こんにちは、タムラゲン (@GenSan_Art) です。
今日は、TOHOシネマズ岡南で、『七人の侍』4Kデジタルリマスター版を鑑賞しました。
『七人の侍』(1954) は、黒澤明の代表作の一本で、世界中の映画に多大な影響を与え続けている名作中の名作です。
『七人の侍』について
七人の侍
Seven Samurai
1954年4月26日公開
東宝株式会社 製作・配給
白黒、スタンダード、207分
スタッフ
監督:黒澤明
製作:本木荘二郎
脚本:黒澤明、橋本忍、小國英雄
撮影:中井朝一
照明:森茂
美術:松山崇
録音:矢野口文雄
音楽:早坂文雄
監督助手:堀川弘通、清水勝弥、広沢栄、田実泰良、金子敏
音響効果:三縄一郎
美術監修:前田青邨、江崎考坪
粧髪:山田順次郎
剣術指導:杉野嘉男 (日本古武道振興会)
流鏑馬指導:金子家教 (日本弓馬会範士)、遠藤茂 (日本弓馬会範士)
キャスト
島田勘兵衛:志村喬
菊千代:三船敏郎
岡本勝四郎:木村功
久蔵:宮口精二
七郎次:河東大介
林田平八:千秋実
片山五郎兵衛:稲葉義男
利吉:土屋義男
万造:藤原釜足
茂助:小杉義男
与平:左卜全
儀作:高堂国典
志乃:津島恵子
利吉の女房:島崎雪子
あらすじ
戦国時代、野武士による収奪に繰り返し苦しめられていた農村は、浪人を雇って自衛することを決意します。町へ出た4人の農民 (利吉、万造、茂助、与平) は、百戦錬磨の智将・勘兵衛と出会い、彼の協力を得ることになります。その後、元服前の若武者・勝四郎、温厚な五郎兵衛、勘兵衛の右腕・七郎次、飄々とした平八、凄腕の剣豪・久蔵が次々と勘兵衛に共感して揃います。最後に、農村出身で荒くれ者の菊千代が加わった7人は村に到着します。最初は、農民達は浪人達を警戒して、浪人は落武者狩りをする農民に不信感を抱きますが、菊千代の破天荒な行動で両者は打ち解けていきます。万造の娘・志乃と勝四郎がお互いに惹かれ合う中、野武士の脅威が迫ってきます。数日に渡る激しい戦闘で、浪人や農民は戦死者を出しながらも、遂に野武士を撃退します。
予告篇
午前十時の映画祭
実は、「午前十時の映画祭」で『七人の侍』を鑑賞するのは三度目になります。最初は2016年10月22日にイオンシネマ宇多津で2K上映を鑑賞して、次に2018年6月13日にTOHOシネマズ岡南で4K上映を鑑賞しました。
何度見てもデジタルリマスター版の鮮明な映像と音声には驚かされます。
『七人の侍』はスタンダードサイズの画面なので、前方の席でも画面全体を把握することが出来ます。
前半の街のセットの細かい作り込みや、遠景のエキストラにまで丁寧に演技指導が行き届いているのがよく分かります。
そして、コントラストの強い白黒映像が俳優の眼を更に印象付けます。利吉の憤怒の眼。万蔵の狡い眼。勘兵衛の雄々しい眼。五郎兵衛の柔和な眼。菊千代の獰猛な眼。そして、利吉の妻役の島崎雪子は一言も台詞が無いのに虚無、驚愕、冷笑の眼力が圧倒的です。
ラストの豪雨の決戦も、フィルムの傷が殆ど全て除去されています。
音声の鮮明さも驚異的です。オープニングの「野武士のテーマ」で、打楽器の音がクッキリと聞こえるので早々に驚かされます。休憩音楽の「侍のテーマ」も、何かに当たる物音も除去されています。
1975年のリバイバル時に『七人の侍』には斬殺音等が追加され、それ以降はその音声版が使用されてきましたが、今回は原点である光学録音の音声を修復しましたので、斬殺音無しの1954年版として蘇りました。
侍集めの舞台となる町の人々の声や、村の川の流れ、登場人物達の息遣いなどが鮮明に聞こえ、黒澤明が実に繊細な音の演出をしていたことを改めて実感します。
何よりも特筆すべきなのは、三船敏郎を筆頭に、これまで聞き取りにくかった台詞がかなり聞きやすくなった点です。
現時点で最高の『七人の侍』修復版なのは間違いないです。
「「七人の侍」と「生きる」が“最高画質”目指し4Kレストア。最新の修復現場に潜入」 AV Watch 2016年2月22日
「●「七人の侍」音物語」 kyuzho7のブログ 2016年10月19日
個人的鑑賞記
国内版ソフト未発売の頃
『七人の侍』の制作秘話や世界的な影響については、既に数多くの書籍や記事が詳しく解説していますので、それらに関して今更私が多く語る必要は無いと思います。
公開から65年も経った今も世界中で見られ続ける作品ともなれば、観客の世代や国籍も多様で、賛否どちらの意見も多い筈です。
そこで、『七人の侍』や黒澤明の映画について、私の個人的な体験や思うことを綴っていきます。
私が黒澤明の映画を意識するようになったのは、高校生になった頃でした。
勿論、それ以前からその名を耳にしたことはありましたが、子供だった私には何やら偉そうな巨匠という堅い印象でした。しかも、初めて見た黒澤映画が、テレビで初放送された『乱』(1985) でしたので、まだ中学生だった私は余計に恐ろしくて悲惨な映画という印象を受けてしまいました。(数年後、再び『乱』をレンタルビデオで鑑賞したときは、その作劇と美術の見事さに心を打たれ、今では『乱』も私が最も好きな黒澤映画の一本となっています。)
高校生になった私は、テレビで偶然見た『荒野の用心棒』(1964) に触発され、『用心棒』(1961) のビデオをレンタルしてみました。そして、ハリウッド映画にも引けを取らぬ抜群の脚本と演出、そして、三船敏郎の骨太な魅力に忽ち夢中になりました。
又、同時期に、これまた偶然、書店で見つけて購入した西村雄一郎の『巨匠のメチエ・黒澤明とスタッフたち』(フィルムアート社) が黒澤映画の魅力を具体的に解き明かした名著でしたので、俄然、他の黒澤映画にも興味が湧きました。
北米での鑑賞
ただ、1980年代後半までは、レンタルビデオ黎明期だったせいもあって、黒澤映画はまだ全作揃っていませんでした。しかも、当時の日本ではまだ未発売の『七人の侍』、『隠し砦の三悪人』(1958)、 『天国と地獄』(1963)、『赤ひげ』(1965) などのビデオがアメリカでは出ていることを雑誌で知ったときには悔しく思いました。 (1990年後半になって、東宝は自社の黒澤映画全作のビデオのレンタルを開始。数年遅れてLDも発売。1993年にトリの『七人の侍』が発売され、ようやく日本でも黒澤映画のソフトが全作揃いました。)
今のように、ネットで簡単に買える時代でもありませんでしたので、何とかビデオを入手できないものかと思っていましたら、ある用事でアメリカに行くことになりました。用事のことはさて置き(笑)、アメリカでビデオを借りて遂に『七人の侍』を見れたときは、夢中になって一気に3時間半を全編見終えました。どうしても見たかった映画を見れて、暫くは言葉も無く、映画の場面を頭の中で追体験していました。
因みに、このとき見た初版のビデオ (Embassy Home Entertainment) は、ジャケットが何故か他の時代劇のスチル写真でした。又、「休憩」が無くて、勘兵衛と五郎兵衛が居眠りしていた菊千代を窘める場面で、2本組ビデオの前半が終わりになっていました。
1988年に、クライテリオン・コレクションが、「休憩」を含めた3時間27分の完全版LDを発売しました。 その数年後、アメリカで再発売された『七人の侍』のビデオは、このLDと同じ内容でした。(勿論、ジャケットも『七人の侍』のスチル写真になっていました。それは良いのですが、何故か五郎兵衛がいない6人の侍の写真でした。しかも、写真が左右逆になっていましたし。)
私が初めて映画館で『七人の侍』を鑑賞したのは、再び渡米していたときでした。1994年2月18日、某大学の学生が運営する劇場での16mmフィルム上映を観に行きました。
スタンダード・サイズなのに、最初はワイドのフレームで上映してしまうというハプニングはあったものの、フィルムの状況は良好。館内は、老若男女問わない幅広い層の客で満員。菊千代の身体を張ったギャグに場内は爆笑の連続で、勝四郎の「あなたは…素晴らしい人だ」の英語字幕 “You are… Really great!” にも大爆笑(笑) 野武士との決戦では、侍が野武士を一騎討ち取るごとに、手前に座っていた青年が “Yeah!” と歓声を上げていました。3時間以上の長尺でも、観客は熱心に銀幕に見入り続け、そして、ラストの「終」で、割れんばかりの拍手が起こりました。翌19日の上映も観に行きましたが、このときも前日と同様の盛況でした。
国内での鑑賞
時は移り、1997年12月24日には三船敏郎が、1998年9月6日には黒澤明が他界しました。
その2ヶ月後、追悼企画として黒澤の代表作が高松東宝会館で上映されました。
・1998年11月21日~11月27日『隠し砦の三悪人』『天国と地獄』
・1998年11月28日~12月4日『七人の侍』
私が日本の映画館で『七人の侍』を見たのは、このときが初めてでした。 (その高松東宝会館も、2004年に閉館しました。)
更に時は移り、21世紀になる頃には、映像媒体もVHSのビデオテープからDVDに急速に移行していきました。
2002年には、待望の黒澤映画全作のDVDが発売されました。『七人の侍』の初回DVDでは、勘兵衛が農民に加勢することを決意する場面の映像が入れ間違っていたので、ディスクを無料交換するという騒ぎがありましたが(苦笑)
※ 『七人の侍』の国内外のソフトの移り変わりに関しては、以下の記事が詳細に紹介しています。
「黒澤明監督作品/LDジャケット特集」 LD DVD & Blu-rayギャラリー
「七人の侍」 LD DVD & Blu-rayギャラリー
いずれにせよ、台詞が聞き取りにくいことが難点でもある黒澤映画も、日本語字幕が出せるDVDが発売されたことによって、より鑑賞し易くなりました。
公開当時から指摘されている台詞の聞き取りにくさは『七人の侍』や『蜘蛛巣城』(1957) 等に顕著ですが、これは俳優に怒鳴る台詞回しを要求する黒澤の演出だけではなく、当時の光学録音の限界でもありました。その意味でも、古い映画こそデジタル修復版の上映やBlu-rayで見ることによって真価を発揮すると思います。
『七人の侍』のBlu-rayに関しては、クライテリオン・コレクションのソフトもおススメです。本編の画質と音声は勿論、特典映像やジャケットのデザイン等も見事です。
ともあれ、これまで私は『七人の侍』を、フィルム、VHS、LD、DVD、Blu-ray、と様々な媒体で見続けて、気が付けば60回以上も見たことになります。(ファンの中には、100回以上も見たという人もいるそうなので、上には上がいるものです・汗)
この先、あと何回見るか分かりませんが、年齢や人生経験と共に、あらゆる角度から味わい深く鑑賞できる『七人の侍』の奥深い魅力は、まだまだ尽きそうにないです。
4KリマスターBlu-ray (2023年6月21日追記)
2023年6月、『七人の侍』4Kリマスター版 Blu-ray が遂に東宝から発売されました。
同年6月20日、ネットで購入した4KリマスターBlu-rayが届いたので、早速視聴しました。
私の自宅は4K Ultra HDを再生できる環境ではないので、4Kデジタルリマスターを2KダウンコンバートしたBlu-rayですが、我が家のテレビで見る分には十分鮮明な映像でした。何しろ冒頭のタイトルでスタッフとキャストの名前のプレートの升目まで微かに見えるほどでしたので仰天しました。既存の4K素材を再修復したそうなので、東宝の旧Blu-rayは勿論、クライテリオン・コレクションのBlu-rayをも凌ぐ高画質です。
音声は、オリジナル モノラル(リニアPCM)とオリジナル 2.0chサラウンド(リニアPCM)の二種類で、日本語字幕も表示できます。
ところで、ネット上では UHD版ソフトのジャケットデザインに批判が集中していました。
確かに、他のUHD版ジャケットが白地に主人公一人だけというシンプルなデザインで統一しているとは言え、「七人」の侍の映画なのに菊千代だけでは不自然かもしれません。しかも、東宝の旧Blu-rayのジャケットが鎧兜を纏った菊千代が怒鳴る有名なスチルなのに対して、今回は種子島を持ってはしゃぐ菊千代のスチルが多くの人達には「ダサい」と思われてしまったようです。
ただ、種子島を持ってジャンプする菊千代のスチルは、古参のファンには見慣れたものなので、それほど違和感はありません。1956年に北米で最初に公開されたときの新聞広告や、同じく米国のヴァレーズ・サラバンド・レコーズから発売されたサントラCDのジャケットに掲載されていました。更に、ケン・月影の劇画版『七人の侍』の扉イラストも、生賴範義がこのスチルを基にした点描画を描いていました。
個人的に不満なのは、ジャケットデザインよりも特典の内容です。
例によって、東宝の旧Blu-rayと同様に、解説書すら無く、DVDの特典映像「黒澤明~創ると云う事は素晴らしい~」も未収録なのは残念です。せっかく映像修復のスタッフが最高の仕事を成し遂げてくれたにも関わらず、ソフト化の仕様で相変わらずクライテリオン・コレクションに負けているところに東宝のやる気のなさが垣間見えます。
その代わり、特典映像として新たに収録された特報やスチールギャラリーは見応えあります。
特典映像 |
特報(音声なし) ノンスーパー特報(音声なし) オリジナル版予告編 海外輸出用予告編 リバイバル版予告編(モノラル) リバイバル版予告編(ステレオ) 1991年版特報(ドルビーサラウンド音源) 1991年版予告編(ドルビーサラウンド音源) |
今回の特典映像で特筆すべきは、海外用予告編の一部に、可燃性ナイトレート製オリジナルネガが使用されていたことです。噂には聞いていましたが、2Kソフトで見ても超鮮明な映像に目を見張りました。UHDやフィルム上映で見たら、どれほど素晴らしい映像だったことでしょう。つくづく『七人の侍』本編のオリジナルネガが失われたことが無念でなりません。
ギャラリー | |
スチール・スナップ | |
ポスター | 半裁ポスター 1954年4月初公開版 スピードポスター 立看ポスター 半裁ポスター 半裁ポスター(地方版) 半裁ポスター 1954年9月凱旋上映版 半裁ポスター 1961年5月名画座リバイバルショウ版 半裁ポスター 1967年6月再上映版 立看ポスター 3シートポスター 半裁ポスター 1975年9月再上映版 半裁ポスター 1991年11月再上映版 |
プレスシート | 東宝映画 プレスシート1954 東宝映画 プレスシート附録 東宝スタジオ・メール 特報 東宝スタジオ・メール NO.209 東宝写真ニュース 東宝(小冊子) 七人の侍特集号 完成記念披露試写会 二つ折りプレスシート 東宝プレス・シート 1967.5.No.13 三つ折りプレスシート |
チラシ | 横須賀東宝 三つ折りチラシ 光音座ニュース 三つ折りチラシ 高松東宝ニュース 二つ折りチラシ なんば東宝 二つ折りチラシ 南明座 チラシ 大森銀映座 チラシ 阪急三劇 二つ折りチラシ 松竹映画西荻館 二つ折りチラシ 横手市 阿桜館・第一劇場 チラシ 江古田文化ニュース 二つ折りチラシ 沼津銀星座 チラシ グリーン座ニュース 二つ折りチラシ 市川東宝映画劇場 二つ折りチラシ 井の頭会館週報 二つ折りチラシ 三重大劇ニュース チラシ なごや東宝ニュース 二つ折りチラシ 並木座 二つ折りチラシ 自由ヶ丘南風座 二つ折りチラシ 荻窪文化劇場ニュース 二つ折りチラシ 千住東宝 二つ折りチラシ 大岡山東宝コーパ劇場 二つ折りチラシ 桐生東宝 二つ折りチラシ 長井トキワ館 チラシ 東洋映画劇場 二つ折りチラシ 山形県飯豊町 椿劇場 チラシ ユニオン座 二つ折りチラシ 浦和劇場 二つ折りチラシ 足立市 ワンプラウイクリーNo.20 二つ折りチラシ 足立市 ワンプラー劇場 チラシ エトアール劇場 二つ折りチラシ 渋谷東宝劇場 二つ折りチラシ 完全オリジナル版 チラシ 日本映像職能連合 特別上映 チラシ 近鉄小劇場 チラシ ミッドランドシネマ名古屋空港 チラシ 川崎チネチッタ チラシ 2022年 |
地方のチラシがこれほど大量に残っていたことに驚きます。内容は基本的に同じですが、どのチラシからも『七人の侍』が当時の日本映画としては空前の大作であったことが伺えます。又、レイアウトや当時の広告なども興味深いです。
余談ですが、今は無き高松東宝のチラシも地元民としては広告に注目しました。ライオン通りの和洋食料理店 味の店 垚文 (きぶん) では、値段は90円均一というところに時代を感じました。
パンフレット |
パンフレット パンフレット 福岡日本劇場 パンフレット 前橋銀星座 パンフレット 日本劇場 GOLDEN MELODY パンフレット KITANO NEWS NO.5 & NO.6 日本劇場 春のおどり パンフレット 京都 公楽小劇場 パンフレット 日本劇場 愛の唄 パンフレット パンフレット(1975年リバイバル) 日本映像職能連合特別上映会 パンフレット |
1954年の初公開時からパンフレットが数種類あったとは知りませんでした。昔は劇場ごとにパンフレットを刷っていたのでしょうか?
又、当時から東宝では英語題名を “Seven Samurai” と大々的に記していたことも意外でした。『荒野の七人』に主演したジェームズ・コバーンも語っていたように、当時は「サムライ」という言葉が海外では浸透していなかったせいか、結果的に “The Magnificent Seven” という英語題名で『七人の侍』は北米公開されました。
その他 |
東宝ニュース別冊 1953年7月号 東宝(関西支社版) 1953年7月号 東宝ニュース 1953年9月号 東宝ニュース 1953年11月号 1954東宝双六 サンデー芸能 29・3・25 サンデー芸能 29・4・10 後楽園アイスショーチラシに掲載の広告 雑誌広告 宣伝用 箱マッチ のぼり 新聞広告 続映を知らせる新聞広告 受賞を知らせる新聞広告 前売り券 上映中の日本劇場 海外向けパンフレット(英語と伊語) 砧まつり(1955年5月開催) パンフレット 完全オリジナル版 ロビーカード テアトル東京御招待券 千葉竹沢東宝劇場割引ご鑑賞券 姫路OS劇場特別割引券 神戸新聞会館大劇場割引券 試写状 上映中のテアトル東京 雑誌広告 七人の侍 侍のテーマ EP盤ジャケット リニューアルサウンド 完全オリジナル版 特別前売券 リニューアルサウンド 完全オリジナル版 特別割引券 試写状 日劇東宝での特別試写会 上映中の日比谷映画 試写状 |
初公開時の前売り券によると、高崎東宝では、前売100円、当日120円、学割なら前売80円、当日100円です。現在の映画館の入場料が1800円だとすれば、約70年の間に15倍も値上げされたことに愕然とします。
因みに、1975年の再上映は、千葉竹沢東宝劇場での割引券によると、一般の割引は1000円が800円、学割は900円が大学生と高校生700円、中学生600円でした。又、1991年の再上映の特別割引券は、一般1300円となっていました。
それにしても、1975年に再上映されていたテアトル東京の前に長蛇の列ができていた写真は壮観です。1991年の日比谷映画でも大勢の観客が列をなしている様子が写っていましたので、改めて『七人の侍』の息の長い人気を実感しました。
映像特典の内容には賛否あるかもしれませんが、大量に収録された宣材は『七人の侍』を通して約70年前の日本映画界の熱気を垣間見れる貴重な資料でもあると思います。
そして、何よりも『七人の侍』の国内盤ソフトが世界最高の高画質で発売されたのは快挙です。従来の黒澤ファンは勿論、若い世代の人達にも4Kの鮮明な映像で黒澤映画を見てもらえることを期待しています。
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自衛のための闘いと国家間の戦争
『七人の侍』の大筋は、「毎年、野武士に襲撃される寒村の農民が、自衛のため浪人を雇って野武士を殲滅する」というシンプルなものです。
この「外敵から自衛するために闘う」という骨子は、公開当時から、その是非を巡って少なからず議論の的となってきました。
『七人の侍』が公開された1954年 (昭和29年) は、日本の敗戦から僅か9年後で、アメリカの占領から独立してまだ2年という時期でしたので、自衛隊の発足などと絡めて『七人の侍』を「日本の再軍備」を肯定する映画だと批判する声があったそうです。
当時助監督だった堀川弘通によると、その批評を読んだ黒澤は、「映画評論家と言うものは、馬鹿げたことを書くものだ」と憤慨していたそうです。
後年、黒澤明が、山田洋次と井上ひさし との対談 (『文藝春秋』1991年12月号) で語った話では、『七人の侍』の撮影現場を当時の社会党の書記長・和田博雄が見学に来た際、和田の秘書が「野武士は野武士の言い分がある」という発言をしたそうです。激怒した黒澤は、「泥棒がいいという論理か、泥棒をすることは悪いことだろう、それと戦うのは当たり前じゃないか」と反論しました。(因みに『週刊朝日』1957年1月27日号で、どの政党を支持するのか訊かれた黒澤は社会党と答えていました)
又、『世界の映画作家3 黒沢明』(キネマ旬報社) に収録された4人の映画監督 (浦山桐郎、熊井啓、黒木和雄、増村保造) の座談会で、増村保造が「武士が農民の味方をして山賊と争うなど、徳川時代にありっこない話だし、大うそもいいところだ」と語っていましたが、それは増村の誤解です。冒頭の字幕に出るように、『七人の侍』の時代設定は、江戸時代ではなく戦国時代なのですから。更に、菊千代の「家系図」を見た勘兵衛が彼を「十三歳」だと大笑いしたことから、物語の時代設定が西暦1587年 (天正15年) だと分かります。
冒頭からちゃんと見れば分かりますが、この映画の前半は「農民による侍集めと戦闘準備」であると同時に、「農民には自分達で闘うしか選択肢が残されていない」ことを用意周到に見せていく物語でもあります。
野武士が跳梁跋扈する戦国時代の真っ只中、代官所も当てにならず、食料や農耕馬のみならず農民の女まで奪い取る残忍な野武士との談合など論外。耐え難い略奪と屈辱に加え、自分達の食料すらままならないとなれば、自分達で外敵から自衛しようとするのは必然すぎるほど必然です。
もっとも、『七人の侍』の農民は、武士や野党から虐げられるだけの卑屈な存在として描かれますが、実際には、戦国時代の武士と農民の区別は曖昧な所があり、農民も刀などで普通に武装していたそうです。
戦国時代の農民の描写が多少史実と異なるとは言え、武者修行中の侍が田畑の見張りなどをして農民から食事や宿を提供してもらうことはあったそうですから、『七人の侍』の物語は決して荒唐無稽なものではありません。
更に、先述の山田洋次と井上ひさし との対談によると、映画の公開後、黒澤宛てに、ある女性から抗議の手紙が届いたそうです。その手紙は「こんな残酷な映画を発表されては困る、私はこれからアメリカに行って勉強するのに、こんな映画を出されたら日本人として立場がなくなる」という主旨の内容でした。
またもや激怒した黒澤は、「西部劇を見ろ、インディアンをじゃんじゃん殺してるじゃないか。野武士というのは暴力団みたいなもので、それと戦ってどこが悪いんだ」という内容の分厚い反論の手紙を書いたとか。
黒澤明がジョン・フォードの西部劇のファンであることはさて置き、この指摘は重要です。
何故なら、もし刀で斬り合う日本の時代劇を「残酷」で「封建的」だと眉をひそめて、白人が銃で先住民を虫けらのように撃ち殺しまくる西部劇を単に「映画だから」と擁護するのなら、その倫理的基準は一体どこにあるのでしょうか?
実際、私より上の世代に、『七人の侍』より『荒野の七人』(1960) の方が好きというように、時代劇より西部劇の方が好きという人がいるのを何人か見たことがあります。これは、戦後にアメリカ文化が大量に入ってきた頃の世代に共通する価値観でしょうか?
必ずしもそうとは限らないかもしれません。
私は北野武の映画は嫌いですが、彼の言葉で珍しく感心したのは、外国人から彼の映画がヤクザばかりだと批判された際、『ダイ・ハード』(1988) のようなハリウッド映画もバイオレンスに満ちていると反論すると、外国人は「あれは漫画みたいなものだから」と苦し紛れに答えたそうです。
こうした話から見えてくるのは、自分達と同じ日本人 (アジア人) が刀を振るうのは「前近代的」に見えて、アメリカ人 (白人) が銃で有色人種を撃ちまくるのは「カッコいい」と無意識の内に思うようになってしまった倫理観の植民地化です。
もしそうでないと言うのでしたら、何故こうもハリウッド映画が席巻する一方、かつて世界が刮目した日本映画の名作が「古い」とか「白黒」というだけで少なからずの日本人に敬遠されるのでしょうか?
何やらムキになってしまいましたが、私は決して国粋主義者ではありませんし、あらゆる種類の差別には断固反対です。
そして、『七人の侍』を「再軍備」に結び付けて批判することに反対なのと同じく、この映画を「戦争賛美」として利用することにも大反対です。
何故なら、『七人の侍』で村を繰り返し蹂躙するのは40騎の野武士だと特定されています。黒澤が言ったように、野武士は「泥棒」や「暴力団」のようなものです。この無法な集団を取り締まる法も無く、談合も無理なら、自衛のために闘うのは正当防衛です。
映画『世界が食べられなくなる日』(2012) のジャン=ポール・ジョー監督は、好きな「環境映画」として『七人の侍』を挙げています。その理由として、農業を破壊して搾取しようとする者達に対して闘う勇気を持たなければならない点で現代社会と共通していると語っていました。
「「わたしもあなたもひとつのメディア、発言力とお金の使い方を考えなければいけない」:『世界が食べられなくなる日』ジャン=ポール・ジョー監督に岩上安身氏が聞く」 骰子の眼 – webDICE 2013年4月17日
これに対して、近代の国家間の戦争は様相が大きく異なります。戦争の原因となる事実は、権力者によって都合の良いように捏造され、マスコミを通じて国民が洗脳されていく事例が多いです。しかも、直接、戦場で殺し合いをさせられるのは、それまで互いに出会ったこともないような者達なのです。
黒澤明の晩年の映画『影武者』(1980)、『乱』、『夢』(1990) などでも戦争の愚かさが繰り返し描かれましたが、活劇である『七人の侍』も、闘いの果てにあるのは傷付いた人間と戦争の虚しさであることを描いています。
黒澤明自身も戦前・戦時中に、横暴な軍人や検閲官に苦しめられた経験があるだけに、戦争に反対していました。
何が何でも、戦争だけはしちゃいけない「自分の大切な人が殺されそうになったら反撃しないのかって,よく反論されるんだ.そういうことじゃないんだ.戦争というものが始まってしまうと,虫も殺せなかった人間が人を殺し,心優しい人間も身内を守るために鬼の形相になる」 #kuroken
— 黒澤明「生きる」言葉 (@AkiraK_Bot) April 28, 2021
農民でも武士でもない菊千代 (三船敏郎) は、そうした理不尽な戦乱の世に対する抑えがたい怒りと悲しみを体現していました。
主人公は誰?
私がこれまで見聞きした限りですが、「物語の主人公は一人か二人のみ」という風に考えている人が少なくないようです。
『七人の侍』は、題名通り7人の武士が主役として出てきますが、映画全体を見ますと、必ずしも彼等がいつも主人公という風には描かれていないことが分かります。(事実、7人の最初の1人となる勘兵衛 (志村喬) が初登場するのは、開幕から約18分も経ってからです。)
『七人の侍』のタイトルが終わった後に最初に登場するのは、野武士の群れで、次に農民の集団。その中から侍を探しに4人の農民が町へ行きます。4人の中では、野武士と闘うことを言い出した利吉 (土屋嘉男) が突出していて、彼の方が主人公のように見えるときもあるくらいです。
最初に登場する侍の勘兵衛が、他の6人の侍を纏めて、野武士撃退の作戦を統率し、映画のラストも締めるので、勘兵衛が主人公と言うのが無難かもしれません。
ですが、勘兵衛を慕う勝四郎 (木村功) も、勘兵衛に付きまとう菊千代も、勘兵衛に劣らず活躍するので、一概に勘兵衛だけが主人公とも言いにくいです。タイトルでは、志村喬と三船敏郎が並んで最初に出ますが、ポスターでは三船敏郎が一番大きく描かれることが多いですし。
映画全体を俯瞰して見ると、武士と農民の双方の登場人物達の視点から物語が描かれていくという重層的な構成とも言えそうです。
私からすれば主人公が誰であろうと大して気になりませんが、主人公が特定されないことに不満 (不安?) を覚える人も何人かいるようです。
米Amazonの『七人の侍』のレビューにも、主人公が誰か分からない、と書かれた不満を見かけたことがあります。
更に記憶を遡れば、私が中学生のとき、授業の中で教師があるハリウッド映画のビデオを見せてくれたことがありました。その洋画は単純明快なアクションものでしたが、冒頭の数分間、何人かの生徒は「主人公が誰か分からない」と不満そうでした。
何故、物語に主人公がいないといけないと思う人がいるのでしょうか?『平家物語』や『戦争と平和』に特定の主人公がいないからといって、その作品の価値が損なわれることなど無いというのに。
これは私の想像ですが、1人か2人の主人公による物語の方が分かり易いからという理由しか思い付きません。
1988年にクライテリオン版LDのために録音された映画評論家マイケル・ジェックによるオーディオ・コメンタリーは、その意味で示唆に富んでいました。
戦後から1950年代半ばまでの黒澤映画には、複数の登場人物が協力し合う物語が多く、『七人の侍』でも複数の人物の視点で物語が語られるのは、社会は1人の人物だけでなく皆が互いに協力し合って、より良い社会を築いていける希望があったからだと、ジェックは指摘していました。
それを裏付けるかのように、ラストシーンの墓は、正面から望遠レンズで撮られ、侍も農民も等しく土に葬られた画面で締め括られます。
このラストシーンの勘兵衛の有名な台詞も、当初の脚本では、もっと長く説明的なものでした。ですが、完成した映画では、「勝ったのは、あの百姓達だ。儂達ではない」という簡潔なものになっていました。
土と共に生きる農民と、闘いが終われば風のように去るしかない武士との対比を、台詞ではなく映像のみで雄弁に語っていました。
正に、映画の中の映画『七人の侍』に相応しい結末だと思います。
英語題名について
1956年に、『七人の侍』の短縮版が北米で初公開された際の英語題名は “The Magnificent Seven” でした。
1960年に、同じ題名で西部劇 (邦題『荒野の七人』) としてリメイクされた後、『七人の侍』の全長版が米国で初公開される頃には、リメイク版と区別する意味で “The Seven Samurai” という原題に忠実な英語題名が定着しました。
ですが、現在では、何故か定冠詞の “The” が抜けて “Seven Samurai” になっています。
短い題名の方が呼び易いのかもしれませんが、映画の中の「七人の侍」は、他の誰でもなく「あの」七人なのに、と今でも私は思っています。
『七人の侍』に関する誤解
ネットを見ていると、たまに『七人の侍』に関する誤った情報を見かけることがあります。ここでは、その主なものを紹介いたします。
撮影時期
Twitterで某アカウントが、『ゴジラ』の撮影は『七人の侍』と同時期だったのでエキストラの取り合いになり円谷英二と黒澤が揉めた、と書いていましたが、これは間違いです。
『七人の侍』は1954年3月18日に撮影を終了して同年4月26日に公開されました。一方、『ゴジラ』本編のクランクインは同年8月7日でした。
もう言うまでもありません。両作品の撮影時期は約5ヶ月も離れていたのですから、エキストラの奪い合い云々など全くのデマです。
雨の中身
同じくTwitterで『七人の侍』が話題になる度に「墨汁を混ぜた雨を降らせた」とツイートする人が少なくありませんが、これは『羅生門』(1950) での撮影と混同しています。
こうした誤解を広めた原因の一つは、テレビ番組「世界ふしぎ発見」だと思います。1997年8月2日に黒澤を特集した回が放送されました。出題されたクイズの一つが雨に関してですが、回答の映像では女性キャスターや時代劇扮装のエキストラに墨汁入りの雨を降らせていました。
ですが、『羅生門』の雨も墨汁を混ぜたのは、曇り空の背景に雨を目立たせるカットのみです。DVD『羅生門 デラックス版』のオーディオコメンタリーで野上照代も語っていたように、墨汁混じりの水を降らせると、あちこちに色が付いてしまうことは、すぐに分かることです。
因みに、『七人の侍』の雨の逸話は別にあります。
決戦前夜に勝四郎と志乃が結ばれた後に降り出す雨を、黒澤は「突き刺さるような雨」にするように要求しました。
この難題を受けて、当時の小道具の係長だった山本久蔵が試行錯誤の末に考案した装置は、砂糖を溶かした飴のような砂糖湯を遠心力で勢いよく飛ばすものでした。
黒澤映画の醍醐味が、作品に要求される映像を何とかして創造していく創意工夫にあるのが分かる一例です。
尚、この逸話は、当時の助監督の一人であった廣澤榮の著書『日本映画の時代』(岩波書店) に掲載されています。黒澤と宮崎駿の対談集『何が映画か 「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって」(徳間書店) にも転載されています。
早坂文雄 没後65年
今年は、黒澤明の生誕110年で、三船敏郎と稲葉義男の生誕100年 (!) です。そして、作曲家 早坂文雄の没後65年でもあります。
2012年4月26日、新婚旅行で京都の東映太秦映画村に寄ったとき、映画文化館で『七人の侍』の直筆楽譜の複写を見たのを思い出します。
1914年8月19日、宮城県仙台市に生まれた早坂文雄は、幼い頃に北海道札幌市に移住。生活が苦しい中、独自に作曲を始め、管絃楽曲《古代の舞曲》(1937) がワインガルトナー賞を受賞。1939年、上京。《左方の舞と右方の舞》(1941) 等の名曲を作曲する傍ら、数多くの優れた映画音楽も書きます。初めて黒澤明と組んだ『酔いどれ天使』(1948) の成功後、『野良犬』(1949)、『羅生門』、『生きる』(1952)、『七人の侍』を次々と成功させます。1955年、交響的組曲《ユーカラ》(1955) 初演。同年10月15日、黒澤の映画『生きものの記録』(1955) 作曲中に急逝しました。
早坂のCDの中では、『高橋アキ/早坂文雄:室内のためのピアノ小品集』(CMCD-28061) を私はよく聴きます。
どの曲も名曲ですが、特に好きなのが《戀歌No.4》です。黒澤明の映画音楽で語られることが多い早坂ですが、こういう心安らぐ優しさに満ちた純音楽も魅力的です。
近年の『シン・ゴジラ』(2016) や『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019) の公開などで、同じ北海道育ちの伊福部昭が再び注目されるのは嬉しいですが、伊福部と共に切磋琢磨してきた早坂文雄の純音楽作品も、もっと多くの人達に聴いてもらえることを期待しています。
(敬称略)
※ この記事は、アメーバブログに投稿した以下の拙記事に加筆修正を加えたものです。
「『七人の侍』公開60周年(前篇) – 個人的体験記」 2014年4月26日
「『七人の侍』公開60周年(中篇) – 自衛のための闘いと国家間の戦争」 2014年4月28日
「『七人の侍』公開60周年(後篇) – 主人公のいない物語」 2014年4月28日
「『七人の侍』公開60周年(番外篇) – 英語題名について」 2014年4月28日
「午前10時に『七人の侍』を鑑賞」 2016年10月22日
「午前10時に『七人の侍』4Kを鑑賞」 2018年6月13日
参考資料(随時更新)
書籍
『世界の映画作家3 黒沢明』キネマ旬報社、1970年
Kurosawa, Akira. Modern Film Scripts: The Seven Samurai. Translated by Donald Richie. Simon and Schuster, 1970.
Mellen, Joan. Voices from the Japanese Cinema. Liveright, 1975.
『役者 MEMO 1955-1980』 仲代達矢、講談社、1980年
『巨匠のメチエ 黒澤明とスタッフたち』 西村雄一郎、フィルムアート社、1987年
『全集 黒澤明 第四巻』 黒澤明、岩波書店、1988年
『黒澤明 集成』 キネマ旬報社、1989年
『何が映画か 「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』 黒澤明、宮崎駿、徳間書店、1993年
『映画編集とは何か 浦岡敬一の技法』 浦岡敬一、平凡社、1994年
『三船敏郎 さいごのサムライ』 毎日新聞社、1998年
『黒澤明 音と映像』 西村雄一郎、立風書房、1998年
『村木与四郎の映画美術 [聞き書き]黒澤映画のデザイン』 丹野達弥 編、フィルムアート社、1998年
『クロサワさーん! ―黒澤明との素晴らしき日々―』 土屋嘉男、新潮社、1999年
『黒澤明 夢のあしあと』 黒澤明研究会 編、共同通信社、1999年
『評伝 黒澤明』 堀川弘通、毎日新聞社、2000年
『蝦蟇の油 自伝のようなもの』 黒澤明、岩波書店、2001年
『黒澤明 天才の苦悩と創造』 野上照代 編、キネマ旬報社、2001年
『戦争プロパガンダ10の法則』 アンヌ・モレリ、草思社、2002年
『黒澤明を語る人々』 黒澤明研究会 編、朝日ソノラマ、2004年
『黒澤明と早坂文雄 風のように侍は』 西村雄一郎、筑摩書房、2005年
『大系 黒澤明 第2巻』 黒澤明 著、浜野保樹 編、講談社、2009年
『大系 黒澤明 第4巻』 黒澤明 著、浜野保樹 編、講談社、2010年
『『七人の侍』と現代 黒澤明 再考』 四方田犬彦、岩波書店、2010年
『黒澤明「七人の侍」創作ノート』 黒澤明、文藝春秋、2010年
『未完。 仲代達矢』 仲代達矢、KADOKAWA、2014年
『もう一度 天気待ち 監督・黒澤明とともに』 野上照代、草思社、2014年
『初代ゴジラ研究読本』 友井健人、小沢涼子、村井秀伍、武富元太郎 編、洋泉社、2014年
『黒澤明と三船敏郎』 ステュアート・ガルブレイス4世、櫻井英里子 訳、亜紀書房、2015年
『サムライ 評伝 三船敏郎』 松田美智子、文藝春秋、2015年
『ゴジラを飛ばした男 85歳の映像クリエイター 坂野義光』 坂野義光、フィールドワイ、2016年
『仲代達矢が語る日本映画黄金時代 完全版』 春日太一、文藝春秋、2017年
『三船敏郎の映画史』 小林淳、アルファベータブックス、2019年
『旅する黒澤明 槙田寿文ポスター・コレクションより』 国立映画アーカイブ 監修、国書刊行会、2020年
『黒澤明の弁護士』 乗杉純、草思社、2022年
『鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』 春日太一、文藝春秋、2023年
ウェブサイト、ブログ
「黒澤明監督作品/LDジャケット特集」 LD DVD & Blu-rayギャラリー
「七人の侍」 LD DVD & Blu-rayギャラリー
「戦争だけは絶対ダメ父黒澤明」 黒澤 和子のBlog 2012年9月18日
「「わたしもあなたもひとつのメディア、発言力とお金の使い方を考えなければいけない」:『世界が食べられなくなる日』ジャン=ポール・ジョー監督に岩上安身氏が聞く」 骰子の眼 – webDICE 2013年4月17日
「「七人の侍」と「生きる」が“最高画質”目指し4Kレストア。最新の修復現場に潜入」 AV Watch 2016年2月22日
「●「七人の侍」音物語」 kyuzho7のブログ 2016年10月19日
CD、DVD、Blu-ray
CD『七人の侍』 早坂文雄、東宝ミュージック、AK-0001、2001年
DVD『羅生門 デラックス版』大映/パイオニア、2002年
DVD『七人の侍』東宝株式会社、2002年
DVD『黒澤明 創造の軌跡 黒澤明 “THE MASTERWORKS” 補完映像集』 東宝株式会社、2003年
Blu-ray『七人の侍』東宝株式会社、2009年
Blu-ray Seven Samurai. The Criterion Collection, 2010.
Blu-ray『七人の侍 4Kリマスター』東宝株式会社、2023年
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