こんにちは。タムラゲン (@GenSan_Art) です。
今日は、妻と一緒に、丸亀城へ行ってきました。
丸亀城
実は、昨日、妻が録画したテレビ番組「所JAPAN」の熊本城特集 (10月5日放送) を視聴しました。番組内で、城郭考古学者の千田嘉博氏が、熊本城の宇土櫓が如何に巨大かを示す比較対象として紹介したのが、現存十二天守の中で最小の丸亀城でした(笑)
ともあれ、その小型天守と日本で最も高い石垣のギャップが魅力の丸亀城が懐かしくなってきたので、気晴らしも兼ねて丸亀へと車を走らせました。
5月の『影武者』の記事でも書きましたが、2012年7月22日、妻と一緒に丸亀城に入城したことがあります。8年ぶりの丸亀城ですが、今回は時間の都合で、城内の丸亀市立資料館が目的でした。前回は夏の暑さが堪えましたが、今回は秋の涼しさが心地よかったです。
その前に、駐車場から城の南西部の石垣が見えましたので、そこを先に見てみました。
崩落した石垣の修理
2018年7月と10月、豪雨や台風24号の影響などで、帯曲輪石垣と三の丸坤櫓跡石垣の一部が崩落してしまいました。石垣の修復作業は現在も続いています。
ニュースなどで映像を何度か見たことはありますが、実際に目の当たりにすると、被害の大きさを実感します。
丸亀城石垣修復のPR館も見学して、妻と一緒に、ささやかながら募金もしました。
丸亀市立資料館
常設展「生駒 山﨑 京極の歴史と文化展」
先ずは、資料館の2階で、常設展「生駒 山﨑 京極の歴史と文化展」を見学しました。
題名の通り、丸亀の歴代藩主であった生駒、山﨑、京極の三家に関する絵図、古文書、調度品などを中心に、丸亀城と城下町の変遷を紹介する展示です。
主な展示品は次の通りです。(全て複製)
地図・絵図
展示品 | 制作年 |
讃州丸亀 以中図縮之 | 慶長2年(1587)頃 |
讃岐国絵図 | 寛永10年(1633)頃 |
山﨑時代の丸亀城郭図 | |
元禄時代の丸亀古地図 | 元禄10年(1697)頃 |
讃岐国丸亀城絵図 | 元文元年(1736)頃 |
丸亀城郭及び城下町古地図 | 享和2年(1802) |
讃岐圓亀(まるがめ)蓬莱城図 | 明治9年以降の図を大正時代に写す |
生駒氏
展示品 | 備考 |
生駒親正 像 | 高松城と丸亀城を築城した大名 大永6年(1526)生~慶長8年(1603)没 |
生駒記 | 生駒家の讃岐支配や生駒騒動が記されています |
山﨑氏
展示品 | 備考 |
幕府老中連署状 | 1643年・1649年・1658年 |
京極氏
展示品 | 備考 |
京極家系図 | |
江より初姫宛消息 | |
京極高和 像 | 丸亀藩初代藩主 元和5年(1619)生~寛文2年(1662)没 |
京極高豊 像 | 丸亀藩2代藩主 明暦元年(1655)生~元禄7年(1694)没 |
京極高或 像 | 丸亀藩3代藩主 元禄5年(1692)生~享保9年(1724)没 |
京極高矩 像 | 丸亀藩4代藩主 享保3年(1718)生~宝暦13年(1763)没 |
京極高中 像 | 丸亀藩5代藩主 宝暦4年(1754)生~文化8年(1811)没 |
京極高朗 像 | 丸亀藩6代藩主 寛政10年(1798)生~明治7年(1874)没 |
京極朗徹 写真 | 丸亀藩7代藩主 文政11年(1828)生~明治15年(1882)没 |
四つ目結紋入獅子香炉 | |
京極高或日記 | 正徳元年(1711)12月11日・12日の江戸の大火についての頁が開かれていました |
御数寄道具印判帳 | 享保19年(1734) |
琴峰詩集とその版木 | |
京極高朗所用印 |
その他
「金毘羅参詣海陸記」 安永7年(1778)今村美景 作
「金毘羅参詣名所図会」 弘化4年(1847)暁鐘成 著(挿絵担当の浦川公佐も、参拝・取材に同伴したと考えられているそうです)
「丸亀藩札」藩札とは、藩財政を補うため、丸亀領内のみで通用した不換紙幣のことです。展示されていた藩札は、享保15年(1730)と、安永9年(1780)に発行されたものでした。
丸亀城の絵図の精密な描写には感心しました。又、「讃岐国絵図」は、妻と一緒に見ながら、寛永時代の讃岐藩と現在の香川県の地名とを興味深く比較しました。
京極家の肖像画の中では、高和、高豊、高或、高矩の4人が右膝を立てた所謂「立膝」だったのが目を引きました。高中と高朗は胡坐で、朗徹はバストショットでした。
現在放送中のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』でも立膝が話題になっていました。因みに、私が最初に立膝を見たのは、黒澤明の映画『蜘蛛巣城』(1957) でした。山田五十鈴が演じた城主の妻 浅茅は、能の所作を取り入れた佇まいが圧倒的でした。
更に余談ですが、『影武者』(1980) のロケハンで、城の候補に丸亀城も上がっていましたが、最終的には選ばれませんでした。もし実現していたら、黒澤映画初の四国ロケが実現していたのに、と今でも思います。
ところで、『麒麟がくる』の衣装は、黒澤明の長女 黒澤和子が担当しています。父に誘われ『夢』で映画の世界に入った黒澤和子は、今では映画の衣装の大ベテランとして大活躍しています。『影武者』や『乱』で戦国武将の華麗なる衣装を映像化した黒澤明の創意が今も受け継がれていることは、大河ドラマ以上に大河ドラマ的なものを感じます。
ミニ企画展「女性の髪をかざるもの」
展示室には、江戸時代の女性の髪飾りも多数展示されていました。展示されていたのは次の通りです。
櫛 |
笄 |
玉簪 |
平打ち簪 |
びらびら簪 |
根掛(ねかけ) |
つまみ簪 |
花嫁簪 |
鼈甲の簪など、どの飾りも精緻で美しい細工に目を奪われました。また、女性の髪飾りというと、簪を思いがちですが、笄にも改めて注目しました。
変り兜
1階のロビーには、変り兜も展示されていました。
兜 | 備考 |
鉄地六十二間小星筋兜 | 前立蜻蛉 |
鉄地置手拭形兜 | 前立木の葉 |
鉄地十八間座星兜 | 前立・脇立・抱茗荷 |
鉄地桃形兜 | 前立・脇立・瓢箪 |
入道形変り兜 | |
鬼面形変り兜 |
丸亀市立資料館を訪れるのは、2017年の「屏風と襖絵の美展」以来、3年ぶりでした。前回は企画展が目当てでしたので、今回はじっくりと常設展を鑑賞することが出来ました。地元の歴史というものは、知っているようで知らないことが多いと改めて痛感しました。
身近な所にまだまだ自国の歴史や文化を学ぶ機会は豊富にあるのだと思いました。
そして、丸亀城の石垣が無事に修復されることを祈っています。
(敬称略)
追記
10月8日(木)、再び丸亀に寄る用事がありましたので、妻と一緒に丸亀城の天守に登りました。8年前は夏の暑さが堪えましたが、この日は二十四節気の寒露で冷たい雨に二人で震えました。
平日の雨にも関わらず、観光客は少なくなく、天守に入場(入城?)する人は絶えませんでした。
現存する十二天守の中では最も小さい丸亀城ですが、近くで見る姿は中々凛々しいです。又、日本でも最も高い石垣は遠くから見ても壮観ですので、見所は豊富だと思います。
リンク集
丸亀城
丸亀市立資料館
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