こんにちは。タムラゲン (@GenSan_Art) です。
40年前の今日 (3月24日) は、伊福部昭の《二十絃箏とオーケストラのための交響的エグログ》 Églogue symphonique pour koto à vingt cordes et orchestre が初演された日です。
《交響的エグログ》について
曲の成り立ちから初演まで
《交響的エグログ》は、東京交響楽団の委嘱によって作曲されました。
1980年、東響の新しい企画として寺元宏が発案したのが、箏とオーケストラの協奏曲のみで構成された演奏会でした。新曲を依頼する作曲家として寺元は最初に伊福部昭を選び、同年10月3日の午後2時に伊福部邸を訪問しました。当初は自身や夫人の体調が優れぬことなどを理由に固辞していた伊福部でしたが、8時間も粘り強く交渉する寺元に根負けして、独奏者を野坂惠子 (操壽) にするという条件で遂に承諾しました。その後、体調不良をおしながら1年以上に渡る難産の末、1982年3月5日、《交響的エグログ》は脱稿しました。
上記の経緯は、1993年のCD「伊福部昭「交響的エグログ」―野坂恵子」(東芝EMI) の解説書で寺元が寄稿するまでは殆ど知られていなかったようです。同解説書で寺元が書いているように、1992年に出版された伊福部研究書でも、某評論家が《物云舞》(1979) 初演の直後に伊福部は箏とオーケストラの協奏曲を構想していた、と書いていたほどですから。2003年のCD「伊福部昭の芸術6 亜」(キングレコード) の解説書に作曲者自身の言葉も掲載されましたので、現在はこの経緯はよく知られている筈です。
1982年3月24日、日比谷公会堂にて開催された東京交響楽団「現代日本音楽の夕べシリーズ5 箏とオーケストラの饗宴」にて、小林研一郎指揮、野坂惠子 (箏) によって初演されました。
編成は次の通りです。ピッコロ、フルート2、オーボエ2、コール・アングレ、変ロ管クラリネット2、変ロ管バス・クラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット2、トロンボーン2、バス・トロンボーン、テューバ、ティンパニ、トムトム、ハープ、弦楽5部、二十絃箏独奏。
和楽器とオーケストラの対話
《交響的エグログ》の「エグログ」(églogue) は、フランス語で対話体形式の田園詩や牧歌を意味します。
初演時のプログラムに寄稿した文章で、伊福部は二十絃箏とオーケストラとの対話を目指すことを語っています。インドのシタールやスペインのギターの協奏曲を例に挙げて、日本の箏には「何か責務のようなものさえ感じたのでした」とも書いていました。
その後、2003年に《エグログ》をセッション録音する際、88歳になっていた伊福部は初演当時67歳だった自分の「責務」という言葉を「若気の至り」と面映ゆく振り返っていました。まぁ、確かに米寿の人から見れば70代前はまだ「若造」かもしれませんが、約70年間も作曲を続けてきた巨匠の言葉はユーモアにもスケールの大きさを感じます。
話を箏とオケの対話に戻せば、伊福部の協奏曲的な作品は、オケが独奏楽器の伴奏的な役割の一般的な「コンチェルト=協奏曲」ではなく、独奏楽器とオケが対等な曲を目指していたので、曲名も「コンチェルタンテ=協奏風」という感じの作品が多いです。
伊福部と箏との縁は長く、父親の利三も箏を好み、伊福部自身も映画音楽の仕事で時代劇の劇伴で箏を使用する機械が幾度かありました。又、尺八や三味線など個性の強い響きと比較して、箏は「中世的な」響きが使いやすかったそうです。更に、野坂操壽 (当時は惠子) という優れた箏奏者との出会いも伊福部の創作意欲を掻き立てました。
《交響的エグログ》では、箏の比較的高い音域による短い音に対して、オーケストラの重低音の持続音という相反する要素でお互いを補い合うという、文字通り和洋の楽器の「対話」によって壮大な響きの世界が繰り広げられます。
話が逸れますが、異なる要素でお互いを補い合うというのは、私がデジタルでイラストを描くときにもあります。具体的には、Clip Studio で描いた下絵や輪郭線のデータを Adobe Illustrator に取り込み仕上げるというものです。元々アクリル絵の具などを使用して描いてきた私にはアナログ感覚で描けるクリスタが性に合いますが、イラレにも非常に便利な機能がありますので、両方の特性を活かしながら描いています。
話を《交響的エグログ》に戻します。
和楽器を扱っているせいか又は年齢のせいなのか、《エグログ》は伊福部が40代の頃に書いた《リトミカ・オスティナータ》と比べると非常に情緒的な作風となっています。作曲者自身も「ちょっと寂しいかな」と言っていたそうですが、箏という和楽器と西洋のオーケストラの両方に真摯に向かい合ってきた伊福部が苦難の末に生み出した作品は、和洋の違いを微塵も感じさせないほど両者を自然に融合させた名作だと思います。
個人的鑑賞記
CD等
これまでに私が聴いた《交響的エグログ》の演奏は、次の表の通りです。年代順に並べましたので、私が聴いてきた順とは異なります。
演奏年月日 | 箏奏者 | 指揮者 | 管絃楽団 | 媒体 |
1983年2月10日 | 野坂惠子 | 井上道義 | 東京交響楽団 | CD |
1992年7月17日 | 野坂惠子 | 井上道義 | 京都市交響楽団 | CD |
2003年9月8日・9日 | 野坂惠子 | 本名徹次 | 日本フィルハーモニー交響楽団 | CD |
2003年9月 |
田中孝一郎 | 川越守 | 北海道交響楽団 | YouTube |
2004年9月26日 | 野坂惠子 | 円光寺雅彦 | 九州交響楽団 | LIVE |
2014年5月31日 | 野坂操壽 | 大植英次 | 東京交響楽団 | LIVE |
2016年7月10日 | 野坂操壽 | 井上道義 | 東京交響楽団 | LIVE、CD |
ライブ鑑賞記
これまでに《交響的エグログ》の生演奏を聴く機会が三度ありました。
2014年5月31日 東響 (指揮:大植英次) 「伊福部昭 生誕100年記念コンサート」
2016年7月10日 東響 (指揮:井上道義) 「協奏四題」
どの演奏でも、野坂の箏は、長年積み重ねてきた超絶技巧と伊福部音楽に対する深い理解が感じられました。箏を生演奏で聴くことで、絃の気品ある細やかな響きも体感できました。考えてみれば、「協奏四題」ではただ一人の初演時のソリストであった野坂は、1983年の「協奏四題」でも井上道義・東響と共演していましたし、1992年に井上が京都市交響楽団を指揮した《エグログ》でも弾いていたので、ソリストの中で最も井上と気心が知れているのかもしれません。
2014/5/31「伊福部昭 生誕100年記念コンサート」(川崎市)
2014年5月31日(土)は、伊福部昭の100年目の誕生日でした。
この記念すべき日にミューザ川崎シンフォニーホールにて開催された東京交響楽団の「現代日本音楽の夕べシリーズ第17回 伊福部昭 生誕100年記念コンサート」を、妻と一緒に鑑賞しました。
曲目は、次の4曲でした。
《SF交響ファンタジー第3番》
《二十絃箏とオーケストラのための交響的エグログ》
《ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ》
《交響頌偈「釈迦」》
病気で降板した井上道義の代役として抜擢されたのは、大植英次でした。今回の演奏会まで私は知らなかった指揮者でしたので、どのような解釈になるのか期待と不安が半々でした。
《交響的エグログ》での野坂操壽は、いつものように見事な演奏でした。ただ、大植が独奏者の方を振り向きながら大きな身振りで指揮する度に、カフスボタンが指揮台のバーに当たってカチンと音がしていたのには閉口しました。
2016/7/10 東京交響楽団「名曲全集 第119回<前期>」(川崎市)
2016年7月10日(日)、ミューザ川崎シンフォニーホールにて、井上道義 指揮/東京交響楽団の「名曲全集 第119回<前期>」を、妻と一緒に鑑賞しました。
「協奏四題」とも呼ばれるように、この演奏会の曲目は、次の4曲でした。
《オーケストラとマリンバのためのラウダ・コンチェルタータ》 マリンバ:高田みどり
《ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲》 ヴァイオリン:山根一仁
《二十絃箏とオーケストラのための交響的エグログ》 二十五絃箏:野坂操壽
《ピアノとオーケストラのためのリトミカ・オスティナータ》 ピアノ:山田令子
これら4曲は、1983年に井上道義と東響によって演奏された伊福部昭の協奏曲であり、今回、33年ぶりに井上が同じ4曲に再び挑むという歴史的な企画でした。
《交響的エグログ》での野坂操壽の箏(今回は二十五絃箏)は、長年積み重ねてきた超絶技巧と伊福部音楽に対する深い理解が感じられました。とは言え、流石に体力的に厳しくなってきたのか数カ所ミスがあったようですが、それでも全体的に堂々たる演奏でした。(これが私が最後に見た野坂操壽の演奏となりました。)
(敬称略)
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演奏予定
木村麻耶リサイタル (11/10)
日時:2024年11月10日(日) 14:00開演
会場:和光大学ポプリホール鶴川
公式サイト:木村麻耶リサイタル | 箏 演奏家 木村麻耶(きむらまや)箏.二十五絃箏 (kimuramaya.com)
過去の演奏(ほんの一部)
この表は、私が調べた範囲内の演奏記録ですので、今後も判明次第追加していきます。
演奏年月日 | 指揮者 | オーケストラ | 箏奏者 |
1982年3月24日 | 小林研一郎 | 東京交響楽団 | 野坂惠子 |
1983年2月10日 | 井上道義 | 東京交響楽団 | 野坂惠子 |
1986年3月20日 | 円光寺雅彦 | 大阪フィルハーモニー交響楽団 | 菊中美智子 |
1988年9月22日 | 山田一雄 | 関西フィルハーモニー管弦楽団 | 菊中美智子 |
1992年7月17日 | 井上道義 | 京都市交響楽団 | 野坂惠子 |
1993年7月9日 | モーシェ・アツモン | 名古屋フィルハーモニー交響楽団 | 野坂惠子 |
1995年10月24日 | 井上道義 | 東京交響楽団 | 野坂惠子 |
1999年12月2日 | 円光寺雅彦 | 名古屋フィルハーモニー交響楽団 | 野坂惠子 |
2003年9月8日・9日 | 本名徹次 | 日本フィルハーモニー交響楽団 | 野坂惠子 |
2003年9月 | 川越守 | 北海道交響楽団 | 田中孝一郎 |
2004年9月26日 | 円光寺雅彦 | 九州交響楽団 | 野坂惠子 |
2004年11月4日 | 小泉和裕 | 大阪センチュリー交響楽団(当時) | 野坂操壽 |
2005年10月23日 | 荒谷俊治 | 町田フィルハーモニー交響楽団 | 野坂操壽 |
2014年5月31日 | 大植英次 | 東京交響楽団 | 野坂操壽 |
2016年7月10日 | 井上道義 | 東京交響楽団 | 野坂操壽 |
2019年5月5日 | 井上道義 | 新日本フィルハーモニー交響楽団 | 滝田美智子 |
2021年1月10日 | 井上道義 | 京都市交響楽団 | LEO |
参考資料(随時更新)
書籍、記事
「陶酔境に誘い込む 東京交響楽団「伊福部昭の夕べ」」 林光・著 『朝日新聞・夕刊』1983年2月16日
『伊福部昭の宇宙』 相良侑亮 編、音楽之友社、1992年
『伊福部昭・タプカーラの彼方へ』 木部与巴仁、ボイジャー、2002年
『完本 管絃楽法』 伊福部昭、音楽之友社、2008年
『伊福部昭綴る 伊福部昭 論文・随筆集』 伊福部昭、ワイズ出版、2013年
『伊福部昭 ゴジラの守護神・日本作曲界の巨匠』 片山杜秀 編、河出書房新社 2014年
CD
CD「伊福部昭「交響的エグログ」―野坂恵子」 東芝EMI、TYCY-5296、1993年
CD「伊福部昭 協奏三題 伊福部昭作品集2」 fontec、FOCD-9087、1996年
CD「伊福部昭の芸術 6 亜 交響的エグログ」 キングレコード、KICC-439、2003年
CD「伊福部昭「協奏四題」熱狂ライヴ」 キングレコード、KICC1342/3、2016年
ウェブサイト
《二十絃筝とオーケストラのための交響的エグログ》 – 伊福部昭データベース
「交響的エグログ(1982)」 – 「インチキ教授のホームページ」
「第8回 「キングレコードの伊福部昭作品集について」」 – 後の祭
「伊福部昭コレクション」 – 東京音楽大学
「伊福部昭音楽資料室・伊福部昭を讃える音楽記念碑」 – 北海道十勝 音更町
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