こんにちは。タムラゲン (@GenSan_Art) です。
今年は、ゴジラ生誕70周年です。
今や世界中の人が知っているキャラクターとなったゴジラも遂に古稀を迎えました。劇中では約200万年前から生息していたと説明されていましたが、デビュー70周年となります。
という訳で、第一作の『ゴジラ』から最新作『ゴジラxコング 新たなる帝国』までのゴジラ・シリーズについてあれこれ思うことを綴っていきます。
尚、拙記事では各作品の結末など多数のネタバレに言及していますので、ご了承ください。
- ゴジラ・シリーズ雑感
- ゴジラ (1954年)
- ゴジラの逆襲 (1955年)
- キングコング対ゴジラ (1962年)
- モスラ対ゴジラ (1964年)
- 三大怪獣 地球最大の決戦 (1964年)
- 怪獣大戦争 (1965年)
- ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘 (1966年)
- 怪獣島の決戦 ゴジラの息子 (1967年)
- 怪獣総進撃 (1968年)
- ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃 (1969年)
- ゴジラ対ヘドラ (1971年)
- 地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン (1972年)
- ゴジラ対メガロ (1973年)
- ゴジラ対メカゴジラ (1974年)
- メカゴジラの逆襲 (1975年)
- ゴジラ (1984年)
- ゴジラvsビオランテ (1989年)
- ゴジラvsキングギドラ (1991年)
- ゴジラvsモスラ (1992年)
- ゴジラvsメカゴジラ (1993年)
- ゴジラvsスペースゴジラ (1994年)
- ゴジラvsデストロイア (1995年)
- GODZILLA (1998年)
- ゴジラ2000 ミレニアム (1999年)
- ゴジラ×メガギラス G消滅作戦 (2000年)
- ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 (2001年)
- ゴジラ×メカゴジラ (2002年)
- ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS (2003年)
- ゴジラ FINAL WARS (2004年)
- GODZILLA ゴジラ (2014年)
- シン・ゴジラ (2016年)
- GODZILLA 怪獣惑星 (2017年)
- GODZILLA 決戦機動増殖都市 (2018年)
- GODZILLA 星を喰う者 (2018年)
- ゴジラ キング・オブ・モンスターズ (2019年)
- ゴジラvsコング (2021年)
- ゴジラ-1.0 (2023年)
- ゴジラxコング 新たなる帝国 (2014年)
- まとめ
- 参考資料(随時更新)
ゴジラ・シリーズ雑感
ゴジラ (1954年)
Godzilla (Gojira)
監督:本多猪四郎
原作:香山滋
脚本:村田武雄、本多猪四郎
特技:円谷英二
音楽:伊福部昭
出演:宝田明、河内桃子、平田昭彦、志村喬
ゴジラの逆襲 (1955年)
Godzilla Raids Again (Gigantis, the Fire Monster)
監督:小田基義
原作:香山滋
脚本:村田武雄、日高繁明
特技監督:円谷英二
音楽:佐藤勝
出演:小泉博、千秋実、若山セツ子、木匠マユリ、土屋嘉男
ゲスト怪獣:アンギラス
初見は1986年に地元でレンタルしたビデオ (VHS) でした。
当時、書店で購入した『大特撮』や『円谷英二の映像世界』で初代ゴジラに興味を持ちましたが、なぜか香川県内のレンタルビデオ店で第一作『ゴジラ』のビデオを扱っている店が見つかりませんでした。
という訳で、仕方なく『ゴジラの逆襲』『モスラ対ゴジラ』『メカゴジラの逆襲』の3本をレンタルしたのを覚えています。
続編とは言え、名作である第一作の直後に撮られた映画なので期待して見ました。ですが、全体的に退屈な展開でしたし、当時のビデオの画質では、大阪でのゴジラ対アンギラスは暗すぎて殆ど何も見えませんでした。
そのため、長い間『ゴジラの逆襲』を見直すことはありませんでした。
やがて時代がVHSからDVDに移行して、2001年には東宝からゴジラ映画のDVDが続々と発売されました。
DVDで『ゴジラの逆襲』を久しぶりに鑑賞して先ず驚いたのは、旧ビデオソフトでは殆ど何も見えなかったゴジラとアンギラスの死闘が鮮明に見えたことです。ゴジラが噛みついたアンギラスの首から流血しているのも見えたほどです。
『ゴジラの逆襲』は初の怪獣対決映画として有名ですが、まだ東宝の看板スターとしてのキャラが確立する以前の作品ですので、ゴジラとアンギラスの闘いもプロレスというより相手の息の根を止めようとする獣同士の死闘として描かれています。
その殺伐とした雰囲気を強調するのが佐藤勝の音楽です。メインタイトルこそ佐藤らしい軽快な曲ですが、怪獣対決で延々と流れるのは不気味な響きの曲です。後年の佐藤自身による軽快なゴジラ音楽とは全く異なるこの響きは、2年後の『蜘蛛巣城』を思わせます。
もっとも、興味を引いたのはそれくらいで、本編が退屈なのは変わりませんでした。数年前、Amazonプライムビデオで無料配信されたときに再び鑑賞しましたが、やはり同じ感想です。
高名な映画評論家の双葉十三郎は、第一作『ゴジラ』を「現実的なみみっちい場面」「小市民映画みたいなぼそぼそした演出」「うす暗いいやな後味」などとこき下ろしていましたが、『ゴジラの逆襲』は一転して「(前作より)だいぶよく出来ている」と称賛していました。第一作の芹沢博士と恵美子の苦悩のような場面が無く怪獣対決などの見せ場が増えたのがその理由ですが、私個人の感想は正反対です。
第一作『ゴジラ』についての拙記事でも書きましたが、芹沢博士の苦悩こそ『ゴジラ』を70年経った今も名作たらしめている重要な要素に他なりません。その真摯なドラマは今も色褪せないところか、核や戦争の脅威が耐えない今だからこそ重みを増しています。
逆に『ゴジラの逆襲』は見せ場が増えたように見えて、物語は切迫感を欠き、演出も盛り上がりません。当時の双葉には面白く見えたかもしれませんが、第一作の迫真性と比較して普通の娯楽作でしかない続編が時代遅れになっているのは明白です。同様に、双葉の批評も時の試練には耐えるものではなかったということです。
キングコング対ゴジラ (1962年)
King Kong vs. Godzilla
監督:本多猪四郎
脚本:関沢新一
特技監督:円谷英二
音楽:伊福部昭
出演:高島忠夫、佐原健二、藤木悠、浜美枝、若林映子
ゲスト怪獣:キングコング、大ダコ、大トカゲ
1986年にレンタルビデオ (VHS) で鑑賞したのが初見です。期待して見たのですが、期待外れでした。
パシフィック製薬絡みのコメディ演出はどれも赤面もので、ファロ島の島民の描写は差別的でミンストレル・ショーそのもので、キングコングもゴジラも過度に擬人化されたキャラにされているという具合に、映画全体の軽薄なノリが耐え難かったです。この映画をシリーズの「最高傑作」と呼ぶゴジラ・ファンが多いのが今でも理解できません。(伊福部昭の音楽は名曲だと思いますが…)
次に『キングコング対ゴジラ』を見たのは、1990年代前半に渡米していた頃です。北米版のビデオをレンタルして見たのですが、第一作『ゴジラ』を『怪獣王ゴジラ』に改悪したように、日本人俳優の場面を大幅カットしてアメリカ人キャスターの解説を加えた上に、ファロ島住民の歌以外の伊福部昭の音楽を全てアメリカ人作曲家の音楽に差し替えたという酷い代物でした。
因みに、2019年10月、米国のクライテリオン・コレクションから第一作『ゴジラ』から『メカゴジラの逆襲』までのBlu-rayを収録したセット「Godzilla: The Showa-Era Films, 1954–1975」が発売されました。
第一作『ゴジラ』のみならず、昭和のゴジラ映画が丸ごとクライテリオンによってソフト化されるのは快挙だと思いましたが、部分的に引っかかる点もありました。
特に、『キングコング対ゴジラ』は北米版がメインで収録されていて、オリジナルの東宝版が『怪獣王ゴジラ』と共に特典映像扱いで収録されているのは解せません。
ともあれ、話を私の鑑賞記に戻します。次に『キングコング対ゴジラ』を見たのは、帰国後の映画館でした。
2004年に高松東宝が閉館する際、4月3日の夜から翌4月4日の早朝にかけて開催されたオールナイト上映会「おとなの東宝チャンピオンまつり」略して「おとうちゃん」(笑) が開催されました。そのオープニングで上映された『キングコング対ゴジラ』は、1970年の「東宝チャンピオンまつり」の短縮版でした。
子供の頃から長年ゴジラ・シリーズ等の東宝映画を見続けてきた映画館が閉まるのは寂しかったですが、最後にゴジラの雄姿をスクリーンで見れたのは僥倖でした。
ところで、個人的に『キングコング対ゴジラ』には思い入れは有りませんが、この映画に関して非常に興味深い考察を記した本がありました。
1998年に出版されたピーター・ミュソッフの著書『ゴジラとは何か』(講談社) です。この本の第3章で比較文化の観点から『キングコング対ゴジラ』が詳細に論じられています。
この本が他のゴジラ関連の本と一線を画しているのは、ゴジラ映画に対する愛は勿論、日米の歴史的・文化的な観点から多角的に論じていることです。
著者のピーター・ミュソッフ (Peter Musolf) はアメリカ人で、ペンシルベニア州リーハイ大学の外国語学部ドイツ文学助教授を勤めたこともあります。この本が出版された1998年当時は、横浜在住でした。
ミュソッフは大のゴジラ・ファンであり、ゴジラ映画は勿論、日本文化にも造詣が深いです。
1989年に、コーネル大学で開催された「ステレオタイプと偏見」という国際集中セミナーに共同研究員として参加するなど、多国間の文化比較の経験が、この本に大いに活かされています。
特に、『キングコング対ゴジラ』について論じた第3章は、単に映画評論という枠に収まらず、日米文化比較の研究としても秀逸です。
ミュソッフは、1960年の日米安保闘争から間もなく制作されたこの映画が、単に日米の怪獣が戦うだけでなく、日米の政治や文化の「腐れ縁」とも言える複雑な関係を象徴していることを丁寧に解き明かしていきます。
物語の隅々にさりげなく織り込まれた日米の文化対決は、「古き良き日本」と「新しく堕落したアメリカ」というだけに留まらず、もはや西洋化(アメリカ化)が浸透し過ぎて完全にアメリカを拒否・否定できなくなってしまった日本の複雑な現状まで表現していると言います。(コングとゴジラの対決が最後まで決着が付かないのも、そのためだそうです。)
更に、ミュソッフは、現実の日本が「日本の伝統」と「西洋の文化」が複雑に共存していることも述べていきます。
今上天皇と皇后雅子の結婚式が神道の儀式で始まり、途中から西洋風の盛装に着替えたこと。浮世絵が西洋の遠近法を取り入れたり、ゴッホなどの印象派に影響を与えたこと。三島由紀夫の西洋への憧れと伝統的日本への回帰。村上春樹の小説に出てくる現実の日本の中のアメリカ文化と、アメリカ文化に浸透した寿司などの日本文化。等々。
こうした様々な事例を出しながら、ミュソッフが導き出したのは、国家間の政治的・文化的な面での対立や否定は結局不毛ということです。文化は常に国家間が互いに影響を受け合いながら時代と共に変化していくものであり、その混沌の中から未来は生まれてくるからです。
何はともあれ、『ゴジラとは何か』を読めば、『キングコング対ゴジラ』は勿論、他のゴジラ映画が何倍も興味深く見れるようになるのは間違いないです。映画に限らず、日米間の文化や歴史の比較に興味ある人にもお勧めできる一冊です。正直言って『キングコング対ゴジラ』本編より面白いです。
そういえば、この本が出版されてもう26年にもなりますが、ミュソッフの動向を聞きません。彼は今どうしているのでしょう?
ミュソッフは『ゴジラとは何か』の中で、同じ1998年に公開されたイグアナ映画について複雑な心境も吐露していました。その後、ゴジラはエメリッヒの愚作とは比較にならないほどキャラクター性を尊重されてハリウッドで蘇りました。かつては日本映画の中で激しく格闘したゴジラとコングがハリウッド映画の中で共闘するのを見てミュソッフがどう思ったのか非常に興味があります。
モスラ対ゴジラ (1964年)
Godzilla vs. Mothra (Godzilla vs. the Thing)
監督:本多猪四郎
脚本:関沢新一
特技監督:円谷英二
音楽:伊福部昭
出演:宝田明、星由里子、ザ・ピーナッツ、小泉博、藤木悠
ゲスト怪獣:モスラ成虫、モスラ幼虫(2匹)
1986年にレンタルビデオ (VHS) で鑑賞したのが初見です。
第一作を別格にすれば、初期のゴジラ・シリーズで私が最も好きなのが『モスラ対ゴジラ』です。
前作でのゴジラとキングコングの闘いが子供じみたプロレスで一本調子だったのに対して、今作でのゴジラとモスラの闘いは成虫モスラの引っ掻きや鱗粉攻撃から幼虫モスラの繭の糸攻撃まで陸海空の多様な演出となっています。
インファント島の住民は全員日本人が演じていますが、少なくとも核実験の放射能汚染を受けてしまった彼等に対する罪悪感を真摯に描いていますので、ファロ島先住民を差別的に描いた前作とは大違いです。
ただ、成虫モスラが息絶えた後、卵から幼虫モスラが孵化するまでの間、ゴジラと自衛隊との攻防を挟みながら小美人が《マハラ・モスラ》を歌う場面が延々と続くのは長すぎると思います。最近もBlu-rayで視聴しましたが、やはり冗長だと思いました。『ゴジラ対メカゴジラ』の《ミヤラビの祈り》なみに長いと思います(笑)
それはさておき、伊福部昭の音楽は今作も絶好調です。伊福部による昭和ゴジラの映画音楽の中でも『モスラ対ゴジラ』は最高の一本だと思います。
特に、挿入歌の《聖なる泉》は、古関裕而が作曲した《モスラの歌》にも劣らぬ名曲です。2000年に《聖なる泉》は、伊福部によって独唱歌にも編曲されました。この歌の美しい旋律は、聴く者の心に深く沁み入ります。
話を『モスラ対ゴジラ』の鑑賞記に戻しますと、1990年代前半に北米で今作のビデオをレンタルして見たことがあります。
『キングコング対ゴジラ』ほど改竄されてはいませんでしたが、部分的に改変されていました。
台詞が英語に吹き替えられていた他には、虎畑に射殺された血塗れの熊山の映像がホテルに接近するゴジラに差し替えられ、外国の艦隊によるゴジラ砲撃の場面が追加されていました。個人的には、劇中で《聖なる泉》が歌われる場面が短縮されたせいで、この名曲がぶつ切りにされたことが不快でした。
そう言えば、北米滞在中のある夜、アメリカ人の友人たちと一緒にバーに入ると、店内のテレビが日本のアニメ映画『吸血鬼ハンターD』(1985) を放送していました。その次に放送されたのが『モスラ対ゴジラ』でしたので吃驚しました。ゴジラが登場すると、店内の客も面白がって見ていました(笑)
2023年10月には東宝から『モスラ対ゴジラ』4Kリマスター版Blu-rayが発売されたので、早速購入して鑑賞しました。
カラー映画ということもあり、60年前の映画とは思えないほど鮮明な映像でした。黒澤映画と同様に、旧東京現像所のスタッフはゴジラ映画でも見事な4Kリマスターを施してくれました。
特典映像も豊富です。
・メイキング8mm/特撮未使用映像
・各種予告編
・スチールギャラリー
・ゴジラ 造型の世界*
・モスラ対ゴジラ バトルスケッチ集*
・『モスラ アタック 東京』8mm+ソノシート*
・絵本『モスラ アタック 東京』*
*は既発売のBlu-rayに収録されているものです
黒澤映画の4K版ソフトの特典もこれくらい充実していればと思いました。
『モスラ対ゴジラ』のラストで、幼虫モスラと共にインファント島に帰る小美人を見送りながら、主人公達は「あの人たちへのお礼は、我々が いい社会を作ることだ」「うん、人間不信のないね」と言います。
この映画の公開から60年。私達は、そうした社会を作ってこれたのでしょうか?
三大怪獣 地球最大の決戦 (1964年)
Ghidorah, the Three-Headed Monster
監督:本多猪四郎
脚本:関沢新一
特技監督:円谷英二
音楽:伊福部昭
出演:夏木陽介、星由里子、若林映子、小泉博、ザ・ピーナッツ
ゲスト怪獣:ラドン、モスラ幼虫、キングギドラ
1992年8月13日、レンタルビデオ (VHS) で初めて鑑賞しました。
今年は『地球最大の決戦』公開60周年でもありますので、キングギドラも還暦を迎えました。
キングギドラのデビュー作で、ゴジラ・ラドン・モスラの三大怪獣が初の揃い踏みという豪華な内容なのですが、セルジナ公国の安っぽい描写や、芸能人じみてきた小美人の歌謡番組や、子供の喧嘩みたいなゴジラとラドンの諍いなど、あからさまに通俗的な作風になっていて白けてしまいます。
ただ、金星人が乗り移ったサルノ王女を巡る『ローマの休日』(1953) 的な部分のみを見れば、当時の東宝娯楽映画として楽しく見れるかもしれません。王女を演じる若林映子はミステリアスな雰囲気が魅力的ですし、王女暗殺を企むマルメス役の伊藤久哉の悪役ぶりも笑えます。
ところで、キングギドラが滅ぼしたのは太古の金星の文明ですが、私が北米でレンタルした海外版ビデオ(英語吹替版)では火星に改変されていて、サルノ王女も自称「火星人」(Martian) となっていました。クライテリオン盤Blu-rayはオリジナルの日本語・英語字幕版ですので、公式サイトの解説ではちゃんと「金星」となっていました。
又、Blu-rayのジャケットのイラストを描いた Monarobot はメキシコ出身のイラストレーターなので、古代メキシコの壁画のようなイラストが特徴です。もっとも、ゴジラにギドラが絡みつく構図は、明らかに生賴範義が描いた『ゴジラVSキングギドラ』のイラストを左右反転させた構図ですが。
怪獣大戦争 (1965年)
Invasion of Astro-Monster (Monster Zero | Godzilla vs. Monster Zero)
監督:本多猪四郎
脚本:関沢新一
特技監督:円谷英二
音楽:伊福部昭
出演:宝田明、ニック・アダムス、水野久美、久保明、土屋嘉男
ゲスト怪獣:ラドン、キングギドラ
1992年12月9日、レンタルビデオ (VHS) 初めて鑑賞しました。
私が滞米していた頃、レンタルビデオ店では『怪獣大戦争』『南海の大決闘』『ゴジラ対メガロ』のビデオを見かけることが多かったです。私のアメリカ人の知人の中にもゴジラ映画の中で『怪獣大戦争』とキングギドラが特に好きだという人がいました。
私の想像ですが、ハリウッドの白人俳優ニック・アダムスが宝田明と並ぶ主人公扱いというのが大きな要因だと思います。更に、日本人女優の水野久美が演じるX星人・波川とのロマンスもあるので、『ダンス・ウイズ・ウルブス』(1990)、『ラストサムライ』(2003)、『アバター』(2009) 等にも通じる「白人の救世主」または「白人酋長」的な要素もあるからと見るのは穿ち過ぎでしょうか。
それはさて置き、個人的に興味を惹かれたのはX星探検などのゴジラ映画初の宇宙探検描写です。実際の「木星13番目の新衛星」は1974年に発見されたレダですが、『怪獣大戦争』は1965年の映画で「196X年」という時代設定です。それに、アポロ11号が月面着陸したのが1969年で、パイオニア10号が木星に到達したのが1973年であり、1968年の『2001年宇宙の旅』よりずっと低予算と短期間で撮られた映画ということを考慮して見るべきでしょう。
ただ、宇宙関連の描写に比べて怪獣の描写が前作より安っぽくなってきたのが気になります。有名な「シェー!」もそうですが、随所にゴジラの擬人化された仕草が目に付きます。
人間ドラマと怪獣絡みの場面とが乖離したちぐはぐな感じは『メカゴジラの逆襲』で初期シリーズが終了するまで続いていたような印象を受けます。
ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘 (1966年)
Ebirah, Horror of the Deep (Godzilla vs. the Sea Monster)
監督:福田純
脚本:関沢新一
特技監督:円谷英二
音楽:佐藤勝
出演:宝田明、水野久美、砂塚秀夫、伊吹徹、平田昭彦
ゲスト怪獣:エビラ、モスラ成虫、大コンドル
1993年1月31日、レンタルビデオ (VHS) で初めて鑑賞しました。
南の島を舞台にした活劇ですので、どこか楽観的な雰囲気に満ちています。世界征服を企む秘密結社やインファント島の美女など007的な感じですし、当初の予定ではキングコングが主役怪獣だったのをゴジラに転用した企画ですので、今作からゴジラの擬人化が更に顕著になっていきます。
そのせいか佐藤勝の音楽も徹底的に娯楽映画向けに振り切っています。エビラの場面ではジェームズ・ボンドやバットマンを思わせるエレキギターを鳴らしたりして佐藤本人が言うように「茶化して」います。
「ゴジラ蘇生す」(M21) や「赤イ竹基地の崩壊」(M26) は『用心棒』(1961) の馬目宿のような響きですし、「ゴジラ対戦闘機隊」の曲に至っては『天国と地獄』(1963) の「酒場の音楽」を臆面もなく流しているほどです。
私の錯覚かもしれませんが、「インファント島民の祈り」(PS-55D) はどことなく10年後の『オーメン』(1976) の「アヴェ・サタニ」っぽく聞こえます。ジェリー・ゴールドスミスが『南海の大決闘』を見ていたかどうかは不明ですが。
そうした本編とは関係ないことを考えてしまいましたが、元々ゴジラを想定していなかった内容ですし、エビラもただの巨大なエビに過ぎませんし、モスラもなかなか飛び立ってくれないのでペア・バンビの歌が延々と続きますし、全体的には凡作といった感じでした。
怪獣島の決戦 ゴジラの息子 (1967年)
Son of Godzilla
監督:福田純
脚本:関沢新一、斯波一絵
特技監督:有川貞昌
音楽:佐藤勝
出演:高島忠夫、前田美波里、久保明、平田昭彦、佐原健二、黒部進、土屋嘉男
ゲスト怪獣:ミニラ、カマキラス、クモンガ
1993年2月1日、レンタルビデオ (VHS) で初めて鑑賞しました。
ファミリー層を狙ったミニラの登場ですが、今風に言うと「キモカワ」な風貌で好き嫌いが分かれそうです。個人的には、ゴジラの顔が1970年代よりも貧相なのが不満ですが。
ただ、佐藤勝の音楽は『南海』よりは『ゴジラの息子』の方が遥かに名曲揃いです。リズミカルなカマキラスのテーマや躍動感あふれる気象コントロール計画のテーマなど、音楽だけでも聴き応えがあります。
余談ですが、『少年』1968年1月号付録の漫画版『ゴジラの息子』を描いたのは中沢啓治でした。1973年に『はだしのゲン』を発表する約5年前に、娯楽作とは言え「水爆大怪獣」の漫画を描いていたことに奇妙な縁を感じます。
怪獣総進撃 (1968年)
Destroy All Monsters
監督:本多猪四郎
馬淵薫、本多猪四郎
特技監督:有川貞昌
音楽:伊福部昭
出演:久保明、小林夕岐子、愛京子、佐原健二、土屋嘉男、黒部進
ゲスト怪獣:ミニラ、アンギラス、ラドン、バラン、モスラ幼虫、マンダ、バラゴン、ゴロザウルス、クモンガ、キングギドラ
1992年12月24日、レンタルビデオ (VHS) 初めて鑑賞しました。
数あるゴジラ映画の中でも、なぜか『怪獣総進撃』は北米で人気が高いようです。アメリカでは早い時期にBlu-rayやサントラCDまで発売されていました。私が滞米していた1990年代前半に知人のアメリカ人数人にその理由を聞いてみると「怪獣がたくさん出ているからさ!」とあっけらかんと答えられて拍子抜けしたものです。
近未来を舞台にしたSF映画なのですが、同年公開された『2001年宇宙の旅』との落差がキツすぎます。
又、この時点での東宝怪獣から11体が登場するのですが、尺の都合なのかバランのように殆ど何の見せ場も無い怪獣もいたのが不憫でした。
不憫と言えば、今作のキングギドラは特に不憫な扱いでした。キラアク星人の手先になっていたとは言え、地球怪獣に袋叩きにされて血を吐きながら絶命する様には同情してしまいました。
ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃 (1969年)
All Monsters Attack (Godzilla’s Revenge)
監督:本多猪四郎
脚本:関沢新一
音楽:宮内國郎
出演:佐原健二、矢崎知紀、中真千子、小人のマーチャン、天本英世
ゲスト怪獣:ミニラ、ガバラ、アンギラス、マンダ、エビラ、大ワシ、ゴロザウルス、カマキラス、クモンガ
1993年7月28日、レンタルビデオ (VHS) で初めて鑑賞しました。
ゴジラ映画が完全に子供向けとなったことで国内外で悪名高い作品です。
別に子供向けの映画が悪い訳ではないのですが、主人公の少年・一郎君の夢の中にだけ登場する怪獣島の大半が『南海の大決闘』や『ゴジラの息子』の特撮映像の使い回しでは興醒めです。新怪獣ガバラもひどく安直なデザインですし。
その上、この低予算児童向け映画の監督が、第一作『ゴジラ』を監督した本多猪四郎であることに胸が痛みます。ですが、この映画の酷さの責任を本多に押し付けるのは公平ではないと思います。
当初は前作『怪獣総進撃』でゴジラ映画を一旦終了する予定だったのが予想以上にヒットしたのでシリーズを継続することにしたという経緯はよく知られています。問題は、継続を決定したのに東宝は予算を大幅に削減したことです。いくら邦画産業が斜陽化してきたとは言え、雀の涙ほどの予算で粗製濫造を繰り返し、目先の利益だけを追求することが、ゴジラのキャラとブランドを凋落させてしまいました。
しかも、近年の『シン・ゴジラ』でも東宝が最初に提示した予算が低すぎたことに庵野秀明が反発したそうですし、『シン・ゴジラ』が大ヒットしたにも関わらず『ゴジラ-1.0』も海外の映画人が驚くほどの低予算だったそうです。ハリウッドでは逆に予算の高騰が問題視されているようですが、日本映画の予算が厳しいのは相変わらずのようです。
ゴジラ対ヘドラ (1971年)
Godzilla vs. Hedorah (Godzilla vs. the Smog Monster)
監督:坂野義光
脚本:馬淵薫、坂野義光
特技監督:中野昭慶
音楽:眞鍋理一郎
出演:山内明、柴本俊夫、川瀬裕之、麻里圭子、木村俊恵
ゲスト怪獣:ヘドラ
1988年、レンタルビデオ (VHS) で初めて鑑賞しました。
ヘドラ、ヘドラ、ヘ、ド、ラ~♪
この映画の魅力は、何と言っても、ヘドラに尽きます。より正確に言えば、ヘドラとヘドラ関連の場面が『ゴジラ対ヘドラ』を、1970年代で最高のゴジラ映画にしています。少ない予算と制作期間という制約の中、監督の坂野義光は、アニメーションやマルチ画面などを駆使して独創的な映像を次々と見せてくれます。
公害怪獣ヘドラは、オタマジャクシのようなミクロから徐々に形態を変えながら巨大化します。それぞれの形態は勿論、煙突から煙を吸い込んで恍惚としたり、飛行しながら硫酸ミストを撒き散らして無差別に甚大な被害を出したりするなど、公害の恐ろしさをこれでもかと見せ付けていく描写が圧倒的です。
ただ、ヘドラのキャラが強烈すぎたので、主役の筈のゴジラの影が霞んでしまったところがあります。ここでのゴジラはヘドラを倒すためだけに登場するので、肝心の怪獣対決の場面になると、映画の流れが一本調子になってしまいます。有名な(?)ゴジラが空を飛ぶ描写がありますが、ヘドラの印象には及びません。ラストで人間を睨みつけることでゴジラが単なる正義の味方ではなく中立的な存在であることも示していますが、それならヘドラ以前に公害で環境破壊を続ける人間こそ真っ先にゴジラの標的にならないと筋が通りません。
そうしたことを差し引いても『ゴジラ対ヘドラ』は、シリーズ全作の中でも屈指の異色作であり、作家性の強い一作だと思います。海外のファンからよく批判される眞鍋理一郎の音楽も、公害をテーマにした毒々しい雰囲気に合っていると思います。何よりも、坂野義光が自ら作詞した主題歌は、作品の世界観を見事に表現していて、ゴジラ関連の歌の中でもトップクラスの名曲だと思います。
地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン (1972年)
Godzilla vs. Gigan (Godzilla on Monster Island)
監督:福田純
脚本:関沢新一
特技監督:中野昭慶
音楽:伊福部昭
出演:石川博、菱見百合子、梅田智子、西沢利明、高島稔
ゲスト怪獣:アンギラス、キングギドラ、ガイガン
1992年12月12日、レンタルビデオ (VHS) で初めて鑑賞しました。
これまでは人類に敵対もしくは中立の立場だったゴジラは、今作から明確に正義の味方となります。同時に、ゴジラとアンギラスが漫画のふきだしで会話したりするように映画の内容もこれまで以上に子供向けとなりました。しかも、予算も激減されたので特撮映像も過去の作品が大量に流用されるという有り様です。
予算削減のあおりを受けて、音楽も全曲が伊福部昭の過去の映画音楽からの流用となりました。そのせいで、ガイガンは伊福部音楽のゴジラ映画でデビューしたにも関わらず伊福部によるテーマ曲を得られなかった怪獣となりました。
『ゴジラ対ガイガン』の東宝マーク曲は『暗黒街の顔役』(1959) からの流用で、メインタイトル曲は、1970年の大阪万博の三菱未来館で上映された「日本の自然と日本人の夢」の音楽から抜粋された「火山」です。因みに、円谷英二の遺作となった館内映像は『ハワイ・マレー沖海戦』(1942) のDVDの特典映像で見たことがあります。
特撮映像と比べて伊福部音楽の方が汎用性が高いのか奇妙に画面に合う個所が幾つかありました。音楽事務担当の所健二による選曲も見事だったと思います。映画評論家の西村雄一郎が書いていたように「どんな下手な映画でも、伊福部昭の音楽を付けてしまえば、重厚で荘重で、哀切きわまりない情感をプラスすることができる」と思います。
そういう意味では、『ゴジラ対ガイガン』は映画としては駄作ですが、伊福部映画音楽のベスト盤としての価値はあるかもしれません。
ゴジラ対メガロ (1973年)
Godzilla vs. Megalon
監督・脚本:福田純
特技監督:中野昭慶
音楽:眞鍋理一郎
出演:佐々木勝彦、林ゆたか、川瀬裕之、ロバート・ダンハム
ゲスト怪獣:アンギラス、ガイガン、メガロ、ジェットジャガー
1993年8月3日、レンタルビデオ (VHS) で初めて鑑賞しました。
私の記憶が正しければ、ゴジラの映像を見た最古の記憶はこの映画だと思います。まだ私が幼かった頃、一家団欒で見ていたテレビのチャンネルを回していると、偶然ゴジラの飛び蹴りが映って家族で失笑しました。その映画が『ゴジラ対メガロ』だと知ったのはかなり後のことです。
前作と同様に、極度の低予算と超短期間での制作のせいで『オール怪獣大進撃』と並んで児童向けゴジラ映画の極北と言えます。冒頭に核実験の場面が出てきますが、シートピア帝国が地上に報復するための点景でしかなく第一作の反核描写とは雲泥の差です。余談ですが、クライテリオン盤『ゴジラ対メガロ』Blu-rayのジャケット(イラスト:Ronald Wimberly)は、キノコ雲の形をしたゴジラの正面顔が強烈です。
先述の通り、1990年代前半に北米のレンタルビデオ店で『怪獣大戦争』『南海の大決闘』と並んで『ゴジラ対メガロ』のビデオをよく見かけました。どうやらアメリカでは特にテレビ放送される回数が多いゴジラ映画だったようで、知人の中にも『ゴジラ対メガロ』を見た人が少なからずいました。
それにしても、1990年代前半のアメリカでは既に誰もがゴジラを知っていましたが、よりによって最も有名なのが『ゴジラ対メガロ』というのが歯痒かったです。当時はまだ第一作のオリジナル版も北米で公開されていませんでしたので、ごく一部の特撮マニアを除く一般的なアメリカ人に、ゴジラは「日本産の安っぽい巨大トカゲ映画」として蔑視・嘲笑されていたのが現状でした。その約30年後に『ゴジラ-1.0』が北米で大ヒットしてアカデミー賞を受賞する日が来るとは夢にも思いませんでした。
ゴジラ対メカゴジラ (1974年)
Godzilla vs. Mechagodzilla (Godzilla vs. The Bionic Monster | Godzilla vs. The Cosmic Monster)
監督:福田純
脚本:山浦弘靖、福田純
特技監督:中野昭慶
音楽:佐藤勝
出演:大門正明、青山一也、田島令子、ベルベラ・リーン、平田昭彦、睦五郎、岸田森、小泉博
ゲスト怪獣:アンギラス、メカゴジラ、キングシーサー
1992年8月22日、レンタルビデオ (VHS) で鑑賞したのが初見です。なぜ『メカゴジラの逆襲』より鑑賞が後になったのかと言うと、近所のレンタルビデオ店にはこの映画が中々扱ってくれなかったからです。
それにしても、メカゴジラが出てくる映画の題名はどれも似ている上に、読み方が「ゴジラたいメカゴジラ」ですので、実に紛らわしいです。
『ゴジラ対メカゴジラ』(1974)
『ゴジラVSメカゴジラ』(1993)
『ゴジラXメカゴジラ』(2002)
又、『ゴジラ対メカゴジラ』は、英語題名も二転三転しています。
当初は、 “Godzilla vs. the Bionic Monster” の予定でしたが、著作権の問題から “Godzilla vs. the Cosmic Monster” に改題されて米国で劇場公開され、同じく米国でビデオ化の際に “Godzilla vs. Mechagodzilla” と原題に一番近い題名にされたそうです。
ただ、『ゴジラVSメカゴジラ』の英語題名が “Godzilla vs. Mechagodzilla II” というのは解せません。この映画は『ゴジラ対メカゴジラ』とは何の関係も無いですし、メカゴジラ2号が登場するのは『ゴジラ対メカゴジラ』の続編『メカゴジラの逆襲』ですのに。
因みに、『ゴジラXメカゴジラ』の英語題名は “Godzilla Against Mechagodzilla” でした。
1974年の『ゴジラ対メカゴジラ』に話を戻すと、メカゴジラが出てくる場面以外は特に語ることは多くないです。ツッコミ所は既に多くの人がツッコんでいますので、佐藤勝の音楽にのってメカゴジラが大暴れする場面だけを堪能すればいいと思います。
メカゴジラの逆襲 (1975年)
Terror of Mechagodzilla
監督:本多猪四郎
脚本:高山由紀子
特技監督:中野昭慶
音楽:伊福部昭
出演:佐々木勝彦、藍とも子、麻里とも恵、伊吹徹、中丸忠雄、睦五郎、平田昭彦
ゲスト怪獣:メカゴジラ2、チタノザウルス
1986年にレンタルビデオ (VHS) で鑑賞したのが初見です。
『メカゴジラの逆襲』の見所は、前作『ゴジラ対メカゴジラ』のハイライトを凝縮した映像が流れるオープニングです。
前作のハイライトをオープニングにした映画というと『ロッキー5』(1990) を連想します。
ここで注目したいのは、『メカゴジラの逆襲』と『ロッキー5』の監督と作曲家が、それぞれシリーズ第一作のスタッフだったことです。
第一作『ゴジラ』監督の本多猪四郎と作曲家の伊福部昭が手掛けた『メカゴジラの逆襲』は、前作『ゴジラ対メカゴジラ』を監督した福田純によるアクション映画的な演出と佐藤勝の軽快な音楽とは対照的に、老科学者の怨念とその娘の悲恋を主題にした非常に重厚な演出と音楽でした。
同様に、第一作目の『ロッキー』(1976) の監督ジョン・G・アヴィルドセンと作曲家ビル・コンティが手掛けた『ロッキー5』は、前作『ロッキー4』(1985) を自ら監督したシルベスター・スタローンによる格闘漫画的なノリとヴィンス・ディコーラのシンセサイザーを多用した音楽とは対照的に、原点回帰を目指した人間ドラマとなっていました。
そうしたことを踏まえて前作と比較すると、同じ映像でも作曲家が変わると、これほど印象が変わるのかと感じられる好例だと思います。
ただ、『メカゴジラの逆襲』も『ロッキー5』のどちらも、映画全編で最も盛り上がる場面が前作のハイライトというのが何とも皮肉です。
ベテラン監督とベテラン作曲家は良い仕事をしているのですが、やはり旬を過ぎたシリーズ物では第一作のような奇跡的な名作にするのは無理だったようです。
『メカゴジラの逆襲』は、題名とは裏腹にメカゴジラの影が薄い映画です。前述の通り、老科学者・真船博士の怨念とその娘・桂の悲恋を主題にした重いドラマが主題となっています。それだけに、怪獣対決の場面がいつもの「東宝チャンピオンまつり」の子供向けなノリなので、余計にちぐはぐな印象になっていましたが。
とは言っても、本多猪四郎の遺作となった『メカゴジラの逆襲』は、高山由紀子の脚本や、ゴジラ映画への最後の出演となった平田昭彦の熱演もあって妙に忘れられない映画でもあります。
ゴジラ (1984年)
Godzilla 1985 (The Return of Godzilla)
監督:橋本幸治
脚本:永原秀一
特技監督:中野昭慶
音楽:小六禮次郎
出演:小林桂樹、田中健、沢口靖子、宅麻伸、夏木陽介
ゲスト怪獣:ショッキラス
私が初めてリアルタイムで見たゴジラ映画です。今はなき高松東宝で鑑賞しました。そして、初めて全編を通しで見たゴジラ映画でもあります。
私がまだ幼かった1984年、ゴジラが9年ぶりに復活することが話題になっていました。それまで子供向けだったゴジラが原点回帰して凶暴な怪獣として再登場する大作映画ということで、NHKのニュース番組でも紹介されるほど注目されていたのを覚えています。
当時の少年ジャンプでも巻頭にカラー写真をふんだんに掲載して大々的に特集された号が発売されましたので、私も穴が開くほど読みふけったものです。
そして、期待に胸を弾ませながら高松東宝へ復活版『ゴジラ』を見に行ったのですが…
まぁ、特撮は、当時の日本映画としては大規模なミニチュアだったと思いました。ですが、作品としては、第一作のようなシリアスな特撮映画を目指すつもりが日本映画の野暮ったさが目立つ結果になっていたと思います。浮浪者役の武田鉄矢などその最たるものでしたし。
3.11後の今となっては、ゴジラが井浜原子力発電所(浜岡原発がモデル)を破壊する場面は、当時以上に恐ろしく見えます。もっとも、原子炉を取り出したゴジラが放射能を全て吸収してしまうという描写は、現実の原発事故と放射能汚染を考えると「化け物」どころか救世主に見えてしまします。「救世主」と言っても『ゴジラVSキングギドラ』の新堂靖明の言う「救世主」とは全く異なる意味ですが。
又、劇中の日本政府が美化されすぎているのも時代錯誤です。ゴジラに対して核兵器の使用を強要する米ソに対して、三田村首相は「非核三原則」を掲げてきっぱりと拒否します。ですが、現実の日本政府は、核兵器を搭載した米軍の軍用機や艦船の日本への着陸・寄港を、事前協議の対象外とする核密約を米国と交わしていました。核兵器搭載の米軍が我が物顔で日本に入れるという現実の前では、この映画の虚構は説得力を完全に喪失しています。
その意味では、日本の属国ぶりを赤裸々に描いた『シン・ゴジラ』の方がまだ潔かったと言えます。…と思っていたら、その『シン・ゴジラ』に違和感を覚えたと言っていた石破茂 (日経ビジネスオンライン、2016年9月2日) が、「アジア版NATO」を創設して米国の核兵器の共有をすべきと主張しました。(ハドソン研究所 2024年9月27日) 石破が言う「核共有」が具体的にどういう形であるのか、そして本当に「抑止力」と成り得るのか、疑問は尽きません。現実世界が映画を超える悪夢に近付きつつあるような気もします。同時期に日本原水爆被害者団体協議会(被団協)がノーベル平和賞を受賞したのは朗報でしたが。
話を『ゴジラ』に戻します。
どうにも煮え切らない印象が残る復活版『ゴジラ』ですが、小六禮次郎の音楽と、生賴範義のイラストは良かったと思います。
当時、伊福部昭は東京音楽大学の学長を務めていて多忙でしたので、小六禮次郎がオリジナルの音楽を作曲しました。重低音を響かせる「メインタイトル」は終末的な雰囲気に満ちていて、破壊怪獣に戻ったゴジラの威圧感を十分に表現できていたと思います。
それと、小六本人は「類型的」と言っていましたが、自衛隊のテーマは素直にカッコイイと思います。スーパーXのテーマの方がオリジナリティがあると小六は語っていましたが、マカロンのような形でゆっくりと移動するスーパーXの映像に合わせると、曲だけが勇ましすぎる気がしました。事実、スーパーXが再起動する場面でこの曲が流れ出すと、劇場で座っていた中年男性が「派手な曲やなぁ」と言っていたのを覚えています。
勿論、スーパーXのテーマも名曲だと思います。海外向けに再編集された『ゴジラ1985』のエンディングでは、湾岸警戒態勢、自衛隊、スーパーXの順にメドレー風に小六の曲が流れていました。オリジナルのエンディングで流れた英語歌詞の陳腐な歌より、こちらの方が良かったです。もっとも、小六は歌なしのエンディング曲も作曲して録音していました。2006年発売のCDには収録されていたので聴いてみましたが、確かにこの未使用曲の方が復活版『ゴジラ』を締め括るのに相応しいと思いました。
もう一つ忘れられないのは、生賴範義のイラストです。ビル群の背後にそびえ立つ深紅のゴジラは強烈でした。生賴のイラストは、本編を遥かに凌駕する迫力でこの後のゴジラ・シリーズを盛り上げるのに多大な貢献を果たしました。
2014年、宮崎県の みやざきアートセンターにて開催された「生賴範義展 THE ILLUSTRATOR」にて、ゴジラ映画のポスターの原画を間近で鑑賞できたときは感激しました。超人的な画力と迫力で、ただただ圧倒されました。
ゴジラvsビオランテ (1989年)
Godzilla vs. Biollante
監督・脚本:大森一樹
特技監督:川北紘一
音楽:すぎやまこういち
出演:三田村邦彦、田中好子、高嶋政伸、小高恵美、峰岸徹、沢口靖子、永島敏行、高橋幸治
ゲスト怪獣:ビオランテ
1989年12月16日、高松東宝で鑑賞しました。
公開される数週間前に生賴範義のイラストによる小さなポスターが劇場の狭いエレベーターの壁に貼ってあったのを覚えています。当時『恋する女たち』(1986) や『トットチャンネル』(1987) などのアイドル映画を撮っていた大森一樹がどのようなゴジラ映画を撮るのか期待と不安が半々の気持ちで公開を待ちました。
劇場で最初に見たときに先ず思ったのは「あぁ、大森一樹はゴジラよりハリウッド映画を撮りたかったんだなぁ」ということでした。
実際、大森はハリウッドのアクション映画が大好きなので、そうした新しいエンタテインメントな要素を盛り込もうとした意欲は買います。ですが、制作期間や予算や特撮の限界のせいか、そうした洋画的な演出が安易な模倣でしかなく、恥ずかしくて正視できませんでした。
その代わり、ゴジラの造形は飛躍的に良くなりました。白目を隠す大きな黒目と二列の歯並びによる精悍な顔付きや分厚い胸板は、シリーズ全体を通して最も洗練されたゴジラのデザインの一つとも言えます。
ただ、ゴジラの足音が、当時のアニメのロボットの効果音だったのは著しく興ざめでした。
それに、すぎやまこういちの音楽がゲーム的なのは大森の狙った作風に合っているからいいとしても、「OSTINATO」から流用された伊福部昭の音楽はいかにも取って付けたような感じがしました。1986年に40名のオーケストラによる演奏でステレオ録音された「OSTINATO」は丁寧な演奏ですが、怪獣映画の伴奏にするには軽すぎる音圧でした。次作『ゴジラVSキングギドラ』で伊福部昭がスクリーンにフィルム映写しながらの演奏と録音にこだわった理由が分かる気がします。
冒頭の追跡場面で「ゴジラのテーマ」をロック調にアレンジしていたのは、これまた興ざめでした。伊福部本人も立腹していたそうですし。
何よりも『ゴジラvsビオランテ』で不満なのは、様々な要素を盛り込み過ぎていることです。大森としては、ゴジラ細胞、バイオメジャー、スパイ戦、超能力、怪獣対決などなどを盛り込めば面白くなるだろうと思っていたようですが、結果としてどれも消化不良で散漫なだけでした。
それで思い出しましたが、昔、ハリウッド映画を盲目的に信奉する嫌味な大人が私の身近にいました。その人物は、第一作『ゴジラ』に対して「(オキシジェン・デストロイヤー)を狙う海外の諜報機関のドラマを入れれば面白くなったのでは」と言っていましたが、それが如何に的外れであるのか『ゴジラvsビオランテ』が実証した形です。
今でも引っかかるのは、ゴジラ細胞を保管している財団法人当主の大河内誠剛が言う「原爆とゴジラにひどい目に合わされた日本がゴジラ細胞から核を超える兵器を作っても決して悪いとは思わんがね」という台詞です。『ゴジラVSキングギドラ』の日本軍や核の扱いといい、大森の真意が気になります。
ゴジラvsキングギドラ (1991年)
Godzilla vs. King Ghidorah
監督・脚本:大森一樹
特技監督:川北紘一
音楽:伊福部昭
出演:中川安奈、豊原功補、小高恵美、佐々木勝彦、チャック・ウィルソン、山村聡、小林昭二、西岡徳馬、土屋嘉男
ゲスト怪獣:ドラット→キングギドラ→メカキングギドラ
1991年12月25日、高松東宝で鑑賞しました。
様々な新機軸を盛り込んだ前作から一転、人気怪獣のキングギドラを再登場させるなど娯楽性を強めた内容になりました。ですが、『ターミネーター2』(1991) が日本でも公開された数ヶ月後に、その安っぽいパクリのようなアンドロイドを出したりするなど、ハリウッドの娯楽大作を狙った作りが今作でも悉く滑りまくっています。
ですが、そうしたこと以上に拒否反応を抱かせたのは、尋常ではない国粋主義的な内容です。脚本と監督の大森一樹の本心が何であれ、アメリカ人やロシア人を思わせる白人が極悪人として描かれ、主人公たちがタイムトラベルした先で描かれる第二次世界大戦の場面が日本軍を英雄的に描いているのは明白です。ゴジラ映画が加害者としての日本の戦争責任を描いていないという批判には賛同できない私ですが、この映画の戦争描写は全く擁護できません。
当時の日米経済摩擦やバブル経済による日本の増長や原子力問題に対する言及が日本に対する警鐘とも取れないこともないですが、全体的に外国が悪で日本が善という調子で描かれていることに変わりはありません。
何よりも呆れたのは、海底に眠るゴジラを復活させるために、民間企業が隠し持っていた原子力潜水艦を使用するという下りです。一応、登場人物の何人かは反対したり疑問を抱いたりしますが、戦争中にゴジラの前身である恐竜に救われたコンツェルン会長がゴジラを「救世主」扱いして最終的に滅ぼされる様を大森は英雄的に演出しています。
この経済界の大物である新堂靖明を演じたのは、往年の特撮映画では常連だった土屋嘉男です。太平洋戦争末期、17歳だった土屋は半田の軍用機工場へ学徒動員されましたが、監督官が作業員たちに体罰を振るう中での劣悪な作業環境でした。横暴な監督官の悪行を見て、土屋は「アメリカが敵って言うけどそうじゃないって。すぐ近くに敵がいるな」と思ったそうです。その彼がなぜこのような役を引き受けたのか理解に苦しみます。
そういった問題点はあるものの、今作のゴジラの造形は非常に良いです。劇中のパワーアップに合わせて更に精悍にしたような全身像は、前作のゴジラと並んでシリーズ全作中でも最高の一体です。ただ、網走に上陸した時点では重量感のある足音でしたのに、札幌から後は再びアニメのロボットのような足音に戻っていて不快でしたが。
『ゴジラvsキングギドラ』で時の試練に耐えうる仕事をしたのは、ポスターのイラストを描いた生賴範義と、16年ぶりにゴジラ映画音楽に復帰した伊福部昭です。
先述の通り、『三大怪獣・地球最大の決戦』のクライテリオン盤Blu-rayのジャケットのイラストを描いた Monarobot が描いたメキシコの壁画風イラストは、明らかに生賴が描いた『ゴジラVSキングギドラ』のイラストを左右反転させた構図に見えます。
伊福部昭は、ゴジラ映画が再開した後、二度にわたる東宝からの依頼を断りましたが、三度目の依頼で遂に引き受けました。その際に彼が呈示した条件は、かつてのようにスタジオでフィルムを上映しながら演奏・録音するというものでした。1991年の日本映画界では、指揮者がビデオ画面を見ながら指揮をしたり、シンセサイザーを多用するのが主流になっていましたので、大型ステージを改装するなど当時としては異例の大掛かりな作業となりました。
こうした手間をかけた効果はてきめんでした。実際のゴジラ映画の上映を見ることによって、オーケストラの演奏者もクラシック音楽の演奏会のような上品な演奏ではなく非常に荒削りな音を響かせることが出来て、怪獣映画に相応しい大迫力のサウンドが誕生しました。もっとも、ゴジラが登場する場面にさえハープの音色を大きく鳴らすところに、伊福部のハープ好きが相当なものであるのが伺えます(笑)
映画としての『ゴジラVSキングギドラ』は問題点が多々ありますが、伊福部昭を映画音楽に復帰させ、彼のゴジラ映画音楽を上質の演奏とステレオ録音で残せたのは多大な功績だと思います。
ゴジラvsモスラ (1992年)
Godzilla and Mothra: The Battle for Earth
監督:大河原孝夫
脚本:大森一樹
特技監督:川北紘一
音楽:伊福部昭
出演:別所哲也、小林聡美、村田雄浩、小高恵美、大竹まこと、小林昭二、今村恵子、大沢さやか、篠田三郎、宝田明
ゲスト怪獣:モスラ幼虫→モスラ成虫、バトラ幼虫→バトラ成虫
1992年12月23日、高松東宝で鑑賞しました。VSシリーズ最大のヒット作でしたので、高松でも満員の盛況だったのを覚えています。
ただ、正直に言いますと、『ゴジラVSモスラ』は、名作『モスラ対ゴジラ』の足元にも及ばない凡作でした。インディ・ジョーンズの安易な模倣や小林昭二の漫画のような過剰演技、露骨な子供向け演出、そして車輪で直進するような幼虫モスラと、羊毛フェルトよりも安っぽく見える成虫モスラなどなど、劇場で赤面してしまいました。
高松東宝の売店で購入したサントラCD「AKIRA IFUKUBE 完全収録 伊福部昭 特撮映画音楽 東宝篇9」(東芝EMI) は、今でもよく聴きます。
そう言えば、例のハリウッド映画を盲目的に信奉する嫌味な大人は、クラシック音楽の盲目的な信奉者でもありましたので、CDにオーケストラ奏者の名前が表記されていないことを姑のように厭味ったらしく言っていましたが、それは東宝の責任であって作曲者の責任ではありません。それに、その嫌味な大人が絶賛していた『おもひでぽろぽろ』(1991) も演奏者名は表記されていませんでしたし、ゴジラ映画より大規模なハリウッド映画でも『スタートレックⅥ 未知の世界』(1991) のように演奏者を表記していない作品もあるのですから、実にいじましい言いがかりです。
閑話休題。
『ゴジラVSモスラ』は映画としては凡庸でも、音楽はハリウッドの映画音楽に少しも引けを取らない超一級の素晴らしさです。コスモスの歌唱は神聖さに欠けますが、伊福部が新たに編曲した《モスラの歌》と《聖なる泉》は、そのままクラシック音楽の演奏会でも披露できるほど極上の美しさです。
ゴジラvsメカゴジラ (1993年)
Godzilla vs. Mechagodzilla II
監督:大河原孝夫
脚本:三村渉
特技監督:川北紘一
音楽:伊福部昭
出演:髙嶋政宏、佐野量子、小高恵美、原田大二郎、佐原健二、中尾彬、川津祐介
ゲスト怪獣:ベビーゴジラ、ラドン→ファイヤーラドン、メカゴジラ→スーパーメカゴジラ
1993年12月30日、高松東宝で鑑賞しました。
当時、ハリウッド版ゴジラの制作が実現しつつあったので、シリーズ第20作目となる本作が日本版ゴジラの最終作となる予定でした。
そのため、キャッチコピーは「この戦いで、すべてが終わる。」でしたが、ハリウッド版の制作が延期されたため、誰もが予想した通り、シリーズは続行されました。
ただ、先述のように『ゴジラVSメカゴジラ』の英語題名が “Godzilla vs. Mechagodzilla II” というのは解せません。この映画は『ゴジラ対メカゴジラ』とは何の関係も無いし、メカゴジラ2号が登場するのは『ゴジラ対メカゴジラ』の続編『メカゴジラの逆襲』ですのに。
それはさて置き、『ゴジラVSメカゴジラ』は、平成のVSシリーズの中では割と繰り返し見た映画です。
もっとも、31年前の公開時には手に汗を握りながら見た映画も、今見ると(当時もですが)、さすがに御都合主義な展開や、俳優の演技(出鱈目な英語の台詞など)が気になってしまいます。
特に、特撮の質は時代の流れを著しく感じさせて、同年に公開された『ジュラシック・パーク』との落差がキツいです。
ゴジラの造形にも不満を感じます。『ゴジラVSキングギドラ』までの黒眼ゴジラが良かっただけに、『VSモスラ』から再び白眼が強調されたのは残念です。特に『ゴジラVSメカゴジラ』では、ゴジラの鳴き声も悲鳴のように甲高いのが耳障りです。
又、ゴジラの足音は『VSビオランテ』のロボットのような足音よりはリアルかもしれませんが、こもったような音響で重量感が感じられませんでした。
最も不快だったのは、ゴジラに対する執拗な暴力描写です。確かにゴジラは都市を破壊したりして人間社会に大規模な損害をもたらす危険な存在ですので、害獣として駆除するのなら綺麗事を言っている場合ではないかもしれません。とは言え、ゴジラを電撃で感電させたり、第二の脳を破壊して半身不随にするという描写はあまり見たくありませんでした。(その分、復活後のゴジラが「ドシラ、ドシラ」のテーマ曲にのってメカゴジラを焼き払う勝利のカタルシスが高まった訳ですが)
因みに『キネマ旬報』1993年12月下旬号のお正月映画ガイド座談会でも、北川れい子と三留まゆみ が『ゴジラVSメカゴジラ』のこうした描写を「残酷」だと非難していました。それは同感ですが、双葉十三郎がこの映画も『原子怪獣現る』の焼き直しだと揶揄するあたり、双葉の怪獣映画に対する認識が約40年もの間アップデートされていなかったことに苦笑するしかないです。
上記のような不満がありますが、思わず見入ってしまうのは、例によって生賴範義と伊福部音楽の力が大きいです。
生賴範義によるゴジラのイラストはどれも本編以上の大迫力ですが、中でも『ゴジラVSメカゴジラ』のポスターはシリーズ屈指の名画です。
そして、伊福部昭のゴジラ映画復帰三作目となる『ゴジラVSメカゴジラ』は、ゴジラ映画音楽の集大成とも言える充実した内容でした。
高松東宝のロビーで購入したサントラCD「AKIRA IFUKUBE 完全収録 伊福部昭 特撮映画音楽 東宝篇10」は、現在に至るまで何百回と聴き続けている愛蔵盤です。
尚、現在入手可能な『ゴジラVSメカゴジラ』のサントラは、東宝ミュージックから発売中のCDボックス「50th アニバーサリー・ゴジラ・サウンドトラック・パーフェクトコレクション BOX 5」に収録されています。
両方とも、未使用曲を含めた全曲が収録されているので、どちらもお薦めできます。
東宝ミュージック盤は、音質も良く聴き易い構成ですが、個人的には映画本編の臨場感を感じさせてくれる「編集済完成テイク」も聴けるユーメックス盤が好みです。
お馴染みのゴジラとラドンのテーマは勿論、大音響の新メカゴジラのテーマやGフォースのマーチが圧倒的。怪獣バトルの荒々しさとは対照的に、ベビーゴジラや古代植物のコーラスの優しい響きも美しく、生命の尊さを歌い上げるエンディングの荘厳さは筆舌に尽くしがたいです。
まるで一つの壮大な管絃楽曲のような『ゴジラVSメカゴジラ』の音楽は、伊福部による平成ゴジラ映画音楽の最高傑作でもあると同時に、1990年代の映画音楽の最高峰の一本でもあると言っても過言ではないです。
レーザーディスク「サウンドコレクション ゴジラVSメカゴジラ ~レコーディングライブ~」も、繰り返し何度も見たものです。スクリーンにフィルム上映しながらオーケストラが演奏するという当時(今でも?)では珍しい録音風景を見れる貴重な記録でした。DVDの時代になってLDプレイヤーと共に手放したのを後悔しています。DVDは、2005年に発売された「GODZILLA FINAL BOX-DVD」の特典ディスクのみです。単品での発売は難しいのかもしれませんが、ネット配信でもいいので何とか再び見れるようにしてほしいです。
ともあれ、VSシリーズは、生賴のイラストと伊福部音楽があったからこそ何割か増しに見え(聴こえ)ていたと思います。
余談ですが、新婚旅行で京都に行った後、ゴジラが京都に向かうロケ場面が見たくて『ゴジラVSメカゴジラ』のDVDをレンタルしたことがあります。
ベビーゴジラがいる京都に向かうゴジラは、先ず、東寺に到着して、京都駅方面に向かい、目の前の京都タワーを熱線で破壊し、三条大橋、清水寺、二年坂という順に京都の名所を巡っていました(笑) やはり、実際にその場所を訪れた後だと、かなり印象が変わって見えるものです。
ただ、『ゴジラVSメカゴジラ』のDVDの画質には不満があります。
全体的にぼやけていて、くすんだ色調ですし、光線や字幕の白色が明る過ぎてディテールが潰れています。以前ソフト化されたLD (CAV版) の方が高画質だったと思います。Blu-rayの画質はどうなのか気になります。
まぁ、色々ツッコミ所はあるにせよ、1970年代の子供向けだった頃に比べれば随分と進歩していましたし、何よりも生命を尊重する気持ちを失った科学や技術は自然の前に敗れ去るというテーマはストレートに伝わってきます。
何だかんだ言いながら、ゴジラが出ているだけで熱くなってしまうゲンさんでした。
ゴジラvsスペースゴジラ (1994年)
Godzilla vs. SpaceGodzilla
監督:山下賢章
脚本:柏原寛司
特技監督:川北紘一
音楽:服部隆之
出演:橋爪淳、小高恵美、米山善吉、中尾彬、斎藤洋介、佐原健二、柄本明
ゲスト怪獣:リトルゴジラ、スペースゴジラ、MOGERA、フェアリーモスラ
1995年1月6日、高松東宝で鑑賞しました。
前作『ゴジラVSメカゴジラ』の後に予定されていた初のハリウッド版ゴジラ映画が延期となったので、急遽日本版シリーズが延長されたそうです。
そのせいか急場凌ぎで撮られた質の低下が随所に見られます。特に、宇宙での場面やリトルゴジラの造形は1990年代のSF映画とは思えない安っぽさで見ていられませんでした。
今作では服部隆之が初めて作曲を担当しています。音楽だけ聴けば決して悪くはないのですが、ゴジラ映画というよりはテレビドラマ向きな感じがします。
ゴジラvsデストロイア (1995年)
Godzilla vs. Destoroyah
監督:大河原孝夫
脚本:大森一樹
特技監督:川北紘一
音楽:伊福部昭
出演:辰巳琢郎、石野陽子、林泰文、大沢さやか、小高恵美、髙嶋政宏、河内桃子、中尾彬、神山繁、篠田三郎
ゲスト怪獣:ゴジラジュニア、デストロイア
1995年12月29日、高松東宝で鑑賞しました。
「ゴジラ死す」というキャッチコピーの通り、初代以来初めてゴジラの死を明確に描いた(この時点での)シリーズ最終作です。
確かに、体内の核エネルギーが暴走したゴジラは、東京中に放射線を撒き散らしながらメルトダウンすることにより絶命します。ですが、その直後、その放射線を吸収したゴジラジュニアが新たなゴジラになったことを暗示して映画は幕を閉じます。
まぁ、東宝としては看板スターであり金の卵でもあるゴジラの命脈を絶やすことは出来なかったのかもしれませんが、人類への天罰であるかのように東京中に撒き散らされた放射線が呆気なく吸収されてしまったのは拍子抜けでした。
大河原孝夫の演出は相変わらず凡庸なので、今作もサスペンスやアクションがまるで盛り上がりませんでした。シリーズ初の海外ロケである冒頭の香港ロケも、ゴジラが暴れているのに、実景の街は平常通りという時点で違和感ありすぎでした。特に、ヒロインを襲う幼体デストロイアの口がエイリアンのインナーマウスの安っぽい模倣だったのには脱力しました。
余談ですが、高松東宝で鑑賞していたとき、幼体デストロイアが特殊部隊隊員を攻撃している場面で、私の後方に座っていた少年が突然嘔吐していました。私には陳腐に見えた場面も、この少年には刺激が強すぎたのでしょうか。ともあれ、劇中と劇場内の両方で同時に騒ぎになるという稀有な体験でした(苦笑)
ところで、アメリカ人の知人は、デストロイアの英語表記 Destoroyah を「デストロヤー」と発音して面白がっていました。『装甲騎兵ボトムズ』が Bottoms ではなく Votoms となったように、 Destroyer では商標上の問題があったのでしょうか。
『ゴジラVSデストロイア』は映画としては凡作でしたが、満身創痍のゴジラが冷凍兵器を浴びせられる場面では涙が止まりませんでした。映画の出来とは関係なく、理不尽な運命に翻弄された挙げ句に悲壮な最期を迎えなければならなかったジュラ紀の恐竜の末裔が哀れでなりませんでした。
エンディングは、第一作『ゴジラ』からその続編である1984年の『ゴジラ』から『ゴジラVSデストロイア』までのゴジラの勇姿を繋げて見せていきます。第一作へのオマージュのように「ゴジラのテーマ」が流れますが、時間が余ったのか《SF交響ファンタジー第1番》から『キングコング対ゴジラ』のファロ島のテーマも挿入されています。本編よりも過去作のまとめ映像の方が盛り上がるのは『メカゴジラの逆襲』と同じかもしれませんが(苦笑)
GODZILLA (1998年)
Godzilla
監督:ローランド・エメリッヒ
脚本:ディーン・デヴリン、ローランド・エメリッヒ
音楽:デヴィッド・アーノルド
出演:マシュー・ブロデリック、ジャン・レノ、マリア・ピティロ
ゲスト怪獣:ベビーゴジラ
1998年6月4日、北米の某州の劇場にて鑑賞しました。そして、激怒しました。
この映画だけは怪獣王の名前で呼びたくありません。巨大イグアナ映画でしかありません。
「巨額の製作費で撮られたハリウッドの映画より出来の悪い低予算のゴジラ映画もあるのだから、そこまでムキにならなくても」と言う人もいるようですが、この映画に対しては『オール怪獣大進撃』や『ゴジラ対メガロ』などとは別次元の不快感を覚えます。
先ず、巨大イグアナのデザインからして受け付けられませんでした。
ただのイグアナ怪獣なら別に文句は無いのですが、これを怪獣王の名前で呼ぶのは断固拒否したいです。デザイナーのパトリック・タトプロスがどう言い訳しようと、日本のゴジラの雄姿を踏襲しなかった時点で怪獣王に対する敬意など無かったとしか思えません。仮にミッキーマウスをリアルなドブネズミ風のキャラに改変しようとしたら、ディズニーは絶対に許可しないでしょう。
1998年8月15日に放送されたNHK総合の番組『ゴジラ海を渡る 世界制覇へのシナリオ』でも紹介されていましたが、東宝と交渉していたトライスター・ピクチャーズは、ゴジラに関する権利を全て買い取った後は東宝に一切ゴジラ映画を撮らせないという条件を最初に提示していたそうです。合法的とは言え、日本の怪獣王を商業的・文化的に収奪しようとする傲慢な姿勢を感じます。
私が出会ってきたアメリカ人の中にも巨大イグアナのデザインに拒否反応を示す人は多かったですが、その内の一人が「ゴムのスーツに入ってミニチュアを壊す安っぽさがゴジラの良さだったのに」と言っていたのにはズッコケました。
アメリカのある雑誌の記事でも「リアリスティックなゴジラなんて誰が見たがるんだ?」と書かれていたので、同じように思っているアメリカ人は少なくないのかもしれません。左派の真面目な内容で知られる米国の季刊映画雑誌『シネアスト』(Cineaste) でさえ、1998年の vol.XXIII, No.3 で、アロハシャツ姿のゴジラがバカンス中というイラスト付きで、ゴジラの架空対談を面白おかしく書きなぐるといった有り様でしたし。
デザインだけでなく怪獣の特徴も怪獣王とは別物です。
ニューヨークの海から巨大イグアナが出現して町中の人々がパニックになるまでの描写は、ハリウッドの特殊視覚効果が上手く活かされていていました。ですが、それ以降は最後まで腰砕けでしかありませんでした。
巨大イグアナは、たまに噛みつきで米軍ヘリに反撃する程度で、米軍の攻撃からは走って逃げるばかりです。「逃げてばかり」という批判に対して「ゴジラも100万ボルトの電流にひるんだ」というツッコミがありましたが、あれはどう見てもキングコングを帯電体質にしてゴジラと互角にするという配慮であるのは明白です。事実、ゴジラは次作『モスラ対ゴジラ』の3000万ボルトの電流にも耐えましたし。
そして、ブルックリン橋にからまった巨大イグアナが戦闘機のミサイルで簡単に絶命するのにも呆れました。心臓の鼓動が徐々に止まっていくことで断末魔を表現するのも、1976年版『キングコング』の安易な模倣ですから、全く心が動かされません。
水爆実験でも死なず、あらゆる兵器を跳ね返す不死身の怪獣こそがゴジラである筈なのに、こんな雑な扱いをしたローランド・エメリッヒたちに激しい嫌悪感を抱きました。元々この企画に乗り気でなかったというエメリッヒなので、怪獣映画に対する理解など無かったのでしょうが。そして、とことん米軍を英雄視したがるハリウッド映画もアメリカ合衆国の軍国主義的プロパガンダであることを改めて露呈していました。
巨大イグアナのデザインや陳腐な内容よりも許せなかったのが核に関する描写でした。
今作でイグアナを怪獣化させたのは、フランスによるポリネシア近海での核実験でした。現実には、フランスより数多くの核実験を行って環境を破壊してきたのはアメリカ合衆国なのですが、この映画では米国の核には一切触れていません。近年のレジェンダリー版では逆に米国の核を正当化していました。世界一の核大国で、広島と長崎に核兵器を投下して多数の非戦闘員を虐殺しておきながら今も謝罪しない国なのですから驚くには値しませんが。
主人公の生物学者は、チェルノブイリで放射線が生物に与える影響を研究していました。ですが、放射線が生物を巨大化させることを楽観視したりするように、彼の専門家としての描写もお粗末です。巨大イグアナに襲撃された日本の漁船の生存者はガイガーカウンターが反応するほど被曝していましたが、主人公は巨大イグアナの咆哮と唾液を至近距離から浴びたにも関わらず何の影響もありませんでした。
こんな酷い描写ばかりで、第一作に対して「オマージュ」などと言われてもたちの悪い冗談としか思えません。
数年前に見かけたあるアメリカ人のサイトは、日本のゴジラ映画を揶揄する記事の末尾に、このイグアナ映画が「(当時の)日本で最も稼いだゴジラ映画」と書いていましたが、それは事実に反します。イグアナ映画の日本での配給収入は約30億円(興行収入は約51億円)というのは一見VSシリーズの収入より多く見えますが、シリーズ初期の1950年代から1960年代とは円の価値が大幅に変わっているので単純に比較できません。
映画興行の人気度で比較するなら、表面的な金額よりも観客動員数だと思います。イグアナ映画の日本での観客動員数は360万人で、同時期の『ゴジラVSモスラ』の420万人、『ゴジラVSメカゴジラ』の380万人、『ゴジラVSデストロイア』の400万人よりも少ないですし、シリーズ最初期の三作の動員数の半分にも満たない成績です。
しかも、2016年の『シン・ゴジラ』が日本国内の興行収入約82.5億円、観客動員数約560万人という大ヒットで名実ともにイグアナ映画の成績を凌ぎ、2023年の『ゴジラ-1.0』もそれに続きました。
巨大イグアナ映画に対して私が尋常でない嫌悪感を抱くのには、もう一つ極めて個人的な理由があります。
例のハリウッド映画を盲目的に信奉する嫌味な大人は、以前からゴジラなど日本の特撮映画を散々馬鹿にしていました。
ハリウッドが初めてゴジラを映画化すると決まってから(まだ見てもいない内から)巨大イグアナ映画を礼賛していました。そして、ここぞとばかりに、日本のゴジラ・ファンである私に対して姑のようにねちねちと嫌味を言ってきました。
その大人は、日本の時代劇を「封建的」と批判するくせにアメリカ先住民を殺戮する西部劇は「昔の映画だから」と言って称賛するようなダブルスタンダードな卑劣漢でしたので、巨大イグアナ映画の放射線の描写やアジア人蔑視的な部分も訳の分からない屁理屈で擁護していました。とにかく、正論を捻じ曲げて相手の価値観を貶める言動しかできないような人間の屑でした。
そうした個人的に不愉快な体験も含めて、巨大イグアナ映画は、私にとっては思い出すのも穢らわしい唾棄すべき愚作です。
ゴジラ2000 ミレニアム (1999年)
Godzilla 2000: Millennium
監督:大河原孝夫
脚本:柏原寛司、三村渉
特技監督:鈴木健二
音楽:服部隆之
出演:村田雄浩、阿部寛、西田尚美、佐野史郎
ゲスト怪獣:ミレニアン→オルガ
2000年8月3日、レンタルビデオ (VHS) で鑑賞しました。
VSシリーズの頃は毎年年末に帰国した際に必ず劇場まで見に行きましたが、今作は劇場に行く気すら微塵も湧きませんでした。
この頃は既に帰国していましたので、公開数ヶ月前には近所のスーパーにポスターが貼られていたのを見たのを覚えています。そのポスターを見た時点で「だめだこりゃ」感に満ちていました。
先ず「目撃せよ! ゴジラ新世紀」というキャッチコピーの割には、監督、脚本、音楽がVSシリーズの頃と同じというのが拍子抜けです。
それに、肝心のゴジラのへちゃむくれた顔に拒否反応を覚えました。爬虫類的な凶暴さを狙ったのかもしれませんが、横から見ると黒眼がくっきりと大きすぎて恐怖より愛嬌があるように見えますし、正面から見ると口が大きすぎて不格好です。所謂「ミレニアム・シリーズ」に食指が動かない要因の一つは、どの作品のゴジラもデザインがVSシリーズより劣っていることです。
そして、ビデオが発売された後、レンタルして見てみましたが、やはり駄目でした。
まるで共感できない登場人物や、クスッともできないギャグ、宇宙人がタコ型という絶望的に時代遅れなセンス、何の個性も感じられない新怪獣オルガ、などなど。
特に不快だったのが、作品のメッセージをいちいち登場人物に言わせていることです。第一作『ゴジラ』は端役に至るまで登場人物の状況に沿った台詞なので反戦や反核のメッセージが自然に伝わりましたが、『ゴジラ2000 ミレニアム』は単に傍観者が機械的に台詞を喋っているだけなので、白々しいだけでした。
巨大イグアナ映画の後に出てきた最初の国産ゴジラ映画が、それを下回る出来という体たらくなのが情けないです。
ゴジラ×メガギラス G消滅作戦 (2000年)
Godzilla vs. Megaguirus
監督:手塚昌明
脚本:柏原寛司、三村渉
特技監督:鈴木健二
音楽:大島ミチル
出演:田中美里、谷原章介、勝村政信、池内万作、星由里子、永島敏行、伊武雅刀
ゲスト怪獣:メガヌロン→メガニューラ→メガギラス
2002年6月14日、レンタルビデオ (VHS) で鑑賞しました。
田中美里は、ゴジラに復讐心を燃やす隊員役を無理して演じている感じでした。これは本人のせいではなく、キャスティングした人の責任だと思いますが。それでも、前作があまりにも酷かったので、相対的に割とまともな娯楽作品に見えました。
この映画の最大の功績は、大島ミチルを音楽に迎えたことです。彼女の勇壮な作風はゴジラ映画に新風をもたらしました。ミレニアム・シリーズでは最高の作曲者だと思います。
ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 (2001年)
Godzilla, Mothra and King Ghidorah: Giant Monsters All-Out Attack
監督:金子修介
脚本:長谷川圭一、横谷昌宏、金子修介
特技監督:神谷誠
音楽:大谷幸
出演:新山千春、宇崎竜童、小林正寛、天本英世、佐野史郎
ゲスト怪獣:バラゴン、モスラ幼虫→モスラ成虫、ギドラ→キングギドラ
2002年9月7日、レンタルビデオ (VHS) で鑑賞しました。題名が長いので、拙記事でも『GMK』の略称を使用します。
新作ガメラ三部作の監督と作曲家が初めてゴジラ映画に参加ということで期待していました。ですが、見た後の私の感想は、ガメラ三部作には及ばなかったという結果でした。
『ガメラ3 邪神覚醒』(1999) は樋口真嗣の特撮が圧倒的でしたが、オカルト的な展開が世界観に合わなかった上に金子修介の演出がそれに追いついていない感じがしました。
その違和感が『GMK』では更に増幅した感じです。
今作のゴジラが太平洋戦争で命を落とした人間の怨念を纏った存在というのは興味深いですが、本編では単に人間に危害を加えるだけの悪役にしか見えませんでした。「護国聖獣」にバラゴンとモスラを配するのはまだ分かりますが、キングギドラまでゴジラの噛ませ犬扱いなのも腑に落ちません。
ゴジラがバラゴンに倒されるまではまだ演出に力が感じられました。ゴジラの尾で跳ね飛ばされたバラゴンが報道ヘリに命中する場面は怪獣同士の死闘が如何に危険であるかを痛感させます。ですが、それ以降の演出は失速していく感じで、モスラやキングギドラとの最終決戦はクライマックスとは思えないほどだれていました。
全体的に白眼ゴジラよりも、金子修介の演出に怨念めいた負のエネルギーを感じる一作でした。
ゴジラ×メカゴジラ (2002年)
Godzilla Against Mechagodzilla
監督:手塚昌明
脚本:三村渉
特技監督:菊地雄一
音楽:大島ミチル
出演:釈由美子、宅麻伸、小野寺華那、高杉亘、友井雄亮、水野純一、水野久美、中尾彬
ゲスト怪獣:メカゴジラ
2003年9月23日、レンタルDVDで鑑賞しました。
初代ゴジラの骨格からメカゴジラ(3式機龍)を製造したという設定が引っかかりました。第一作のラストで、オキシジェン・デストロイヤーで絶命したゴジラが骨格まで完全に消滅したのは海上の報道陣もはっきりと見届けていましたのに。
細かい点はさて置き、大島ミチルの音楽は今作も聴き応えがありました。
余談ですが、小学校4年生の頃から作曲を始めた大島は、小学校6年生(11歳)のときに《狂ったロボット》というロック調の曲を発表したそうです。(「作家インタビュー 第08回 大島ミチル先生」日本テレビ音楽株式会社)その彼女がプロの作曲家となって暴走するメカゴジラの曲を書くことになるとは面白い偶然です。
ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS (2003年)
Godzilla: Tokyo S.O.S.
監督:手塚昌明
脚本:横谷昌宏、手塚昌明
特技監督:浅田英一
音楽:大島ミチル
出演:金子昇、吉岡美穂、虎牙光揮、大塚ちひろ、長澤まさみ、中尾彬、小泉博
ゲスト怪獣:モスラ成虫、モスラ幼虫(2匹)、カメーバ、メカゴジラ
2005年7月9日、レンタルDVDで鑑賞しました。
モスラの登場に必然性が感じられませんが、モスラの造形と動きは、1992年のときより遥かに良くなっていました。
ただ、最後に機龍が「SAYONARA YOSHITO」とメッセージを出すのは唐突だと思いました。本体が初代ゴジラなのに、急に人間らしい自我を持つのはご都合主義にも程があります。
ゴジラ FINAL WARS (2004年)
Godzilla: Final Wars
監督:北村龍平
脚本:三村渉、桐山勲
特技監督:浅田英一
音楽:キース・エマーソン、森野宣彦、矢野大介
出演:松岡昌宏、菊川怜、ドン・フライ、水野真紀、北村一輝、ケイン・コスギ、水野久美、佐原健二、長澤まさみ。大塚ちひろ、泉谷しげる、伊武雅刀、國村隼、宝田明
ゲスト怪獣:ミニラ、モスラ成虫、アンギラス、ラドン、マンダ、エビラ、カマキラス、クモンガ、ヘドラ、ガイガン、キングシーサー、ジラ、モンスターX→カイザーギドラ
2004年12月8日、ワーナー・マイカル・シネマズ高松 (現・イオンシネマ高松東) にて鑑賞しました。
良くも悪くも血の気の多い映画でした。正直、北村龍平の映画は好きではありませんが、人間も怪獣もひたすら戦いまくるだけの内容は彼のぶっきらぼうな演出と相性が良かったようです。
これまでのミレニアム・ゴジラ映画が小ぢんまりした感じだった鬱憤を一気に晴らすかのような暴れっぷりです。もっとも、VSシリーズ以上にハリウッドのSFアクション映画みたいなノリで、『マトリックス』(1999)、『スター・ウォーズ ジェダイの帰還』(1983)、『インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説』(1984) 等のパクリが満載でした。
怪獣の造形も出来不出来が激しかったです。ガイガンやモスラはまだ良い方ですが、せっかく久しぶりに再登場したアンギラスやキングシーサーの動作はふざけ過ぎだと思います。ヘドラもかつての公害怪獣の恐ろしさが微塵も感じられない雑魚扱いですし。
何よりも、主役のゴジラの造形がミレニアム・シリーズ中で最悪でした。大福みたいな頭に大きな耳と不自然な顎のせいで、不機嫌な猫みたいに見えてしまいます。巨大イグアナを簡単に駆除してくれたのには溜飲を下げましたが。
そして、『ゴジラ FINAL WARS』の題名通り、シリーズは再び長い眠りにつくことになりました。
まだ独身だった当時の私は、10年後のゴジラ映画がハリウッドの大作映画となり、未来の妻と一緒に見に行くことになるとは夢にも思いませんでした(笑)
GODZILLA ゴジラ (2014年)
Godzilla
監督:ギャレス・エドワーズ
脚本:マックス・ボレンスタイン、フランク・ダラボン、デヴィッド・キャラハム、ドリュー・ピアース、デヴィッド・S・ゴイヤー
音楽:アレクサンドル・デスプラ
出演:アーロン・テイラー=ジョンソン、渡辺謙、エリザベス・オルセン、ジュリエット・ビノシュ、サリー・ホーキンス
ゲスト怪獣:ムートー(オス・メス)
日本公開の翌日、2014年7月26日(土)、地元のイオンシネマにて鑑賞しました。
呆れる妻と一緒に、子供のようにワクワクしながら見に行ってしまいました(笑) それにしても、前作『ゴジラ FINAL WARS』から10年も経っていたことに驚きました。
ハリウッド版ゴジラ第2作目ですが、今作はレジェンダリー・ピクチャーズ社による「モンスター・ヴァース」第1作目で全く新しい設定で始まります。
肝心の映画ですが、一見の価値はありました。少なくとも、1998年のイグアナ映画よりは200万倍良く出来ていたと思います。
100メートル以上はある怪獣の映像は確かにリアルでしたが、怪獣同士の格闘の描写を出し惜しみしすぎていたと思います。最終決戦も夜とは言え、暗すぎて何が起きているのか殆ど見えませんでしたし。
ゴジラが熱線を中々吐かないのも最後の見せ場に溜めておきたかったのかもしれませんが、日本のゴジラが豪快に連発していたのを見慣れた側からすれば、少し出し惜しみし過ぎていたと思います。
又、今作は、1990年代のガメラを強く意識しているような内容でした。公開前はゴジラが都市を破壊する役だと思っていましたが、実際には敵怪獣ムートーが都市を破壊する側でした。ムートーを退治しにゴジラが登場しますが人類から敵だと思われて攻撃されるという展開は、金子修介の『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995) そのものでした。同時に、これは、巨大イグアナの役割をゴジラとムートーに二分化したかのようにも見えました。
それは結構なのですが、物語の内容に関しては、必ずしも手放しで賞賛できる点ばかりではなかったです。
『GODZILLA ゴジラ』に私が複雑な心境になるのは、予告編と本編の印象の違いです。
予告編は、ジェルジ・リゲティの《レクイエム》が流れる中、オッペンハイマーの有名な言葉も引用して、核の恐怖と怪獣の出現を黙示録的な雰囲気で演出していました。ですが、先述の通り、実際に原発事故を起こしたのは敵怪獣ムートーで、ゴジラはそれを退治するというガメラ的な役回りでした。
これはこれで怪獣映画の王道で悪くないでしょうが、水爆実験や原発事故が絡む物語で、渡辺謙の役名が芹沢猪四郎というように第一作へのオマージュが込められているとなると話は別です。
ゴジラの誕生が米軍の核実験ではなく、原始時代に放射能を吸収していた生物として改変され、逆にゴジラを抹殺するためという目的でビキニ環礁での水爆実験が正当化されていたのは、アメリカ映画の限界でしょうか。
(それでも、父を広島原爆で失った芹沢博士が米軍の核爆弾使用に反対する場面があるだけでも、米軍賛美のイグアナ映画より遥かに良心的なのですが…)
放射線の描写にも疑問が残ります。
初代ゴジラは、水爆の放射線(ストロンチウム90)を撒き散らして井戸水を汚染したり、幼い少女まで致命的に被曝させていました。
これとは真逆に、今回はゴジラのみならず敵怪獣ムートーまで、東宝ゴジラのように放射能を吸い取り、原発事故の放射線汚染までが無毒化しています。しかも、登場人物が事故現場の立ち入り禁止区域で防毒マスクを外して深呼吸するだけで安全だと断定していたのには絶句しました。
これでは、電力会社の隠蔽体質を告発する展開に見えて、実は原発事故は大したことないかのような印象すら与えかねません。
勿論、大怪獣の乱闘が売りのハリウッド映画にそこまで高望みをするべきではないのかもしれませんが、福島県で東京電力の原発事故が現実に起きてしまった今となっては「たかが映画だから」と言って気軽には見れません。
2023年1月21日付の沖縄タイムスの記事によると、この映画の脚本に対して米国の国防総省からの横槍があったそうです。ジョージア大学のロジャー・スタール教授が、バージニア州の海兵隊図書館で入手した関連文書から明らかになりました。
当初の脚本では、芹沢博士が広島への原爆投下が不要であったことと語る台詞があったそうですが、同省は協力撤回を持ち出して圧力をかけていました。その他にも、米軍の心象を良くするために、主人公の海軍兵を良く描いたり、兵士の死者を減らすという具合に脚本全体に注文を付けていました。
そして、レジェンダリー・ピクチャーズ社もそうした要求を全て受け入れました。
まぁ、会社としては商売として成功するための措置だったのでしょう。事実、結果的に『GODZILLA ゴジラ』は世界中で大ヒットしてシリーズ化もされたのですから。ですが、個人的には何か釈然としないものが今も残り続けています。
シン・ゴジラ (2016年)
Shin Godzilla
総監督・脚本:庵野秀明
監督・特技監督:樋口真嗣
音楽:鷺巣詩郎、伊福部昭
出演:長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ、高良健吾、市川実日子、高橋一生、塚本晋也、余貴美子、國村隼、平泉成、柄本明、大杉漣
GODZILLA 怪獣惑星 (2017年)
Godzilla: Planet of the Monsters
監督:静野孔文、瀬下寛之
脚本:虚淵玄
音楽:服部隆之
ゲスト怪獣:セルヴァム
2024年6月25日、アマプラで視聴しました。
アニメ映画でしたので、公開時は敬遠してしまいました。ですが、実際に視聴すると、思ったよりは良く出来ていました。『シン・ゴジラ』や『ゴジラ-1.0』を除けば、近年のシリーズの中では見応えがありました。
3Dアニメの表現も相当リアルでしたので、宇宙人や宇宙船、星間移動、約2万年後の地球などのSF的世界がリアルに表現されていました。ストーリーのスケールもゴジラの破壊力もシリーズ最大規模でした。
GODZILLA 決戦機動増殖都市 (2018年)
Godzilla: City on the Edge of Battle
監督:静野孔文、瀬下寛之
脚本:村井さだゆき、山田哲弥、虚淵玄
音楽:服部隆之
ゲスト怪獣:セルヴァム、メカゴジラシティ
2024年7月8日、アマプラで視聴しました。
自己増殖機能を持つナノメタルによって巨大施設メカゴジラシティが出来ていたという設定は、SF映画らしい設定だと思います。ただ、やはり「メカゴジラ」という名前を冠している以上、ゴジラ型のマシンでなくなったのは肩透かしでした。そのせいか、対ゴジラ作戦も前作の拡大焼き直し的なものに見えてしまいました。
もう一つ気になったのは、女性キャラの扱いです。主人公ハルオを慕うユウコが短絡的に嫉妬深い上に、触手型生物に襲われて足手惑いになる場面は陳腐でした。又、生存人類の種族「フツア」が殆ど若い女性であることや、双子の一人マイナとハルオの描写も「白人酋長」的なものに見えました。
ただ、ゴジラに止めの一撃を加える直前で、ナノメタルと同化しての特攻と、ナノメタルに浸食されつつあるユウコの救助という二者択一を迫られたハルオが、後者を選ぶという苦渋の決断は惹き込まれるクライマックスでした。あれほどゴジラ抹殺に執念を燃やしていながら、ぎりぎりの状況で人間性を優先するという描写にハルオが単なる好戦的な復讐鬼ではないということが明確に示されました。それだけに、ゴジラにメカゴジラシティを破壊された上に、ユウコも救えなかったというラストは前作以上に悲劇的でした。
GODZILLA 星を喰う者 (2018年)
Godzilla: The Planet Eater
監督:静野孔文、瀬下寛之
脚本:虚淵玄
音楽:服部隆之
ゲスト怪獣:セルヴァム、ギドラ、モスラ(卵)
2024年7月8日、アマプラで視聴しました。
前二作での敗戦で主戦力を喪失した人類は、この完結篇では殆ど傍観側となっています。絶望的な状況では人間が容易く信仰に救いを求めてしまうという展開は説得力がありますし、主人公の最大の理解者であると思われた異星人神官メトフィエスが実は真の黒幕で、彼が操る高次元怪獣ギドラが物理法則の異なる異次元の存在という設定も興味深いです。
ただ、姿を見せるギドラが三本の首のみなのは良しとしても、幻覚として見える全身像のシルエットが初期のゴジラ映画の飛行用ミニチュアみたいに見えるのは如何なものかと思います。主人公を救うために登場するモスラもシルエットのみでしたし。
ハルオとメトフィエスとの精神対決もどこかで見たような内容ですし、当初はゴジラを圧倒していたギドラが地球の物理法則に捉えられた後は呆気なく敗北するのも旧作をなぞっているようでした。前述のように人類側が傍観して戦闘状況を解説しているだけですので、盛り上がりに欠けるのは否めません。
何よりも拒否反応を覚えたのは、結末です。生き残った人類は、フツアの人々と平和な共存を始めます。ですが、文明の再興がギドラによる滅亡を再び招くことを予見したハルオは、ナノメタルに浸食されて植物人間状態のユウコと共に唯一残った戦闘機に乗ってゴジラに特攻して撃墜されることを選びます。いくら未来の禍を絶つためとは言え、既にマイナとの間に子供を授かっておきながら、別の女性と心中するという描写には納得できませんでした。芹沢博士のオマージュかもしれませんが、何か違うと思います。
ゴジラ キング・オブ・モンスターズ (2019年)
Godzilla: King of the Monsters
監督:マイケル・ドハティ
脚本:マックス・ボレンスタイン、マイケル・ドハティ、ザック・シールズ
音楽:ベアー・マクレアリー
出演:カイル・チャンドラー、ヴェラ・ファーミガ、ミリー・ボビー・ブラウン、ブラッドリー・ウィットフォード、渡辺謙、チャン・ツィイー
ゲスト怪獣:モスラ幼虫→モスラ成虫、ラドン、キングギドラ、スキュラ、メトシェラ、ベヒーモス、ムートー(メス)、キングコング(映像のみ)
ゴジラvsコング (2021年)
Godzilla vs. Kong
監督:アダム・ウィンガード
脚本:エリック・ピアソン、マックス・ボレンスタイン
音楽:ジャンキーXL
出演:アレクサンダー・スカルスガルド、ミリー・ボビー・ブラウン、レベッカ・ホール、ブライアン・タイリー・ヘンリー、小栗旬
ゲスト怪獣:コング、メカゴジラ
ゴジラ-1.0 (2023年)
Godzilla Minus One
監督・脚本・VFX:山崎貴
音楽:佐藤直紀
出演:神木隆之介、浜辺美波、山田裕貴、青木崇高、吉岡秀隆、安藤サクラ、佐々木蔵之介
ゴジラxコング 新たなる帝国 (2014年)
Godzilla x Kong: The New Empire
監督:アダム・ウィンガード
脚本:テリー・ロッシオ、サイモン・バレット、ジェレミー・スレイター
音楽:トム・ホーケンバーグ
出演:ダン・スティーヴンス、レベッカ・ホール、ブライアン・タイリー・ヘンリー
ゲスト怪獣:コング、モスラ、スカーキング、シーモ、スーコ
2024年5月8日(水)、地元のイオンシネマにて鑑賞しました。『ゴジラ-1.0』を非常に気に入っていた妻でしたが『ゴジラVSコング』には呆れていましたので、私一人で見に行きました。それにしても、日米の新作ゴジラ映画が同時期に公開されているとは凄い時代になったと思いました。
ともあれ『ゴジラVSコング』の続編は、よりハチャメチャな映画となっていました。異常現象を説明するだけの登場人物とは対照的に、怪獣たちがひたすら破壊して戦いまくります。
まぁ、巨大イグアナ映画のときからハリウッド版ゴジラ映画に深みのあるドラマなど期待していません。今回は、東宝チャンピオンまつりやVSシリーズ的な内容をアメリカ的な物量でこれでもかと見せつける娯楽作に徹底しているので、むしろ潔いかもしれません。
何も考えずにスッキリしたい人でしたら楽しめると思います。あれだけ街を派手に破壊しておきながら、あっけらかんと終わるところもアメリカ的な感じもしますが。それに、ゴジラが放射能を吸収しようと襲撃したのがフランスの原発という描写にするあたり、自国の核施設を黙認する巨大イグアナ映画以来続くハリウッドの悪しき慣習が垣間見えます。
今回はコングが主役でゴジラが助太刀のような扱いでしたが、ハリウッドでもゴジラが孤高のパワフルな怪獣としてスターの地位を確立しているだけでも巨大イグアナ映画よりはマシだと思います。
まとめ
ゴジラがスクリーンに登場してから70年。ゴジラ映画が日米で同時期に公開され国内外で大ヒットする時代が来るとは感慨深いものがあります。
ですが、考えてみれば、現在のブームに至るまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。映画産業が斜陽になる中で子供向けになったり、興収の減少による何度かの中断などを振り返ると、よくぞ70年も続いたと思います。
評論家の佐藤健志は、著書『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』(1992) でゴジラ映画や特撮・アニメを扱き下ろし『さらば愛しきゴジラよ』(1993) でゴジラ映画は行き詰ると書いていました。『ゴジラVSデストロイア』でシリーズ中断が明らかになった後、1995年7月23日付のニューヨーク・タイムズの記事で「ゴジラは時代遅れだという私の理論が完全に正しかったことが証明された」とほくそ笑んでいました。
確かに1990年代のゴジラ映画は、ワンパターンで精彩を欠いていたと思います。ですが、興行的には成功を続けてましたし、リアルタイムで見ていた当時の観客が新たなゴジラ・ファンの礎ともなっていきました。伊福部昭の音楽と生賴範義のイラストは今も色褪せませんし。
2014年のレジェンダリー版ゴジラは個人的にはあまり評価できませんが、この映画が世界的にヒットしたおかげで『シン・ゴジラ』の製作が決定しました。
世代を超えたファンの獲得や技術の継承と向上の積み重ねの上に『シン・ゴジラ』や『ゴジラ-1.0』の成功があるのだとすれば、どんな形ではあろうとゴジラ映画が作られ続けてきて良かったのかもしれません。
今では日本のゴジラもCGで動くのが当たり前になりました。長年のファンの中には着ぐるみのゴジラを懐かしむ人もいるようですが、私は映画の出来さえ良ければCGでも一向に気にしません。
そもそも、初代ゴジラが着ぐるみ特撮になったのも、初代キングコングのようなストップモーション特撮を実現する費用や時間が無かったための打開策だったのですから、時代と共に最善な撮影技法に移行していくのは当然のことだと思います。
それに、CGだけで撮られたと思われがちな巨大イグアナ映画でさえ、意外とモンスター・スーツやミニチュアが多用されていましたし、ゴジラがフルCGの『シン・ゴジラ』でも、破壊される家屋などにミニチュアが使用されていました。
もはや、ミニチュアやCGの優劣を決め付けること自体が無意味だと思います。着ぐるみからCGに変わろうとも、作り手が優れた映画を撮る目標と技術さえあれば、ゴジラの魅力は損なわれることはない筈です。
『ゴジラ-1.0』の監督・山崎貴は、核兵器や大震災など時代の不穏な空気が「怖いゴジラ」を誕生させると語っています。
山崎貴「作ってみて思うのは、ゴジラ映画とは神事ではないかということ。祟り神が現れ、神は周囲をめちゃくちゃにしますが、最後に鎮まってもらう。荒ぶる神を鎮める神楽を奏するように映画を作っている、とすら思ったほどです。
祟り神を鎮めてくれる国だからこそ、ゴジラはよりによって日本に出現するのではないかとも思います。
常に世界を取り巻く不安はあって、世界情勢も変化していて、その中で、ゴジラ映画を神事とするならば、今後も時折、祟り神の鎮めの儀式を厳粛に執り行わないといけないでしょうね」
「ゴジラ映画とは「終われない神事」である 山崎貴監督が語る“神様兼怪物”の本質」AERA dot. 2023年10月29日
ゴジラ映画のプロデューサーであった田中友幸の映画人生を紹介した著書『神(ゴジラ)を放った男 映画製作者・田中友幸とその時代』(キネマ旬報社) の中で、著者の田中文雄は、巨大なメカゴジラ(1993)が飛行する姿に驚愕したことをこう綴っています。
「奇怪な怪物たちが毒々しい背景の中で乱舞する。これはどこか神楽踊りを思わせないだろうか。あるいはギリシャの仮面劇といってもいい。あずれも“神”に対する奉納儀式である。
相撲もそうである。ゴジラはもはや国技となったと気づいた。“ゴジラ”はこれからも奉納の舞いを続けるだろう」
田中文雄・著『神(ゴジラ)を放った男 映画製作者・田中友幸とその時代』(キネマ旬報社)
ゴジラの英語名 GODZILLA の最初の三文字が GOD (神) であることから、ゴジラを神的な存在として語る人は少なくありません。仮にそうした偶然が無かったとしても、ゴジラという名前が唯一無二のキャラクターとして単なるモンスター以上の存在となったと考えなければ、ゴジラ映画がこれほど長寿シリーズとなったことの説明がつきません。
第一作『ゴジラ』の企画題名の一つが『海底二万哩から来た大怪獣』であったことから、1953年のアメリカ映画『原子怪獣現わる』(原題 The Beast from 20,000 Fathoms) の二番煎じという風に『ゴジラ』を揶揄する声もありました。ですが、映画の出来とは別に『原子怪獣現わる』に登場するリドサウルスは普通の恐竜でしたし、ニューヨークに上陸後の暴れ方も日本の怪獣から見れば比較的おとなしい方です。
一方、水爆実験さえも生き延びたゴジラはあらゆる通常兵器をものともしない不死身の怪獣です。都市を破壊する加害者であると同時に、人類の蛮行である核の被害者でもあるという恐怖と悲劇の二面性を併せ持つゴジラは、戦争や災害などの禍や憎悪を体現した存在として、単なる恐竜以上の宿命を感じさせます。
誕生から今日に至る70年の間、ファンからの賞賛や熱狂だけでなく、批評家や一般の人からの嫌悪や嘲笑の的となることの多かったゴジラですが、度重なる逆風に晒されながらも蘇ってきました。興行上の要請という商業的な理由だけでなく、人類が今も解決できない様々な問題に対する激しい怒りを解き放つ荒神として、ゴジラは今後もスクリーン上に降臨していくことでしょう。
(敬称略)
参考資料(随時更新)
書籍、記事
『円谷英二の映像世界』 山本眞吾 編、実業之日本社、1983年
「本多猪四郎監督から大森一樹君への伝言―あるゴジラ秘話」 大林宣彦、キネマ旬報 1990年4月下旬号
『伊福部昭の宇宙』 相良侑亮 編、音楽之友社、1992年
『日本映画批判 一九三二―一九五六』 双葉十三郎、トパーズプレス、1992年
『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』 佐藤健志、文藝春秋、1992年
『さらば愛しきゴジラよ』 佐藤健志、読売新聞社、1993年
『神(ゴジラ)を放った男 映画製作者・田中友幸とその時代』 田中文雄、キネマ旬報社、1993年
「お正月映画作品ガイド 座談会 双葉十三郎×北川れい子×三留まゆみ」 『キネマ旬報』1993年12月下旬号
Easton, Thomas. “The nightmares change but Godzilla still reigns.” The Baltimore Sun, July 27, 1994.
『300/40 その画・音・人』 佐藤勝、キネマ旬報社、1994年
Sterngold, James. “Does Japan Still Need Its Scary Monster?” The New York Times, July 23, 1995.
Martin, J.J. “The Thunder Lizard Speaks! An Interview with Godzilla.” Cineaste, vol.XXIII, No.3, 1998.
『伊福部昭の映画音楽』 小林淳、ワイズ出版、1998年
『ゴジラとは何か』 ピーター・ミュソッフ 著、小野耕世 訳、講談社、1998年
『ポップ・カルチャー・クリティーク3 日米ゴジラ大戦』 青弓社、1998年
『黒澤明 音と映像』 西村雄一郎、立風書房、1998年
『宝石』 光文社、1999年6月号
『ヒバクシャ・シネマ――日本映画における広島・長崎と核のイメージ』 ミック・ブロデリック 編著、柴崎昭則・和波雅子 訳、現代書館、1999年
『伊福部昭・タプカーラの彼方へ』 木部与巴仁、ボイジャー、2002年
『伊福部昭 音楽と映像の交響 上』 小林淳、ワイズ出版、2004年
『伊福部昭 音楽と映像の交響 下』 小林淳、ワイズ出版、2005年
『ツレがうつになりまして。』 細川貂々、幻冬舎、2009年
『グッドモーニング、ゴジラ 監督 本多猪四郎と撮影所の時代 (復刊版)』 樋口尚文、国書刊行会、2011年
『伊福部昭綴る 伊福部昭 論文・随筆集』 伊福部昭、ワイズ出版、2013年
『生賴範義 THE ILLUSTRATOR』 生賴範義展実行委員会 編、宮崎文化本舗、2014年
『伊福部昭 ゴジラの守護神・日本作曲界の巨匠』 片山杜秀 編、河出書房新社 2014年
『伊福部昭語る 伊福部昭映画音楽回顧録』 伊福部昭 (述)、小林淳 (編)、ワイズ出版、2014年
『イラストレーション別冊 生賴範義 緑色の宇宙』 玄光社、2014年
『生賴範義Ⅱ 記憶の回廊 1966-1984』 生賴範義展実行委員会 編、宮崎文化本舗、2015年
『ゴジラを飛ばした男 85歳の映像クリエイター 坂野義光』 坂野義光、フィールドワイ、2016年
『ゴジラ映画音楽ヒストリア 1954-2016』 小林淳、アルファベータブックス、2016年
『生賴範義 THE LAST ODYSSEY 1985-2015』 生賴範義展実行委員会 編、宮崎文化本舗、2016年
『生賴範義展 THE ILLUSTRATOR』 生賴範義展実行委員会 編、宮崎文化本舗、2016年
『銀幕のキノコ雲 映画はいかに「原子力/核」を描いてきたか』 川村湊、インパクト出版会、2017年
『1954「ゴジラ」研究極本』 グループ研究極本 編、ホビージャパン、2023年
『大楽必易―わたくしの伊福部昭伝―』 片山杜秀、新潮社、2024年
ウェブサイト、ネット記事
「伊福部昭コレクション」 – 東京音楽大学
「伊福部昭音楽資料室・伊福部昭を讃える音楽記念碑」 – 北海道十勝 音更町
「ゴジラの逆襲」 LD DVD & Blu-rayギャラリー
「【独自】米「ゴジラ」原爆批判のせりふ削除 国防総省の抗議で 2014年映画」 ジョン・ミッチェル 『沖縄タイムス』2023年1月21日
「ゴジラ介入なぜ起きたのか 明かされた米映画業界の実態 マーベルや料理番組にまで」 ジョン・ミッチェル 『沖縄タイムス』2023年1月21日
「『ゴジラ』4Kブルーレイのこだわりが本気過ぎる。高画質化や特典映像の裏側を関係者に訊く」(PHILE WEB 2023年10月21日)
「ゴジラ映画とは「終われない神事」である 山崎貴監督が語る“神様兼怪物”の本質」(AERA dot. 2023年10月29日)
「ゴジラ」から「ゴジラ-1.0」へ 本多猪四郎 時代への証言(ひとシネマ)
「第1回 ゴジラ前夜 日芸1期生からPCLへ」(2023年11月12日)
「第2回 なぜ自分だけが? 応召3度 軍隊生活計8年」(2023年11月17日)
「第3回 燃えた「G作品」 「ゴジラ」は原爆の象徴 反核運動と共に大ヒット」(2023年11月21日)
「第4回 最後の監督作「メカゴジラの逆襲」 黒澤明に請われ「影武者」で現場復帰」(2023年11月27日)
「第5回 「影武者」撮影秘話「勝新だったら……」 間近にみた黒澤明」(2023年11月30日)
「第6回 三船敏郎、黒澤明、八千草薫……葬儀にそうそうたる映画人 「天国に行くでしょう」」(2023年12月2日)
CD
「AKIRA IFUKUBE 完全収録 伊福部昭 特撮映画音楽 東宝篇1」 伊福部昭、東芝EMI、TYCY-5195/5196、1992年
「AKIRA IFUKUBE 完全収録 伊福部昭 特撮映画音楽 東宝篇9」 伊福部昭、東芝EMI、TYCY-5267/5268、1992年
「AKIRA IFUKUBE 完全収録 伊福部昭 特撮映画音楽 東宝篇10」 伊福部昭、東芝EMI、TYCY-5342/5343、1993年
50th アニバーサリー・ゴジラ・サウンドトラック・パーフェクトコレクション BOX 1
「ゴジラ」 伊福部昭、東宝ミュージック、G-001、2004年
「ゴジラの逆襲」 佐藤勝、東宝ミュージック、G-002、2004年
「キングコング対ゴジラ」 伊福部昭、東宝ミュージック、G-003-1/G-003-2、2004年
「モスラ対ゴジラ」 伊福部昭、東宝ミュージック、G-004、2004年
「三大怪獣・地球最大の決戦」 伊福部昭、東宝ミュージック、G-005、2004年
「ゴジラ オリジナル・サウンドトラック」 伊福部昭、佐藤勝、東宝ミュージック、GX-1、2004年
50th アニバーサリー・ゴジラ・サウンドトラック・パーフェクトコレクション BOX 4
「ゴジラ」 小六禮次郎、東宝ミュージック、G-016、2006年
「ゴジラVSビオランテ」 すぎやまこういち、東宝ミュージック、G-017-1/G-017-2、2006年
「ゴジラVSキングギドラ」 伊福部昭、東宝ミュージック、G-018、2006年
「ゴジラVSモスラ」 伊福部昭、東宝ミュージック、G-019-1/G-019-2、2006年
「怪獣の王★ゴジラ+α」 東宝ミュージック、GX-4-1/GX-4-2、2006年
「ゴジラ外伝-流星人間ゾーン-+α」 東宝ミュージック、GX-5、2006年
50th アニバーサリー・ゴジラ・サウンドトラック・パーフェクトコレクション BOX 5
「ゴジラVSメカゴジラ」 伊福部昭、東宝ミュージック、G-020-1/G-020-2、2008年
「ゴジラVSスペースゴジラ」 服部隆之、東宝ミュージック、G-021-1/G-021-2、2008年
「ゴジラVSデストロイア」 伊福部昭、東宝ミュージック、G-022-1/G-022-2、2008年
「ゴジラ2000ミレニアム」 服部隆之、東宝ミュージック、G-023、2008年
「伊福部昭/SF特撮映画音楽の夕べ★実況録音盤」 伊福部昭、東宝ミュージック、GX-6、2008年
「OSTINATO オスティナート 東宝特撮未使用フィルム大全集」 伊福部昭、東宝ミュージック、GX-7、2008年
Blu-ray
『ゴジラ』 東宝、2009年
Godzilla. The Criterion Collection, 2012.
『シン・ゴジラ Blu-ray 特別版』 東宝、2017年
『ゴジラ 4Kリマスター Blu-ray』 東宝、2023年
『モスラ対ゴジラ 4Kリマスター Blu-ray』 東宝、2023年
『ゴジラ-1.0』Blu-ray 2枚組 東宝、2024年
核兵器・原発関連
「原発問題 全般」
「原発は安くない」
「原発と石油」
「原発は温暖化対策にはならない(原発も二酸化炭素を排出する)」
「東京電力福島第一原子力発電所は(津波の前に)地震で壊れていた (そして、津波は予測されていた)」
「東京電力福島第一原子力発電所事故の放射能汚染による被曝症状」
「除染の問題点」
「御用学者」
「原発とメディア」
「核(人体)実験」
「海外の脱原発」
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