こんにちは。タムラゲン (@gensan) です。
40年前の今日 (6月1日) は、黒澤明の映画『乱』(1985) が日本で公開された日です。
『乱』は、毛利元就の「三本の矢」の逸話とシェイクスピアの『リア王』を基にして、戦国武将・一文字秀虎と、その3人の息子たちの骨肉の争いを壮大なスケールで描いた悲劇です。
黒澤明が撮った最後の時代劇であり、黒澤が自ら「ライフワーク」とまで呼んだ集大成とも言える日仏合作の超大作です。
『乱』について
乱
Ran
製作国:日本、フランス
公開日:1985年6月1日(日本)、1985年9月18日(フランス)
製作会社:ヘラルド・エース、グリニッチ・フィルム・プロダクション
配給 (日本):東宝、日本ヘラルド映画
配給 (フランス):Acteurs auteurs associés
上映時間:162分、カラー、ビスタビジョンサイズ
スタッフ
監督:黒澤明
脚本:黒澤明、小國英雄、井手雅人
エグゼグティブプロデューサー:古川勝巳
プロデューサー:セルジュ・シルベルマン、原正人
プロダクションコーディネーター:黒澤久雄
演出補佐:本多猪四郎
撮影:斎藤孝雄、上田正治
撮影協力:中井朝一
美術:村木与四郎、村木忍
照明:佐野武治
録音:矢野口文雄、吉田庄太郎
整音:西尾昇、安藤精八
音響効果:三縄一郎
衣裳デザイナー:ワダエミ
助監督:岡田文亮
ゼネラル・プロダクション・マネージャー:ウーリー・ピカール
プロダクションマネージャー:野上照代、飯泉征吉、井関惺
アシスタント・プロダクション・コーディネーター:ベルナルド・コーン
音楽:武満徹
指揮:岩城宏之
演奏:札幌交響楽団
狂言指導:野村万作
能作法指導:本田光洋
横笛演奏指導:鯉沼廣行
殺陣:久世竜、久世浩
題字:今井凌雪
監督助手:小泉堯史、山本伊知郎、米田興弘、渡辺恭子、ヴィットレオ・ダレ・オーレ、野崎邦夫
ネガ編集:南とめ
アクション:久世七曜会、ジャパン・アクション・クラブ、若駒
協力:デン・フィルム・エフェクト、東宝録音センター、東宝効果集団
現像:東洋現像所
撮影協力:大分県、熊本市、御殿場市、九重町、阿蘇町、庄内町、大分県観光協会、熊本県観光協会、九重町観光協会、姫路城、熊本城、名護屋城、東亜国内航空 ほか
キャスト
一文字秀虎:仲代達矢
一文字太郎孝虎:寺尾聰
一文字次郎正虎:根津甚八
一文字三郎直虎:隆大介
楓の方:原田美枝子
末の方:宮崎美子
鶴丸:野村武司 (野村萬斎)
鉄修理:井川比佐志
狂阿彌:ピーター (池端慎之介)
平山丹後:油井昌由樹
生駒勘解由:加藤和夫
小倉主馬助:松井範雄
長沼主水:伊藤敏八
藤巻の老将:鈴木平八郎
白根左門:児玉謙次
藤巻の老将:渡辺隆
楓の老女:東郷晴子
秀虎の側室:南條玲子
末の老女:神田時枝
秀虎の側室:古知佐知子
秀虎の側室の老女:音羽久米子
畠山小彌太:加藤武
綾部政治:田崎潤
藤巻信弘:植木等
畠山小彌太の声:加藤精三
秀虎の郎党(三十騎の会):頭師孝雄、山下哲生、佐々木正明、原田耕治、山口芳満、桜井勝、木村栄、河合半兵衛、須藤正裕、萩原竹夫、佐藤英、桝田徳寿、中嶋英夫、佐藤亮介、野崎海太郎、友居達彦、伊藤紘、頭師佳孝、杉崎昭彦、石原昇、島木絢人、天田益男、安達博、沖隆二郎、山田明郷、鞆森祥悟、長澤遼、中瀬博文、竹之内啓喜、渡辺哲
騎馬武者:七曜会、JAC、若駒
あらすじ
戦国時代の武将 一文字秀虎は、隣国の武将 藤巻と綾部と共に巻狩りに興じます。老いを自覚した70歳の秀虎は、3人の息子、家臣、藤巻、綾部の前で、長男に家督を譲って隠居することを明言します。長男の太郎と次男の次郎は秀虎に忠誠を誓いますが、三男の三郎は父の軽挙を諫めます。激高した秀虎は、三郎と彼を擁護する家臣の平山丹後を追放します。三郎は藤巻の婿に迎えられ、丹後は正体を隠して陰から秀虎を見守ることになります。
一の城の主となった太郎は、正室の楓の方にそそのかされて、秀虎を蔑ろにするようになります。秀虎は、憤然と一の城を出ていき、次郎のいる二の城へと向かいます。次郎の正室 末の方と再会して安堵する秀虎でしたが、太郎と結託した次郎にも受け入れてもらえないことを悟り、次郎とも決別して二の城を去ります。行き場のなくなった秀虎と少数の家来は、三郎がいなくなった三の城に入城します。
翌朝、太郎と次郎の奇襲を受けた三の城は炎上して、秀虎の家来たちは一人残らず虐殺されます。その殺戮のどさくさに紛れて、次郎の家臣 鉄修理が太郎を射殺します。正気を失い荒野を彷徨う秀虎を、丹後と道化の狂阿彌がかくまいます。一時は正気を取り戻したかに見えた秀虎は、末の方の弟 鶴丸と再会します。かつて自分が末の方の両親を攻め滅ぼした際、まだ幼かった鶴丸の目をつぶしたことの罪悪感から、再び秀虎は錯乱します。
楓の方は、次郎を誘惑して末の方の首を要求します。次郎の命を受けた鉄は、楓の方に反感を持っていたため、密かに末の方と鶴丸を逃がします。かつての居城である梓城の跡に辿り着いた二人でしたが、鶴丸が笛を忘れたため、末の方は弟を残して取りに戻ります。
丹後の知らせを受けた三郎は、父を救い出すために軍勢を率いて戻ってきます。藤巻と綾部の軍勢も国境から見守る中、次郎軍と三郎軍が戦火を交えます。綾部の本隊が一の城へ奇襲をかける知らせが届き、次郎軍は敗走します。
三郎は、荒野で父との再会を果たし、秀虎も正気に戻って自らの仕打ちを息子に詫びます。ようやく和解した二人でしたが、次郎が放った刺客によって三郎はあえなく射殺されてしまいます。三郎の亡骸を前に嘆き悲しむ秀虎も絶命します。
綾部軍の猛攻を受ける一の城に、末の方の首も届けられます。一文字家に対する復讐を果たした楓の方は、鉄によって討ち取られ、一の城は焼け落ちます。夕陽が沈む中、梓城の石垣の上にたった一人残された鶴丸が立ちすくんでいるのでした。
予告篇
製作に至るまで
ソ連で撮った『デルス・ウザーラ』(1975) 公開後、黒澤明は小國英雄と井出雅人と共に『乱』の脚本執筆に取り組み、1976年3月に初稿を書き終えました。黒澤は製作費を出資してくれる映画会社や企業を探しますが、悲劇的な内容に加えて20億円を超えるという当時としては空前の予算という企画に出資するところはありませんでした。又、当時の映画界には「鎧もの」と呼ばれる戦国時代の時代劇は当たらないという偏見がありましたので、黒澤は『乱』よりも少ない予算で撮れる企画として『影武者』の脚本と絵コンテを書き上げます。とは言え『影武者』も10数億円という予算のため、この企画も難航します。幸い、黒澤を敬愛するフランシス・フォード・コッポラとジョージ・ルーカスの支援で20世紀フォックスからの追加出資もあり、1980年に公開された『影武者』は当時の日本映画で最高の配給収入を上げました。
『乱』の予行演習として撮った『影武者』は大成功を収めましたが、それでも『乱』に出資するところは国内では中々見つかりませんでした。
1982年、フランスの映画会社ゴーモンから出資の提案があり、敏腕プロデューサーのセルジュ・シルベルマン(英語読みは、サージ・シルバーマン)の出資も加わります。当時のフランス政府の文化大臣ジャック・ラングも非常に協力的でした。シルベルマンと黒澤の交渉後、ゴーモンとグリニッチ・フィルム・プロダクションの参加で製作が決定しました。ところが、ミッテラン政権がフランス通貨の国外持ち出しを制限する為替管理法を制定したため、製作費を日本へ送金できなくなった『乱』の製作は延期となってしまいます。企画から抜けたゴーモンの代わりに、ヘラルド・エースが加わり、総製作費約26億円の日仏合作映画として製作が再開しました。
『乱』の出資者が決まるまでの経緯や、黒澤とシルベルマンとの熾烈な駆け引きなどは、当時黒澤プロ側の弁護士として国際的な渉外を担当した乗杉純の著書に詳述されています。
『乱』は、晩年の黒澤明の「ライフワーク」であり、当時の日本映画の枠を超えた超大作でしたので、その製作過程の記録が最も多く残された黒澤映画でもあります。『黒澤明 「乱」の世界』(講談社)、『黒澤明の現在 ドキュメント乱』(シネ・フロント社) などの書籍に加えて、メイキング映像も豊富です。
という訳で、拙記事では『乱』製作の逸話についてあまり触れず、個人的な鑑賞記と雑感を綴っていきます。
個人的鑑賞記
テレビ放送での初見
私が黒澤明の名前を初めて耳にしたのはいつだったかは思い出せません。ですが、子供の頃には既に何やら偉そうな巨匠という堅い印象を抱いていました。
しかも、初めて見た黒澤映画が、1987年4月4日にゴールデン洋画劇場で初放送された『乱』でした。それまで日常的に見ていた『水戸黄門』や『遠山の金さん』とは全く違う異世界のような時代劇でしたので、まだ子供だった私は余計に恐ろしくて悲惨な映画を撮る映画監督という印象を受けてしまいました。
レンタルビデオ(ポニー)
そうした心境に変化が生じたのは、1988年、偶然テレビで『荒野の用心棒』(1964) を見たときです。その後、本家の『用心棒』(1961) も見てみようと、ビデオをレンタルしてみました。そして、ハリウッド映画にも引けを取らぬ抜群の脚本と演出、そして、三船敏郎の骨太な魅力に忽ち魅入られました。
更に、偶然、書店で目にした西村雄一郎の著書『巨匠のメチエ 黒澤明とスタッフたち』(フィルムアート社) を購入しました。そこで紹介されていたスタッフのインタビューを読んで、『乱』に興味が湧いてきました。
同年、VHSビデオテープ(株式会社ポニー)をレンタルして『乱』を再び鑑賞しました。このときは、その作劇と美術の見事さに心を打たれ、今では『乱』も私が最も好きな黒澤映画の一本となっています。
レンタルビデオ、レーザーディスク(CBS/FOX)
1990年代前半、私は所用で滞米していました。
1990年に私が北米の某州に渡った頃は、5年前に『乱』が大絶賛されたときの記憶がまだ新しかったので、現地のアメリカ人との会話で日本映画や黒澤映画が話題になると『乱』を賞賛する人が多かったのを覚えています。当時は繁盛していたブロックバスター・ビデオのような大手レンタルビデオ店だけでなく、外国映画を殆ど扱わないような郊外の割と小さなビデオ店でも『乱』を見かけました。
ただ、残念なことに、1986年にCBS/FOXから発売/レンタルされた『乱』のビデオは、当時のテレビ画面に合わせた収録でした。冒頭のタイトルのみワイド収録でしたが、上下の帯が派手な青色でしたので違和感が甚だしかったです。そのため、ワイド画面を活かした黒澤映画の構図がかなり損なわれていたのが残念です。(当時レンタル発売/レンタルされていた『用心棒』、『椿三十郎』(1962)、『影武者』の北米盤ビデオも同様でした)
1993年、同じくCBS/FOXから、ワイドスクリーン版のレーザーディスク (CLV) が発売されました。画質も当時としては上々で、申し分ない仕上がりでした。欲を言えば、エンディングのタイトルは、英語の短縮版ではなく、日本語の全長版で見たかったです。
DVD(東宝)
私が帰国した1996年には武満徹が他界して、1998年には黒澤明も世を去りました。
21世紀を迎えるあたりから、映像メディアもVHSからDVDへと変換していき、日本でも2002年に各社から黒澤映画のDVDが続々と発売されました。
『乱』は、2003年に東宝から発売されたDVD BOX「黒澤明 THE MASTERWORKS 3」に収録され、後に単品も発売されました。
後に発売されたBlu-rayは高解像度かもしれませんが、斎藤孝雄が監修した東宝盤DVDの映像の方が最もフィルムの色彩に忠実なのではないでしょうか。
劇場予告篇は、特報と予告篇が収録されています。撮影風景の他に本編未使用の別アングルのショットも見れます。
「黒澤明 創ると云うことは素晴らしい」は、近作ということもありインタビュー出演者も多く、次の方々が当時の貴重な体験を語っています。原正人、相見為幸(メイク)、仲代達矢、上田正治、村木与四郎、浜村幸一(装飾美術)、佐野武治、井川比佐志、根津甚八、原田美枝子、野上照代、黒澤和子。
2005年には、クライテリオン・コレクションからDVDが発売されました。東宝盤の特典の他に、仲代達矢のインタビューなど独自の特典も収録された豪華版でした。私も欲しかったのですが、日米のDVDはリージョンコードが異なるため、購入を見送りました。後でBlu-rayが発売されることを期待しましたが、クライテリオンが持つ権利が切れてしまったのが無念です。
Blu-ray(スタジオカナル)
2010年、フランスのスタジオカナルからBlu-rayが発売されました。
2012年、ネットで購入して視聴しました。DVDよりは鮮明な画質ですが、全体的にくすんだような色調です。特に、二の城の石垣やラストの梓野での真っ赤な夕空が変に青っぽく見えるのです。
特典映像は、ドキュメンタリーが豊富です。
● 『ドキュメント黒澤明 A・K』
1985年のドキュメンタリー映画。監督:クリス・マルケル。75分。
● 「Akira Kurosawa: The Epic and the Intimate」
2009年のドキュメンタリー。約42分。
ウーリー・ピカール、ベルナルド・コーン、ベルトランド・レゾン (美術評論家)、ヴィットリオ・ダレ・オーレ、ジアド・クレイディ (作曲家・音楽学者)、野上照代、黒澤和子のインタビュー。
● 「The Samurai」
題名通りサムライについてのドキュメンタリー。監督:Bernard Guerrini。約53分。
主な内容は、入江康平 (筑波大学) のインタビュー/刀匠・加藤賀津雄 (二十五代藤原兼房) の作業風景/中山道の歴史/茶道・居合道・弓道・流鏑馬の実演/相馬野馬追などです。
終盤では、現代の日本の若者は武道には興味を持たなくなったことを入江が語った後、田邊哲人の活動が紹介されます。田邊が考案したスポーツチャンバラに夢中の子供たちが将来サムライとしてのアイデンティティに目覚めるだろうというナレーションで締めくくられます。
それなりに手間のかかった取材なのですが、いきなり鼓童の太鼓パフォーマンスから始まるところに西洋人が見た日本のイメージが感じられます。戦国時代の合戦絵に混じって、何故か大河ドラマ『葵 徳川三代』の映像が挿入されたりします。又、映画村での陳腐な撮影風景に黒澤明の時代劇についてのナレーションが被るのは不快です。両者は正反対なのに。しかも、西洋が黒澤映画を発見したのは『七人の侍』(1954) より『羅生門』(1950) が先なのに。
黒澤ファンには、『七人の侍』、『蜘蛛巣城』(1957)、『隠し砦の三悪人』(1958) で流鏑馬指導をした金子家教 (日本弓馬会範士) のインタビューが特に貴重です。ナレーションは、黒澤が金子に『七人の侍』の絵コンテ集を贈呈したと語っていますが、画面を見ても分かるように『影武者』の絵コンテです(笑)
● 「Art of the Samurai」
2003年のドキュメンタリー。約41分。
Jean-Christophe Charbonnier (フランス人。戦国時代の日本の武具の専門家)
『乱』の映像と比較しながら、戦国時代の刀、鎧兜、火縄銃、書道などについて語っています。戦国時代の日本人が美と残虐性を併せ持っていたことの矛盾について西洋人の視点からの考察が特に興味深いです。
● 予告編(フランス版 本編未使用の別アングルのショットあり)
劇場での鑑賞(シネ・ヌーヴォ)
2014年、大阪のシネ・ヌーヴォにて『影武者』と『乱』を、妻と一緒に鑑賞しました。
この年、シネ・ヌーヴォは『七人の侍』(1954) 公開60周年を記念して『デルス・ウザーラ』(1975) を除く黒澤映画の全作品を上映する黒澤明映画祭を「社運を賭けて」開催していました。
私も黒澤映画を全作品見たとは言え、劇場で未見の作品が半数以上ありましたので、フィルム上映で一度は見ておきたかった『影武者』と『乱』を見に行くことにしました。
両作品とも、これまでに TV、VHS、LD、DVD、Blu-rayで30回以上は見てきましたが、晩年の黒澤明が最後の大作として挑んだ戦国絵巻は、テレビの画面ではなく、スクリーンでこそ鑑賞しなければ、その真価は分からないと思っていました。
妻と一緒に、フェリーと電車を乗り継いで、高松から神戸、そして大阪へと向かい、辿り着いたシネ・ヌーヴォは、レトロな外観のミニシアターです。
12月9日(火)に『影武者』を鑑賞して、翌12月10日(水)に『乱』を鑑賞しました。
上映開始時は、フィルムが古いせいか、傷が目立ったので心配しましたが、痛んでいたのはフィルムの前後の端のみで、全体的にフィルムの状態は良好でした。
『影武者』と同様、やはり劇場で見ると、その悲劇的な物語がより重く伝わってきます。初めてフィルム上映で見れたので、大自然の広大な空間を活かしたその圧倒的な映像美も十分に堪能できました。
又、俳優の台詞、屋外の虫の鳴き声、楓の方の着物が床を擦る音、武満徹の音楽も、劇場で鑑賞することによってその音の繊細な演出がよく分かります。
それと、個人的に確認したかったのは、三郎と再会した秀虎が見る緑色の空でした。
初期の米国版のビデオでは、緑色を抑えた青っぽい色に調整されていましたが、国内版のフィルムで黒澤が意図していた色彩が緑色の空であったことが確認できました。
それにしても、年齢を重ねて、改めて『影武者』と『乱』を劇場で再見すると、初見のとき以上に、その悲しみに満ちた物語に胸が痛みます。
『乱』は、九州の起伏に富んだ広大な自然を活かした映像をスクリーンで体験することによって、争いを繰り返す人間の愚かさと悲しみを、より一層感じることが出来ました。
個人的に『影武者』と『乱』は、どちらも甲乙付けがたい傑作だと思いますが、映像と色彩の美しさ、ワダエミの衣装、武満徹の音楽など、作品全体としての完成度を考慮すれば、やはり『乱』に軍配が上がりそうです。
因みに、一緒に見た妻は、楓の方に同情したそうです。
確かに、気性が激しく冷酷な楓の方は恐ろしい存在ではありますが、親兄弟を滅ぼした一文字家に復讐することに執着する彼女も、見方を変えれば、戦国の世の犠牲者であるのかもしれません。
その楓の方の対極としての存在である末の方も、彼女が信心する仏に護られることなく非業の最期を遂げてしまいます。
そして、陽が沈みつつある中、城跡の上で、ただ独り鶴丸が立ち尽くすラストシーンは、神仏ですら救うことの出来ない人間の業を象徴したかのような壮大な画です。
映画のみが表現できる色彩と音の饗宴を映画館で体験できて、遙々大阪まで見に行った甲斐がありました。シネ・ヌーヴォのスタッフの皆様に感謝感謝です。
余談ですが、大阪に出発する当日、斎藤孝雄の訃報が報じられました。黒澤映画の美しく力強い映像を撮り続けた名キャメラマンでした。合掌。
4Kデジタル修復版の問題
『乱』公開30周年を迎えた2015年には、4Kデジタル修復版が公開されました。
フィルムの原版が保管されていたフランスで、撮影監督のひとり上田正治監修のもと、修復作業が施されました。
第68回カンヌ国際映画祭のカンヌ クラシック部門でワールドプレミア上映された後、『乱』4Kデジタル復元版は、世界各国でも上映され、日本でも同年の秋に上映されました。
そして、2016年2月、待ちに待った『乱』4Kデジタル復元版 Blu-ray BOX が発売されました。
私も早速購入して視聴しました。ですが、冒頭を見てすぐに中断しました。最初は「フィルム的」と思おうとしましたが、スタジオカナル盤より青っぽい色調に加えて暗すぎる画面は、やはり異様です。
三郎が追放された後に挿入される夕空でさえ真っ青なのには、私まで真っ青になりました。フィルム上映で見たときも、間違いなく夕空らしい赤い空でしたのに。脚本でも、シーン9「雲の峯」は、「今や全く崩れ、棚引いて落日を覆い、落日は不気味に赤い」と記述されていました。
更に念のため、手持ちの東宝盤DVDとスタジオカナル盤Blu-rayで各部を比較もしました。冒頭の家督相続の場面のように、『乱』は広大な景観も見所です。カナル盤は夕景が若干青っぽい以外は普通の色調です。4K版は青い上に暗すぎるので晴れまで曇りに見えてしまいます。
画面が青く見えるのは再生機器のせいかと思いました。ですが、2010年の公開25周年リバイバルの予告篇と比較しても、4Kの方がやはり青いです。しかも、4K版の予告篇は何故か音楽が武満徹ではないですし。クラシック音楽を付けるのなら、黒澤が選んだマーラーの曲を付ければ良かったのに。
Rialto Pictures
4K 予告篇
更に、画像比較サイト DVDBeaver を見ても、4K版が際立って青っぽいのが一目瞭然です。
“RAN Blu-ray” (DVDBeaver)
画面が暗すぎることで思い出しましたが、4Kスキャニングされた『ゴジラ』(1954) 60周年記念デジタルリマスター版(2014年の上映は2K)も妙に暗かったです。データのせいか、デジタル上映のせいか分かりませんが。
最も不可解なのは、撮影を担当した上田正治が監修したのに何故こんなに青く暗い画面になってしまったのかです。黒澤明も斎藤孝雄も故人となってしまった今、上田が最後の望みでしたのに。
同じく上田の監修によってデジタル修復されたクライテリオン・コレクションの『夢』(1990) の4K映像は、「日照り雨」や「雪あらし」が少し緑っぽい色調なのを除けば非常に美しい画質でした。少なくとも『乱』4Kの青すぎる映像に比べれば遥かに許容範囲内です。
つくづくクライテリオンが権利を失ったのが惜しまれます。クライテリオンが『乱』の権利を再び取得して、4Kデジタルリマスターをやり直すことを切望します。
4Kデジタル修復版の批判ばかり書きましたが、不満なのは青っぽい映像のみで、それ以外は非常に良かったです。
パッケージやブックレットのデザインは、これまでのソフトの中でも最も洗練されていますし、解説書も、原正人のインタビュー(2015年)や撮影日誌など充実の内容です。
特典も豊富です。
・オーディオコメンタリー:野上照代・井関惺 (2015年収録)
・『乱』特報・予告編
・フランス版クレジット
・「メイキング・オブ・『乱』」
・『ドキュメント黒澤明 A・K』
・2015年東京国際映画祭シンポジウム (参加者:仲代達矢、原田美枝子、ワダエミ、野上照代、ヴィットリオ・ダッレ・オーレ)
・原田美枝子インタビュー (2015年収録)
・上田正治(修復監修)インタビュー
・黒澤明大映作品予告編集 (『静かなる決闘』、『羅生門』、『まあだだよ』)
今年7月に『乱』公開40周年記念の豪華仕様4K UHDがイギリスで発売予定……なのですが、またもやスタジオカナルなので、青っぽいままの映像に10年前と同じ絶望感に襲われてしまいました。 “Ran 40th Anniversary Collector’s Edition 4K Blu-ray” (Blu-ray.com)
このまま『乱』の映像美の記憶が、あの不自然な青ざめた映像で上書きされていくのは耐え難いです。50周年こそはクライテリオン・コレクションによる4K修復を期待したいです。
『乱』雑感
構想
『乱』が『リア王』を基にしていることは国内外で広く語られていますが、黒澤の発想の源は毛利元就の「三本の矢」の教えでした。元就の三人の息子がもし父親に背いていたらという構想で脚本を執筆している内に『リア王』の要素もからみ合っていったそうです。
黒澤の創作と『リア王』が渾然一体となった『乱』は、同じシェイクスピアの『マクベス』を翻案した『蜘蛛巣城』以上に戯曲を自由に換骨奪胎しています。黒澤が語っていたように『乱』は『乱』として鑑賞するべきで、『リア王』との比較で批評するのは無意味だと思います。
それに、『蜘蛛巣城』と同様に、映画的に改変したことによって他のシェイクスピア映画より説得力が増した個所もあります。
『リア王』ではコーデリアをかばって追放されたケント伯爵は、変装してケイアスと名乗り、再びリアに仕えます。ですが、特殊メイクなど無い時代ですので、変装といっても知れています。中世の舞台でしたら、簡素な変装でも問題なかったかもしれませんが、映画となると話は別です。
批評家からの評価も高いグレゴリー・コージンツェフの『リア王』(1971) でも、ケントは貧相な鬘を被っただけの変装にもかかわらず、リアは全く彼の正体に気付かないという具合です。非常にリアルな美術であるだけに、余計に不自然に見えてしまいます。
それを考えると、ケントに相当するキャラである平山丹後が追放後に秀虎の前に再登場する場面でも正体を隠さない描写にしたのは正解だったと思います。
それに主人公が正気を失う理由も、リア王では娘から蔑ろにされて自ら出ていくというだけでしたが、秀虎はそれに加えて息子二人と家臣(生駒と小倉)にも謀反を起こされ殺害されかけてしまいます。その上、身近な家臣や傍女を虐殺されて、落城する城の炎に包まれるという凄惨な状況も、リア王以上に正気を失うに足る場面です。
美術
黒澤の時代劇の大半がそうであるように、『乱』も架空の武将を描いているので、火縄銃の普及した戦国時代ということ以外は明確に設定されていません。
衣裳をデザインしたワダエミによると「ポルトガル船が来航した1543年から、豊臣秀吉の天下統一となった1591年まで」という時代設定です。その時代で特に焦点を当てたのが、彼女が「日本のルネッサンス」と呼ぶ安土桃山時代でした。
ですが、この物語の中で歴史的背景はさほど重要ではないと思います。武田信玄を題材にした『影武者』の方が日本ではヒットして、海外では『乱』の方が高評価だったのは、物語の分かりやすさも一つの要因だと思います。
能のような様式美を優先した『乱』の世界観は、日本では『影武者』以上に評価が分かれている印象があります。
四方田犬彦も、こうした様式美に否定的で、「世界には城と草原しか存在していないように見え」「人間味を欠落させた大作」と、辛辣に述べています。(『『七人の侍』と現代』岩波新書)
要するに、黒澤時代劇に『七人の侍』のような泥臭いリアリズムとアクションを期待する層にとって『影武者』や『乱』は受け入れがたいということです。
これはもう詰まる所、好き嫌いの問題になってきますので、もし『乱』の世界観が受け付けないのでしたら、その人の嗜好に合わなかっただけに過ぎません。
ですが、映画評論家の西村雄一郎も指摘していたように、黒澤映画は巨額の予算と手間暇かけたセットで一見「リアル」に見えても、それは画面上で「リアル」に見えることを優先したリアリズムですので、史実に忠実という訳ではありません。そして、それは黒澤が映画的な面白さを優先した意図的なものなのです。
実際より巨大な門の『羅生門』然り、能を意識した『蜘蛛巣城』然り、西部劇のような『用心棒』然り、モノクロ時代の頃から既に黒澤は、映画的に面白く見えるようにアレンジしたセット、衣裳、小道具を普通の時代劇以上に手間暇かけて「リアル」に見えるようにしてきたのです。
更に、『蜘蛛巣城』や『影武者』を見ても明らかなように、能に心酔していた黒澤は、セットだけでなく衣裳やメイクにまで能の要素を取り入れています。
『續姿三四郎』(1945) で、檜垣源三郎(河野秋武)に狂い笹を持たせたように、最初期の作品からその嗜好が見て取れます。
『蜘蛛巣城』では武時役の三船敏郎には能面の平太を、浅茅役の山田五十鈴が能面の曲見や泥眼を表情のモデルとしました。又、物の怪の妖婆は、能の『安達原 (黒塚)』の糸車を回す老女そのものです。娯楽映画である『隠し砦の三悪人』でも、雪姫役の上原美佐には、能面の喝食(禅堂に住む出家前の少年)に寄せたメイクをして、能の立ち振る舞いの訓練もしたそうです。
そういう訳ですから、黒澤時代劇の集大成である『乱』の美術が背景からメイクに至るまで能の様式美を最も色濃く反映させたことは必然的とも言えます。
『乱』の秀虎役の仲代達矢も、脚本に書かれていた能面の大悪尉を意識したメイクが施されました。
『乱』に否定的な人の中には、秀虎のメイクが濃すぎることをあげつらう人が少なくありません。ですが、登場人物のアップを避けて距離を取った画面の中で、一目で主人公と分かり、尚且つ修羅場をくぐり抜けてきた人物だという強い印象を与える効果として、このメイク以上に相応しい扮装は考えられません。
三の城落城での夥しい血糊も、実際の血液より鮮やかな赤色ですので作り物めいて見えると批判されることがあります。ですが、これも戦場の混沌とした状況を素早いカットバックで見せていく中で、虐殺された足軽たちの鮮血を一目で分からせる上で効果的です。それに、シーン12「茫野」でも、月明かりに照らされた芒の葉を金色に塗って蒔絵のような効果を狙ったように、『乱』の世界が写実的なリアリズムではなく、絵画的な様式美を優先しているのは明らかです。(「芒野」の場面は実際に撮影されましたが、思っていたほどの効果が得られなかったため欠番となりました。その撮影風景の一部は、クリス・マルケルの『ドキュメント黒澤明 A・K』で見ることができます)
それに、理屈上のリアリティよりも画面上の効果を優先するのは黒澤映画ではお馴染みのものです。『姿三四郎』(1943) で相手を数メートルも投げ飛ばす背負い投げや、『野良犬』(1949) の遊佐(木村功)のズボンに付着した泥水、『椿三十郎』の血しぶき、『どですかでん』(1970) の浮浪児の父親や『影武者』の息絶える影法師の緑色の顔面などなど。
余談ですが、ハリウッド映画やクラシック音楽を妄信する嫌味な大人が私の身近にいましたが、次郎役の根津甚八の鬘を見て「らっきょうみたいな頭」と揶揄していました。
ですが、根津の顔写真を見れば、彼の前頭部から頭頂部がやや長いことが分かりますし、鬘も普通の時代劇よりも月代が広いので、頭部が大きく見えても不思議ではありません。これは『椿三十郎』の室戸半兵衛役の仲代達矢に通常より広い月代の鬘を被せたことに似ています。
又、髷も実際は小さいので、テレビ時代劇の羊羹みたいな大きすぎる髷を見慣れた人には、余計に月代が広く見えたのかもしれません。時代考証で『乱』を批判したがる人は少なくないですが、こうした細部の拘りに気付いた人がどれだけいるでしょうか。
そして、海外資本も入るようになった『影武者』からは海外での公開を前提とするようになりましたで、『乱』は外国の観客にも分かりやすいように家紋ではなく色彩で登場人物の属性を区別できるように徹底したそうです。
太郎、次郎、三郎の着物や軍勢が黄、赤、青に分けられているので、映画評論家の尾形敏朗は「交通信号」のようだと例えていましたが、キャラを三原色で色分けするのは『太陽戦隊サンバルカン』(1981-1982) の方が近いかもしれません(笑)
ともあれ、視覚的な分かりやすさを優先した衣裳の色彩の美しさは勿論、御殿場や飯田高原などを望遠レンズでロケした映像の壮大さは比類ないものがあります。CGやVFXが発達した現代の映画と比較しても、『乱』の映像は色彩や規模において少しも引けを取りません。
又、舞台背景と並んでよく批判されるのが「『乱』には農民が描かれていない」ということです。
1987年にテレビ初放送された際、映画評論家の山田和夫が『乱』は農民が描いていないため深い感動には至らないと「赤旗」(現「しんぶん赤旗」) に書いていたのを覚えています。先述の四方田犬彦も「侍以外の人間は、農民も商人もそこでは生存を許されていない」と、マキノ雅弘の時代劇と比較して「いかに淋しいことだろう」と否定的に書いています。
『乱』の脚本執筆者の一人であった小國英雄も領民の不在が脚本の欠点だと黒澤に語ったそうです。ただ、井出雅人は、農民の場面を削る案を最初に出したのは小國だと証言していましたが… (『巨匠のメチエ』フィルムアート社)
窮余の策として小國が思い付いたのは、冒頭の狩りの場面を書き換えることでした。中世の日本では、年貢が厳しすぎるため領民が他領に逃げる逃散が起きていましたので、領主が弓や鉄砲で彼らを脅したり時には射殺することもあったそうです。その逃散を冒頭に挿入して狩りの場面に続ければ、領民の命を軽く見ている者たちの物語であると印象付けられるというものでした。結果的に時間不足で実現しませんでしたが、興味深い案だと思います。
その一方で、もう一人の脚本執筆者であった井出雅人は、物語の焦点が散漫にならないように農民を描かなかったことを見識だと評価しています。
井出雅人「『乱』のドラマには堀も城下町も不必要なのである。この映画は歴史の記録を描いているのではない。
戦国初期の山城に壕がない例は多い。城下町も城が平城になり流通経済や交通路の整備が領地支配に必要になったところで生まれたものだ。『乱』の時代にはなくてもおかしくはないし、大分県竹田の岡城や佐伯城、長崎県(ママ・実際は長野県)の高遠城などはその典型だ」―『シナリオ』1985年9月号
美術の村木与四郎も「それ(一般大衆)を一切カットすることで、より純化したドラマになってるんじゃないか」と語っています。(『村木与四郎の映画美術』フィルムアート)
私も、能の美学を具現化した『乱』が必要最低限の要素のみに切り詰めた世界であることに肯定的です。そして、それは領民の苦境を無視している訳でも決してありません。
それに、映像では農民は描かれていませんが、シーン55「夏野」で郎党たちに村々を焼き払うよう命じる秀虎に対して、丹後は、太郎の厳命にやむなく従っただけだと農民を庇います。そのすぐ後に、狂阿彌が「腐った臓腑(はらわた)の臭い」に気付くなど、画面外で蛮行が進行していることが示唆されていますので、決して『乱』は民衆の苦境を完全に無視している訳ではないと思います。
ついでに言えば、シーン38「夏野」で、郎党たちが「米倉には俵一ツ、家々にも米粒一ツ残っておりませぬ」「百姓達はわれ等をさけて米をかつぎ、山へ逃げたものと思われます」と秀虎に報告します。これに対して、例の嫌味な大人が「この頃の百姓が米を持っているはずがない」と難癖を付けていました。戦国時代の農民が耕せた米や年貢米の割合は、地域や時代によってばらつきがありました。それに、白米は無理でも玄米や赤米に麦などを混ぜて食べることもあったのですから、『乱』の世界の農民が米を持っていてもあながち間違いではないです。
話を『乱』の美術に戻します。
晴れ渡った緑豊かな屋外で幕を開ける『乱』は、人間の悪行の数々を経て、殺伐とした荒野の城跡の日没と共に幕を閉じます。そうした舞台効果という面で見れば、三の城が富士の裾野に建てられたのは防火という現実的な理由だけでなく、炎上する城の中から正気を失った秀虎が幽鬼のように彷徨い出る世界は荒涼とした火山灰の大地がこの上なく相応しいです。
あえて『乱』の城の描写で不満を挙げるとすれば、終盤で綾部軍の奇襲を受けた一の城が炎上する場面です。
一の城は姫路城ロケでしたので、国宝を燃やすわけにもいきませんので、黒澤映画では珍しいミニチュア特撮となりました。炎上する城のミニチュアは悪くないのですが、オープンセットの城門との合成が明らかにオプティカル合成だと分かってしまう映像でした。斎藤孝雄によると、コッポラでさえ黒澤は特撮が上手くないと語っていたそうです。(『黒澤明を語る人々』朝日ソノラマ)
この合成の不出来を黒澤がどう思ったのか知りませんが、これまで特撮には否定的だった彼も、次回作『夢』以降は最新技術による合成を積極的に取り入れていくようになります。1980年代に入ってルーカスやスピルバーグが特撮のテクノロジーを飛躍的に発展させたことも影響したのかもしれません。
事実、『乱』の撮影が始動した頃、「キネマ旬報」1984年2月上旬号の品田雄吉とのインタビューで、黒澤は、アメリカの芸術科学アカデミーのように日本の映画界も科学的に最新技術を取り入れることを熱心に主張しています。
特に、合成に関しても、フィルムではなくビデオでの合成にすれば、俳優を書き割りに合成することによって時代劇の映像化がより容易になることを語っていますが、これなどは正に現在のデジタル合成やLEDウォールなどのVFXによって実現しています。
このことで思い出すのは、『ウルトラマン』(1966-1967) や『ウルトラセブン』(1967-1968) で数々の名作を撮った実相寺昭雄です。確かに実相寺は鬼才でしたが、上記のインタビューとほぼ同時期に彼が綴った円谷英二論は、往年の円谷特撮のミニチュアを懐かしむ偏愛と、ルーカスやスピルバーグのSFXに対する狭量な恨み節が入り混じったものでした。(『円谷英二の映像世界』実業之日本社)
黒澤明も頑固でワンマンなことで有名ですが、『乱』ではワダエミの提案するデザインが自分の案より優れていると判断すれば即座に彼女のデザインを採用したり、『夢』以降のSFXの導入という具合に、新しいものでも貪欲に自分の作品に取り入れる柔軟な一面もあったことは事実です。
もし黒澤が今も現役であったら、現在のデジタル合成やLEDウォールなどのVFXも面白がって採用していたことは十分に考えられます。
配役
今ではよく知られた話ですが、当初、黒澤明は鉄修理の役に高倉健を想定していました。黒澤の度重なる依頼にもかかわらず、高倉は出演を辞退しましたので、結果的に井川比佐志が鉄を演じました。高倉が『乱』に出演しなかった理由には諸説ありますので、ここでは深入りしません。
ところで、映画に詳しい人の中には、高倉が鉄を演じた方が良かったと語る人をたまに見かけます。
その件で思い出すのは『影武者』の主役降板騒動です。
武田信玄とその影武者の二役を演じる予定だった勝新太郎が黒澤明と衝突して降板したことは、『影武者』の撮影中から大きなニュースになりました。代役を仲代達矢が演じたことも公開当時に少なからず批判され、45年経った現在も否定的な意見をたまに見かけます。
ですが、代役であっても、仲代は非常に好演していたと私は思います。
ハリウッド映画なら主役どころか監督の交代も珍しくありません。『影武者』で殊更に「勝新だったら」と言われ続けるのは、勝新太郎の降板という当時の話題を引きずっているだけにしか見えません。私自身は当時の騒動をリアルタイムで見聞きしていませんでしたし、勝に対して特に思い入れもありませんでしたから、仲代の信玄と影武者を違和感なく受け入れることが出来ました。
『乱』の鉄修理も同様です。この役に黒澤が高倉健を望んでいたのは事実ですが、そうした裏事情を知らずに『乱』を見れば、井川比佐志は鉄を見事に演じていました。
『乱』を見てから数年後に鉄役に高倉健を予定していたと知りましたが、私の中では鉄と高倉が結び付くことはありませんでした。
そう言えば、『隠し砦の三悪人』で、田所兵衛を最初に演じていたのは八代目 松本幸四郎 (初代 松本白鸚) でしたが、撮影が延期したことによって、藤田進に交代しました。『用心棒』の卯之助も、最初は三橋達也が予定されていましたが、仲代達矢が演じることになりました。そうしたことを批判する声を聞かないのはマスコミに大々的に報じられなかったからでしょうか。
要するに、未だに勝新の降板騒動を持ち出して『影武者』を批判したり、高倉健の出演辞退を惜しむのは、映画本編とは関係ない裏事情によって色眼鏡を掛けていることに他なりません。
又、三船敏郎が『影武者』や『乱』の主役を演じていればと言う人も何人か見かけましたが、これもピンときません。
「モノクロ時代の黒澤映画で主役を演じてきた三船なら、黒澤のカラー映画ももっと面白くなったのでは」という気持ちも分かる気はしますが、『七人の侍』や『用心棒』での豪放な三船のイメージと『影武者』『乱』のトーンはかなりかけ離れているような気がします。
映像的に似ている『蜘蛛巣城』と比較しても雰囲気が異なります。この時期に三船が出演した時代劇『お吟さま』(1978) や『将軍 SHOGUN』(1980) 等を見ても、その違和感は拭えません。更に、三船プロの社長という立場上、長期間拘束される黒澤映画の出演が不可能という現実的な理由もありましたし。
そういう意味でも、『影武者』と『乱』の悲劇的な主人公は、シェイクスピア劇にも長けた仲代達矢こそ相応しかったと思います。
音楽
『乱』の音楽を作曲したのは武満徹でした。
『蜘蛛巣城』から『赤ひげ』(1965) まで佐藤勝と組んできた黒澤でしたが、『暴走機関車』や『トラ・トラ・トラ!』での挫折を経て撮った『どですかでん』で初めて武満と組みました。『デルス・ウザーラ』公開後、黒澤は書き終えて間がない『乱』の初稿を武満に渡して音楽を依頼したそうです。
低予算で実験的な『どですかでん』のときは特に問題もなく黒澤との初仕事を楽しめた武満でしたが、黒澤の思い入れが詰まった『乱』では打って変わって二人は決裂寸前まで衝突してしまいます。
当初は武満の案に前向きだった黒澤でしたが、脚本執筆から撮影開始に至る約7年もの歳月の中で次第にグスタフ・マーラーの悲愴美に傾倒していったことが原因となったのです。それに加えて、武満が嫌いなティンパニーを使用する羽目になったり、ダビング作業中に武満の許可も得ないまま黒澤が曲の速度などを加工しようとしたことも、武満の逆鱗に触れてしまいました。
若い頃からクラシック音楽が好きな黒澤明でしたが、晩年はそのこだわりが作曲家との軋轢の原因にもなりました。
過去にも、黒澤は『羅生門』ではラヴェルの《ボレロ》を、『赤ひげ』ではベートヴェンの交響曲第9番を、『どですかでん』では《アルルの女》を曲のモデルとして呈示することはありましたが、この時点ではまだアナログレコードを聴かせるだけでした。
問題が顕在化したのは『影武者』からでした。
黒澤が自ら選んだクラシック音楽に合わせて映像を編集して、更にはその曲を付けたラッシュフィルムを作曲家に見せて(聴かせて)作曲の指示をするようになりました。
当初『影武者』の音楽には『赤ひげ』以来15年ぶりとなる佐藤勝が予定されていました。ですが、《ペール・ギュント》や《軽騎兵序曲》などの名曲を付けたフィルムを見せられて創作意欲を削がれた佐藤は降板してしまいます。後任は武満徹の推薦で池辺晋一郎となりました。
クラシック音楽という既成曲を提示するという方法は、池辺にとっては具体的で監督の意図を掴みやすい演出でしたが、佐藤や武満にとっては逆に作用したように、作曲家を傷付けかねない諸刃の剣でもあります。初期作の『静かなる決闘』(1949) でも、伊福部昭は黒澤から《オーバー・ザ・ウェイブ》を提示されてギョッとしたそうですし。
ハリウッドでも、編集済みのフィルムに仮の音楽を付けるテンプトラック (temp track) というシステムがあります。ですが、『2001年宇宙の旅』(1968) の音楽に予定されていたアレックス・ノースが《ツァラトゥストラはかく語りき》や《美しく青きドナウ》などに似せて作曲したにもかかわらず全曲を没にされたといった具合に、洋の東西を問わず作曲家にとっては難儀な場合が多いようです。
スタンリー・キューブリックのようにクラシック音楽こそ至高だと思い込んでいる人は少なからずいます。ですが、私はそうした衒学的な価値観に同意しかねます。黒澤やキューブリックは名監督であり音楽演出も天才的だと思いますが、音楽の価値基準は個人や民族によって千差万別であり、西洋の一部の地域や時代のみによって決め付けられるものでは断じてありません。
ドナルド・リチーは、黒澤がクラシック音楽を映画音楽のモデルにすることに対して否定的で、度々皮肉を交えて批判していました。『乱』の音楽も、リチーは「マーラーのプレタポルテ」と揶揄していました。
ですが、《大地の歌》が『乱』の世界にそぐわないかと言われれば、それも違うと思います。オーストリア出身でありながら自らを「ボヘミアン」と語ったマーラーは、《大地の歌》の歌詞としてハンス・ベートゲ編訳による詩集『中国の笛-中国の叙情詩による模倣作』を採用しました。三の城落城で約6分間流れる曲のモデルとなったのは、第6楽章「告別」です。(原詩は、孟浩然の「宿業師山房期丁大不至」と王維の「送別」)
東洋的な価値観に興味を持ったマーラーが作曲した曲が、西洋の戯曲に影響された日本人の時代劇映画の音楽のモデルとなったのは、東洋と西洋の垣根を超越した黒澤明らしいとも言えます。
黒澤の次作『夢』で使用された《コーカサスの風景》の「村にて」も、リムスキー・コルサコフに師事したイッポリト・イワーノフが、コーカサス地方のグルジア国で民族音楽を研究して作曲した曲ですので、ヨーロッパのクラシック音楽とは一味違う土俗的な響きが特徴です。
再び話を『乱』に戻せば、三の城落城の音楽は、出だしこそオーボエが鳴るところが「告別」に似ていますが、その後は殆ど全く別の作品だと思います。黒澤は《大地の歌》のように女声の歌を入れたがったそうですが、歌を入れなかった武満の判断が正しかったと思いますし。黒澤と武満の軋轢という裏話を意識しなければ、マーラーのことなど全く気になりません。
岩城宏之指揮による札幌交響楽団も渾身の名演です。当初はロンドン交響楽団を希望していた黒澤は札響に不満だったそうですが、最後には自ら感謝を伝えたという逸話があるほどです。
ついでに、正直に言わせてもらえば、マーラーの原曲より武満の曲の方が私は好きです(笑)
それに、『リア王』と絡めて語られることが多い『乱』の着想が三本の矢であるように、マーラーに似ていると言われる『乱』の音楽も、クラシック一辺倒ではなく、能や狂言が重要な要素となっています。
黒澤から『乱』の脚本を渡された武満は、まず狂阿彌という道化に興味を持ちました。そこから狂言の要素を取り入れることを黒澤に提案します。この時点では黒澤も大変興味を示したので、武満は野村万作を推薦しました。
このように、武満は日本の伝統的な掛け声を主体とした音楽表現を構想していました。結果的には、マーラーに傾斜した黒澤の強い要望であまり実現しませんでしたが、野村万作の指導による狂言の歌や踊りは狂阿彌のキャラクターにより深みを与えています。更に、万作の息子であった当時17歳の野村武司が鶴丸役に選ばれて、好演していました。この映画出演をきっかけに、この青年が後に野村萬斎として八面六臂の大活躍をしているのは言うまでもありません。
クラシック音楽と並んで黒澤が特に好きな能は、音楽でも重要な役割を果たしています。初稿で鶴丸が奏でる楽器は琵琶でしたが、完成作では横笛となっています。『影武者』と同様に、笛の音は『乱』劇中の要所で響いて能の雰囲気を醸し出しています。特に、夕陽が沈みゆく中、たった一人取り残された鶴丸が立ちすくむ梓城跡の石垣のラストシーンで悲痛に鳴り響く笛の音は、脚本の最後の一文字「惨!」をこれ以上ないほどに表現していました。
主人公の最期をオーケストラが悲劇の英雄的に讃えた『影武者』のエンディング曲とは対照的に、『乱』のラストシーンの笛の音は東洋的な響きと相俟ってより無情な悲劇性が強調されています。
黒澤は、クラシック音楽をモデルにするなど西洋的な嗜好がある一方で、能の美にも心酔していましたので、その作品も西洋一辺倒ではない非常に日本的な美意識にも満ちていることは議論の余地はありません。
そして、意見の相違から黒澤と衝突することがあったとは言え、武満の音楽は『乱』の世界を的確に彩っていたと思います。いつも思うことですが、武満は現代音楽より映画音楽の方が断然良いです。
余談ですが、生前の武満徹に一度だけ会ったこともあります。
1992年4月、北米ワシントン州シアトルにて「シアトルの春」第5回シアトル現代音楽祭が開催されました。そのテーマ作曲家に選ばれた武満徹も音楽祭に参加するため渡米しました。期間中、彼の室内、器楽曲が演奏され、4月11日にはシアトル美術館にて、武満徹の講演会と『切腹』(1962) の上映が開催されました。
上映後の質疑応答で、「黒澤明と再び仕事をすることはあるのか」という質問に、武満は「黒澤さんの映画は見ている方がいいです」と即答していました。海外では大絶賛された『乱』でしたが、黒澤と衝突した苦い経験があったことが垣間見えた瞬間でした。(とは言え、会場の外で彼が抱えていたアナログレコードの一枚は『乱』の海外盤サントラでした)
又、「監督の強い要求に当たったときはどうするか?」という問いに対して、「納得いくまで議論はしますが、最終的には監督の判断に任せます。それは仕事の上での妥協ではなく、人生です。一人で作曲ばかりするより、映画を通じて他人の思想を学ぶことも重要です」という武満の答えが特に印象的でした。
女性
シェイクスピアはイギリスの戯曲ですので、『リア王』の3人の娘が『乱』では3人の息子に変えられたことに疑問を抱く外国人もいました。
ジョーン・メレンは、『デルス・ウザーラ』のアルセーニエフの妻が感情の無いキャラとして描かれていることと関連付けて、娘から息子への「変身」を否定的に書いていました。
ピーター・グリーナウェイも、ワダエミとの対談で「コーデリアというキャラクターを無くしてしまったら、作品(『リア王』)の趣旨が違ってしまうではないか。もともと三人姉妹の父親に対する愛情を描いた話なのに」と腑に落ちない様子でした。
ここでグリーナウェイは三つの誤解をしています。一つは、言うまでもなく、黒澤は『リア王』の映像化を素材の一つとしただけで、忠実な映像化は意図していなかったことです。もう一つは、黒澤も語っていたように、戦国時代の日本では領主である父親が娘に家督を譲るのは不自然であることです。(「キネマ旬報」1984年2月上旬号) そして、三つ目は、コーデリアのキャラクターが三郎という武将になったとは言え、父親思いの末っ子という基本的な性格が殆ど変えられていないのは明白です。
もっとも、そんな偉そうに語っていたグリーナウェイですが、ワダエミをスタッフに迎えたにもかかわらず『ピーター・グリーナウェイの枕草子』(1996) は醜悪な愚作となりましたが。
話を『乱』に戻せば、男女逆転で注目すべきは、秀虎の3人の息子よりその妻だと思います。
『乱』には秀虎の側女などの女性は大勢いますが、台詞がある主要な女性キャラは、太郎の正室・楓の方と次郎の正室・末の方の2人のみです。
そして、太郎と次郎を翻弄して一文字家を滅ぼす末の方は、『リア王』のエドマンドの女性版とも言える存在です。嫉妬と野心に燃えて権謀術数をめぐらしたエドマンドは最期に改心しますが、復讐に燃える楓の方は最期の瞬間まで自らの行為に微塵も悔いることはありませんでした。
確かに、楓の方の言動は恐ろしいですが、太郎と夫婦にさせられた後に秀虎によって両親と兄を殺害されたのですから、客観的に見れば戦争の被害者と言うべきです。
ですが、そうした彼女の悲劇性は『乱』の劇中では殆ど全く顧みられることはありません。それどころか、復讐に燃える残忍性のみが強調された挙句に、鉄修理には「女狐」呼ばわりされて、斬られてしまいます。映画評論家の尾形敏朗が『巨人と少年 黒澤明の女性たち』で詳細に分析していたように、楓の方は、過去の『羅生門』の真砂や『赤ひげ』の狂女のように、男たちを翻弄する女性キャラクターの集大成的な存在とも言えます。
黒澤明の母や妻が人格者の良妻賢母であったことを考えると不思議です。ただ、助監督時代の黒澤が、当時既に人気女優だった高峰秀子と恋仲であった頃の出来事が引っかかります。高峰が黒澤のアパートを訪れた直後、彼女の母・志げが乱入してきたのです。その母は、黒澤に向かって金切声を上げ、高笑いし、卒倒しました。結果的に、高峰の母、黒澤の師・山本嘉次郎、東宝の専務・森岩雄の三人の合意によって、黒澤と高峰との仲は強制的に終了させられました。
この屈辱的な失恋が黒澤の心に深い傷を残したとすれば、先述の志げの金切声や高笑いが『羅生門』の真砂や『乱』の楓の方に反映されているのでしょうか。あくまでも想像に過ぎませんが。
一方、末の方は楓の方とは正反対の慈愛に満ちた女性ですが、仏教に帰依した彼女は自我が感じられないほど儚い存在です。
女性を極端な善と悪に二極化した人格で描くことは、現実の女性の多面性を描いていないとも言えます。
黒澤映画が男性的な作風であることは誰もが感じるでしょうが、果たして黒澤映画の(成人)女性が悪女ばかりでなのでしょうか。尾形敏朗は、黒澤映画で原節子が演じた女性は二人とも男性キャラを破滅させる「死を招く女」だと断じています。ですが、『わが青春に悔なし』(1946) の野毛を殺害したのは軍国主義の国家権力であり、『白痴』の赤間が狂ったのも彼自身の一方的な嫉妬が原因です。八木原幸枝も那須妙子も男性たちの暴力によって苦しめられた被害者なのは明らかで、そんな彼女たちを死神のように見ることは、性暴力の被害者を蔑むかのような暴論に他なりません。
又、尾形は『わが青春に悔なし』等の自我を持ち自立した女性は「女が黒澤的な男に成長する〈男性化〉以外の何物でもなく」などと決め付けています。
ここで疑問に思うのは、〈男性化〉していない自立した女性を尾形がどう考えているかです。前述したように、現代の私達からみれば、八木原幸枝のように自我を持つ女性は珍しくありませんし、外国に目を向ければもっと〈男性化〉したような女性など当たり前です。いや、今では「男性的」とか「女性的」とか単純に二分化すること事態が無意味に思えてきます。小津安二郎の映画に出てくるようなお淑やかな女性しか女性と見なさず、男性なみに自己主張するのは〈男性化〉した女などと決め付けるのは、極めて時代錯誤ですし、それこそ女性蔑視ではないでしょうか。
話を『乱』に戻します。
『わが青春に悔なし』で自己を確立しようと苦闘した女性を描いていた黒澤が、『乱』の頃には男性の友情と悲劇にしか興味を示していないのは明白です。これを黒澤の限界と見なすかどうかは評価が分かれるところです。
これはもう良し悪し以前に、黒澤が男性の描写にしか興味がないということで、それ以上でもそれ以下でもないとしか言いようがありません。
反戦
『影武者』と同様に、『乱』も海外での賞賛とは対照的に日本国内での評価は芳しくありませんでした。
モノクロ時代の『七人の侍』や『用心棒』のような娯楽時代劇を期待していた人たちにとって、様式美と悲劇性に傾倒した『影武者』と『乱』は受け入れ難かったようです。
『デルス・ウザーラ』に号泣するほど感動した尾形敏朗も、その後の『影武者』と『乱』が怒りと絶望に満ちた厭世的な映画であることに相当な拒否反応を示して「いやな映画」だと酷評しています。
確かに『影武者』と『乱』は巨大な悲劇ではありますが、黒澤映画全体を俯瞰的に見れば、果たしてこの二作のみがそれほど厭世的で異質な存在なのでしょうか?
どちらの作品も、影武者や三郎たちの奮闘を称え、その死を悼む視点で撮られていましたし、適度なユーモアさえもありました。特に、『乱』は、第一稿では、三郎軍が敗退して次郎軍が凱旋したり、狂阿彌までも落命するという『リア王』以上に救いの無い内容でしたが、完成作では周知の通り、三郎軍は次郎軍を撃破して藤巻軍は鬨の声を上げ、狂阿彌も最後まで生存していますので、悲劇的な内容の中にも僅かな希望が残されていました。
それに比べると、1950年代半ばの『生きものの記録』(1955)、『蜘蛛巣城』、『どん底』(1957) の方が殆どユーモアが無く、全編を通して登場人物を突き放したかのような冷たい視点が貫かれています。(尾形は、『異説・黒澤明』で、『生きものの記録』を黒澤作品ベスト10の一本に挙げています)
黒澤悲劇の極北とも言えるこの三作と比較すれば、『影武者』と『乱』の方が遥かに娯楽性とヒューマニズムに満ちた作品であるのは自明です。
絶望だけでなく、『影武者』と『乱』に黒澤の怒りが満ちていることも尾形には不快なようです。以前の黒澤映画は「不正に対する怒り」と「屈辱に耐える精神力」が創作の源であったというのは私も同意します。
ただ、尾形が『影武者』や『乱』に対して「裏切りに対しては許すという言葉を知らず、憎悪は何も生みはしない」と非難する点には同意しかねます。『デルス・ウザーラ』劇中の「裏切り」は、リー・ツンビンが恋した女性を弟に奪われたというものでしたから、40年もの隠遁生活の果てに和解できました。これに対して、『影武者』の朝倉義景の撤退は、信長の進軍を促して信玄の進軍を阻む
ものですから信玄が立腹するのは当然です。『乱』に至っては、いくら秀虎が情け知らずの猛将であったとしても、私利私欲のために自分を裏切った息子と家臣によって郎党と傍女を虐殺され、自分も殺されかけたのですから、謀反人を許す筋合いなどないと思います。
尾形は「憎悪は何も生みはしない」と言って批判したつもりなのでしょう。ですが、黒澤が『乱』で訴えたかったことの一つが憎悪と戦争を繰り返す人間の愚かさなのですから、皮肉にも尾形は『乱』の本質を(無意識に?)正しく感じ取っていたように見えてしまいます。
井出雅人も、中国の兵馬俑坑を例に挙げて『乱』のテーマを次のように語っています。
井出雅人「『乱』のテーマとは、人を攻め、人を殺し、その栄光の上にたった秀虎に、罪業の報いがかぶさってくる。その結果の虚しさ、罪業の恐ろしさだよ。それは、ひいては反戦の思想に通じる。それを言うためには、あれくらいのセットと人間を使わないと言えないんだ。何百人もの人間が突っ走り、殺し合い、最後には女(末の方)の首までたたっ切る。そうした壮大なことをやって、初めて秀虎の犯した罪の深さと虚しさが出てくる。それは、たった二年後に焼かれ、二千年も埋もれていた始皇帝の兵馬俑坑と同じなんだ」― 『巨匠のメチエ 黒澤明とスタッフたち』 西村雄一郎 著、フィルムアート社
小難しく考えなくても、『乱』の反戦の訴えはかなり直截的に表現されています。和解したのも束の間、三郎は狙撃されてあえなく落命し、その亡骸の傍で秀虎は悶絶して息絶えます。突然の惨劇に、狂阿彌は神仏を罵り、丹後はいつの世も殺戮を止めない人間の愚かさを嘆きます。
もっとも、この場面に対して、尾形敏朗は「天の視点」ではなく黒澤の分身である秀虎を美化する「個の視点」だと喝破します。黒澤に心酔していた映画評論家の西村雄一郎も、秀虎と三郎の遺体を担いだ三郎軍が行進する場面にマーラーの交響曲第1番「巨人」に似た曲が流れることに「ヒロイズムへの執着」を感じていました。
『影武者』と同様に『乱』もクローズアップを極端に排したロングショットを多用することで、映像的には「天の視点」とも言える客観性を保っていました。ですが、いくら秀虎の自らの悪行が元凶という設定であっても、三郎、丹後、狂阿彌、そして秀虎によって親兄弟を皆殺しにされた末の方でさえ秀虎に同情的です。最初は秀虎をからかっていた狂阿彌が次第に情に溺れていく過程は悪くはないのですが、いささか涙もろくなりすぎたのは興ざめでした。(涙もろいからこそ黒澤映画らしいとも言えますが)
秀虎が黒澤自身の分身であることは誰もが認めるところでしょう。そして、尾形敏朗が詳細に分析したように、秀虎の3人の息子に「孝虎」「正虎」「直虎」という名前を付けたことが、黒澤にとって『トラ・トラ・トラ!』事件のトラウマが如何に深刻であったかを伺わせます。
田草川弘の『黒澤明VS.ハリウッド 『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて』でも明らかにされていますように、『トラ・トラ・トラ!』事件に関しては、黒澤自身にも全く責任が無い訳ではないのですが、青柳哲郎に大きな責任があったことも否定できないのではないでしょうか。
ともあれ、自らの軽率さも含めて、かつて自分を欺いた人たちを断罪したいという憤りが、『乱』を実現するために黒澤を突き動かした動機の一つであった可能性は考えられます。
ですが、そうしたことはあくまでも黒澤自身の極めて私的な問題であり、黒澤明という人物を深く研究しようとする人のみの関心事ではないでしょうか。世界中の大多数の観客からすれば、黒澤個人の私怨というフィルターなしで中立的に鑑賞できるので、『乱』の世界をより純粋に堪能できるはずです。事実、『乱』は、海外の批評家や一般の観客から激賞されました。私自身も北米でそれを実感したのは先述の通りです。
ですが、国内では、内容や美術の他に巨額の予算に対してまで的外れな批判が相次ぎました。そもそも日本映画としては破格の製作費であっても、『乱』の予算は同年公開のハリウッド映画『カラーパープル』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』よりも安いのですから、そうした批判はただの難癖でしかありません。そういう人に限って「日本映画は安っぽく、ハリウッド映画は豪華」という偏見に満ちているものです。
ついでに言えば、シーン53「同 (三の城)・城門・外」で畠山(加藤武)が「三郎君に従い、その馬前に死すのみ!」という台詞に対して、例の嫌味な大人は「封建主義的」だと非難していました。もっとも、そんなこと言いながら、その大人は黒人を蔑視する『風と共に去りぬ』(1939) や、アメリカ先住民を殺戮する『捜索者』(1956) を無条件に賞賛していました。しかも、その矛盾を指摘すると「あれは昔の映画だから!」と答えにもならない答えをヒステリックに喚くのですから呆れます。
それと、『乱』を「個の視点」と呼ぶ尾形敏朗は、この映画を「老人問題を扱った大仰なホームドラマ」とも呼んで揶揄していました。
私に言わせれば、「老人問題も扱った壮大な家族の悲劇」がより正確な表現ではないでしょうか。「反戦」や「老人問題」などなど、一本の映画に黒澤が言いたいことは様々な要素が盛り込まれていますので、見る人によって感じ方は千差万別です。
尾形が「大仰なホームドラマ」だと感じたのなら、それは尾形個人の見方であり、それ以上でもそれ以下でもありません。ですが、したり顔で「ホームドラマ」のレッテルを貼れば相手の価値を矮小化できるとでも思ったのでしたら底が浅いです。『巨人と少年』は基本的に緻密な調査と論理的な考察の賜物であると思いますが、『影武者』と『乱』に対する酷評は、世代間対立のような私怨に満ちているように見えます。
黒澤明を過度に神格化せずに対等の人間として批評しようとする尾形の姿勢は評価すべきかもしれません。ただ、黒澤が『乱』で「個の視点」を捨てきれなかったように、尾形も親に反抗するかのような私憤に囚われていたようです。同時に、『影武者』と『乱』に対する彼の酷評に私は同意はしませんが、完全に拒絶もしません。実の親であろうと正しくないと判断したなら、それを否定することこそ誠実な態度だと思いますし、『リア王』や『乱』が訴えていたことでもあります。
それに、たとえ結果的に秀虎に同情的な結末であったとしても、『乱』の反戦の訴えは些かも揺るぐことはないと思います。
殺戮を繰り返す人間を丹後が嘆く場面について井出雅人は次のように書いています。
「その問いかけに人々はなにを想ったのだろうか。終りのない殺戮のつづいている中東を想起しなかったか。或は中米の戦いを、或はタイ、カンボジヤ国境の、また際限なく軍拡競争をエスカレートする二大強国を……」―『シナリオ』1985年9月号
『乱』が公開された1985年、自民党政権による中期防衛力整備計画が基本方針を破って1%を越えていたため、文化人たちが1%厳守の要望書を当時の首相だった中曾根康弘宛に提出しました。木下惠介や武満徹を含む19人の中に黒澤明の名もありました。(『朝日新聞』1985年10月10日) 基本的に政治的な言動を控えていた黒澤が珍しく公式に政治活動をしたところに、冷戦当時の軍拡競争に対して彼が危機感を覚えていたことが感じられます。
ですが、そうした反戦の文脈で『乱』を論じた批評を国内で一つも見付けられなかったことに幻滅した井出雅人は、こうも書いています。
「日本は恐らく世界の『乱』の圏外に在って、無用の警告だったのだろう。蕪雑な観客はストーリーが面白くないと言って腹を立て、著名を称えられる物書きののっぺりした感性にはトゲも立たない」― 同上
戦後の高度経済成長期を経てバブル景気を迎えようとしていた当時の日本では、軽薄なものがもてはやされ自国の戦争の歴史が顧みられなくなりつつあったのですから、海外の戦争や紛争など眼中にないという人が殆どだったのでしょう。
ですが、21世紀を迎えて四半世紀が経った今も、世界中で血生臭い殺戮が後を絶ちません。ロシアによるウクライナ侵略、イスラエルによるパレスチナの非戦闘員の虐殺、などなど。こうした現実を直視すると、黒澤が『乱』で描いた戦争の恐怖と虚しさが、戦国時代という過去への憧憬どころか今の私たちが生きている現代に対する警鐘として映る筈です。
黒澤明が自ら「ライフワーク」と呼んで執念で完成させた『乱』は、その壮大な映像美は勿論、私的な怨念も含めて、人間の世界に対するあらゆる思いを詰め込んだ大作です。殺戮を繰り返す人間の愚かさへの嘆きと憤り。自らの所業が招いた過去からの恐怖。そして、神仏への信仰が救いに繋がらない無情さと、人間が自分自身の意志で行動しなければならないという強靭な信念。一本の映画の中にありとあらゆる要素がひしめき合った、正に『乱』= “Chaos” と呼ぶに相応しい大傑作です。
(敬称略)
参考資料(随時更新)
書籍・記事
『リア王』 シェイクスピア 著、福田恒存 訳、新潮社、1967年
『巨匠のメチエ 黒澤明とスタッフたち』 西村雄一郎、フィルムアート社、1987年
『全集 黒澤明 第六巻』 黒澤明、岩波書店、1988年
『黒澤明 集成』 キネマ旬報社、1989年
『黒澤明のいる風景』 島敏光、新潮社、1991年
Prince, Stephen. The Warrior’s Camera: The Cinema of Akira Kurosawa. Princeton University Press, 1991.
「盟友小国英雄が語る映画監督黒澤明」インタビュアー 植草信和 『キネマ旬報』1992年10月上旬号
『巨人と少年 黒澤明の女性たち』 尾形敏朗、文藝春秋、1992年
Goodwin, James. Akira Kurosawa and Intertextual Cinema. Johns Hopkins University Press, 1993.
『異説・黒澤明』 文藝春秋、1994年
「対談 ワダエミ ピーター・グリーナウェイ」『キネマ旬報』1997年6月下旬号
『武満徹の世界』 齋藤愼爾、武満眞樹 編、集英社、1997年
『黒澤明 音と映像』 西村雄一郎、立風書房、1998年
『村木与四郎の映画美術 [聞き書き]黒澤映画のデザイン』 丹野達弥 編、フィルムアート社、1998年
『評伝 黒澤明』 堀川弘通、毎日新聞社、2000年
『武満徹著作集 3』 武満徹、新潮社、2000年
『蝦蟇の油 自伝のようなもの』 黒澤明、岩波書店、2001年
『黒澤明を語る人々』 黒澤明研究会 編、朝日ソノラマ、2004年
『KUROSAWA 映画美術 編 ~黒澤明と黒澤組、その映画的記憶、映画創造の記録~』 塩見幸登、河出書房新社、2005年
『黒澤明と早坂文雄 風のように侍は』西村雄一郎、筑摩書房、2005年
『黒澤明VS.ハリウッド 『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて』 田草川弘、文藝春秋、2006年
『作曲家・武満徹との日々を語る』 武満浅香、小学館、2006年
『大系 黒澤明 第3巻』 黒澤明 著、浜野保樹 編、講談社、2010年
『大系 黒澤明 第4巻』黒澤明 著、浜野保樹 編、講談社、2010年
『生誕100年総特集 黒澤明 増補新版』 西口徹 編、河出書房新社、2010年
『『七人の侍』と現代 黒澤明 再考』四方田犬彦、岩波書店、2010年
『もう一度 天気待ち 監督・黒澤明とともに』 野上照代、草思社、2014年
『未完。 仲代達矢』 仲代達矢、KADOKAWA、2014年
『武満徹 ある作曲家の肖像』 小野光子、音楽之友社、2016年
Nicholson, Ben. “Kurosawa vs Shakespeare.” BFI, March 23, 2016.
『仲代達矢が語る日本映画黄金時代 完全版』 春日太一、文藝春秋、2017年
『旅する黒澤明 槙田寿文ポスター・コレクションより』 国立映画アーカイブ 監修、国書刊行会、2020年
『黒澤明の弁護士』 乗杉純、草思社、2022年
映像・音楽ソフト
LD, Music for the Movies: Toru Takemitsu. Directed by Charlotte Zwerin. Sony Music, 1994.
CD 『乱』 武満徹、東宝ミュージック、AK-0013、2002年
DVD 『乱』 東宝株式会社、2003年
DVD 『黒澤明 創造の軌跡 黒澤明 “THE MASTERWORKS” 補完映像集』 東宝株式会社、2003年
Blu-ray. Ran. StudioCanal, 2010.
Blu-ray 『乱 4Kデジタル復元版 Blu-ray BOX』 KADOKAWA、2015年
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