こんにちは、タムラゲン (@GenSan_Art) です。
2月18日(火)、イオンシネマ高松東にて、『パラサイト 半地下の家族』を、妻と一緒に鑑賞しました。
米アカデミー賞作品賞受賞という話題も加わり、1番スクリーンでの上映でした。又、テレビでの紹介も多いせいか、平日のレイトショーにしては観客数も多かったです。
映画について
パラサイト 半地下の家族
韓国語題名: 기생충
英語題名: Parasite
2019年、韓国、カラー、132分
スタッフ
監督:ポン・ジュノ
脚本:ポン・ジュノ、ハン・ジンウォン
製作:クァク・シネ、ムン・ヤングォン、ポン・ジュノ、チャン・ヨンファン
撮影:ホン・ギョンピョ
編集:ヤン・ジンモ
音楽:チョン・ジェイル
キャスト
キム・ギテク (半地下住宅に暮らす一家の主):ソン・ガンホ
キム・ギウ (ギテクの息子):チェ・ウシク
キム・ギジョン (ギテクの娘) :パク・ソダム
チュンスク (ギテクの妻):チャン・ヘジン
パク・ドンイク (IT企業の社長):イ・ソンギュン
ヨンギョ (パクの妻):チョ・ヨジョン
パク・ダヘ (パクの娘):チョン・ジソ
パク・ダソン (パクの息子):チョン・ヒョンジュン
ムングァン (パク宅の家政婦):イ・ジョンウン
あらすじ (ネタバレなし)
「半地下住宅」で細々と生活する4人家族。楽観的な父キム・ギテク。気丈な母チュンスク。浪人中の息子ギウ。美大を目指す娘ギジョン。ある日、ギウは、大学生の友人から家庭教師の引継ぎを依頼されます。勤務先は、IT企業の社長パク・ドンイク一家が暮らす高台の大豪邸でした。パク一家に気に入られたギウは、言葉巧みに妹のギジョンを家庭教師として紹介します。更に、ギウとギジョンは両親もパク夫妻に雇ってもらうために策を練ります。首尾よく進むかに見えた計画でしたが、キム一家も想定していなかった事態が発生します。
予告篇
あれこれ思うこと
実は、私がポン・ジュノ監督の作品を観るのは、『パラサイト 半地下の家族』が初めてです。
結論から先に言えば、予告編で「ネタバレ厳禁」とあるように、鑑賞前に情報を極力遮断した状態で観れて良かったです。
私も妻も、映画のプロットに興味を惹かれましたので、賞とは関係なく純粋に楽しむことが出来ました。
まだ未見の方や、これから『パラサイト』を見に行く予定の方もいると思いますので、ネタバレを避けて個人的にあれこれ思うことを綴ってみます。
一口に映画を「楽しむ」と言っても、『パラサイト』の場合は一つのジャンルには収まりきらない様々な要素に満ちています。
全員失業中の家族が「計画」を練って社長一家の家庭に「就職」するというプロットは、よく「ブラックコメディ」と形容されます。確かに前半はその通りなのですが、予想外の展開を見せる後半からは貧富の差などの社会的な問題も浮き彫りになっていきます。
しかも、そうした要素を盛り込んでいながらも、所謂「社会派」のような堅苦しさは微塵も感じさせず、コメディやサスペンスなど様々な映画的な表現を駆使して、ラストまで観客を一時も飽きさせないのは流石です。
特に印象に残った場面の一つが、真夜中にギウ達が高台から半地下へと戻る道中です。黒澤明の『羅生門』(1950) のように滝のような豪雨が降りつける中、ギウ達がずぶ濡れになって歩く姿を延々と映していく下りは、キム一家と社長一家との格差を残酷なまでに強調します。
又、半地下住宅と高台の高級住宅という土地の高低で貧富の差を表現する映像に、黒澤明の『天国と地獄』(1963) を連想しました。偶然かと思いましたが、カトリーヌ・カドゥが撮ったドキュメンタリー『黒澤 その道』(2011) で、ポン・ジュノは最も好きな黒澤映画として『天国と地獄』を挙げていました。(尚、『黒澤 その道』は、黒澤明の『夢』(1990) のクライテリオン・コレクションのDVDとBlu-rayに特典映像として収録されています)
因みに、アメリカのクライテリオン社を訪問したポン・ジュノは、『テス』(1979) や『東京物語』(1953) 等の他に黒澤の『蜘蛛巣城』(1957) を選んでいました。
話を『パラサイト』に戻します。映画を通して恐らく最も重要な要素の一つであるのが「臭い」です。黒澤明の『赤ひげ』(1965) でも、青年医師が貧者を蔑むように「果物の腐ったような臭い」に顔をしかめましたが、『パラサイト』でも半地下の臭いがキム一家と社長一家との間に少しずつ亀裂を深めていきます。不合理に見える人間の行いも、些末な事の積み重ねの末に、あることがキッカケでスイッチが入ることを見事に描き切っていました。
ところで、『パラサイト』で描かれた韓国の格差社会や、劇中に何度も出てくる水石の象徴的な意味などについてですが、韓国の歴史や文化にそれほど詳しくありませんので今の私には十分に理解できていないと思います。
とは言え、日本文化に詳しくない外国人でも黒澤映画を楽しめたように、韓国文化に詳しくなくても『パラサイト』も一本の映画として抜群に面白いです。未見の方は、ネタバレを踏まない内にご覧になるのをおススメします。
賞と作品の評価は別
先述の通り、『パラサイト 半地下の家族』は、韓国映画として初めてカンヌ国際映画祭パルム・ドールを、非英語作品として史上初の米アカデミー賞作品賞受賞を受賞しました。
パルム・ドールはあらゆる国籍の映画が受賞しますが、非英語の映画が英語に吹き替えられることなくアカデミー賞の作品賞を受賞するのは極めて異例です。
オスカーは外国語映画には冷たいと長年言われてきましたが、最近は少しずつ変わってきているのでしょうか。もっとも、作品賞受賞作92本の内、現時点で私はまだ50本しか見ていません。しかも、2000年以降に見たのは2本のみです。ですから、最近の受賞作品の傾向について語るのは控えます。
『パラサイト』のダブル受賞は快挙だと私も思いますが、SNSを見ると、この映画が作品賞に値するのかと疑問を呈する声も見かけます。
私に言わせれば、作品の評価は、賞に関係なく一人一人が自分の意志で決めれば良いと思います。オスカーの作品賞を受賞しても数十年後には殆ど忘れられた作品もあれば、逆にオスカーにノミネートすらされなくても年月を経て評価が高まった作品も少なくありません。
又、SNSには、韓国映画がアジア映画として初めてオスカーの作品賞にノミネートされた上に受賞までしたことに対して、まるで日本映画が出し抜かれたかのように憤る声までありました。ですが、韓国映画が海外で評価されたからと言って日本映画に対する評価が反比例して下がる訳ではありませんので、そこまで目くじらを立てる必要など全く無いと思います。
半世紀以上前の1950年代から1960年代頃は、アカデミー賞の主要部門は英米以外の映画は殆ど入り込む余地が無く、現在以上に狭き門でした。黒澤明も、『羅生門』で特別賞、『デルス・ウザーラ』(1975) で外国語映画賞を受賞しましたが、大絶賛された『乱』(1985) でさえ監督賞を含む4部門でノミネートされても衣裳賞止まりでした。(1990年に黒澤は、長年の功績を称える名誉賞を受賞しました。)
ですが、オスカーの主要部門で受賞せずとも黒澤映画の評価が微塵も損なわれていないことは言うまでもありません。同様に、溝口健二、小津安二郎、成瀬巳喜男、木下惠介、小林正樹、等の巨匠の作品も、オスカーの威光など無くても時代を越えて輝き続けています。むしろ、オスカーを受賞した『地獄門』(1953) や『宮本武蔵』(1954) の方が今では色褪せて見えます。
ですから、『パラサイト』が本当に良い作品なら一過性の流行ではなく後世に残る筈ですから、賞についてあれこれ詮索するのは不毛なだけだと思います。
私の韓国映画鑑賞記
話が脱線したついでに、余談ではありますが、私がこれまで見てきた主な韓国映画も駆け足で振り返ってみます。
私が韓国映画を初めて見たのは、1993年にレンタルビデオで見た『達磨はなぜ東に行ったのか』(1989) でした。その当時はまだ学生でしたので、難解な映画という印象でした。(今見ればもっと深く鑑賞できるかもしれませんが。)
その後も、『風の丘を越えて 西便制』(1993)、『灼熱の屋上』(1995)、『301・302』(1995)、『祝祭』(1996) 等をビデオやテレビで見ました。中でも、NHK教育の「アジア映画劇場」で放送された『灼熱の屋上』はとても面白かったです。
2000年に日本で公開され話題になった『シュリ』(1999) から、韓国映画も急速に垢抜けてきた印象を受けました。『JSA』(2000)、『二重スパイ』(2003)、『クロッシング』(2008) を劇場で見た他に、『接続 ザ・コンタクト』(1997)、『ユリョン』(1999) 等をビデオで、『友へ チング』(2001)、『黒水仙』(2001) をDVDで観ました。特に印象的だったのは、板門店を舞台にした『JSA』でした。『ユリョン』は、脚本家の一人がポン・ジュノだと最近知って驚きました。『黒水仙』は後半で唐突に出てくる宮崎県ロケが見所です(笑)
今回、久しぶりに自分がこれまでに見てきた映画のリストを見直してみましたが、3千本近くの映画の中で、韓国映画はまだ24本しか見ていないことに気付きました。
最近は映画そのものを見る機会が激減してしましましたが、『パラサイト 半地下の家族』をキッカケに、ポン・ジュノの過去作品も含めて、最近の韓国映画も見てみたくなりました。
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