明好、丹波禎二郎
製作協力:内山義重
進行:桑原一雄、浮田洋一
製作補:相川武、小日向智、田畑稔
製作主任:高島道吉
題字:勅使河原蒼風
タイトルデザイン:粟津潔
色彩技術顧問:碧川道夫
壇ノ浦合戦絵:中村正義
スチール:吉岡康弘
協賛:東洋工業株式会社
キャスト
「黒髪」
第一の妻:新珠三千代
第二の妻:渡辺美佐子
武士:三国連太郎
侍女:家田佳子
世話人の妻:月宮於登女
従者:田中謙三
殿様:中野清
父:石山健二郎
母:赤木蘭子
乳母:北原文枝
世話人:松本克平
「雪女」
己之吉:仲代達矢
お雪 (雪女):岸惠子
母:望月優子
村の女:菅井きん
村の女:千石規子
村の女:野村アキ子
船頭:浜田寅彦
茂作:浜村純
「耳無し芳一の話」
耳無し芳一:中村賀津雄
甲冑の武士:丹波哲郎
住職:志村喬
源義経:林与一
建礼門院:村松英子
矢作:田中邦衛
平知盛:北村和夫
貴人:中谷一郎
呑海:友竹正則
松造:花沢徳衛
二位:夏川静枝
平教盛:龍岡晋
上﨟:北城真記子
漁師:桑山正一
平経盛:鶴丸睦彦
漁師:谷晃
弁慶:近藤洋介
平宗盛:山本清
山鹿秀遠:小美野欣二
平教経:中村敦雄
源氏の武士:関口銀三
安芸の太郎:宮部昭夫
漁師:永井玄哉
河野通信:内田透
源八広綱:神野光
源氏の武士:福原駿雄
佐藤忠信:阿部希郎
平有盛:八木俊郎
大納言佐の局:阿部百合子
安徳天皇:佐藤ユリ
悪七兵衛景清:佐藤京一
伊勢義盛:相川延夫
平行盛:児玉泰次
平資盛:前田信明
平清宗:柴田光彦
武将:梶春雄
安芸の次郎:義那道夫
安芸の次郎の郎党:田部誠二
女官:成田光子
女官:三倉紀子
長山藍子
貴族の女:中畑道子
「茶碗の中」
武士関内:中村翫右衛門
作者及びその声:滝沢修
おかみさん:杉村春子
出版元:中村鴈治郎
式部平内:仲谷昇
老爺:宮口精二
松岡文吾 (平内の家来):佐藤慶
鈴江 (関内の妹):奈良岡朋子
関内の同僚:神山繁
関内の同僚:田崎潤
関内の同僚:織本順吉
関内の同僚:小林昭二
関内の同僚:青木義朗
土橋久蔵 (平内の家来):天本英世
岡村兵六 (平内の家来):玉川伊佐男
あらすじ
「黒髪」
昔の京都に住んでいた武士は貧困に耐えかねて、妻を見捨てて家柄の良い女性の婿になります。ですが、再婚相手と愛情の無い生活を続ける内に、武士は最初の妻と別れたことを後悔します。数年後、男は京の家に戻り、最初の妻に詫びます。ところが、翌朝、目を覚ました男が見たのは、変わり果てた妻の亡骸でした。その長い黒髪に追われて逃げようともがく男は醜く老いさらばえていくのでした。
「雪女」
武蔵国で木樵をしている己之吉と茂作は、森の中で吹雪にあい、山小屋に一泊します。その夜、雪女が茂作を凍死させます。そして、己之吉にこのこと誰かに話したら彼を殺すと告げて姿を消します。翌年、元気になった己之吉は、薪を取った帰り道に、お雪という美女に出会います。やがて二人は夫婦になり3人の子宝にも恵まれす。でえすが、吹雪の夜、お雪の顔を見た己之吉は、かつて山小屋で会った雪女のことを話してしまいます。お雪は、自分がその雪女であることを明かして己之吉の前から姿を消すのでした。
「耳無芳一の話」
阿弥陀寺に住む盲目の琵琶法師・芳一は『平家物語』の弾き語りの名手でした。ある夜、寺に平家武者の亡霊が現れて、芳一を平家一門の霊の前へ連れて行きます。事情を知らない芳一は、言われるままに『平家物語』の壇ノ浦の合戦を毎晩弾き語りますが、次第に衰弱していきます。真相を知った寺の住職は、怨霊に見られないように芳一の全身に般若心経を書きますが、両耳にだけ書き忘れてしまいます。その夜、芳一を迎えに来た武士の亡霊は、芳一の姿が見えない代わりに、彼の耳が見えたので、それをもぎ取って去りました。平家の怨霊は二度と現れなくなり、傷の癒えた芳一は琵琶法師として有名となりました。
「茶碗の中」
中川佐渡守が年始廻りの途、家臣の関内は水を飲もうと茶店で茶碗に水を汲みます。すると、茶碗の水に男の顔が映っているのが見えます。何度飲もうと試みても、その男の顔が水面に現れます。関内はそのまま水を飲み干してしまいます。その夜、夜勤の警護をしている関内の前に、茶碗の中に現れた男が現れて、式部平内と名乗ります。関内は彼を斬ろうとしますが、忽然と姿を消してしまいます。その夜、関内の屋敷を、平内の家臣と名乗る3人の武士が訪れます。平内が報復に戻ると告げる3人に関内は斬りきりますが、霞のように手応えは無く、彼は正気を失っていくところで、唐突にこの物語は中断されます。
時は変わって、明治32年(1899年)、とある作家が一つの怪談話を書いていました。作家宅を版元が訪問しますが、作家の姿が見当たりません。版元が未完の原稿に目を通していたとき、水瓶を見たおかみさんが悲鳴をあげて逃げ出します。版元が覗いた水瓶の中には、手招きをする作者が映っていたのでした。
予告篇
製作の経緯
小泉八雲への憧憬
小林正樹が『怪談』を撮る決心をしたのは、前作『切腹』(1962) がカンヌ国際映画祭で激賞されたときです。日本的な様式美が海外で評価されたことが自信となり、小林が学生時代から愛読していた小泉八雲の『怪談』映画化に踏み切りました。
早稲田大学で小林が東洋美術を師事したのは、會津八一でした。そして、その會津が東京専門学校(現・早稲田大学)で小泉八雲の講義を聴講していましたので、小林が『怪談』の映画化に至ったことに興味深い縁を感じます。
そして、偶然にも、映画『怪談』公開60周年の今年は、八雲の『怪談』出版120周年でもあります。
脚本
4つのエピソードを選択したのは、脚本を執筆した水木洋子です。映画全体を貫く一つの芯が必要だと考えていた水木は、物語の取捨選択に時間を悩んだそうです。その結果、「茶碗の中」の作者の声で全編を語らせ、物語の中で中断される結末によって、4つの怪談に幕を下ろす構成を固めました。
初のカラー映画
『怪談』は、小林正樹にとって初めてのカラー映画でした。小林はカラー映画が好きではありませんでした。その理由として「色が役者の芝居を邪魔してしまう」という自説に加え、「日本の街が汚らしくて」余計にカラーを撮りたがらなかったと小林は語っていました。
事実、この作品の後、小林は『上意討ち 拝領妻始末』(1967)、『日本の青春』(1968)、『いのち・ぼうにふろう』(1971) と再び白黒映画を立て続けに撮っています。小林が次にカラー映画を撮ったのは、1975年の『化石』でした。長年カラー映画を撮ることを固辞していた黒澤明でさえ1970年に初のカラー映画『どですかでん』を公開しましたので、小林は黒澤よりも長く白黒映画で粘っていたことになります。
話を戻しますと、『怪談』は色彩の様式美を前提としていましたので、撮影前に「色彩設計図」が作成されました。撮影の宮島義勇、衣裳製作の上野芳生、「源平海戦絵巻」を描いた中村正義、そして出演者たちに作品の色彩を伝えるためのスクラップブックです。
スキーラ社の画集から抜粋したクレーやダリの絵画をはじめ、神田の古書店街で入手したファッション誌や海外の建築誌などからも抜粋されました。このスクラップブックの製作だけでも数週間を費やしたという力の入れようでした。現在は、チーフ助監督だった吉田剛による解説原稿と共に、東京都世田谷文学館に寄贈・収蔵されています。
巨大なセットと美術
色彩の様式美を映像化するため、一部のロケ撮影を除き、ほぼ全ての場面がセットで撮られました。
1964年3月22日、クランクイン。当初は太秦の日本京映撮影所で撮影を開始しましたが、既存のセットには収まらないほど巨大なホリゾントが必要となりました。
京都周辺を隈なく探索した結果、宇治市北郊大久保地区に巨大な木造建築を発見しました。第二次世界大戦中は陸軍の飛行機格納庫で、撮影当時は日産車体の倉庫でした。高さ約18m、広さ約14,400㎡という大きさで、2,000㎡の白帆布のホリゾントを架設しました。廃屋同然だった建物に電気や水道を引いたり、太秦から移動することだけで巨額の費用がかかりました。
武満徹の音楽
『怪談』の音楽の最大の特徴は、タイトルに「音楽音響 武満徹」と表記されているように、音楽だけでなく劇中の全ての音響が武満徹によって制作されています。本編中の音が音楽になったり、或いは逆になったりするように、音楽と効果音の境界を曖昧にすることで、怪談という超常的な世界を表現しています。
武満は『怪談』の音楽と音響を、ミュージック・コンクレートによって制作しました。
ミュージック・コンクレートは、フランス語のミュジーク・コンクレート (musique concrète) で「具体音楽」とも呼ばれます。1940年代後半にフランスの作曲家ピエール・シェフェールによって考案された現代音楽の技法です。音響や録音技術を使用した電子音楽の一種です。人間や動物の声、都会の騒音、自然音、楽音などを録音した後に、加工するなどして作られます。
『怪談』で武満の補佐も務めた音楽評論家の秋山邦晴によると、全編がミュージック・コンクレートで構成された世界初の劇映画は『怪談』が最初だそうです。
現在なら、音の加工もサンプリングなどで比較的容易になりましたが、60年前は全てアナログでした。武満と音響技師たちは、幾晩も徹夜しながら録音テープを1センチ刻みで加工するなどの地道な作業を約4か月も続けました。一本の映画の音楽のために、これほどの長い期間を費やすのは日本では極めて異例のことでした。
予算と制作期間の超過
『怪談』の製作は、あらゆる面で困難の連続でした。巨大なセットやホリゾントを作り直しながらの撮影、大人数の出演者のスケジュール調整だけでも容易ではありません。その上、出演者の怪我や、現像所のミスによる撮り直しなども重なりました。
東宝がお盆興行を予定していた8月になっても撮影は終わらず、予算まで底をついてしまいます。そのため、小林自身も師匠の木下惠介から借金をするなど金策に駆けずり回り、脚本家の水木洋子や出演者の仲代達矢まで私財を提供してくれたそうです。
クランクアップ後の最初の試写でも、音の調子が良くないために武満徹が激怒しました。プロデューサーが猛反対するのを押し切って、1964年の大晦日に再ダビングをして、ようやく満足のいく音のプリントが仕上がりました。
最終的な予算は、当初予定されていた約1億円弱を3倍以上も上回る約3億2千万円にまで膨れ上がっていました。
公開 ― 国内外の賞賛と残された負債
1965年1月に一般公開された『怪談』は、国内外の批評家から高い評価を受けました。海外では、第18回カンヌ国際映画祭の審査員特別賞を受賞して、米国ではアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされました。
興行の面では東京や大阪の劇場での入場者数が新記録を出しましたが、莫大な製作費を回収するまでは至りませんでした。その結果、文芸プロダクションにんじんくらぶは倒産に追い込まれてしまいます。同じく負債を抱えた小林正樹も麻布の邸宅を売却して、その後、終生借家住まいとなってしまいました。
個人的鑑賞記
事前情報
今でこそDVDやネット配信で比較的容易に視聴できる『怪談』ですが、1996年に東宝からレーザーディスク (LD) が発売されるまで日本国内では鑑賞するのが困難な状態が続いていました。
私が初めて『怪談』の存在を知ったのは、子供の頃に偶然購入した和田誠の著書『お楽しみはこれからだ : 映画の名セリフ Part2』 (文藝春秋) でした。
その後、昔の日本映画に関する書籍を読んでいく内に、小林正樹が黒澤明と肩を並べるほどの巨匠ということを知り、レンタルビデオ店から借りた『人間の條件』(1959-61) や『切腹』を視聴して、その重厚な出来に圧倒されました。
ですが、レンタルビデオ全盛期であった1980年代後半であっても小林正樹の映画は『怪談』も含めた殆どの作品が未ソフト化でした。地方在住の子供では都会の名画座での上映に行くことも容易ではありませんでした。
次に『怪談』の情報に触れたのは、西村雄一郎の著書『黒澤明 音と映像』初版 (立風書房) と、CD『オリジナル・サウンドトラックによる武満徹 映画音楽① 小林正樹監督作品篇』(ビクター音楽産業) でした。
『切腹』の琵琶に衝撃を受けた私は、武満徹にも興味を持ち始めていました。『怪談』本編の視聴が出来ないのなら、せめて武満の映画音楽の代表作とも言われる『怪談』の音楽だけでも聴いてみようと意気込んでCDを再生してみたのですが…
正直に言うと、奇妙な音響が延々と続くばかりで面食らってしまいました。武満の《ノヴェンバー・ステップス》(1967) のCDを聴いたときも、生まれて初めて接する「現代音楽」の響きに困惑しましたが、それ以上に狐につままれた感じがしました。
まぁ、伊福部昭が映画音楽のことを「ミュージック・マイナス・ワン」と言っていたように、映画音楽は映像付きで聴くのが前提であるので、サントラだけ聴いても何か足りないと感じるのは当然かもしれません。
特に『怪談』は音楽と音響の両方が武満による繊細な音の演出ですので、その音と映像の共演を実際に視聴できる機会を待つしかありませんでした。
レンタルビデオ (VHS)
私が『怪談』を初めて鑑賞したのは、1990年代前半に滞米していた頃でした。1992年7月18日、北米の某州にあるレンタルビデオ店で『怪談』のビデオをレンタルして視聴しました。
『怪談』はカラー映画で東洋的な要素も大きいためか、米国でも高く評価されました。ニューヨーク・タイムズのボスリー・クラウザーも1965年に北米で公開された映画のベストテンの一本に選出しています。(もっとも、クラウザーは、小林の『切腹』や、黒澤明の『蜘蛛巣城』(1957)、『用心棒』(1961) を酷評していたりするので、その審美眼には疑問を覚えますが)
そういうこともあり、小林正樹の映画の中では最も早く北米でソフト化され、ビデオの他にクライテリオン・コレクションからLDも発売されていました。ただ、どちらも161分版でした。
短縮版とは言え、念願の『怪談』を遂に鑑賞できました。この時期のアメリカのビデオとしては珍しくレターボックス仕様でしたので、ワイド画面の構図で見れたのも満足です。
武満徹の音楽も、映像と一体化することによって、予想通り本来の効果を発揮していました。
その代わり、まるで『まんが日本昔ばなし』のようなナレーションが付いていたのには意表を突かれました。本編を見る前にサントラを先に聴いてしまったので、何か『2001年宇宙の旅』(1968) のように映像主体の深淵な作品みたいな先入観を抱いてしまいました。
後年、小泉八雲の原作を読むと、その本文を巧みにナレーションとして換骨奪胎しているのが分かりました。それに、同じ小林正樹の『化石』(1975) がナレーション過多であったことを考えると、『怪談』のナレーションは必要最小限の内容で余計な解釈を押し付けていないので、今ではそれほど気にならなくなりました。
DVD(東宝)
2003年、東宝からDVDが発売されましたので、早速購入して視聴しました。
これまで欠落していた映像を復刻した183分の全長版というのが意義深いです。映像の方も、当時助監督だった小笠原清がHDテレシネの監修しましたので文句なしの美しさです。
更に、特典映像も盛り沢山です。この頃の東宝のDVDは、今より遥かに充実していたような気がします。
・特報(カラー版/モノクロ版)
・劇場予告
・怪談の面影~小泉八雲の残したもの~
・色彩設計図
・小林正樹監督のアルバム
・台本(小林正樹監督・使用)
・怪談の世界
「特報」は、出演者の中に笠智衆の名前があるのが目を引きました。予告篇では笠智衆と入れ替わって志村喬の名前が入っていました。私の推測ですが、当初は住職の役を笠智衆が演じる予定だったのかもしれません。
又、モノクロ版の特報は「雪女」の撮影風景やセットの外観の映像が貴重です。
「怪談の面影~小泉八雲の残したもの~」ラフカディオ・ハーンの生涯が、幼少期から晩年に至るまでの写真と共に語られる12分の撮り下ろしドキュメンタリーです。八雲ゆかりの場所も数多く紹介され、視覚的にも見応えあります。松江市、松江城、出雲大社、熊野大社、八重垣神社、松江第一の宿跡地 (現・旅館「大橋館」)、塩見縄手、ヘルン旧居、大雄寺、普門院、城山稲荷神社、小泉八雲記念館、神魂神社、宍道湖畔・小泉八雲文学碑という具合に、松江の名所を巡れます。更には、DVDのHDテレシネ収録風景まで見れます。
「色彩設計図」は、版権に抵触するものを除いた抜粋がDVDに収録されています。
「小林正樹監督のアルバム」小林は映画を撮り終えた後、一作ごとにアルバムを作製していました。DVDの特典では『怪談』のアルバムから、演出中の様子など貴重な写真が紹介されています。
後述するようにクライテリオン・コレクションからもソフト化されましたが、映像の色調は小笠原清監修の方が正確だと思いますし、静止画資料も東宝盤のみに収録されていますので、DVDもまだまだ手放せません。(というより、早く国内盤Blu-rayを出してほしいのですが…)
Blu-ray(クライテリオン・コレクション)
2017年11月、クライテリオン・コレクションのBlu-rayを購入して視聴しました。
2Kデジタル修復された映像は確かに鮮明なのですが、色調と明度に不満があります。
『切腹』や『椿三十郎』(1962)、『ミツバチのささやき』(1973) 等のクライテリオン盤ソフトでもそうなのですが、全体的に少し明るすぎると思います。特に、第四話の「茶碗の中」の三人の刺客が来る場面も夜なのに真昼のような明るさなのには閉口しました。
又、色調も微妙にマゼンタが濃いので、幽玄な感じが損なわれているように感じられました。東宝盤DVDは小笠原清によるHDテレシネ監修ですので、色調は東宝盤の方が小林正樹の意図に忠実だと思います。
映画史家スティーヴン・プリンスによるオーディオ・コメンタリーは今回も洞察力に富んだ内容です。各場面の解説は勿論、小泉八雲と小林正樹の生涯や出演者の紹介に加え、宮島義勇の撮影、戸田重昌の美術、武満徹の音楽の解説も的確です。個人的には第一話「黒髪」での音楽・音響の分析に感心しました。尚、プリンスが本作で一番好きなのは第二話「雪女」だそうです。
特典映像は、クライテリオン独自の内容もあります。
・ 「わが映画人生/小林正樹監督」 日本映画監督協会が1993年に制作したインタビューです。インタビュアーは、篠田正浩。小林が『怪談』について語る部分が抜粋されています。
・小笠原清の撮り下ろしインタビュー
・「ラフカディオ・ハーン」 アメリカ人の文芸評論家クリストファー・ベンフィ (Christopher Benfey) による小泉八雲についての解説。2015年制作。
各エピソードについて、あれこれ思うこと
「黒髪」
原作の題名は「和解」(The Reconciliation) で、1900年 (明治33年) に出版された『影』に収録されていました。『今昔物語』上巻「怪異伝」の中の「亡妻霊値旧夫語」が原拠です。
全体的に『怪談』は原作に忠実ですが、「黒髪」のみ結末が大きく異なります。
原作では、朽ち果てた妻の亡骸に驚いた武士は、他人を装って道行く人に妻の住んでいた家への道を訊ねます。その人から、彼が家を飛び出した後、病に倒れた妻は誰も世話をしてくれる人がいなかったので、その年の9月10日に他界したことを知らされる、という結末でした。
これに対して、映画では、題名が「黒髪」に変更されたように「和解」どころか妻の黒髪が怨念となって武士に復讐します。
又、短縮版と全長版で結末の印象が異なるのも「黒髪」です。
短縮版では、井戸に寄り掛かった武士が水面に写った自分の老いた顔に驚くところでストップモーションとなり、衝撃音と共に終わります。
ですが、全長版では、その続きがありました。武士は更に老いていきミイラのような姿になりながら、這う這うの体で屋敷の壁を乗り越えます。草むらの上に横たわった武士は、すぐ傍に妻の打掛があるのを見て驚きます。恐る恐る手を伸ばすと、その打掛は黒髪となって彼の首に巻き付いていきます。そこでストップモーションとなり、幕を閉じます。
全長版が公開当時の本来の姿であるのは言うまでもありません。ですが、私の初見が短縮版でしたので、水面を覗き込むストップモーションの印象が強烈でしたので、全長版を初めて視聴したときはその終わり方を少し冗長に感じてしまいました。
今では全長版の終わり方に慣れましたが、最初に見た版によって映画に対する印象が強く焼き付いてしまうことは珍しくないと思います。『ブレードランナー』(1982) のディレクターズカット版の鑑賞中に初公開版の印象が重なってしまうような感じです。
再婚した武士が流鏑馬の最中に最初の妻の幻覚を見る場面と、妻の亡骸から黒髪が武士に襲い掛かる場面では、胡弓の音色が流れます。妻の怨念と髪の長さを表現するかのように、長い一音がどこまでも続いていきます。武士が扉を倒したり、床を踏み抜いたりしたタイミングを少しずらして衝撃音が響くので、悪夢の中を漂っているような感覚に陥ります。
昔も今も、凡庸な映画やドラマは、やたらと大袈裟なBGMを騒々しく鳴らして安易に恐怖を煽ろうとする傾向にあります。それに対して、最小限の音響のみで恐怖の美を表現した武満徹の音の演出は、60年経った今も色褪せません。
「雪女」
1904年 (明治37年) に出版された『怪談』に収録の同名短編 (Yuki-Onna) が原作です。小泉八雲が東京大久保に居住していた頃、家に出入りしていた西多摩郡調布村の農夫から聴いた話が原案だそうです。
原作では巳之吉とお雪の間に男女10人の子供が生まれましたが、映画では男子2人と女子1人の3人でした。いくら昔の日本人が子沢山で、巨大なセットでの撮影とは言っても、10人の子役を扱うのは手に余るでしょうから妥当な変更だと思います。
カンヌ国際映画祭で上映された際、上映時間の制限のために「雪女」は割愛されてしまいました。ですが、「耳なし芳一」と並んで「雪女」の映像は『怪談』を象徴する静かな力強さがあります。ポスターなど『怪談』を紹介する映像でも、経文を書かれた芳一の顔と同じくらい、岸惠子が演じる雪女のアップがポスターに使用される頻度が高いです。
又、小林正樹が「「雪女」はホリゾントが主役みたいなものだ」と語っていたように、背景の空が特に強調されたエピソードです。そのため、京都在住の独立美術の西田真に協力を仰いで、ホリゾントを描いてもらいました。
無数の眼球が浮かんだ空は、アルフレッド・ヒッチコックの『白い恐怖』(1945) のためにサルバドール・ダリがデザインした夢のセットを思わせます。小林正樹も『壁あつき部屋』(1956) で、巨大な眼球に囲まれた夢の場面を描いていました。この眼球について、スティーヴン・プリンスは、戦争中の監視社会の比喩といつ風に解釈していました。『怪談』の眼球も戦争に関連しているのか私には図りかねますが、人間を超えた自然の脅威や、己之吉を見張る雪女の象徴と見れば腑に落ちます。
音響の面でも、尺八と石の音のみを加工した吹雪の音が、実際の吹雪とは異質な超常的世界を感じさせることに貢献していました。
余談ですが、生前の武満徹に一度だけ会ったことがあります。
1992年4月、北米ワシントン州シアトルにて「シアトルの春」第5回シアトル現代音楽祭が開催されました。そのテーマ作曲家に選ばれた武満徹も音楽祭に参加するため渡米。期間中、彼の室内、器楽曲が演奏され、4月11日にはシアトル美術館にて、武満徹の講演会と『切腹』の上映が開催されました。
当時たまたま滞米していた私も入場して、武満の講演を聞きました。映画音楽についての話の中で、武満は自分の作曲法の具体例として「雪女」で使用された尺八等の音を加工した音響を会場で流していました。
ところで、雪女の役を高峰秀子が演じる可能性がありました。当時の助監督・吉田剛によると、『怪談』のクランクインが遅れたために岸惠子がフランスに帰国したので、吉田が高峰を推薦したそうです。小林正樹も高峰もその案に前向きでしたが、にんじんくらぶの若槻繫が岸惠子の役を残すために拒否したために岸を再び日本へ呼び戻したという経緯でした。
確かに岸惠子の美貌でしたら雪女としての説得力はあった思いますが、個人的には己之吉を演じた仲代達矢の方が岸より妖艶に見えました(笑)
「耳無芳一の話」
『怪談』収録の同名短編 (The Story of Mimi-Nashi-Hoichi) が原作です。一夕散人の「臥遊奇談」巻之二に収録されている「琵琶秘曲泣幽霊」から再話されました。
「耳無芳一の話」は、映画『怪談』を代表するエピソードです。上映時間3時間3分の三分の一以上を占める約1時間15分という長さに加えて、出演者数やセットの規模などの点でも全4話中最も規模が大きいです。
撮影前の史蹟調べや資料収集も入念に行われました。小林正樹も、スタジオの監督室に置いた『平家物語』や『新平家物語』の書籍を繰り返し読み直していたほどです。
余談ですが、黒澤明も『平家物語』の愛読者でした。今となっては叶わぬ夢ですが、もし黒澤の意図通り『平家物語』が原典に忠実に映画化されていたら、どんな作品になっていたのかと妄想してしまいます。
冒頭で、芳一の弾き語りによって再現される壇ノ浦の戦いは、今の基準で見ても圧巻のスケールです。CGなどまだ無い時代ですので、全て生身の演者と手作りの大道具という大作感に満ちています。因みに、平教経に扮した中村敦夫は、当時、俳優座の新人で、『怪談』が映画初出演作となりました
源平合戦の場面に挿入される絵画は、中村正義の作品《源平合戦絵巻》(1964) です。
日本画の風雲児とも呼ばれていた中村は、日展脱退後にデザインや舞台美術の世界にも進出していました。京都の某名菓店で初めて中村の作品に接したという小林正樹からの依頼を受けて中村が描いた《源平合戦絵巻》は、全5図の大作です。現在は、東京国立近代美術館所蔵です。
第2図「海戦」 212.5×334.0
第3図「玉楼炎上」 212.5×334.0
第4図「修羅」 212.5×334.0
第5図「龍城煉獄」 212.5×334.0
そして、「耳無芳一の話」は琵琶法師が主人公ですので、当然ながら琵琶が不可欠です。小林の前作『切腹』では平田旭舟に琵琶を弾いてもらった武満でしたが、1964年5月7日に平田は急逝してしまいました。そこで、武満が邦楽関係者から鶴田錦史を紹介されました。
鶴田による平家琵琶の弾き語りが圧倒的な迫力なのは、実際に『怪談』を見て頂ければ一目(聴?)瞭然ですので、ここで多く語る必要はないと思います。
話が脱線しますが、鶴田が琵琶の世界では伝説的な名手であることは私も何となく知っていましたが、2000年出版の『邦楽ディスク・ガイド』(音楽之友社) に掲載された星川京児による解説を読むまで、鶴田が女性であることを知りませんでした。
佐宮圭の著書『さわり』(小学館) によると、戦前の鶴田は、既に琵琶の天才的少女として大活躍していて、結婚後も二人の子供に恵まれました。ですが、夫の不倫に絶望した彼女は離婚して、子供も夫と弟子夫妻に託して一人で生きていくことにしました。喫茶店の経営から始めて、戦後はキャバレーなどの水商売を大成功させるなど、ここでは書ききれないほど波乱万丈の人生でした。
佐宮の『さわり』は、今年8月に朝日新聞出版から『男装の天才琵琶師 鶴田錦史の生涯』として文庫化されました。新たな情報を加えた全面改訂版ですので、ぜひ一読をお勧めします。
話を『怪談』に戻します。
亡霊よけのため、芳一は全身に経文を書かれます。人肌に墨では長く持ちませんので、マジックペンのインクで、芳一役の中村賀津雄(嘉葎雄)の身体に約4時間もかけて楷書で書かれました。
経文を書かれた芳一の顔は、海外の人にも視覚的に強烈だったようで、『怪談』の海外版ポスターやソフトのジャケットにはほぼ必ずこの芳一の顔が選ばれています。
顔や身体に漢字を書くという行為は、西洋人にとって東洋的な異国情緒を感じさせるのか、この映画の後もエキゾチックな表現としてのボディペイントをたまに見かけます。特に『ピーター・グリーナウェイの枕草子』(1996) にそれが顕著でした。もっとも、あちらは安易な草書でスカスカな書き方でしたし、グリーナウェイの悪趣味しか感じられない愚作でしたが。
またもや閑話休題。
耳なし芳一の話で、必ずと言ってもいいほどツッコミが入るのは「なぜ和尚たちは芳一の耳に経文を書き忘れたのか?」です。
スティーヴン・プリンスも、オーディオ・コメンタリーで、芳一の耳に経文が書かれていないのがバレバレなのに和尚と住職が見逃すことを苦笑しながら突っ込んでいました。確かに、映像にすると原作の矛盾点が露呈してしまう一例でしょう。
ともあれ、武士の亡霊の視点からは芳一が透明で見えない中、経文を書き忘れた耳だけが浮かび上がって見える映像は、アナログな合成による特撮ながら極めて効果的でした。
武者の亡霊が芳一の耳を掴み襲い掛かる場面では、激しい衝撃音が断続的に響きます。他にも、海鳴りや潮騒の音響は、能楽師の発生を変形して制作された効果音です。
視覚的にも聴覚的にも「耳無芳一の話」は、それだけで一本の劇映画として独立できるほどの完成度を誇る力作です。
「茶碗の中」
1902年 (明治35年) に出版された『骨董』に収録の同名短編 (In a Cup of Tea) が原作です。
「茶碗の中」の原話は、紀州徳川家に仕えた神谷養勇軒 (善右衛門)が集めた奇談集 『新著聞集』(1749) の中の「茶店の水椀若年の面を現ず」です。この話は八雲の話より更に短い上に、未完でもありません。何と武士の衆道のもつれを描いた内容なのです。
詳しい理由は知りません。ですが、1895年にオスカー・ワイルドが男色の罪で逮捕されるなど、当時は今より同性愛に対して遥かに不寛容な時代でした。英語圏での出版を考慮して八雲が、そうした要素を削った可能性はあるかもしれません。
ともあれ、結末をあえて曖昧なままで中断させることで「茶碗の中」は、割り切れない後味を読者(観客)に残します。更に、映画『怪談』は、このエピソードが明治時代の作家が書いていた未完の物語であり、作者自身を失踪させることによって、映画そのものが奇妙な余韻と共に幕を下ろすという二重構造になっています。
このエピソードについて、小林正樹は「魂を呑まれて生きている人間の多い世の中に、その逆をいっている点がおもしろい」と語っています。脚本の水木洋子は「我々の周囲には他人の魂をのんでヌケヌケと暮している人間がうようよいる。それも現代の怪談といえるのではないか」と書いています。
意図的に未完に終わらせた「茶碗の中」の内容については、様々な解釈が成り立つと思います。或いは、解釈などそもそも必要ないのかもしれません。論理的な解釈とは異次元の怪奇な物語だからこそ「怪談」であるという解釈も成り立つような気がします。
物語の意味はどうであれ、「茶碗の中」の美術も見所が多いです。
中川佐渡守が年始の挨拶廻りの途中で立ち寄る江戸本郷、白山の茶店のロケ地は、相国寺(臨済宗相国寺派本山)です。
劇中の茶碗は、京都清水の陶芸家・荒尾常三(河内寛次郎門下)による木ノ葉天目茶碗の一種です。当時既に愛好家の手に渡っていた貴重品でしたが、撮影のために揃えたそうです。関内が割る茶碗は、言うまでもなく撮影用に小道具係が用意したものです。
明治31年頃のセットの制作では、当時の書籍集めに苦労したそうです。大学図書館や個人秘蔵の珍本を探し回った結果、当時の「東京日報」や木版多色刷を使用した怪談全集といった歴史的にも価値ある書籍が揃ったそうです。
そして、このエピソードでも、武満徹の音響演出が冴えています。
式部平内が関内の前に姿を現す場面も、普通の映画やドラマならここぞとばかりに怖がらせるBGMを鳴らすでしょうが、武満はあえて最小限の効果音のみに絞ることによって、日常にさり気なく忍び込む怪奇現象を巧みに表現しています。
関内が平内の家来に斬りかかる場面で流れるのは、太棹と三味線と義太夫の掛け声を電子変調した音響です。途切れ途切れに響く音響によって、何度斬っても現れる家来たちと狂っていく関内の怪奇性が際立っていました。
まとめ
『怪談』は映像美が高く評価されましたが、それ故に「怪談」としてあまり怖くないという意見をたまに見かけます。和田誠も、B級でもいいからもっと怖くしてほしかったという風に『お楽しみはこれからだ : 映画の名セリフ Part2』に書いていました。
ですが、先述の通り、小林正樹が『怪談』を映画化した動機は日本的な様式美を描くことでしたので、今風なホラー映画とは全く異なる作風となっていて当然です。そうした意図のもとで撮られた映画なのですから、黒澤明の『夢』(1990)、或いはスタンリー・キューブリックの『バリー・リンドン』(1975) のような芸術作品を鑑賞する姿勢で向き合うべきだと思います。
又、『怪談』に対するもう一つの批判に「テンポが遅い」という声も少なからずあります。岡本太郎も色彩美術を賞賛しつつも「冗漫」と指摘していたそうです。
約3時間という長尺に加えて、いつも以上に腰の据わった小林の演出は、現代の映画やテレビを見慣れた観客には明らかに長すぎると感じられても無理からぬところです。
とは言え、この悠然としたテンポこそ『怪談』の眩惑的な世界に相応しいと思います。目の前で起きる不思議な現象を、こけおどしではなく正面からじっくりと見せることによって、この映画は有無を言わさぬ実在感を伴って迫ってくるのです。
映画のテンポに関しては、日本より西洋、特に米国の方がせっかちかもしれません。1965年に『怪談』が米国で初公開されたときには「雪女」を割愛した上映時間125分版という超短縮版でした。事実、私自身も滞米中に知り合った米国人が映画を批判する常套句の一つとして “too slow” というのを何度も耳にしたことがあります。勅使川原宏の『利休』(1989) が「スロー」なのはまだ分かりますが、黒澤ファンのとある米国人が『椿三十郎』は『用心棒』(1961) より「スロー」だと否定的に語っていたのには呆気にとられましたが。
サタジット・レイは、日本映画や彼自身の映画が西洋の批評家からそのように批判されることに対して、こう書いています。
「ところで、ゆっくりとしたペースは、音楽同様、映画でも正統なものであると私は信じているが、監督として、私は、ゆっくりしたペースはまた、維持していくのがむずかしいということも知っている。その失敗が監督のあやまちである場合には、彼は、当然その非難を受ける心づもりをしていなければならない。しかし、テンポの遅さは、観客とのかかわり合いの程度による相対的なものであることを覚えておかなければならない。そしてこの程度というのは、主に、映画を制作するのにかかわるさまざまな社会美学的要素に、観客がどれほど馴染み共感しているかにより決定される」―『わが映画インドに始まる 世界シネマへの旅』(第三文明社)
詰まる所、映画を退屈と思うかどうかは極めて主観的な問題ですので、この件に関して良し悪しを議論するのは、いささか不毛な気もします。
そして、『怪談』に対する批判で、個人的に引っかかるのは「美しいが、空虚な大作」という感じの言い方です。
確かに、反戦の『人間の條件』や、反封建主義の『切腹』などを撮っていた小林正樹の映画として見れば、社会派としてのメッセージは『怪談』では鳴りを潜めています。同じファンタジーなオムニバス映画でも強烈な反核メッセージを爆発させた黒澤明の『夢』と比較すれば、それは明白です。
ですが、所謂「社会派」的なメッセージというより、もっと根源的な「人間的」なメッセージのようなものが『怪談』には込められていると思います。
「黒髪」で糟糠の妻を見捨てた夫は、妻の呪いの化身となった黒髪に復讐されます。「雪女」で妻(雪女)との誓いを破った己之吉は、子供たちを大切にするよう釘を刺されて彼女に去られます。「耳なし芳一の話」芳一は最後に大金持ちになりますが、巨万の富よりも平家一門の霊を弔うことに心を尽くします。
この点は、水木洋子も意識していたようで、次のように書いています。
「民話、伝説をもとにしたそれぞれの話は、昔からさまざまなパロディとして日本人の間には耳新しいものではない。しかも惨酷ムードが日常化している今日、単に怪談としての凄さや、迫力は、もはや薄れていると言ってもよいであろう。
私はこの民話、伝説の「怪談」という素材の中から現代人に訴えるテーマを発見し、設定したいと思った」―『怪談』パンフレット
武満徹も同様に語っています。
「「怪談」はもちろん商業ベースで封切られた作品ですが、しかし、小林正樹監督の作品には必ず、我々の状況への警告であったり、ある時はシンパシー、共感を持って描かれています」―「武満徹 映画の世界」1990年11月15日~18日、草月シネマテーク
日本人が古来から語り継いできた不思議な物語を極上の映像美と繊細な音響表現で具現化したからこそ小林正樹の映画『怪談』は、その世界に込められた人間的な心がより深く響いてくるのだと思います。
小林映画の中でも特に海外で有名な『怪談』が、小林に巨額の負債をもたらしたのは残酷な皮肉としか言いようがありません。ですが、小林正樹とその超一流のスタッフ、キャストが心血を注いで作り上げた『怪談』の美的世界は、小泉八雲の原作と共に、いつまでも生き続けることでしょう。
参考資料(随時更新)
書籍・記事
『小泉八雲集』 小泉八雲・著、上田和夫・訳、新潮社、1975年
Joan Mellen, Voices from the Japanese Cinema, Liveright, 1975
『お楽しみはこれからだ : 映画の名セリフ Part2』 和田誠、文藝春秋、1976年
『役者 MEMO 1955-1980』 仲代達矢、講談社、1980年
「武満徹映画の世界」『キネマ旬報』1991年1月上旬号
『キネマ旬報』 1996年12月下旬号、キネマ旬報社
『武満徹の世界』 齋藤愼爾、武満眞樹 編、集英社、1997年
『黒澤明 音と映像』 西村雄一郎、立風書房、1998年
『武満徹著作集 3』 武満徹、新潮社、2000年
『邦楽ディスク・ガイド』 星川京児、田中隆文 編、音楽之友社、2000年
『作曲家・武満徹との日々を語る』 武満浅香、小学館、2006年
『さわり』 佐宮圭、小学館、2011年
『未完。 仲代達矢』 仲代達矢、KADOKAWA、2014年
『女優 岸惠子』 岸惠子 監修、キネマ旬報社、2014年
『生誕100年 映画監督・小林正樹』 庭山貴裕、小池智子 編、公益財団法人せたがや文化財団 世田谷文学館、2016年
『映画監督 小林正樹』 小笠原清、梶山弘子 編、岩波書店、2016年
『武満徹 ある作曲家の肖像』 小野光子、音楽之友社、2016年
『反抗と祈りの日本画 中村正義の世界』 大塚信一、集英社、2017年
『仲代達矢が語る日本映画黄金時代 完全版』 春日太一、文藝春秋、2017年
『三國連太郎、彷徨う魂へ』 宇都宮直子、文藝春秋、2020年
『岸惠子自伝 卵を割らなければ、オムレツは食べられない』 岸惠子、岩波書店、2021年
「主体の鍛錬―小林正樹論」 荒川求実 『すばる』2022年10月号、集英社
『男装の天才琵琶師 鶴田錦史の生涯』 佐宮圭、朝日新聞出版、2024年
ネット記事・ブログ
● 「一般社団法人 八雲会」
● 「新潟市 會津八一記念館」
● 「中村正義」- 東京国立近代美術館
● 「琵琶と鶴田流」- 薩摩琵琶鶴田流演奏家 岩佐鶴丈
「ラフカディオ・ハーン『茶碗の中』について」 牧野陽子(成城大学)pdf
「市川崑と小林正樹〜モダニストとクラシシスト」(星虹堂通信 2016年4月20日)
「ふかくこの生を愛すべし〜「生誕100年 映画監督・小林正樹」@世田谷文学館」(星虹堂通信 2016年7月30日)
「『映画監督 小林正樹』を読む〜幻の『敦煌』について」(星虹堂通信 2017年2月16日)
音楽・映像ソフト
CD『オリジナル・サウンドトラックによる武満徹 映画音楽① 小林正樹監督作品篇』 ビクター音楽産業、1990年
LD, Music for the Movies: Toru Takemitsu. Directed by Charlotte Zwerin. Sony Music, 1994.
DVD 『怪談』 東宝株式会社、2003年
Blu-ray, Kwaidan. The Criterion Collection, 2015.
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