こんにちは。タムラゲン (@gensan) です。
イラスト:タムラゲン Illustration by Gen Tamura
11月3日(火)、地元の映画館にて、『ゴジラ-0.0』(ゴジラ マイナスゼロ)を、妻と一緒に鑑賞しました。
尚、この記事には『ゴジラ-0.0』の結末などネタバレが含まれていますので、未見の方は映画をご覧になってから読まれることをお勧めします。
『ゴジラ-0.0』について
ゴジラ-0.0 (ゴジラ マイナスゼロ)
Godzilla Minus Zero
2026年11月3日 公開
TOHOスタジオ・ROBOT 制作
東宝 製作・配給
カラー、IMAX、135分
スタッフ
監督・脚本・VFX:山崎貴
音楽:佐藤直紀
製作:市川南、上田大地
エグゼクティブ・プロデューサー:臼井央
企画・プロデュース:岸田一晃
プロデューサー:阿部豪、守屋圭一郎
撮影:柴崎幸三
照明:上田なりゆき
美術:上條安里、平井亘
録音:武内久史
VFXスーパーバイザー:植木孝行、大久保榮真、渋谷紀世子
編集:宮島竜治
音響効果:井上奈津子
衣裳:水島愛子
キャスト
敷島浩一:神木隆之介
敷島典子:浜辺美波
萩原彰:前原滉
堀田辰雄:田中美央
板垣昭夫:飯田基祐
鶴野邦夫:水橋研二
常盤兵吉:奥野瑛太
本田正一:井之脇海
敷島明子:永谷咲笑
ハーラン・ギルバート:Wes Wing
ジェンキンス:Jake O’Connor
田辺昭二:板垣佑磨
緒方医師:國村隼
水島四郎:山田裕貴
秋津淸治:佐々木蔵之介
太田澄子:安藤サクラ
青山眞琴:長澤まさみ
村上寛治:田中泯
野田健治:吉岡秀隆
予告篇
公式サイト

『ゴジラ-0.0』の見どころ・聴きどころ
3年ぶりの新作
前作『ゴジラ-1.0』が公開された2023年11月3日から丁度3年後の11月3日に『ゴジラ-0.0』が公開されました。3年前と同様、ネタバレを避けるため、公開初日に妻と一緒にイオンシネマ綾川へ見に行きました。
『ゴジラ-0.0』のチケットがネットで発売される前日の10月30日に金曜ロードショーで『ゴジラ-1.0』が放送されましたので、チケット争奪戦になると予想しました。日付が10月31日に変わった後、すぐに購入手続きをしましたので、3日の午後12時20分の回の席を二人分購入できました。
そして、当日の正午、妻と一緒に映画館に着いたときには、券売機の前に長蛇の列ができていて驚きました。祝日ということもあるでしょうが、話題作の公開初日なので、上映が始まる頃には客席が殆ど埋まりました。
怪獣対決
予告編であの電子音のような鳴き声が聞こえていたことから、誰もがキングギドラの登場を想像しました。もっとも、映っていたのは破壊光線のみでしたので、ひょっとしたら新怪獣登場と思わせて新兵器でも出てくる捻った展開かも、と思ったりしました。
ですが、公開前に放送された「映画公開記念特番『ゴジラ-0.0』―BEYOND―」で、山崎貴本人がキングギドラの登場について語っていましたので、意外にも公開前にギドラ登場が確定となりました。
という訳で、怪獣映画の続編のお約束とも言える怪獣対決に山崎貴がどのように挑んだのか固唾をのんで鑑賞しました。
結論から言いますと、前半は『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964) で、後半は『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019) を強く意識した怪獣描写だと思いました。
東宝マークの後、開幕早々に長野県松本市をギドラが蹂躙する場面なのには意表を突かれました。前作も大戸島で暴れる呉爾羅にも驚かされましたが、今回はその上をいく意気込みが伝わってきました。
しかも、この時点でのギドラは一本首で西洋のドラゴンのような形態でしたので、後でいつもの形態に進化するであろうと期待もさせる出だしでもありました。
北アルプス山中に墜落した隕石の生物が周辺のあらゆる生物を捕獲・吸収してギドラとなっていった過程を調査隊が撮影した白黒フィルムによって明らかにしていく場面は、ミステリー映画のようで興味を引かれます。(ゲル状の物質が生物の遺伝子を取り込むのは、まるで『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣』(1970) のアメーバ状の生物みたいです)
戦闘機とギドラの空中戦、鳴神作戦による落雷でギドラを感電させて撃墜するまでは、大空を目まぐるしく飛翔する手に汗握る展開でした。(因みに、歌舞伎の『鳴神』は伊福部昭が唯一オペラにしてもいいと語った歌舞伎の演目ですので、私も含む少なからぬ伊福部ファンが興奮しました)
そして、雷のエネルギーさえ吸収したギドラが三つ首の怪獣へ変貌したキングギドラは、過去に登場したどのギドラよりも迫力満点の威容でした。
キングギドラが放つ引力光線が青色なのは、黄色の破壊光線と使い分けているのを視覚的に分かりやすくする演出でしょうか。『宇宙大戦争』(1959) のナタール人の冷却線のように無数の家屋が空中に浮遊させられる描写は、正に引力光線の名に相応しいです。又、過去にゴジラを浮遊させたのはスペースゴジラだけでしたので、ギドラが引力光線でゴジラを持ち上げたのは意外にも今回が初めてでした。
監督の山崎貴は、キングギドラがデビューした1964年の辰年生まれで、長野県松本市の出身です。ギドラが松本市を襲撃する『三大怪獣 地球最大の決戦』のリバイバル上映を父親にねだって見に行ったというほどですから、神社の鳥居や松本城をギドラが破壊する場面が『三大怪獣』の見事なオマージュとなっていました。(リアルな破壊描写に、私の前列で見ていた幼い少年は「怖いよぉ」と泣き出していたほどです)
そして、終盤の廃墟と化した銀座を舞台にしたゴジラとキングギドラの対決は、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(以下『KOTM』) を筆頭にあらゆる怪獣映画が頭に浮かぶ展開の連続でした。
人類の手に負えない二頭の怪獣を対決させて共倒れを目論むのは、『KOTM』の遥か以前から『キングコング対ゴジラ』(1962) や『ゴジラVSビオランテ』(1989) 等で繰り返し描かれてきた怪獣映画の王道です。
その他にも、米国への復讐に燃える村上教授が妄想の中で、ニューヨークに向けて熱線を吐くゴジラの後ろ姿は、『怪獣総進撃』(1968) で国連ビルに向けて放射熱線を吐くゴジラに似ていると思いました。その村上教授が典子のG細胞の共鳴波でゴジラとシンクロさせて誘導するのは『メカゴジラの逆襲』(1975) の真船博士とその娘・桂を思わせます。そして、キングギドラが引きちぎられたゴジラの腕からG細胞さえも取り込んでゴジラと同等の熱線を吐くというのは、『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』(1999) そのものでした。もっとも、背ビレまで生えて、顔までゴジラに似たGギドラに変貌するというのはかなり斬新でした。
人類が眠っていたゴジラを誘導してキングギドラと対決させるという『ゴジラ-0.0』の展開は、否応なしに『KOTM』に似てしまうハンデがありました。あれほどゴジラを憎悪していた敷島がギドラ討伐のためにゴジラを呼び出す側になるのも『KOTM』の芹沢猪四郎博士を思わせます。更に、一度は倒されたゴジラを典子の共鳴波が復活させて形勢を逆転させるのは『ゴジラVSコング』(2021) っぽいですし。
ですが、そこは山崎貴が率いる白組ですので、単なる二番煎じになどはしません。今回もハリウッドにひけを取らない超絶技巧のVFXを見せてくれます。
『KOTM』の怪獣対決の場面が吹雪や豪雨の降りしきる夜が多く、せっかくの見せ場が暗すぎて見えにくかったこととは対照的に、『ゴジラ-0.0』は全て晴天か曇りの中で怪獣対決が繰り広げられますので、実に見やすかったです。
又、今作のギドラがハリウッド版をも凌ぐ狂暴さでしたので、都市破壊は勿論、ゴジラとの闘いも、東宝のフランケンシュタイン映画や1970年代のウルトラマン・シリーズを思わせる凄惨な死闘でした。因みに、ゴジラがギドラに嚙みつかれた右手を引きちぎった後、腕を再生させるのは、『ドラゴンボール』のピッコロやネイルを連想させました。
音楽
『ゴジラ-0.0』の音楽は、山崎映画の常連である佐藤直紀です。前作の音楽世界を踏襲しつつも、より重厚な音で作品を彩っていました。
今作の音楽で一番の注目点は、やはりキングギドラのテーマ曲でした。
公開前に知った情報によると、『ゴジラ-0.0』の音楽編成は、通常のフル・オーケストラを基に、トロンボーン24人、チューバ6人、チェロ32人、コントラバス8人でした。総勢160人以上という異例の大編成ですから、もしかしたら伊福部昭が作曲した元祖キングギドラのテーマ曲も復活するのでは、と密かに期待していました。
という訳で、本編の音楽ですが、冒頭の東宝マークから絃楽の高音が繰り返されるのには驚かされましたが、まさかそれがそのままギドラのテーマになるとは思いませんでした。
これほどの大編成で伊福部ギドラのテーマが奏でられなかったのは勿体ない気もしますが、『ゴジラ-0.0』のキングギドラが登場する映像を思い返してみると、確かに佐藤直紀の警報音を思わせる絃楽の繰り返しの方が合っていると思います。
そして、今回も「ゴジラのテーマ」が流れるのですが、前回は海神作戦で人類側のテーマとして先祖返りしたのが、早くもゴジラ側のテーマ曲に戻っていました。しかも、ギドラに対峙する場面で高鳴るので、この音楽演出も『KOTM』を連想させました。
ともあれ、二大怪獣が激突する大迫力のVFX映像と同様に、佐藤の渾身の音楽も映画館で体験するに値する壮大な響きでした。
恩讐の彼方に
終わりのない災厄
ここまで主に怪獣対決について語ってきました。
ですが、あれほど超絶クオリティのVFXによる大迫力の怪獣対決が繰り広げられたにも関わらず、見終えた後に圧倒的に記憶に残っていたのは本編の人間ドラマの方でした。
勿論、これは怪獣が時間する場面が相対的に人間ドラマより少なかったというのもありますが、物語が戦争の傷跡に焦点を当てていることが最も大きな要因だと思います。
人間ドラマで最も大きな関心事は、やはり主人公である敷島一家の3人のその後です。
前作でゴジラを葬った後、敷島浩一は、彼の妻となった典子と養女の明子と共に今作までの約2年間は束の間の平和な生活を送っていました。ですが、松本にギドラが出現したことから再び怪獣によって否応なく戦闘に巻き込まれていきます。
前作でゴジラが銀座に放った熱線の大爆発で一時は死んだと思われた典子は、奇跡的に生存していましたが首筋に謎の黒い痣が浮かび上がりました。誰もが予想した通り、ゴジラ細胞の影響だったのですが、今作では、その首筋にゴジラの背ビレのような突起物が現れ、右眼もゴジラのように金色の瞳になっていました。熱線の被災者の中でただ一人ゴジラ細胞と適合した人物として典子は、村上教授からゴジラをおびき出すために共鳴波増幅装置への協力を求められます。
典子の能力がその後も軍事利用されることを恐れた敷島は典子と明子を連れて新潟まで逃亡しようとしますが、その途中で松本市の惨状と夥しい犠牲者を目の当たりにした典子は単身引き返して村上教授の作戦に参加することを決意。敷島も断腸の思いで彼等を乗せた飛行艇を操縦することを志願します。
そして、今作の新キャラであり共鳴波増幅装置を開発した村上教授は、広島に投下された原爆によって家族を失い、銀座でのゴジラの猛威も目撃していました。典子の協力によってゴジラの誘導が現実味を帯びたことによって、ゴジラの熱線でアメリカに復讐しようと狂喜します。
戦争に抗えるか
登場人物が背負う戦争の惨禍と軍拡の危険性が現実に存在する問題であるので、映画の売りである怪獣対決が霞んでしまいそうでした。
ギドラが襲撃した後の松本市や、ゴジラが熱線を放った後の銀座の回想場面で描かれる被害者の負傷は、過去のどのゴジラ映画よりもリアルで痛々しい表現でした。かつて『シン・ゴジラ』(2016) で、ゴジラが東京を破壊した後に犠牲者の描写が殆ど皆無だったことを考えると驚くべき変化です。
更に驚くべきは、村上教授の回想の中で、原爆投下後の広島市の惨状まで描かれていることです。勿論、実際の被爆地の惨状はとても正視できないものだったでしょうが、大火傷を負った被爆者や黒焦げになった村上教授の家族など、ゴジラ映画では前代未聞の描写でした。
その上、村上教授が妄想する映像の中で、ニューヨークに到着したゴジラが自由の女神を破壊して、熱線をマンハッタンに向けて放ち、路上のアメリカ人が次々と焼き尽くされていく様子まで生々しく描かれていたのには仰天しました。
確かに、広島と長崎に投下した原爆を開発したのは、アメリカのマンハッタン計画ですし、2001年9月11日まで北米を爆撃されたことのないアメリカ人の大半は空爆されることの恐怖など想像したこともなかったのは事実です。
ですが、妄想とは言え、ここまで核によるアメリカへの復讐を映像化して、米軍を悪役として描いた映画(それも、英語字幕付きのアジア圏の外国語映画)が北米の観客に熱狂的に絶賛されているのは、前作『ゴジラ-1.0』の大ヒット以上に不思議な感じがします。
かつて同じように米軍を悪役として描いた『ゴジラVSキングギドラ』(1991) が米国の退役軍人団体などからクレームをつけられたり、黒澤明でさえ『八月の狂詩曲』(1991) で米国のマスコミから批判されたことを考えると、隔世の感があります。
話を戻しますと、結局は野田博士の説得もあって村上教授は復讐を諦めて、共鳴波増幅装置とその資料を自宅もろとも焼却してしまいます。
『ゴジラ』(1954) の芹沢博士も、自分が開発した酸素破壊剤が兵器として悪用されることを恐れて、一切の研究資料を焼却しました。村上教授の設定も芹沢博士のオマージュかもしれません。ただ、ゴジラと心中した芹沢博士とは対照的に、国外への逃亡を図った村上教授は、あっけなく米軍に捕まってしまいます。
ゴジラ細胞を巡って各国の諜報員が暗躍する『ゴジラVSビオランテ』を思わせますが、『ゴジラ-0.0』の方がよりシビアな感じがします。
そして、敷島と典子も米軍の追跡から逃れるために、明子を澄子が運営する孤児院に残していこうとしますが、親子の情は断ちがたく彼女も連れて3人で逃げていくところで映画は幕を閉じます。
あれだけ米国を憎んでいた村上教授が(野田博士の説得があったとは言え)あっさり復讐を諦めたり、前作で黒い雨を浴びた敷島に被曝症状が出ていなかったり、村上教授の研究を狙っていた米軍が敷島夫妻の近辺や孤児院を監視していなかったり、明子と今生の別れをするつもりが結局連れていくというあたりの描写がまどろっこしいなどのツッコミはこの際、置いておきます。私の妻も指摘していましたが、仮に明子を残して逃げたとしても、遅かれ早かれ孤児院にまで米軍の手は伸びるでしょうから、明子も連れて行くという選択はありだと思います。
それに、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効して日本の主権が回復するので、それまでの辛抱とも言えます。と、思いましたが、寿命が短いのか不老不死に近いのか未知数の妻と、まだ未就学の娘を連れて、米軍の追跡から約3年もの間逃亡を続けるのは、同じ神木隆之介が主演したテレビドラマ『海に眠るダイヤモンド』(2024) よりも過酷な逃避行になるのは火を見るよりも明らかです。
第二次世界大戦は終結しても、戦争が残した傷跡は至る所に残ったままでした。『ゴジラ-0.0』の登場人物も例外ではありません。敷島一家の3人や澄子、村上教授は皆、戦争で家族を殺されています。澄子の孤児院にいる孤児たちは明子を妬むほど荒んでいますし、被爆者である村上教授のPTSDと憎悪は先述の通りです。
孤児たちが明子に敵意を剥き出しにする描写を唐突で不快だと感じた人は少なくないようです。ですが、孤児たちの心境を考えると、下手に仲良くなるよりリアルな描写だと思います。それより、ラストに敷島夫妻が迎えに来たのを見た孤児たちが驚くだけの反応で終わらせたことの方が消化不良ではないでしょうか。
村上教授の改心も唐突かもしれませんが、仮にゴジラを利用して復讐を遂げたとしても、それは野田博士が言うように、原爆投下とは無関係のアメリカ人を殺戮するだけで、惨劇と復讐の連鎖にしかならないでしょう。真に責任を問われるべきは、原爆開発を主導した科学者やその使用に踏み切った政治家や軍人なのですから。
そう考えますと、山崎貴が映画『オッペンハイマー』(2024) へのアンサー的な映画として『ゴジラ-0.0』を撮ろうとしたのも分かる気がします。この映画が『原爆の子』(1952)、『ひろしま』(1953)、『黒い雨』(1989) 等の原爆映画に比肩するかどうかは意見の分かれるところかもしれません。ですが、大手映画会社の大作映画でここまで原爆に向き合った映画は近年は稀ですので、好むと好まないに関わらず、核兵器と戦争に関して今一度考えるきっかけとして一見の価値は大いにあると思います。
まとめ
『ゴジラ-1.0』は、敷島の戦争PTSDをゴジラ討伐によって克服するという分かりやすい内容でした。それに対して、今回の『ゴジラ-0.0』は、その後の敷島一家や村上教授たちが怪獣だけでなく彼等を軍事利用しようとする米軍によって翻弄されていくという複雑な内容となっています。
今作が怪獣以上に人間ドラマの方が印象に残るのは、現在も進行中である科学技術の軍事利用という問題と地続きであるからに他なりません。
原水爆などの核兵器や宇宙への兵器配備などに加えて近年はAIまで軍事利用されています。パレスチナの非戦闘員を無差別に虐殺する極悪国家イスラエルをアメリカの大統領ドナルド・トランプは平然と支援していますし、そのトランプを日本の首相である高市早苗は恥知らずにもノーベル平和賞に推薦するなどして諂っている有様です。非核三原則や日本国憲法を敵視する極右的な高市だけでなく、防衛大臣である小泉進次郎もパランティアのようなAIを称賛したりするなど、日本を更に米国に隷属させて軍拡まっしぐらという救いのない惨状です。(「【全文無料】何故SUZURIからクリエイターが離脱していくのか?|そもそも『Palantir』って何?|ウラケン・ボルボックス」note 2026年9月7日)
こうした現状を踏まえて『ゴジラ-0.0』を鑑賞しますと、自分の研究成果や愛する妻を軍事利用しようとする米軍から逃げようとする村上教授や敷島夫妻の姿は、77年前の日本を舞台にしたフィクションとして消費して済むものでは決してなく、2026年の今を生きる私達にも投げかけられた問いでもある筈です。
一部の為政者や特権階級の利益のために大勢の無関係な人達が憎悪を植え付けられてお互いに殺し合わされるという不毛な構図が長年に渡り続いてきたことを学ばなければ、今後も同じような惨劇が繰り返されるばかりです。
そして、私たち有権者が権力者や巨大資本をきちんと監視しなければ、科学技術だけでなくマスコミや芸能の分野もたちまち悪用されて憲法改悪や軍拡へとまっしぐらです。
再び戦火に巻き込まれないために、そして自らも軍事的に悪用されないためにも、家族を守って逃亡者となった敷島一家の決意を忘れたくありません。
長々と語りましたが、『ゴジラ-0.0』は怪獣映画として空前の大迫力であったと改めて思います。今回は通常のスクリーン上映で鑑賞しましたが、近日中に近隣のIMAXの映画館で鑑賞してみたいと思います。
(敬称略)
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