こんにちは。タムラゲン (@GenSan_Art) です。
60年前の今日 (1月28日) は、小林正樹 (1916-1996) の映画『人間の條件 第五部・死の脱出 第六部・曠野の彷徨』(1961) が公開された日です。
ベストセラーとなった五味川純平 (1916-1995) の同名小説を映画化した『人間の條件 第一部・純愛篇 第二部・激怒篇』(1959) と『人間の條件 第三部・望郷篇 第四部・戦雲篇』(1959) の完結篇です。
映画について
人間の條件 第五部・死の脱出 第六部・曠野の彷徨
The Human Condition Part III: A Soldier’s Prayer
1961年1月28日公開
文芸プロダクションにんじんくらぶ 製作
松竹映画
白黒、グランドスコープ、190分
スタッフ
監督:小林正樹
原作:五味川純平
脚本:松山善三、稲垣公一、小林正樹
企画:若槻繁
製作:小林正樹、若槻繁
撮影:宮島義勇
美術:平高主計
録音:西崎英雄
照明:青松明
編集:浦岡敬一
音楽:木下忠司
製作補:清水俊男
製作主任:森山善平
助監督:稲垣公一
レリーフ作製:佐藤忠良
スチール:梶原高男
中国語監修:黎波
ロシア語監修:小泉健司
演出助手:吉田剛、大津侃也
撮影助手:内海収六
照明助手:三浦禮
録音助手:松本隆司
美術助手:戸田重昌
装置:小林孝正
装飾:山崎鉄治
衣裳:田口良二
美粧:三岡洋一
演技事務:上原照久
撮影事務:石和薫
録音技術:アオイ・スタジオ(R・C・A・サウンド・システム)
現像:東洋現像所
協力:富士製鉄株式会社 室蘭製鉄所、株式会社日本製鉄所 室蘭製作所、小西六写真工業株式会社(さくら磁気録音フィルム)
キャスト
梶:仲代達矢
美千子:新珠三千代
避難民の少女:中村玉緒
寺田二等兵:川津祐介
避難民の長老:笠智衆
丹下一等兵:内藤武敏
竜子:岸田今日子
梅子:瞳麗子
弘中伍長:諸角啓二郎
匹田一等兵:清村耕次
桐原伍長:金子信雄
永田大尉:須賀不二男
洞窟隊長:石黒達也
北郷曹長:北村和夫
朝鮮へ行く兵長:高原駿雄
吉良上等兵:山内明
野毛少佐:二本柳寛
皆川通訳:林孝一
老教師:御橋公
石炭屋:上田吉二郎
雑貨屋:坊屋三郎
朝鮮人:成瀬昌彦
小椋上等兵:陶隆
道路の避難民:菅井きん
雑貨屋の妻:中村美代子
老教師の妻:南美江
石炭屋の妻:石本倫子
避難民の少年:真藤孝行
部落の避難民:北原文枝
兵隊A:永井玄哉
兵隊B:福原秀雄
井出一等兵:広沢忠好
歩哨:溝井哲夫
一軒家の老農夫:南大治郎
畑の中国農民:大杉莞児
福本上等兵:平田守
兵隊C:広沢英雄
兵隊D:柘植隆雄
脱走する兵隊A:広沢公太郎
脱走する兵隊B:兼松正敏
氏家上等兵:菊池勇一
通訳:丸山釞郎
中国人の若者:木村幌
長沼中尉:南八州夫
避難民の女:安芸秀子、鈴木幹子、小栗由美子、平野和子、渡辺芳子、林洋子
朝鮮人の妻:近藤冨美子
ソ連軍将校:エド・キーン
チェパーロフ:ロナルド・セルフ
討伐隊の指揮官:ポール・ラファロ
刺殺される歩哨:ウイリャム・バッスン
饅頭屋:ヘンリー・バン
その他:劇団あすなろ、国際演技集団
避難民の女:高峰秀子
あらすじ(ネタバレあり)
「第五部・死の脱出」
ソ連軍との戦闘で辛くも生き延びた梶は、負傷した寺田たちを連れて南満に向かいます。途中で避難民たちも合流しますが、密林の中を何日も歩き続ける内に飢餓と疲労で死者が続出します。密林から抜け出た後、永田大尉の部隊から抜け出た丹下と再会します。更に進む内に、桐原伍長たちとも合流します。無人の民家で休憩していた梶たちは、民兵たちの奇襲に応戦しますが、竜子が犠牲になります。次に女性ばかりの避難民たちと遭遇した梶たちは、ソ連兵に暴行された少女とその弟に頼まれて、彼らも連れていくことにします。やがて姉弟は自分の家族が住んでいた北湖頭に向かうため梶たちと別れ、桐原たちが同行します。梶たちは兵舎に辿り着き休憩しますが、そこへ桐原たちもやって来ます。桐原が少女を手籠めにしたことを知った梶は激怒して彼等を追い出します。
「第六部・曠野の彷徨」
丹下は、梶たちと別れてソ連軍に投降します。梶たちは、女性や老人のみの開拓民集落に辿り着き、一夜を過ごします。翌朝、ソ連軍と民兵が現れたので、梶たちは迎え撃とうとしますが、集落の女性が戦闘を止めさせようと叫んで飛び出します。梶たちは武器を捨てて降伏せざるを得ませんでした。捕虜収容所では、先に投降した桐原が日本人捕虜を牛耳っていました。桐原に虐待される寺田を梶は庇おうとしますが、桐原の奸計で森林鉄道撤去の重労働を課せられてしまいます。労働現場で、梶は丹下と再会します。収容所に戻った梶と丹下は、桐原に虐待された寺田が死んだことを知らされます。深夜の便所で、梶は桐原を撲殺します。収容所を脱走した梶は、飢餓状態のまま何日も歩き続けます。力尽きた梶は雪原に倒れて、その身体を雪が覆っていくのでした。
予告篇
個人的鑑賞記
VHSでの初見 (1989年)
『人間の條件 第三部、第四部』の記事でも書きましたが、私が『人間の條件』全六部を初めて鑑賞したのは、1989年11月18日 (第一部、第二部)、19日 (第三部から第六部) に見たレンタルビデオ (VHS) でした。偶然にも、この年の11月19日は『人間の條件 第三部、第四部』の公開30周年の前日でした。
当時はまだ子供だった私は、壮絶な内容に打ちのめされながら約9時間半余りを一気に見終えました。又、『人間の條件』は私が初めて見た小林正樹の映画でもありましたので、かなり強烈な洗礼となりました。
次に観た『切腹』(1962) も、生涯最強の衝撃を受けた名作の一本でした。こうして、小林正樹は、黒澤明と並んで私が最も尊敬する映画監督の一人となりました。
その後も、VHS、LD、DVD、Blu-ray、名画座での上映で、他の小林の映画を長年かけてコツコツと見てきました。中でも、『切腹』、『怪談』(1965)、『上意討ち 拝領妻始末』(1967) は何回も繰り返し鑑賞しました。
DVDで再見 (2021年)
今年は『人間の條件・完結篇』の公開60周年ですので、再び意を決して約31年ぶりに映画と対峙してみました。
今回は、予め五味川純平の原作を読んだ後で、DVDで鑑賞しました。大人になった今でも辛い内容でしたが、同時に今だからこそ歴史的背景や映画表現の見事さがよく分かるので、子供のとき以上に約3時間が瞬く間に過ぎるほど脇目も振らずに見入りました。
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クライテリオン盤 Blu-ray (2021年6月23日追記)
2021年6月14日、ネットで購入したクライテリオン・コレクションの『人間の條件』Blu-rayが予定より早く届きました。
ディスクは3枚組で、収録内容は次の通りです。
・本編「第一部 純愛篇 第二部 激怒篇」
・「わが映画人生/小林正樹監督」
・予告篇「第一部 第二部」
・本編「第三部 望郷篇 第四部 戦雲篇」
・篠田正浩『人間の條件』について語る
・予告篇「第三部 第四部」
・本編「第五部 死の脱出 第六部 曠野の彷徨」
・仲代達矢インタビュー
・予告篇「第五部 第六部」
時間の都合で本編はまだ各部の序盤のみしか視聴していませんが、高解像度デジタル修復されたBlu-rayの映像はDVDより格段に鮮明になっていました。
Disc 1 の本編を一部視聴して驚いたのは、第一部が終わった後に約3分の休憩音楽が収録されていたことです。しかも、第二部の開幕には第一部と同じオープニングのクレジットタイトルがありました。どちらも松竹のDVDには収録されていませんでしたが、劇場で上映されるフィルムにはあったことでしょうか。ともあれ、岩波書店の『映画監督 小林正樹』にも第一部・第二部の上映時間は203分と表記されていましたが、クライテリオン・コレクション盤が全長版だとすると第一部・第二部の本当の上映時間は206分ということになります。
Disc 1 特典映像
「わが映画人生/小林正樹監督」(1993)
構成・担当:奥中惇夫
「わが映画人生」は、日本映画監督協会が1988年から開始した先輩や師匠の監督に、後輩あるいは弟子がインタビューするシリーズです。松竹の後輩であった篠田正浩が小林正樹に自作について尋ねる中の『人間の條件』に関する部分が抜粋されて収録されています。
Disc 2 特典映像
篠田正浩『人間の條件』について語る (2009)
篠田が語る内容は、岩波書店の『映画監督 小林正樹』に寄稿した内容とほぼ同じでした。ただ、篠田の語りには頻繁にカタカナ語や英語が出てくるので、ルー大柴の喋りを聞いているみたいな感じがして落ち着きませんでした。英語圏の人が聞いたらどんな印象を受けるのか少し心配になりました。
Disc 3 特典映像
仲代達矢インタビュー (2009)
『人間の條件』の主役に選ばれた経緯から撮影時の苦労話まで、これまで仲代が様々な書籍やインタビューで語ってきた内容とほぼ同じですが、やはり本人の言葉で語られる映像は貴重です。キャメラアングルや画面の構図も映画の一場面のようで、仲代の魅力をうまく撮っていました。
原作との比較
先述のように、映画を再見する前に五味川純平の原作小説(岩波現代文庫)を読んでみました。文庫の上中下巻を合わせて約1800ページ以上の大長編ですが、その面白さは抜群で夢中で読みふけりました。
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各部の区切り方
原作と映画では、第四部から第六部にかけての区切りが若干異なっています。
映画の第四部はソ連軍との戦闘後に戦場を駆けて行く梶の姿で終わりましたが、原作は戦闘が始まる前で区切っていました。私の想像ですが、小説なら戦闘前の緊迫した所で区切ることで読者の興味を第五部へ繋ぐことが出来るでしょうが、映画の場合ですと尻切れトンボになりそうなので戦闘終結後の「鬼哭啾啾」たる荒野で第四部を締めくくったのは正解だと思います。
原作の第五部は、姉弟を連れた梶と桐原たちが中国人民家で食事を恵んでもらおうとしますが、猜疑心の塊となっていた桐原の狼藉で、梶の意志に反して村人たちを殺戮して食料を奪うことになってしまうという映画では省略された場面で終わります。映画の第五部は、兵舎から桐原を殴り倒した梶が「貴様ら、今夜から四足で歩け」と怒る所で区切られます。
美千子の場面
原作の第六部を読んで大きく驚いたのは、映画の第四部以降には全く登場しなかった現実の美千子が描かれていたことです。ここが原作と映画の完結篇の一番大きな違いです。
映画を初めて見たとき、美千子は中国人の群衆に連行されて処刑されたものと思ってしまいましたが、それは梶の想像であることを原作を読んで初めて知りました。映画を観直して、確かにそのように描写していました。
第六部での、美千子は、老虎嶺を引き払い、婦人寮「白蘭荘」で靖子と同居しながら、梶の消息を確かめようと奔走しています。梶の同僚だった沖島も、斬首事件後、老虎嶺から辺鄙な小鉱山へ左遷され、敗戦後、本社の街へ引き揚げていました。戦後、街を占領しているソ連軍の兵は略奪や暴行などの狼藉を働くことが多く、美千子も危ない目に合いかけます。憤慨した沖島はソ連軍の将校に苦情を伝えますが、体よく門前払いを食らってしまします。進駐部隊が技術部隊と交替してからはソ連兵の狼藉は減りますが、今度は復員者や浮浪者が狼藉を働くようになります。白蘭荘にも日本人不逞分子が乱入して、拉致された珠代が男たちの餌食になってしまいます。美千子は、靖子と共に、街頭で和服の販売を始めます。売れ行きは好調そうでしたが、悪意のある客もいるので苦労は絶えません。ある日、老虎嶺鉱山で現場監督だった岡崎も、同じ街頭で露店をしながら細々と商売をしているのを美千子たちは見かけます。数日後、岡崎は保安隊に連行され、沖島も尋問を受けます。釈放された沖島は、能登という男性が主宰する「民主日報」に招かれます。美千子は、病院の炊事婦となって梶を待ち続けるのでした。
以上が第六部の美千子の場面の主な内容です。これが有るのと無いのとでは映画の印象が大きく変わると思います。
映画が美千子の場面を全て割愛した理由の一つは尺の問題かもしれません。原作の第六部で、梶の場面が(岩波文庫で)計207ページに対して、美千子は102ページです。梶の場面だけでも3時間を超えるので、もし美千子の場面まで映像化したら倍近い長さになっていたのは間違いありません。
原作では、美千子が健気に梶を待ち続ける場面の次に、餓えた梶が雪原を彷徨して最期を迎える結末を描くことで悲劇的長編を締め括りました。映画では尺の都合もあったかもしれませんが、あえて現実の美千子を全く見せないことで、梶の孤独と絶望をより強調する効果もあったと思います。
この他にも、原作では、先述の中国人民家での略奪や、兵舎で鳴門と再会するなど、映画では省略された箇所が幾つかありますが、全体的に原作を非常に忠実に映像化していたことに改めて驚かされました。
完結篇を再見して思うこと
リアルな映像表現
久しぶりに『人間の條件・完結篇』を観て先ず感じたのは、映像表現の生々しさでした。
同年公開された黒澤明 (1910-1998) の『用心棒』(1961) は殺陣の残酷描写が話題になりましたが、『人間の條件・完結篇』も、梶が刺殺した歩哨から刀を抜く描写や、密林からの脱出中に見付けた腐乱死体など、当時としてはかなりリアルな映像だと思いました。終盤の桐原を撲殺する場面も含めて、カラーだと正視できないほど凄惨な映像になっていたかもしれません。
残酷描写の他に、深夜の開拓民集落で日本兵と女性が何組も目交う場面も、男女の吐息が間近に感じられそうで、この時代の日本映画としては珍しいかもしれません。
撮影当時の日本は中国の国交が無かったので、主に北海道でロケされましたが、森林や原野の景色はシネスコの構図もあって日本離れした広大さに息を呑みます。又、密林の中での映像は、白黒でありながら色が付いているかのように錯覚してしまうことが度々ありました。
広大なロングショットと対照的に挿入されるアップも忘れられません。梶とソ連兵が思いがけず鉢合わせになってしまった瞬間の二人の眼の超クローズアップの緊迫感や、捕虜収容所で日本兵たちが黙々と粗末な食料を頬張るアップの積み重ね、脱走後に餓えた梶が中国人が売る饅頭を見て唾を飲み込む喉のアップなど、人間界の悲惨な境遇もキャメラは執拗に凝視していきます。
こうした映像表現を撮ったのは、名キャメラマンの宮島義勇 (1909-1998) です。『人間の條件』で初めて小林正樹と組んだ後、『切腹』や『怪談』でも見事なシネスコ撮影をしていました。
ところで、梶がソ連兵を刺殺した後、荒野を歩きながらソ連軍との戦闘を思い出す回想場面で挿入される前作(第四部)の戦闘場面でストップモーションが使用されていました。私が覚えている範囲で、小林正樹の映画に出てきたストップモーションを振り返ると、『からみ合い』のラスト、『怪談』の「黒髪」のラストと「茶碗の中」の殺陣、『上意打ち 拝領妻始末』で側室を折檻するお市、『いのち・ぼうにふろう』(1971) で密輸仲間が斬られる定七の回想、『燃える秋』(1978) で亜希と岸田が一緒にシャワーを浴びる場面、『食卓のない家』(1985) のラスト、といった具合です。1960年代以降は、ほぼ全ての作品で使用しているので、ストップモーションは小林映画のトレードマークとも言えそうです。(そう考えると、小林の最高傑作である『切腹』にストップモーションが使用されなかったのが意外に見えますが、あの映画には使用しなくて正解だったと思います。)
兵隊以上に犠牲になるのは非戦闘員
密林から抜け出た後、部隊に遭遇した梶が永田大尉から生き延びたことを叱責される場面は、水木しげる の『総員玉砕せよ!』を思い出させます。
又、森林で籠城していた部隊に至っては、敗戦が明らかになっていたにも関わらず、脱走しようとした二人を捕らえて見せしめとして処刑までしています。まるで『七人の侍』(1954) の野武士のようですが、国家主義に凝り固まった上官の見栄で無駄死にを強要される兵隊は堪ったものではありません。『人間の條件』の第三部と第四部でも描かれたように、建前とは裏腹に合理的思考や人道主義が全く通じない野蛮な組織です。
仲代達矢「(太平洋戦争中の日本は)今の北朝鮮と似ているかもしれない。国民は、国家総動員法によって金も命も軍国政権に握られた。軍部には国民ひとりの命など虫けら同然で、国民が命をつなぐ最低限の食糧までを一発の弾に換えていったのである」
『人間の條件・完結篇』では、日本の敗戦を知った後でさえ、意固地に戦闘を続行しようとしたり、日本人が同じ日本人に暴力を振るうのですから、事態はより深刻です。
しかも、社会主義の理想を打ち砕くかのように、ソ連軍の残虐行為も梶たちは目の当たりにしていきます。
ソ連軍の満州侵攻後、関東軍が民間人を見捨てたことによって、兵隊よりも非戦闘員(特に女性)の方が軍隊の暴力にさらされていきます。避難民の女性が「敗けた国の女くらい惨めなものはありゃしない!」と吐き捨てるように言ったように、かつて日本軍が侵攻した国の女性にしてきた蛮行が、今度はソ連軍によって日本人女性に降りかかりました。
如何に崇高な理念を掲げたとしても、戦争となればどの国の軍隊も非人道的行為とは無縁でない事実を突き付けられ、梶は悩みます。たとえ女性に残虐行為をした兵士が全体の一部であったとしても「個人は絶対にその痛手を忘れないのだ。その傷口の一つ一つから、憎悪の血がほとばしるだろう。それは人から人へ伝わるだろう。果ては、抜き難い不信を培うだろう。何によって、この背離を埋めるのか」と。
被害者と加害者の両面
主人公の梶が並外れた正義感と体力の持ち主であるので、理想化されすぎているのではという批判が公開当時からあったそうです。
確かに、実際の日本兵は、第三部の小原(田中邦衛)のように上官や古兵から理不尽な虐待を受けるばかりで反抗できた人は殆どいなかったでしょう。それどころか、戦時中の日本軍の蛮行を鑑みれば、桐原のような者たちの方が少なくなかった筈です。
ですが、梶を理想主義者として描いたことが、この作品の肝でもあると思います。
第一部と第二部では中国人の労働環境を何とか改善しようと孤軍奮闘して、第三部では軍国主義に虐げられるなど被害者側であった梶ですが、第四部では戦場でソ連兵を撃ち、初めて人の命を奪います。第五部からは、南満に向かうために戦闘行為とは関係なくソ連軍の兵隊を殺害するようになります。道中の村では極力平和的に食料を分けてもらおうとする梶の理想も空しく、村人や民兵たちと戦闘を繰り返し、匪賊同然の行いを繰り返すまでになってしまいます。
梶ほどの人格者であっても、戦争という状況下では、その理想は悉く打ち砕かれ、否応なしに加害者にならざるを得ない不条理こそ『人間の條件』全編を貫くテーマだと思います。
そのことは、捕虜収容所から脱走した梶が、骨と皮だけになりながら凍った饅頭を持って、雪原で息絶えるラストシーンで際立ちます。映画の製作中、梶を死なせないように願う手紙を数多く受け取った小林正樹は悩んだそうですが、原作通りの結末を選びました。
戦争によって日本人が犯してきた原罪のようなものを背負って死ぬことによって、梶は(私たちの中で)永遠に生きる、と小林正樹は語っています。この死を「再生」とも語っているのでキリスト教のような感じも受けますが、宗教的なことは抜きにしても人間が人間らしく生きる尊さと困難をこれほど壮大に描いた映画は稀有だと思います。
小林正樹「人間には生きるためのぎりぎりの権利がある。その線を持ちこたえた男、守り続けた男。ぼくは梶をそのようにとらえています。その背後には美千子という存在もある。(略)ぼくの『人間の條件』にも左翼的、反戦的な部分は随所にありますが、あくまで人間性を重んじて生き抜いた梶の生き方がテーマになっています。これは間違っていなかったと思います」
小林自身は『人間の條件』を「左翼的、反戦的」なテーマよりも如何に人間らしく生きるかに重点を置いたと語っていて、事実その点は痛いほど伝わってきます。
同時に、従軍経験者である原作者と監督が軍隊の暴力性をリアルに描いているので、戦争の不条理を再び繰り返さないための警鐘としても貴重な作品であるのは間違いありません。
シネ・ヌーヴォにて仲代達矢のトーク
2017年7月12日(水)、「生誕101年 小林正樹映画祭 反骨の美学」を開催していたシネ・ヌーヴォ (大阪・九条) へ、小林の『日本の青春』(1968) を観に行きました。
7月11日(火)と12日(水) には、『人間の條件』の上映に合わせて、主演の仲代達矢がシネ・ヌーヴォに緊急来場して舞台挨拶もして下さりました。
12日(水)の『人間の條件・完結篇』の上映後に、劇場のロビーで『日本の青春』(1968) の回を待っていた私達も仲代の舞台挨拶を聴く僥倖に恵まれました。
実際に仲代の姿を目にするのは、2014年の無名塾『ロミオとジュリエット』の公演以来です。このときの仲代は84歳でしたが、矍鑠としていて改めて驚かされました。
『人間の條件・完結篇』のラストの撮影のため、6日間もの徹夜・絶食を小林に命じられたことや、凍死寸前までいったことなど過酷な撮影の裏話が聞けました。(仲代は、キャメラの宮島義勇を「みやじま・ぎゆう」と発音していました)
又、自身の戦争体験にも話は及び、戦後70年以上経った今も世界で戦争が絶えないことや、日本の右傾化に対する懸念も仲代は抱いていました。
仲代達矢「このところ、時計の針が逆回りしているようだ。いつの世も、戦争をおっぱじめる時に言うのは同じ、「抑止」である。積極的平和主義と最近は言うらしいが、同じことだ。近隣諸国の脅威を煽り、自国だけが美しいと説き、その美しい国を守るために憲法を改正し、国の秘密を保護し、社会保証をカットする。軍靴の音が聞こえてくるようだ」 ― 『未完。 仲代達矢』
更に、当時公開中だった映画『海辺のリア』(2017) や、能登演劇堂にて公演が予定されていた『肝っ玉おっ母と子供たち』に込めた反戦の思いも熱く語っていました。
帰りの新幹線の時間が迫っていたので、満員の観客からの拍手を浴びながら仲代は退場。タクシーに乗って去るのを観客とスタッフの皆で見送りました。
伝説の名優を再び近くで見ることが出来て感無量でした。
シネ・ヌーヴォのロビーでは、小林正樹の映画のポスターやスチルが多数展示されていました。
黒澤映画や特撮との接点
本題から脱線しますが、前作同様に『人間の條件・完結篇』の出演者やスタッフも、黒澤映画や特撮映画のファンの視点から見て興味深いです。
主人公の梶を演じた仲代達矢 (1932- ) は、『人間の條件』の成功後は小林映画の顔となり、成瀬巳喜男(1905-1969) 黒澤明、木下惠介 (1912-1998)、市川崑 (1915-2008)、岡本喜八 (1924-2005) など数多くの巨匠の名作に相次いで出演して日本を代表する名優となったのは有名な話です。数多くの名作に出演している仲代は特撮映画とは無縁に思えますが、香港映画『妖獣都市 香港魔界篇』(1992) は、ある意味「特撮映画」とも言える珍品でした。それにしても、イタリア映画『野獣暁に死す』(1968) もそうですが、仲代の海外映画出演の基準が謎です(汗)
前作に続いて寺田二等兵を演じた川津祐介 (1935- ) は、小林の次作『からみ合い』(1962) では、軽薄な不良青年を演じていました。『ゴジラVSメカゴジラ』(1993)、『ガメラ2 レギオン襲来』(1996)、『ガメラ3 邪神覚醒』(1999) と、立て続けに特撮映画に出演したこともあり、1985年には『超能力健康法』(現代出版) という著書も出していました。
丹下一等兵役の内藤武敏 (1926-2012) は、特撮映画では『ゴジラ』(1984) に武上官房長官役で出演していました。
梅子役の瞳麗子 (1938- ) は、『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』(1972) では鳥沢うめ子と偶然にも「うめこ」という役名でした。特撮では『ウルトラマンタロウ』(1973-1974) の第23話と第46話にも出演していました。
『人間の條件』の中でも極めつけの極悪人・桐原伍長を演じた金子信雄 (1923-1995) は、『仁義なき戦い』シリーズなどのヤクザ映画で有名ですが、初期の頃は黒澤明の『生きる』(1952) など、成瀬巳喜男、木下惠介、新藤兼人といった巨匠の映画に数多く出演していました。特撮映画も『怪竜大決戦』(1966)、『吸血鬼ゴケミドロ』(1968)、『ゴジラ』(1984) に出演しました。
北郷曹長役の北村和夫 (1927-2007) は、小林の『怪談』では平知盛を、黒澤の『天国と地獄』(1963) では新聞記者を演じました。
朝鮮に行く兵長役の高原駿雄 (1923-2000) は、黒澤の『七人の侍』では鉄砲を持つ野武士役で短い出番ながらも菊千代 (三船敏郎) とのコミカルな絡みで印象的でした。特撮では『帰ってきたウルトラマン』(1971-1972) 第45話、『仮面ライダーストロンガー』(1975) 第2話の他に、『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975-1977) では司令官・江戸川権八としてレギュラー出演し、『電子戦隊デンジマン』(1980-1981) 第31話では手品師役で朝風まり (現・二代目 引田天功) と共演しました。
吉良上等兵役の山内明 (1921-1993) は、ゴジラシリーズの問題作『ゴジラ対ヘドラ』(1971) で海洋生物学者の矢野徹を好演しました。
石炭屋役の上田吉二郎 (1904-1972) は、黒澤の『羅生門』(1950) や『生きものの記録』(1955) などでのアクの強い役が特徴的です。特撮では、『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(1967) や『快獣ブースカ』(1966-1967) 第10話に出演しました。
雑貨屋役の坊屋三郎 (1910-2002) は、『快獣ブースカ』(1966-1967) 第26話ではトッタ先生を、『ウルトラマン80』(1980-1981) 第1-10、12話では桜ヶ丘中学校校長・林憲之介を演じました。
朝鮮人役の成瀬昌彦 (1924-1997) は、特撮ファンには特に有名です。『ウルトラセブン』(1967-1968) 第29話の仁羽教授 (プロテ星人)、第43話の第四惑星のロボット長官、『帰ってきたウルトラマン』(1971-1972) 第37話、第38話のナックル星人といった憎々しい悪役を独特の存在感で演じました。他にも、『遊星王子』(1959)、『キャプテンウルトラ』(1967) 第19話、『戦え! マイティジャック』(1968) 第10話にも出演しました。
小椋上等兵役の陶隆 (1921-2010) は、『七色仮面』(1959)、『帰ってきたウルトラマン』第23話、『ウルトラマンレオ』(1974-1975) 第43話、『シルバー仮面ジャイアント』(1971-1972) 第15話、『人造人間キカイダー』(1972-1973) 第22話、『鉄人タイガーセブン』(1973-1974) 第7話、『電人ザボーガー』(1974-1975) 第36話に出演しました。
道路の避難民役の菅井きん (1926-2018) は、『生きる』や『どですかでん』(1970) などの黒澤映画や、『ゴジラ』(1954) の威勢のいい大沢婦人代議士役が有名です。小林の他の映画では『黒い河』(1957) のパアのかあさんを、『怪談』の「雪女」では村の女を演じました。
部落の避難民役の北原文枝 (1920-1980) は、『怪談』の「黒髪」で乳母を演じました。因みに、彼女の夫は『人間の條件 第1・2部』で渡合憲兵軍曹を演じた安部徹 (1917-1993) です。
福本上等兵役の平田守 (現・歌澤寅右衛門) (1930- ) は、黒澤映画では『八月の狂詩曲』(1991) に、特撮映画では『劇場版 仮面ライダーアギト PROJECT G4』(2001) に出演しました。
兵隊A役の永井玄哉 (1925- ) は、『からみ合い』の刑事や『怪談』の猟師も演じました。特撮では、『光速エスパー』(1967-1968) 第5話、第12話、『快獣ブースカ』第44話、『ウルトラQ』(1966) 第11話、『帰ってきたウルトラマン』第43話に出演しました。
録音の西崎英雄 (1918-2000) は、小林正樹とはデビュー作『息子の青春』(1952) からの長い付き合いで、『美わしき歳月』(1955)、『泉』(1956)、『黒い河』(1956)、『人間の條件』全作、『切腹』、『怪談』、『いのち・ぼうにふろう』、『燃える秋』、そして小林の遺作『食卓のない家』と多くの小林映画を手がけました。黒澤明とは、黒澤の遺作『まあだだよ』(1993) が唯一の作品になりました。
編集の浦岡敬一 (1930-2008) は、小林映画では『燃える秋』と『東京裁判』(1983) を、特撮映画では『ウルトラマン』(1979)、『ウルトラマン怪獣大決戦』(1979)、『ウルトラマンZOFFY ウルトラの戦士VS大怪獣軍団』(1984)、『ウルトラマン物語』(1984) を編集しました。
音楽の木下忠司 (1916-2018) は、『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』(1966) で、初期ガメラ映画には珍しい重い曲を書いていました。
映画のタイトルバックに出てくる印象的なレリーフを制作したのは、著名な彫刻家の佐藤忠良 (1912-2011) です。佐藤も、1945年から1948年にかけて、『人間の條件・完結篇』のように、シベリアに抑留された経験があります。因みに、札幌第二中学 (現・北海道札幌西高等学校) に通っていた頃の佐藤は、後の作曲家・伊福部昭 (1914-2006) と、後の音楽評論家・三浦淳史 (1913-1997) と共に、美術サークル「めばえ会」を結成して、地元で絵画展も開いたそうです。伊福部昭は『ゴジラ』(1954) などの特撮映画や『ビルマの竪琴』(1956) や『座頭市物語』(1962) などの映画音楽で有名ですが、その本当の姿は、21歳のときに《日本狂詩曲》(1935) でチェレプニン賞第1位を受賞するなど、数々の名曲を残した作曲界の巨匠です。又、東京音楽学校 (現・東京藝術大学) や東京音楽大学の教授も勤めて、芥川也寸志や松村禎三など数多くの名作曲家を育てた教育者でもありました。
『人間の條件』が現代に問いかけるもの
約31年ぶりに『人間の條件・完結篇』を再び鑑賞しましたが、やはり圧倒的な名作だと改めて思いました。
絶望的な内容でありながらも、3時間以上の長尺を全く飽きさせず、観る者を釘付けにする並外れた馬力を持った映画です。
太平洋戦争の敗戦から今年で76年。『人間の條件・完結篇』の公開から60年。
仲代達矢が懸念したように、現在の自公政権は、コロナ禍にも関わらず、社会保障を削減するなど国民生活を殆ど支援せず、軍事費を増額しています。この上、日本国憲法まで改悪されてしまうと、日本の民主主義は崩壊してしまいます。
人間が人間らしく生きていくための権利が脅かされつつある今だからこそ、小林正樹の映画は改めて観直す価値が増していると思います。
(敬称略)
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参考資料(随時更新)
『人間の條件』関連
Mellen, Joan. Voices from the Japanese Cinema. Liveright, 1975.
『役者 MEMO 1955-1980』 仲代達矢、講談社、1980年
『映画編集とは何か 浦岡敬一の技法』 浦岡敬一、平凡社、1994年
『キネマ旬報』 1996年12月下旬号、キネマ旬報社
『人間の條件(上)』 五味川純平、岩波書店、2005年
『人間の條件(中)』 五味川純平、岩波書店、2005年
『人間の條件(下)』 五味川純平、岩波書店、2005年
『未完。 仲代達矢』 仲代達矢、KADOKAWA、2014年
『生誕100年 映画監督・小林正樹』 庭山貴裕、小池智子 編、公益財団法人せたがや文化財団 世田谷文学館、2016年
『映画監督 小林正樹』 小笠原清、梶山弘子 編、岩波書店、2016年
『仲代達矢が語る日本映画黄金時代 完全版』 春日太一、文藝春秋、2017年
「映画監督 小林正樹」 松竹シネマクラシック
Blu-ray The Human Condition. The Criterion Collection, 2021.
戦争関連
「十五年戦争メモ」
『総員玉砕せよ!』 水木しげる、講談社、1995年
『1945年 ベルリン解放の真実 戦争・強姦・子ども』 ヘルケ・ザンダー、バーバラ・ヨール 著・編、寺崎あき子、伊藤明子 訳、パンドラ、1996年
『現代歴史学と戦争責任』 吉田裕、青木書店、1997年
『日本の軍隊 兵士たちの近代史』 吉田裕、岩波書店、2002年
『つぶれた帽子 佐藤忠良自伝』 佐藤忠良、中央公論社、2011年
『日ソ戦争 1945年8月 棄てられた兵士と居留民』 富田武、みすず書房、2020年
「ソ連侵攻、苦しみ今も」 時事ドットコムニュース、2015年8月15日(宝田明インタビュー)
「2016 とくほう・特報 シリーズ 未完の戦後補償 シベリア抑留とは何だったのか 軍に裏切られ 異国に眠る」 しんぶん赤旗、2016年8月24日
「佐藤ハルエさん|証言」 NHK 戦争証言アーカイブス、2017年(ETV特集「告白 満蒙開拓団の女たち」 放送日2017年8月5日)
「ソ連兵の「性接待」を命じられた乙女たちの、70年後の告白 満州・黒川開拓団「乙女の碑」は訴える」 平井美帆 – 週刊現代、2017年8月23日
「人類史上最悪…犠牲者3000万人「独ソ戦」で出現した、この世の地獄」 週刊現代、2019年8月23日
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