『切腹』公開60周年 小林正樹と仲代達矢の最高傑作!

こんにちは。タムラゲン (@GenSan_Art) です。

『切腹』 (1962) 監督:小林正樹 音楽:武満徹 出演:仲代達矢 三國連太郎 | HARAKIRI (1962) Directed by Masaki Kobayashi / Music by Toru Takemitsu / Cast: Tatsuya Nakadai and Rentaro Mikuni  イラスト:タムラゲン Illustration by Gen Tamura

イラスト:タムラゲン | Illustration by Gen Tamura

60年前の今日 (9月16日) は、小林正樹の映画『切腹(1962) が公開された日です。

『切腹』は、小林正樹の最高傑作であり、日本映画黄金期の名作の一本です。

滝口康彦の原作を巧みに脚色した橋本忍の極上の脚本、宮島義勇の厳格な白黒シネスコ撮影、薩摩琵琶を大胆に取り入れた武満徹の音楽など、映画の全ての要素が完璧に等しいです。主人公を演じた仲代達矢も『切腹』を自身の最高傑作に挙げています。

そして、『切腹』は、私がこれまで見た全ての映画の中でも最高の一本です。黒澤映画と並んで特に思い入れが強いこの映画について、あらゆる角度から語っていきます。

 

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『切腹』について

切腹
Harakiri (Hara-Kiri)
1962年9月16日公開
松竹株式会社 製作・配給
白黒、シネマスコープ、135分

スタッフ

監督:小林正樹
製作:細谷辰雄
製作補:岸本吟一
原作:滝口康彦 「異聞浪人記」より
脚本:橋本忍
撮影:宮島義勇
音楽:武満徹
美術:戸田重昌、大角純平
録音:西崎英雄
照明:蒲原正次郎
編集:相良久
スチール:梶原高男
助監督:丹羽康二
装置:中村良三
装飾:田尻善一
衣裳:植田光三
技髪:木村垚右ヱ門
結髪:木村よし子
進行:内藤誠
撮影助手:関根重行
照明助手:奥谷保
録音助手:藤田茂
編集助手:瀬頭純平
製作助手:斉藤次男
現像:東洋現像所
時代考証:猪熊兼繁
衣裳考証:隅田薫之助、河村長潅
殺陣:加登秀樹
題字:勅使川原蒼風

キャスト

津雲半四郎:仲代達矢
斎藤勘解由:三國連太郎
千々岩求女:石濱朗
美保:岩下志麻
沢潟彦九郎:丹波哲郎
稲葉丹後:三島雅夫
矢崎隼人:中谷一郎
福島正勝:佐藤慶
千々岩陣内:稲葉義男
井伊家使番A:井川比佐志
井伊家若侍A:武内亨
川辺右馬介:青木義朗
清兵衛:松村達雄
井伊家使番B:小林昭二
代診:林孝一
槍大将:五味勝雄
新免一郎:安住譲
人足組頭:富田仲次郎
小姓:天津七三郎
田中謙三
中原伸
池田恒夫
宮城稔
門田高明
山本一郎
高杉玄
西田智
小宮山鉄朗
成田舟一郎
春日昇
倉新八
林健二
林章太郎
片岡市女蔵
小沢文也
竹本幸之佑

あらすじ

寛永7年 (1630年) 5月13日、井伊家上屋敷に、津雲半四郎と名乗る初老の浪人が訪れます。かつては芸州広島福島家の家臣であったという半四郎は、主家の没落後、江戸で貧苦の生活を続けるより武士として潔く切腹したいので屋敷の庭を貸してほしいと申し出ます。

井伊家の家老・斎藤勘解由は、同年1月にも千々岩求女という若い浪人が同じ目的で訪れたときの顛末を半四郎に話します。当時、浪人の間で強請目的の狂言切腹が流行っていたことを苦々しく思っていた井伊家の武士達は、仕官を期待していた求女に切腹を強要します。自分が持っていた竹光の脇差で求女は無残な最期を遂げます。

勘解由からその話を聞き終えた後も、半四郎は平然と切腹に臨みます。半四郎は、井伊家の家臣・沢潟彦九郎を介錯に指名しますが、その日は病欠していました。使番が彦九郎を呼びに行っている間、半四郎は、勘解由と井伊家の家臣達に自分の身の上話を語り始めます。半四郎の親友だった千々岩陣内は、主家の改易と共に殉死して、息子の求女を半四郎に託します。浪人となった後、半四郎は娘の美保を求女に嫁がせて孫の金吾も生まれます。束の間の幸福な時間は長くは続かず、美保と金吾が病に倒れます。生活に困窮していた求女は、藁にも縋る思いで井伊家に向かいますが、凄惨な最期となってしまいます。求女を追うように美保と金吾も相次いで病死します。

身の上話を終えた半四郎は、妻子を救うために切羽詰まっていた求女に対する井伊家の非情な対応を糾弾しますが、勘解由は井伊家の家風を盾に突っぱねます。全てが徒労であったと悟った半四郎は、最後に懐から三つの髷を取り出します。求女に竹光での切腹を強いた彦九郎を含む三人の家臣の髷を、半四郎は決闘で奪い取っていたのでした。勘解由は激怒して、家臣達が半四郎に殺到しますが、最後の力を振り絞って反撃する半四郎によって次々と返り討ちにあいます。孤軍奮闘する半四郎でしたが、井伊家伝来の鎧兜を投げ壊し、壮絶な切腹をして鉄砲隊によって討たれます。

その後、勘解由の命令により、半四郎は尋常の切腹とされ、落命した井伊家家臣、自宅で切腹していた彦九郎、切腹を命じられた残りの二人も全員が死因を病死として扱われます。真相は全て闇に葬られ、井伊家の名声は更に高まるのでした。

 

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原作と脚本との比較

『切腹』は、滝口康彦の小説『異聞浪人記』を忠実に映像化していると同時に、原作を非常に巧みに映画向けに脚色しています。

この章では、原作と映画の比較に加えて、脚本と映画も比較してみます。

原作との比較

登場人物の名前

『切腹』の登場人物の名前は、矢崎隼人の他は原作と同じですが、なぜか漢字表記が異なる人物が何人かいます。

原作 映画
美穂 美保
千々岩甚内 千々岩陣内
沢瀉彦九郎 沢潟彦九郎
松平隼人正 矢崎隼人
川辺右馬助 川辺右馬介

斎藤勘解由は、脚本や他の書籍でも原作と同じ表記ですが、岩波書店の『映画監督 小林正樹』のフィルモグラフィでは「齋藤」という表記でした。

余談ですが、よしながふみ の漫画『大奥 第5巻(2009) にも、斉藤加解由という名前の登場人物が出てきて驚いたことがあります。映画『大奥~永遠~(2012) で永江祐貴が演じたキャラの役名は「斉藤」という表記でした。よしながふみ が『切腹』や『異聞浪人記』を知っていたかは不明ですが、『切腹』と『大奥』の斎藤は全く関係ない別人なので、単なる偶然なのかもしれません。

各場面の比較

・映画は井伊直政の鎧兜から始まり、井伊家覚書に記された文面から物語が語られ、最後は同じ直政の鎧兜で締め括られる回想形式という構成ですが、原作は半四郎が井伊家の屋敷を訪れるところから始まります。

・映画では福島正勝の切腹に先立って陣内が殉死した陣内ですが、原作では甚内 (陣内) の死因は病死でした。実は、脚本の段階でも陣内は原作通り病死するという内容でした。

・求女の死骸が運ばれてきたときに彼の脇差が竹光であったことを半四郎が初めて知るのは原作通りですが、映画では太刀も竹光であったのに対して原作では鈍刀でした。

・求女の最期を嘲笑する町人を半四郎が殴る場面は脚本には書かれていましたが、映画ではカットされています。

・半四郎が介錯に指名した三人の武士の髷を奪う場面は、対戦相手の順序も異なっています。原作の半四郎は、先ず沢潟を屋敷の塀外で襲います。映画とは正反対に半四郎の凄腕に浮き足立った沢潟は為す術もなく呆気なく髷を切り落とされてしまいます。その二、三日後に松崎 (矢崎) と川辺の髷も難なく奪い取ります。

・映画のラストは半四郎と井伊家の家臣達と数分間に渡る大立ち回りを演じて最後は火縄銃に射殺される壮絶なクライマックスでしたが、原作では「津雲半四郎が乱刀に斬り苛まれて息絶えた」という一文のみです。

『切腹』を初めて見終えた後、滝口康彦の原作を初めて読んだときは、短編であることに加えて、この結末の冷徹なほど簡素な描写に驚いたのを覚えています。

映画化が成功した主な要因が橋本忍の力量であるのは勿論ですが、原作が文庫本で僅か29ページという短編であったことも成功の要因の一つだと思います。

一般的な長さの長編小説を映画化する際は、約2時間の上映時間に収めるために細部を省略したり、場合によっては改変も珍しくありません。映画化が文学の二次創作であるのと同時に、時間的な制約があることも映画が文学より低く見られることの多い要因の一つです。

ですが、短編小説の『異聞浪人記』は描写も簡潔なので、原作の要素を約2時間の中に余すことなく盛り込むことに成功しています。

脚本と映画の比較

『切腹』は『異聞浪人記』を忠実に映画化しているので、脚本も映画とほぼ同じ内容なのだと私は長い間想像していました。

ですが、最近になって『切腹』の脚本を読んでみると、映画と異なる箇所が意外と多かったので驚きました。

脚本と映画の主な相違点をシーン順に見ていきます。

・シーン2 井伊家覚書
物語の冒頭が井伊直政の鎧甲から井伊家覚書に繋がるのは脚本通りなのですが、映画では寛永7年5月13日から始まっていた井伊家覚書は、脚本では寛永7年10月12日となっていました。因みに、原作の時代設定は「寛永年間のとある秋の昼下がり」でした。

・シーン11 同 (井伊家)・風呂場
入浴後の求女が真新しい着物に着替える場面をカット。

・シーン22 愛宕下・津雲半四郎の藩邸
・シーン24 千々岩陣内の家
・シーン25 次の部屋
・シーン26 病室
先述したように、脚本は原作通り陣内の死因を病死として描写しています。そのため、半四郎と陣内が弓矢の鍛錬をしながら求女と美保について談笑するの回想場面は、脚本では陣内が病気がちであるのを半四郎が案じて鍛錬を切り上げています。映画では福島正勝の切腹に先立って陣内が殉死することによって、幕府による圧政をより強調して「切腹」というテーマにも沿った形になっています。ここは脚本と映画と大きく異なる場面ですので、橋本忍が改訂したのか小林正樹が変更したのか知りたいところです。

・シーン34 千々岩求女の浪宅
半四郎と求女が江戸中で狂言切腹が流行っていることを苦々しく語る個所はほぼ同じですが、半四郎の次の台詞が映画ではカットされています。

半四郎「葉隠にも武士道とは死ぬことと見つけたりとある……武士にとって死ほど重要なものはない。生涯の総てを、あらゆるものを、その瞬間にこそ賭けるべきもの……それを強請たかりの手段に供するとは……いや、どうも世はまさに」

この台詞は、原作の「武士は死を貴ぶという。生涯のすべてをその死の一瞬にかけるという」という個所を取り入れたものかもしれません。ですが、佐賀鍋島藩士の山本常朝による口述を田代陳基が筆録した『葉隠』が脱稿したのは、映画の時代設定の約76年後となる1716年頃です。しかも、明治時代に刊行されるまで『葉隠』は佐賀藩内でも禁書扱いでしたので、この台詞はカットして正解だと思います。

・シーン39 街-質屋
・シーン40 街-医者の家
・シーン41 街-人足立場
シーン40をカット。シーン41の後に、質屋から出てくる求女の姿を挿入。

・シーン49 (千々岩求女の浪宅) 表・六畳の部屋
・シーン50 井伊家・庭先
脚本では求女の死骸に付して慟哭するのは半四郎のみですが、映画では美保も号泣するので井伊家・庭先での半四郎の「拙者は哭いた」が「美保は哭いた」に変更されています。

・シーン53 街・居酒屋(夜)
・シーン54 夜の街
居酒屋で求女の最期を嘲笑する町人を半四郎が殴り、泣きながら街を歩く場面を全てカット。

・シーン63 
・シーン64 
・シーン65 露地裏の道
半四郎の家に向かって歩いている彦九郎の場面を全てカット。

・シーン67 
・シーン68 
半四郎と彦九郎が護持院ヶ原へ歩いていく途中の道は、死闘の前触れらしく墓地や竹林に挟まれた道に変更されました。

・シーン70 井伊家―庭先
脚本では、彦九郎との果し合いを語る半四郎の台詞の一部に「大阪の陣以来刃の下を潜るのは拙者正に十七年振り」とありますが、大坂冬の陣は慶長19年 (1614年) ですので、映画では「十六年振り」となっています。

尚、半四郎が仕えていた福島正則は大坂の陣に参戦できなかったので、時代考証的には誤りに見えます。嫡男の福島忠勝 (正勝) は幕府軍に、同族の福島正守と福島正鎮は豊臣軍に加わりましたが、半四郎のような家臣が出向のような形で参戦するようなことはあったのでしょうか。

・シーン70 井伊家―庭先
・シーン71 御用部屋
・シーン72 庭先
・シーン73 御用部屋
・シーン74 奥書院
・シーン75 御用部屋
・シーン76 奥書院
・シーン77 御用部屋
井伊家屋敷内での殺陣が始まった直後、場面は御用部屋に退いた斎藤勘解由に切り替わります。庭先で派手な立ち回りが撮影されたことは、予告篇の映像やスチル写真からも確認できますが、本編ではカットされています。

長い間この処理は監督の判断かと思っていましたが、脚本の段階で既にそうなっていました。

間接描写と言えば、黒澤明も意図的に見せ場を隠して見事な効果を上げていました。『七人の侍(1954) で勘兵衛が盗人を斬る場面や、『蜘蛛巣城(1957) での城主暗殺、『悪い奴ほどよく眠る(1960) のラスト、そして『影武者(1980) の長篠の戦い等々。凄惨な現場を直接見せるのではなく想像力を喚起する描写だからこそ戦慄的な効果がありました。『赤ひげ(1965) の狂女を取り押さえる場面もスチル写真が複数存在するので撮影されたことが分かりますが、これも本編ではカットされています。

映画全体の構成に配慮して見せ場となる映像を省略するのはかなりの冒険ですが、どちらも映画の流れを考えると無い方が自然です。

特に、『切腹』で、半四郎の大立ち回りを意図的にカットしてまで勘解由のアップを見せた構成は、映画を最初から集中して見ていれば、違和感は有りません。

単なるチャンバラではなく封建的社会が持つ隠蔽体質と非人間性を告発する物語を、凄惨な殺陣と家老の苦渋の表情のカットバックが際立たせていました。

・シーン77 御用部屋
半四郎が討ち取られた後、真相の隠蔽を家臣たちに厳命した勘解由は、暗くなった御用部屋で一人苦悩します。小林正樹も語っていたように、脚本では勘解由の苛立つ感情を描写するト書きが異常なほど長いです。

脚本では場面転換に多数のワイプが指定されていますが、映画には一切ワイプは無く、数ヶ所でディゾルブ (O.L.) が使用されているのみです。もし脚本通りにワイプを使用していたら、黒澤映画みたいな感じになっていたかもしれません。現在と回想の切り替わりの大半をカットで繋いだ小林の判断は正しかったと思います。

この他にも台詞にも細かな違いや省略もありますが、非常に多いので割愛します。

ところで、『切腹』の脚本は日本シナリオ作家協会から出版されている『橋本忍 人とシナリオ 復刻版』と『日本シナリオ名作選 下巻』の両方に収録されていますが、『日本シナリオ名作選』には誤植が複数ありました。

シーン20
誤「半四郎の頬に、始めて、ふっと侘しい暗い影が滲み出てくる」

正「半四郎の頬に、初めて、ふっと侘しい暗い影が滲み出てくる」

シーン23
誤「芸州広島四十八万千石が如何にして潰れたかは」

正「芸州広島四十八万石が如何にして潰れたかは」

 

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最高のスタッフとキャスト

宮島義勇の撮影

人間の條件(1959-1961) で壮大な映像を撮った宮島義勇は、『切腹』でも更に厳格な構図の映像を構築しています。

白黒のシネマスコープ画面の効果は冒頭から顕著で、井伊家の鎧兜の幽玄な映像から井伊家上屋敷の無人の室内を映すタイトルだけで、観客を一気に『切腹』の悲劇的な世界へと誘います。

小林正樹は同時期の黒澤映画『用心棒(1961) と『椿三十郎(1962) を賞賛しつつも独自の重厚な時代劇を追求していましたが、映像面でも同じ白黒ワイド画面ありながら黒澤映画とは異なる特徴が主に二つ目に付きます。

一つは、黒澤明とそのキャメラマンが忌避していたズームの多用です。すぐに思い付くだけでも、求女の前に置かれる竹光の乗った三方、求女が斬首された直後に戻る半四郎のアップ、介錯を巡り斎藤勘解由と半四郎との間に緊張が走る場面、半四郎が投げ捨てた髷に驚く勘解由、半四郎が彦九郎の髷を切る瞬間、そしてラストの井伊家上屋敷内での大乱闘などがあります。『切腹』の映像はフィックスと控えめな移動やパンが殆どですが、ここぞという個所で使用されるズームが効果的なアクセントになっています。

もう一つは、キャメラアングルの傾きです。『人間の條件』と同様に『切腹』も全体的に厳密な水平の映像が多い中、求女の切腹や護持院ヶ原での決闘ではキャメラを意図的に傾けています。特に、竹光での切腹に苦悶する求女の映像は、酩酊状態の小林が描いたコンテを粘着質に撮って残酷さを更に強調していました。『怪談(1965) の「茶碗の中」と同様に、キャメラアングルの傾きは異常な状況を表現するのに最適なのかもしれません。

宮島義勇が撮った小林正樹の映画『人間の條件』『切腹』『怪談』は全て内容と映像が見事にマッチした名作揃いですが、中でも『切腹』の映像は、白黒のコントラストやシネマスコープの構図が非の打ち所がないほどに決まっていて、宮島の最高傑作の一本でもあるのは間違いないです。

戸田重昌と大角純平の美術

『切腹』の美術を担当したのは、戸田重昌と大角純平の二人です。大角純平については手元に資料が無いので詳細は不明ですが、戸田重昌は大島渚の『絞死刑(1968)、『儀式(1971)、『戦場のメリークリスマス』(1983) が特に有名です。

からみ合い(1962) で能面の掛かった社長室や社長夫人の左右対称な部屋など独特のセットを作った戸田は、『切腹』でも見事な美術を具現化しています。

冒頭の井伊家上屋敷の正門は、堂々たる威容であると同時に、個人の訴えを一切寄せ付けない権力の象徴でもあることを象徴しています。又、井伊家の庭先が回廊に囲まれた白州の庭の形になっているのを、吉田剛は「犠牲(いけにえ)の牡牛(トロ)を、屠殺者闘牛士たちが囲む暗示」として感心していました。

『切腹』の制作にあたり、小林正樹は京都の撮影所にあった使い古した大道具・小道具は一切使わず、セットは全て新しく本格的に作ったそうです。これほど手間をかけた美術ですので、視覚的にも黒澤映画に劣らぬ重厚なリアリズムが可能となったのです。

リアリズムという点では、劇中の時間経過と共に井伊家の庭に落ちる影の変化にも細心の演出が施されていました。気象台にまで問い合わせて、特定の時刻に影はどれくらいになるのかを全て調べ上げてから照明で再現していたのです。

衣裳も、困窮した半四郎一家と清潔な身なりの井伊家の武士たちとの対比が際立っていました。無精髭と着古した黒い着物の半四郎と純白の着物の彦九郎との決闘は、『用心棒』の三十郎と卯之助の決闘を思わせる対比ですが、主人公が黒で敵が白という配色も通常の概念を反転させた構図で個人的に気に入っています。

白州での半四郎が介錯のジェスチャーをする際、彦九郎に切られた右袖がさり気なく見えるのも粋な演出だと思います。

美保が求女と結婚した後は、お歯黒をしていたのも感心しました。小林の次作『怪談』でも、武士の第二の妻(渡辺美佐子)はお歯黒をしていました。テレビや映画の時代劇で引眉やお歯黒をあまり見かけないのは、俳優が嫌がっているのか、視聴者が見慣れていないからなのか気になるところです。

ところで、今回久しぶりに『切腹』の一部を再見して気になった個所がありました。

求女と半四郎の前に置かれる三方の角が欠けているのです。アップでは一辺だけ欠けていたカットもありましたが、それ以外の三方が映る全てのカットでは二辺が欠けていました。

監督やキャメラマンや出演者が気付かなかったとは考えにくいです。又、後述するように仲代達矢と三國連太郎との口論や決闘場面の雲待ちで撮影を中断するほど時間に余裕もあったのですから、修復する暇が無かったとも考えられません。

或いは、当時は角が欠けた三方というものがあったのでしょうか?それも考えにくいですが、真相は今の私には分からないとしか言いようがありません。

武満徹の音楽

『切腹』は、武満徹にとっても初めての時代劇でした。

小林正樹と初めて組んだ前作『からみ合い』で都会的なジャズを作曲した武満は、『切腹』では一転、琵琶を大胆に取り入れています。

時代劇の音楽にピアノやトランペットなどの西洋楽器が使用されることに日頃から違和感を抱いていたという武満は、時代劇では邦楽器を使用したいと思っていました。又、仲代達矢が障子を開けて座る約15秒の映像に音楽を付けたいと感じたものの、従来の西洋音楽では馴染まないと悟ったことも邦楽器を使用する動機となりました。

『切腹』の音楽では、平田旭舟による筑前琵琶と、古田耕水による薩摩琵琶の二種類の琵琶が使用されました。映画の公開前には、異なる流派の琵琶を同時に使用するのはけしからんと琵琶の専門家から批判された武満でしたが、公開後は琵琶が注目されたので、琵琶を救ってくれたと逆に感謝されたそうです。

最近でこそ邦楽器が音楽の授業で取り入れられたりするようになったり、邦楽器を使用したバンドも登場するなど、若者の間でも邦楽器が徐々に身近な存在になっているようですが、武満が『切腹』や『怪談』で邦楽器を使用した頃は、何の音なのか不思議に思った日本人も少なくなかったそうです。

話を『切腹』の音楽に戻しますと、伴奏は主に、アルト・フルート(3)、コントラバス(4)、チェロ(1)という特殊編成でした。他には、牛の顎骨で作られたメキシコの打楽器キハーダも使用されたそうです。これらの楽器の音色を電子変調やテープ操作によって加工することによって、より人知を超えた響きを生み出しています。

琵琶の音色には一度聴くだけで中世の日本に引きずり込むほどの力があります。冒頭のタイトルや決闘の場面で激しくかき鳴らされる迫力は勿論、竹光での切腹や求女を待つ半四郎たちの場面でむせび泣くかのように鳴る悲痛な響きなど、初めて映画を鑑賞したときに音楽からも強烈な印象を受けました。その他にも、映像の随所で琵琶の一音が絶妙なアクセントと緊張感を与えています。

いつも思うことですが、武満徹の音楽は映画音楽の方が断然良いです。

更に、撮影現場を積極的に見学することも多い武満は、『切腹』のセットでも音の演出のヒントを得ていました。

撮影の合間に三國連太郎が手にしていた扇子を何気なく鳴らした音を武満は気に入り、実際に演技に取り入れてもらったそうです。事実、斎藤勘解由が持つ扇子の音は、彼の心境をさり気なく表現する小道具として非常に効果的でした。

音楽だけでなく音の入れ方にも武満は繊細な演出をしていた実例がもう一つあります。井伊家の書院で求女が待っている映像に、武満は鶯の鳴き声を2回だけ入れるように技師に指示しました。ですが、技師の手違いで鳴き声が3回入ってしまい、立腹した武満はダビングをやり直させたとか。

尚、映画で重要な小道具となる竹光と、作曲者・武満徹のどちらも同じ「たけみつ」という読み方なので、松竹社内ではジョークのネタにされたそうです。

後述するように、これらのエピソードを武満本人の語りで私は初めて知りました。

仲代達矢の眼力と語り

『切腹』は、出演者全員が好演しています。中でも、先述したように、仲代達矢は『切腹』を自身の最高傑作に挙げるほど渾身の名演を見せています。

撮影当時の仲代はまだ29歳でしたが、孫のいる五十代の浪人・津雲半四郎を違和感なく演じていました。義理の息子・千々岩求女を演じた石濱朗が、撮影当時は仲代より僅か2歳年下の27歳ということを考えても驚異的です。

鬘と無精髭の他は特にメイクをしている訳ではありませんが、仲代の掘りの深い顔立ちが実際よりも年齢を高く見せています。又、俳優は役に応じて楽器のように自分の声も変えると仲代自身が語っているように、仲代の持つ最も低いトーンの発声も、百戦錬磨の武士としての雰囲気を十分に醸し出していました。

そして、この低音の発声が仲代の特徴ある声をより一層魅力的にしています。仲代自身が『切腹』の特徴を講談の語り口と例えたように、全編の大半を占める回想場面に半四郎の語りが添えられることによって観客も半四郎とその家族に感情移入していくのです。

この語り口は、映画の冒頭と結末に出てくる井伊家覚書に被る斎藤勘解由の無機質な語りとの対比によって更に際立っています。

対比と言えば、『切腹』の有名な撮影裏話の一つとして、発声を巡る仲代と三國連太郎の論争があります。映画俳優として仲代より先輩である三國は、マイクがあるので特に大きな発声は必要ないと主張していましたが、舞台俳優としてキャリアを積んできた仲代は切腹の座から家老の位置まで届く声で発生しなければならないと譲りませんでした。撮影中であるにも関わらず、小林正樹は撮影を数日間中断して二人が納得いくまで論争を続けさせました。護持院ヶ原での決闘のロケでも風が吹くまで約1週間待機するなど、黒澤映画にも劣らぬ小林の粘る姿勢がスタッフとキャスト全員から最高の力を引き出したのだと思います。

 

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個人的鑑賞記

VHSでの初鑑賞

私が『切腹』を初めて鑑賞したのは、1989年11月13日に見たレンタルビデオ (VHS) でした。

前年に黒澤明の『用心棒』をレンタルビデオで見て猛烈にハマって抱いて以来、黒澤映画を中心に、三船敏郎や仲代達矢主演の日本映画のビデオを沢山借りて見るようになっていました。

その頃たまたま読んでいたビデオの雑誌に、新しく発売された『切腹』のビデオの広告が掲載されていたのが目に止まりました。仲代達矢演じる津雲半四郎が十字の構えを取る有名なスチルでした。同時期に熱心に読んでいた猪俣勝人の『日本映画名作全史・戦後編』(社会思想社) にも短く紹介されていて、やはり仲代の強烈な眼力が記憶に残りました。

実際に『切腹』をビデオで見終えたときは、凄まじい傑作に出会えた衝撃で暫く動けなかったことを今でも覚えています。緻密に構成された脚本や全編を覆う異様な緊張感は、黒澤明の時代劇をも凌ぐほど強烈な印象でした。

その数日後、11月18日と19日に『人間の條件』の全六部をレンタルビデオで鑑賞しました。これらの重厚な作品の強烈な洗礼を受けて、小林正樹は黒澤明と並んで私が最も尊敬する映画監督の一人となりました。

米国での鑑賞・武満徹との邂逅

1992年4月、北米ワシントン州シアトルにて「シアトルの春」第5回シアトル現代音楽祭が開催されました。

1992年4月、北米ワシントン州「シアトルの春」第5回シアトル現代音楽祭

そのテーマ作曲家に選ばれた武満徹も音楽祭に参加するため渡米しました。期間中、彼の室内、器楽曲が演奏され、4月11日にはシアトル美術館にて、武満徹の講演会と『切腹』の上映が開催されました。

1992年4月、北米ワシントン州シアトル「シアトルの春」第5回シアトル現代音楽祭 『切腹』の上映と武満徹の講演会

その数日前、偶然にも近くの州にいた私はそのニュースを知り狂喜乱舞しました。当日の午前8時半に長距離バスに乗り、午後12時50分にシアトルに到着しました。市内のホテルにチェックイン後、雨の中、美術館に歩いていきました。開館30分前に到着しましたが、既に多くの人が集まっていました。

すると、私の目の前を黒い服と黒い帽子を被った小柄な紳士が横切って、閉まっていた入口から同伴の女性と一緒に入っていきました。

その人物こそ武満徹でした!

午後7時半に開場。長蛇の列に並んで8ドルのチケットを購入。場内は約200人の入場者で殆ど満員。

満場の拍手と共に、武満徹が、男女2名の日本人通訳と一緒に登壇しました。

武満の講演は、彼が非常に映画好きであることの話から始まり、映画音楽の歴史などについてでした。彼の作曲法の具体例として、小林正樹の映画『怪談』の「雪女」で使用された尺八等の音を加工した音響が会場で流されました。

『切腹』の音楽に関する裏話では、時代劇で邦楽器を使いたいと思っていたこと、撮影所で三國連太郎が持っていた扇子の音、鶯の鳴き声の回数、竹光と武満というお馴染みの内容でしたが、当時の私にとっては初めて耳にする話ばかりでしたので、武満本人から語られる裏話を会場のアメリカ人たちと同じように非常に興味深く傾聴しました。

講演を終えた武満は「これから上映される映画は非常に深刻な内容ですが、皆さん何とか楽しんで頂ければと思います」と言って、一時降壇。

いよいよ『切腹』の上映開始。

私が『切腹』のフィルム上映を鑑賞するのは、このときが初めてでした。英語字幕付のプリントの質はまずまずといった感じ。

問題の竹光での切腹シーンでは、若い女性が息を呑むのが聞こえましたが、30年前のカンヌのような騒ぎが起こることはなく、意外と静かな反応でした。

「深刻な内容」である『切腹』ですが、予想外の反応もありました。求女の最期を語った斎藤から「そこもとは如何なさる?」と聞かれた半四郎が「んん?」となるところで、先ほど息を呑んだ女性が爆笑していました。まぁ、確かに壮絶な場面の直後に、仲代達矢のとぼけたような声を聞くと可笑しかったのかもしれませんが。

更に、半四郎宅を訪れた彦九郎が「横に生胴を薙げば、その柱が邪魔だな」と言う場面でも、同じ女性が再び爆笑していました。丹波哲郎が言い終わる直前だったので、英語字幕から台詞が可笑しいと思ったのでしょうか?

ともあれ、会場のアメリカ人は『切腹』を興味深く鑑賞していました。上映終了後は大きな拍手。

再び武満が登壇して、観客との質疑応答。

熱心な質問が次々と出てきました。「監督の強い要求に当たったときはどうするか?」という問いに対して、「納得いくまで議論はしますが、最終的には監督の判断に任せます。それは仕事の上での妥協ではなく、人生です。一人で作曲ばかりするより、映画を通じて他人の思想を学ぶことも重要です」という武満の答えが特に印象的でした。

黒澤明と再び組むことはという質問に、武満は「黒澤さんの映画は見ている方がいいです」と即答していました。海外では大絶賛された『(1985) でしたが、完成に至るまでに武満は降板寸前まで黒澤と衝突した苦い経験があったことが垣間見えた瞬間でした。

又、「アメリカで映画音楽の仕事もしたいか?」という問いには、ハリウッドの報酬は高額だが仕事が細分化され過ぎていることに難色を示していました。同時に、ジム・ジャームッシュなど若手の監督とも仕事をしてみたいという武満の発言に、アメリカ人の観客は嬉しそうな反応をしめしていました。(結果的に、ジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット(1991) では武満の音楽が未使用となってしまったのが残念です)

その他にも、当時の日本映画への不満や、無知な政治家に対する批判も痛快でした。

最後に「皆さん、もっと映画を見るようにしましょう」という武満の言葉と共に講演会は終了。再び満場の拍手。

講演後も、数人の人達が残って武満と話していました。アメリカ人の女子大生は作曲家志望らしく、名刺とオリジナルのテープを彼に渡していました。又、武満の大ファンというアメリカ人男性は『武満徹 映画音楽全集⑤』のCDにサインを貰っていました。

私も挨拶しましたが、緊張のあまり足が震えていると言うと、「何言ってんだい、僕みたいな年寄りに」と笑われました。せっかくなので、私も持参した『武満徹 映画音楽選集』のCDにサインを貰いました。

その4年後に武満が他界するとは夢にも思ってませんでしたので、今では貴重な思い出となりました。

 

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日米Blu-ray比較

『切腹』のBlu-rayは、松竹盤と米国のクライテリオン・コレクション盤のどちらも見応えあります。

最も気になる画質は、どちらも甲乙付け難いほどの高画質です。DVDと比較すると、映像が格段に鮮明になっていて、冒頭の伊井家の甲冑の白髪が一本一本数えられそうな程です。

敢えて違いを言えば、松竹盤は繊細で落ち着いた階調で全体的に無難な印象です。クライテリオン盤は若干明るめでコントラストが強く、屋敷の影の細部まで見えるほどの鮮明さです。(これは『ゴジラ』(1954) や『用心棒』の東宝盤とクライテリオン盤Blu-rayの画質の違いに似ています)

どちらも驚くほどの高画質なのですが、米Amazonの購入者からの評価にもありますように、クライテリオン盤はシネスコ画面の左右が僅かに切れているようです。(指摘されなければ気付かない程度の違いなので、普通に鑑賞するには支障はないと思いますが)

映像特典は、質・量ともにクライテリオンの圧勝です。

松竹盤の特典には予告編しか収録されていません。

これに対してクライテリオン盤には、次の映像特典が収録されています。

・ ドナルド・リチーによる映画の解説
・ 「わが映画人生/小林正樹監督」(1993) 日本映画監督協会が1988年から開始した先輩や師匠の監督に、後輩あるいは弟子がインタビューするシリーズです。松竹の後輩であった篠田正浩が小林正樹に自作について尋ねる中の『切腹』に関する部分が抜粋されて収録されています。
・ 橋本忍のインタビュー
・ 仲代達矢のインタビュー

更に、解説書には、映画評論家ジョーン・メレンによる解説と、メレンによる小林監督への1972年のインタビューまで掲載されています。上記の特典映像だけでも十二分に購入する価値はあると思います。

それにしても、黒澤映画のBlu-rayでも顕著なのですが、日本国内のBlu-rayよりもクライテリオン等のアメリカのBlu-rayの方が高画質な上に映像特典も充実しているのは、どういうことなのでしょうか。いつも思うことですが、せっかく優れた技術を持っているのですから、自国の名作映画をもっと大切に扱わないのは宝の持ち腐れだと思います。

 

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『切腹』が現代に訴えるもの

武士道の虚飾と欺瞞

ネットのレビューでは「武士道を分かっていない」といった口調で、この映画 (主に求女や半四郎の言動) を批判する人たちがいます。ですが、原作者、脚本家、監督が批判しようとしていたのが、その「武士道」的な価値観なのですから、そうした批判は的外れです。

三島由紀夫は、『映画芸術』1963年8月号に寄稿した「残酷美について」という批評の中で『切腹』について書いています。7年後に自ら切腹を実践してしまった作家の言葉という観点からも、非常に興味深い内容です。

「興味深い」と私は書きましたが、三島の批評に賛同できる部分と賛同しかねる部分の両方があるという点でも興味深いという意味です。

先ず賛同できる部分は、冒頭に書かれた竹光での切腹の描写についてです。三島は、真刀での切腹も現実には凄惨なものであるので、『切腹』以前の映画が切腹をリアルに描写してこなかったことを「歌舞伎の様式化された切腹をそのまま映画化してごまかしてゐたのは、怠慢といふべきである」と批判しています。

まぁ、現実的に考えると、1960年代以前の映画は性や暴力の描写に対する制限が今より遥かに厳しかったので、切腹の描写もマイルドだったのは無理からぬことです。

もっとも、三島の意見に賛同できるのはこの冒頭のみで、問題なのはそれ以降の本題です。

竹光での切腹という残酷な描写にも関わらず、三島は「観客の大半は、あのシーンを比較的すらりと受け入れたやうに思はれる」と言います。その理由を彼は二つ挙げています。一つは、どれほど残酷であろうと、日本人は切腹の形式という伝統と風習の枠の中でしか見ず、もう一つは、どれほど残酷であろうと、日本人は「心の奥底に自殺の美学を抱いて」いるので、割腹する者に「高潔な意志のあらはれ」と「美の形」を無意識に見るからだそうです。

正直言いますと、三島のこの意見には賛同しかねます。

『憂国』(1966) を自ら映画化したり、自ら切腹して絶命してしまうほど切腹に取り付かれた三島自身がリアルな切腹の描写に残酷さよりも感銘を受けたのなら、それはまだ分かります。ですが、主語を「われわれ(日本人)」に広げた途端に胡散臭くなります。

私は60年前にはまだ生まれていませんので、公開当時の日本の観客の反応も当然ながら見てはいません。ですが、私が目にした限りの批評やエッセーのほぼ全てが竹光での切腹を、見ている方も痛みを感じるほど凄惨なものという反応でした。又、実際に映画を見た人の感想を見聞きしても、やはり竹光での切腹を残酷と感じこそすれ、「高潔な意志」や「美の形」を感じたという人は誰一人としていませんでした。戦時中に紅葉や桜に傾いた人々の美的バランスが平和な時代では流血や死に傾くという三島の指摘に一理あるとしても、竹光での切腹は一部のスプラッター映画マニア以外は目を背けたくなる残酷描写です。

テレビの通俗的な時代劇で描かれる切腹の無難な描写に対してなら、所謂武士道的な美を感じる人がいるかもしれませんが、『切腹』で描かれた竹光での切腹は古式に則ったのは上辺だけで、実態は浪人を嬲り殺すだけの残虐行為です。いくら三島が美辞麗句を駆使して美化しようとしても、この非道が武士道精神からもかけ離れたものであるのは自明です。

繰り返しますが、三島個人が竹光での切腹に「美」を感じるのは彼の美意識なのですから私がとやかく言う筋合いはないでしょう。ですが、日本人が全員彼と同じように感じるというのは甚だしく疑問です。そもそも、日本の長い歴史の中で切腹が定着したのは戦国時代の後半ですし、当時の日本の全人口の中で武士は一割にも満たない存在でした。赤穂浪士を英雄視した江戸の町民も、竹光での切腹には顔をしかめたり、劇中のように嘲るかもしれません。

「残酷美について」の中で、三島は「ヒューマニズム」という言葉を6回書いています。英語の humanism が本来は「人間主義」や「人本主義」を意味するのに対して、日本語の「ヒューマニズム」は「人道主義」や「博愛主義」を意味する humanitarianism を意味することが一般的です。恐らく三島もこの意味で書いていると思います。文中で三島は「輸入品にすぎぬ近代ヒューマニズム」とか「商業化されたヒューマニズム」と表現していますが、戦時中から『葉隠』を愛読するなど古来の武士的な価値観を賞賛する三島にヒューマニズムは相容れられない思想だったようです。(その意味では、ヒューマニズムを肯定し続けてきた黒澤明の映画に三島が否定的だったのも当然かもしれません)

ですが、いくら武士の時代に憧憬を覚える人でも、実際に人命や人権が軽視されるような社会で無事に生きていられるとは到底思えません。ましてや十五年戦争で国内外に夥しい犠牲者を出した後に日本が辛うじて手に入れた平和憲法と民主主義には、軽々しく「輸入品」だの「商業化」といった言葉で貶めることなどできない重い価値があります。

三島が戦時中から愛読していた『葉隠』は佐賀藩内でも禁書扱いで藩外に普及することはありませんでしたし、そもそも武士道という概念が明治時代になって新渡戸稲造によって体系化されるまで意識されることはなかったのです。

一部の特権階級である武士の血生臭い価値観だけで日本は語れるものではありませんし、農民や大工、絵師、医師、漁師、商人、僧侶などなど、同じ日本人でも多様な職業や倫理観を持った人がいます。ましてや現代に生きる私達なら、組織の体裁だけを取り繕うために個人の人生や幸福を踏みにじる社会が悪であるとはっきりと理解できますし、人間が人間らしく生きる権利を奪うことは誰であろうと許されません。

現代にも通じる日本の隠蔽体質

改めて『切腹』を見直して痛感するのは、江戸時代を舞台した時代劇でありながら、現代にも通じる厳しい反骨精神です。

徳川幕府の仮借無き圧政で主家を滅ぼされ生活に困窮する浪人の苦境は、「新自由主義」の名の下に悪化していく現代の経済格差やコロナ禍などで困窮する現代の人々にも重なります。

私がアメリカで『切腹』の上映を見に行ったときも、雨のシアトルの交差点で、「助けてください。私には2人の子供のために食べ物が必要なのです」というプラカードを持ったホームレスの女性を見かけました。フィクションではない現実を目撃して愕然とした私でしたが、後で彼女の所へ走っていき、5ドル札を渡して走り去りました。また後で同じ所に行ったときに彼女の姿はありませんでした。

『切腹』が公開50周年を迎えた2012年の今日、私はアメーバブログの記事に「藩に都合の悪い事実を卑怯な手段で隠蔽しようとする伊井家の姿は、大津のイジメ(虐待・暴行)自殺を隠蔽する学校や、原発事故の放射能汚染を隠蔽する東電や政府の姿にそのまま重なる」と書きました。

あれから約10年。

2020年11月には渋谷のバス停でホームレスの女性が殺害されるという痛ましい事件がありました。同様の事件は他にも数多く起きています。名古屋入国管理局でのスリランカ人女性の虐待死のような残忍な事件や、それを隠蔽しようとする権力の非人道的行為は相変わらず後を絶ちません。

埼玉県の川口市市立中学校の元生徒の男性は、2016年にいじめ被害にあいました。ですが、市教育委員会や学校が作成した文書は、男性の母親を貶める記述など多数の虚偽的表現や誤記があり、約240ヶ所も訂正するお粗末さでした。しかも、この問題について県警武南署が作成した文書も事実と異なっていたため二度も訂正したというのです。 (2022年8月23日の東京新聞 Tokyo Web) やはり警察も被害者の味方ではありません。

何よりも、安倍政権の頃から自民党は、議事録などの公文書を改竄・隠蔽したり、厚労省や国交省の統計データも偽装するなど、『切腹』の斎藤勘解由も顔負けの隠蔽体質です。

外国人の技能実習という名の奴隷労働では差別や虐待が横行していますし、自衛隊や職場や教育現場などでのパワハラやセクハラの隠蔽も同様に続いています。

それにも関わらず、ネット上には「自己責任」という言葉を被害者に押し付けて非難する声が溢れています。

コロナ禍で生活が立ちゆかなくなった国民も増えているというのに、現在の自公政権は補償を渋り、感染者には「自宅療養」という名の自宅放置で見殺しにするなど、公助を放棄しています。

21世紀にもなって、消費税を増税したり雇用の安定を破壊して、貧困層を減らすどころか貧困層を増やして国民を虐げるような政府が「美しい国」を標榜するなんて欺瞞にも程があります。

『人間の條件』で権力が個人の幸福を圧殺する不条理を描いた小林正樹の怒りは、『切腹』にも変わることなく込められています。描かれる舞台が戦場であれ江戸時代であれ、人間が人間らしく生きることを希求する小林正樹の映画は時代や国境を越えて普遍的です。

文学や絵画、演劇、音楽など多様な芸術の要素を取り込み、映画ならではの表現を成し得た『切腹』は、現代にも通じる社会批判の精神も持ち合わせ、しかも、日本の伝統的な美に立脚している極上の映画芸術だと思います。

(敬称略)

 

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参考資料(随時更新)

書籍・記事

Joan Mellen. Voices from the Japanese Cinema. Liveright, 1975.

役者 MEMO 1955-1980』 仲代達矢、講談社、1980年

間違いだらけの時代劇』 名和弓雄、河出書房新社、1989年

上意討ち心得』 滝口康彦、新潮社、1995年

『キネマ旬報』 1996年12月下旬号、キネマ旬報社

武満徹の世界』 齋藤愼爾、武満眞樹 編、集英社、1997年

武満徹著作集 3』 武満徹、新潮社、2000年

決定版 三島由紀夫全集 32』 三島由紀夫、新潮社、2003年

大奥 第5巻』 よしながふみ、白泉社、2009年

作曲家・武満徹との日々を語る』 武満浅香、小学館、2006年

さわり』 佐宮圭、小学館、2011年

未完。 仲代達矢』 仲代達矢、KADOKAWA、2014年

『生誕100年 映画監督・小林正樹』 庭山貴裕、小池智子 編、公益財団法人せたがや文化財団 世田谷文学館、2016年

映画監督 小林正樹』 小笠原清、梶山弘子 編、岩波書店、2016年

日本シナリオ名作選 下巻』 日本シナリオ作家協会、2016年

武満徹 ある作曲家の肖像』 小野光子、音楽之友社、2016年

仲代達矢が語る日本映画黄金時代 完全版』 春日太一、文藝春秋、2017年

橋本忍 人とシナリオ 復刻版』 橋本忍、日本シナリオ作家協会、2018年

三國連太郎、彷徨う魂へ』 宇都宮直子、文藝春秋、2020年

「主体の鍛錬―小林正樹論」 荒川求実 『すばる』2022年10月号、集英社

鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』 春日太一、文藝春秋、2023年

その他

CD『オリジナル・サウンドトラックによる武満徹 映画音楽① 小林正樹監督作品篇』 ビクター音楽産業、1990年

CD『武満徹・映画音楽選集 特典盤』 ビクター音楽産業、1991年

Blu-ray『切腹』 松竹株式会社、2004年

Blu-ray, Harakiri. The Criterion Collection, 2011.

映画監督 小林正樹」 松竹シネマクラシック

 

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